ガラスの女

雪野スオミ

ガラスの女

 昔々、あるところに灰かぶりと呼ばれ、継母や姉達にいつもいじめられている少女が居ました。名はリュセット。それはそれは美しく、心も清らかな娘でありましたが、あるとき母が亡くなり、父は再婚。新しい母となった人物はリュセットのことをとても疎ましく思っていました。

「リュセット、あなたは本来ならこの家に居る必要の無い存在です。ですが前妻の娘を追い出したりしてはあなたのお父様や私たちの名に傷がつきます。故に召し使いとしてこの家に置いてあげましょう。私たちの言いつけることにはどのようなことでもはいと返事なさい。わかりましたね?」

継母が初めてこの家に来たとき言った言葉でした。リュセットの心はこのときから深く傷つき、灰かぶりと呼ばれながら、懸命に暮らすことになるのです……

ですが、今回はそんなリュセットではなく彼女の義姉、ドロテについてのお話です。


 昔々、あるところにドロテという娘が居りました。しかし、母からはいつも面倒ごとを押しつけられ、姉からは遊びと称していじめられる、そんな毎日を送っていました。


 「ノエミ、ドロテ!」

屋敷に甲高い声が響いた。これはお母様が、何か虫の好かないことのあったときになさる呼び方だった。私は急いで手紙を書く手を止め、お母様のもとへ向かった。

「お母様、何でしょうか?」

お母様は不機嫌そうな顔で私をご覧になった。

「ドロテだけ? ノエミはどうしたのですか?」

「お姉様ならきっともうすぐいらっしゃると思います」

お姉様はいつもそうだ。お母様の機嫌なんて気にしないんだから。

 そう言っている間にお姉様が扉を勢いよく開けた。

「お母様、何ですの?」

お姉様の態度にはいつも呆れる。今もお母様の機嫌が悪いのなんてお構い無しだ。

「実はあなたたちに新しいお父様ができます。」

「えっ、お父様?」

そう私が心の中で呟くのと同時にお姉様が口に出した。

「そう。前のお父様が亡くなり、私たちの家は随分と位が低くなりました。結果、あなたたちにも我慢してもらうことが多かったと思います。ですが同様に奥様を亡くされ、独りとなった方が相談を持ちかけてきたのです。」

お母様はそうおっしゃってため息をついた。

「お母様は、あまり乗り気ではないのですか?」

私がそう尋ねるとお母様は首を横に振った。

「そんなことはありませんよ、ドロテ。あなたたちに良い暮らしをさせてあげることは私にとって何よりの喜び。くれぐれもお父様に失礼のないようにすること、今回はそのことを伝えに呼んだのです。」

お母様はそうおっしゃって、新しいお父様がどのような人か、いつこの屋敷を出るのかなどといったことをお話しになった。ただ、何かお母様には気にさわることがあるようだった。

 私たちが新しいお父様の家に移る日は澄んだ青空の日だった。お姉様は気分が良いのか、見たもの全てを私に教えようと、たびたび私の部屋までやって来た。新しい部屋のベッドやランプから柱の傷まで、ノエミお姉様はとにかく楽しそうに話した。

「リュセット!」

居間で大きな声がした。お母様の声だ。私とお姉様はすぐに向かった。

「どうしたのですか、お母様?」

そこには今まで見たことの無い憎々しげな顔をしたお母様と、私と同じ年くらいの女の子が座りこんでいた。

「挨拶が遅くなり……申し訳……ございません」

その女の子は消えそうな声で言った。私はお母様に尋ねた。

「お母様、これはいったいどういうことですか? この方はいったい誰なのですか?」

その言葉を聞いてお母様は吐き捨てるようにおっしゃった。

「この子はリュセット、新しいお父様のもとに居た娘です。」

それを聞いて私は喜んだ。今まで自分と同い年の人とは遊んだことがなかったからだ。いつもお姉様と遊ぶときは私が損な役割を押し付けられるだけで面白くない。例えば舞踏会に行くための練習として私をお付きの人みたいに命令したり、お姉様が壊したのに私たち二人で壊したと言ってお母様に謝るはめになったり。だから新しく一緒に遊べる相手ができるなんて! しかし私の笑顔はすぐに消えることになった。

「リュセット、あなたは本来ならこの家に居る必要の無い存在です。ですが前妻の娘を追い出したりしてはあなたのお父様や私たちの名に傷がつきます。故に召し使いとしてこの家に置いてあげましょう。私たちの言いつけることにはどのようなことでもはいと返事なさい。わかりましたね?」

お母様はそう言ってリュセットのことを見下ろした。私にはお母様のおっしゃっていることがよくわからなかった。

 あれから私たちは新しい屋敷で今まで通りの生活を送っていた。ただ、今までと違うことはリュセットが居ることである。新しいお父様は仕事が忙しいようで中々家に帰ってこない。私とお姉様とお母様とリュセットの四人暮らしとなった。

「灰かぶりのリュセット、掃除ができていませんよ!」

お母様はあれから、リュセットのことを灰かぶりのリュセットと呼んでいる。彼女が暖炉の掃除をしているときに、ノエミお姉様がふざけて足を引っかけ、暖炉の灰まみれにしてしまったからだ。お姉様はお母様がリュセットに冷たく当たるのを見て、これまで私がやってきた遊び相手役をリュセットに替えた。私としてはお姉様の相手にならなくてすむのは嬉しいが、リュセットは文句も言わずに相手をしている。

そこで私は一度、リュセットにリボンを作ってあげようとした。リュセットは毎日家の用事を全て一人でこなしている。私にも何かできることはないかと思ったのだ。けれどそれは失敗した。お母様に見つかったのである。

「これは、いったいなんですか?」

「リュセットにあげようと思うのです。リュセットは毎日、家の仕事をしてくださっていますし……」

「無用です。リュセットは前妻の娘、ここでの地位は無いに等しい。あの娘を愛でるようでしたらあなたもあの娘と同じように扱いますよ」

そこまでいうとお母様はリボンを引ったくって部屋に戻っていった。

次の日も、お母様はことあるごとにリュセットを呼びつけ、虐げた。

「何度言えばわかるのですか、リュセット!」

「申し訳ございません、申し訳ございません……」

リュセットの掃除がまるでなっていない、お母様はそう言ってリュセットが掃除を終えた場所をもう一度最初からするように言いつけた。

「わかったかい、リュセット?」

「……はい、お母様」

「いいや、わかっていない。その目は何もわかっていませんね? なぜ自分が怒られているか、ただ謝れば良いというわけではありませんよ」

「はい、申し訳ございません……」

「申し訳ございませんじゃないでしょう? あなたのような役立たずで邪魔な娘を家に置いているのです。それがわかっているならば、あなたは謝るよりも先に言うべきことがあるはずです」

「……ありがとうございます」

リュセットは静かにそう言った。お母様はそれを聞いて、リュセットを掃除に戻らせた。私は何も言えずにそれを見ていることしかできなかった。そして、私もリュセットのことをお母様やお姉様のようにいじめ始めた。

「リュセット、私の服のしわが取れていませんわ!」

「も、申し訳ございません、ドロテお姉様」

本当はしわなんて無かった。リュセットの家事はいつも完璧だったのに。でもリュセットのことを庇えば私も彼女と同じようになる。お母様やお姉様からいじめられる。そんな生活なんてまっぴらだから。

 あるとき私たちへ、国王から舞踏会の招待状が届いた。

「舞踏会ってきっと格好よくて、お金持ちの方がたくさんいらっしゃるのでしょう? 楽しみですわね!」

ノエミお姉様とお母様はとても楽しそうに、その日着ていくドレスや、招待されている方々の名簿を眺めている。けれど……

 私はお母様たちに隠れて、リュセットの寝室になっている屋根裏部屋の戸を開けた。

「ねぇ、リュセット。あなたは舞踏会には行きたくはないの?」

リュセットは最初は驚き、私を部屋の外へ帰らせようとしたが、私がそこを動かないことに観念したのか、座って話しだした。

「ほんとうは、行きたいです……もし、私も舞踏会で素敵な人と出会えたら……」

そこまで言ってリュセットは口を閉じた。

「リュセット、あなた……」

「そろそろ、次の仕事がありますから……ドロテお姉様、ありがとうございます……」

リュセットはそう言って部屋から出ていった。

「そんな、リュセット……!」

私は部屋から出て自室に戻った。どうしてお母様はあんなにもリュセットのことを嫌っているのだろうか。

「ドロテ~。このドレスともう一つの黄色いドレス、どちらが私に似合うと思う?」

ノエミお姉様がキラキラした青いドレスを着て私に尋ねる声がした。私はしぶしぶお姉様の部屋へと向かった。

お姉様のドレスが決まり終わった頃にはもうすっかり皆は寝てしまっていた。私は眠る前に読書の時間を習慣づけている。

「今日はすっかり遅くなってしまったし、短いものを読もうかしら……あら?」

私が手に取ったのはお母様の日記だった。お母様が、新しいお父様の元へ嫁ぐ前の頃から書かれている。私はそれがいけないことだと知りつつ、つい手に取ってしまった。

「お母様はどのような気持ちで新しいお父様と出会われたのでしょう?」

しかし私が想像しているような甘い出会いはそこにはなかった。そしてお母様がなぜリュセットを嫌うのかがそこには書かれていた。

 舞踏会の当日、私たちは出発した。お母様は相変わらずリュセットの行動一つ一つを厳しく非難し、ノエミお姉様もそれに合わせてリュセットをいじめる。私はすぐに舞踏会へと行ってしまいたかった。

 舞踏会はとても素晴らしい場所であった。王子様はとても素敵な方で、招待されている皆の顔と名前と出身を全て覚えていた。けれど、お母様とノエミお姉様はご機嫌斜めだった。それも当然のことである。リュセットのことだ。舞踏会が盛り上がっていた頃、突然一人の美しい女性が訪れた。きっとあの日あの場所に居たどの女性よりも美しい彼女は紛れもなくリュセットだった。どうしてリュセットがあそこに居たのか、お母様たちが問い詰めても妖精が助けてくれたなどということしか言わないようだ。

「いい加減に本当のことを言いなさい、リュセット。あのドレスや髪はどうしたのですか?」

「そうですわ! あなた、盗みまでするなんて!」

お母様やノエミお姉様はリュセットがそれを盗んだと、厳しく言い立てる。私も妖精なんてもの、にわかに信じがたい。リュセットに限ってそんなことはないはずだけど……

「もういいです、リュセット。あなたは盗みを働いたとして、家から追い出します。お父様も盗みをするような娘は家には置いておけないでしょう」

「そんな、違います! 本当に、妖精が……」

リュセットはお母様に向かって必死にそう言っている。もしかしたら妖精というのは本当なのかもしれない。そう思った私はお母様にそう言おうとした。

「お母様……」

「そこまでですよ~?」

突然、光とともに一人の女性が現れた。優しそうに微笑む、恰幅の良い初老の女性だ。

「妖精様……」

リュセットがそう言ったことから彼女が件の妖精なのだろう。私たちが呆気にとられてその姿を見ていると、妖精は笑顔でお母様の方を見た。

「あなたが、リュセットの今の母親ですね。実は昨日の舞踏会において彼女にドレスなどの一式を貸し出してあげたのです。ですから彼女は何も嘘をついていません、安心してくださいね?」

しかし、お母様はひるまない。

「あなたがどこのどなたかはさておき、私には私の方針があって決めたこと。勝手な真似をされては困ります」

「そーよ、そーよ!」

ノエミお姉様も続けた。

「リュセットのことを思ってお母様は舞踏会には連れて行かなかったの! だってあなたの分のドレスは無いのだし、あなたは家の仕事があるでしょう?」

その言葉を聞いて、妖精の顔から笑みが消えた。

「リュセットのため……ですか。あなた、あなたのお母様がリュセットに対してなぜあのような態度をとるか、ご存知ですか?」

「し、知らないわよ!」

妖精はノエミお姉様の言葉を聞き口を開いた。

「かつてあなたたちのお母様は有名な貴族の養女でした。しかし、本家の娘や家族からは酷く疎まれ常に虐げられてきたのです。たった一人愛してもらっていると思っていた義父のために愛してもいない男と結婚し、子供も生みました。それなのにその男は死に、その後、お母様はとある領主の方と再婚します。そしてその領主の連れ子を養女にしました……」

「……やめなさい」

お母様が妖精の話を遮ろうとする。

「……お母様は誰にも愛されず、誰も愛することができなかった。だから、もし、同じ境遇のリュセットが幸せになれば……それは彼女の人生が、これまでが間違っていた、そういうことになる……」

お母様はリュセットを睨み付けている。こんなお母様を見るのは初めてで、なんだか恐ろしい気分になった。

「だから彼女はリュセットが憎い、だからあの子を虐げたのです。自分と同じ、幸せになれない道を歩ませようとした!」

「黙れ、黙れ!」

「あなたがリュセットに浴びせた言葉、それはかつてのあなた自身に向けた言葉でしょう!?」

「黙れ! たかが妖精が、私の何を知っている!」

「私にはあなたの気持ちはわかりません。けれど、この子は、リュセットはあなたとは違う。」

「何が違うというのよ!」

「舞踏会の直前、継母がなぜあなたを嫌うのか、あなたの過去を教えました。するとこの子は迷いなくあなたのことを憐れんだ。そしてもし誰かと結ばれても、そのような負の連鎖は断ち切ると言ったのです」

「それがどうしたというのよ! 私はリュセットの母親よ! リュセットより立場が上、だから何をしても良いの!」

「お母様!」

私は声をあげていた。

「私、お母様の日記を読んでしまいました……だからお母様が苦労してきたこと、辛かったこと、それはよくわかります。けれど、悲しみは、憎しみは、誰かが歯を食いしばって終わらせなければならないんです! 自分が味わった苦しみを立場が弱い相手に押しつける人より、苦しみに耐えて、絶対にそれを終わらせようと思う人の方が、何倍もすごいです!」

私の言葉に妖精は頷き、笑った。そしてお母様の方を向いて言った。

「もうすぐ、リュセットを探しに王子とその兵が来るはずです。そのとき、あなたと娘たちは捕まり処刑されます」

「えっ、そんな……」

その言葉に最も早く反応したのはリュセットだった。

「妖精様……何とかならないのですか?」

「……あなたを散々虐げた連中を、庇うのですか?」

「……ですが!」

リュセットは妖精相手に一歩も引かない。らちが明かないと思った私はリュセットに向かって言った。

「リュセット、あなたは本当に優しいですわね。けれど、お母様がやってきたことは許されないことですし、それを止めずに一緒にしていた私たちも同じ。リュセット、今まで本当にごめんなさい」

私の言葉にリュセットは初めて泣いた。

 数刻後、妖精の言った通り王子と兵が現れ、私たちは連れていかれた。ノエミお姉様はあまりのショックに気絶し、お母様はぶつぶつと何やら呟いていた。


 リュセットと王子様の婚儀も終え、そろそろ私たちが処刑される頃だ。リュセットは最後まで反対していたそうだが、私はそれを拒んだ。きっとリュセットなら、こんなことが二度と起きないような、優しい国を作っていってくれるだろう。

「アルティエール夫人とその娘ノエミ、ドロテ!」

私たちを呼ぶ役人の声が聞こえた。

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