休日に焼くピザの美味なこと 前編
「…………はいっ、みんなやっほー! オリハルコン級探検家、クレハ・ヴァレンタインだよー! 今日も見に来てくれてありがとー!」
ふよふよと自分の目の前を浮遊するカメラに向けて、満面の笑みを向けるクレハ。
急な配信であったにもかかわらず、既に視聴者数は1万人を余裕で突破しており、それに比例してコメントも爆速で増えていく。
『こんにちはー』
『あれ、家だ』
『珍しい、ダンジョンじゃない』
『ダンジョンが家じゃなかったんですか?』
「……みんな、私の事なんだと思ってるの? 私にはきちんとしたマイホームがあるんだからね?」
そう、今クレハが配信している場所はダンジョン内ではなく、彼女の自宅。
自宅と言っても大したものではなく、とある人物が扱いに困っていた元倉庫を買い、そこに改良を加えたもの。
一つの大きな空間だった倉庫内に寝室と浴室、トイレやキッチンに書斎を設置し、残りの半分のスペースは従来通り倉庫としてダンジョン攻略のための道具や採取した素材などを保管している。なお、改装は全てメル・シーカー並びにメル工房の従業員が行った。
その書斎にて、彼女は配信を開始していた。
「今日はダンジョン攻略はおやすみー……使ってる武器やカメラのメンテをメルちゃんに頼んでるからね」
『なるほど』
『クレハちゃんなら何使ってもダンジョン攻略余裕な気がする』
「まぁ、もしかしたらそうかもしれないけど……万全かつ十全で無いならダンジョン攻略なんてやっちゃダメだと私は思うよ。いつもと違う武器で潜ったから魔物にやられた……なんて、絶対ヤ」
だから今日はおやすみと高らかに宣言するクレハ。ダンジョン探検家は基本的に自営業のような職業形態なので、勤務日も休養日も当人の自由。
クレハが働くと言えば勤務日、休むと言えば休養日なのだ。なお、彼女にとって配信活動は労働では無い。
「っというわけでー、本日はゆるーくのんびりーり雑談を1時間ほど。今日はこの後ノエルちゃんと会う約束してるからねー」
『初見です。ノエルというのはどなたですか?』
「ん、初見さんいらっしゃいです。ノエルちゃんはねー、私のスポンサーの1人だよ。ライオット家っていう男爵家の娘さんでー、私の幼なじみー」
過去の配信にノエルちゃん参加してくれたこともあったから、良かったらそれも見てね! と告げたクレハは、ついでだからノエルのことを雑談の話題にしてしまおうと決める。
よくメルのことは話題に出すクレハだが、ノエルのことを話すのはあまり無かった。丁度いい機会だと、ソファに深く座り込んで足を組む。
「ノエルちゃんには私の書類周りの作業だとか各種手続きとかの事務作業をやって貰ってるの。あと、資金管理もだねー」
ちょっと一市民が持つにはとんでもない金額でさーと笑うクレハ。
現状の彼女の資産は下手な貴族よりも膨大なものになっており、それこそライオット家の資産に匹敵しかねない程。
そこまで膨大なら金を使うことが上手い人に任せた方がいいだろう……そう考えたクレハは、幼なじみであるライオット家に資産管理を依頼したのが始まり。
「だから、私が大きい買い物する時は毎回ノエルちゃんに確認するの。基本的には大丈夫って言われるんだけど、使いすぎてたらちょっと怒られちゃうんだよねー」
『夫の小遣いを管理する奥さんじゃん』
「あー……あながち間違いじゃないかも」
『そんなクレハちゃんの最近1番大きな買い物は?』
「えー、なんだろ……あ、総額って意味この家かなー。少なくとも5000万ゴールド使ってる」
『5000万ゴールドっ!?』
『ヤバすぎ』
「いやぁ……この建物って元々ライオット家の倉庫だったんだけど、取り壊す予定だったらしいんだよ。そこを買い取って、メルちゃんに改修を依頼したら……とんでもないことになってた」
なお、その改修費用に上下水道の整備などは含んでいない。異世界でありながら殆ど現代日本と変わらない生活を送るために様々な工夫がされたこの家を、メルは『最高傑作』と称していた。
異世界なのに全自動食洗機が設置されていると言えば、分かりやすいだろうか。
「あの時は流石に私もノエルちゃんも笑うしか無かったよねー……」
「あぁ……あの時は本当に大変だった」
「うひゃあっはっはぁあ!?」
突然真後ろから人の声が聞こえたことに驚愕の声を上げながらソファからごろごろと転げ落ちるクレハ。
ダンジョン攻略中なら絶対に起きえないクレハの本気で焦った表情に沸き上がるコメント欄。
「びっ………………くりしたぁ……いつの間に来たの、ノエルちゃん」
「呼び鈴は鳴らしたのだが……どうせ配信しているのだろうと勝手に入らせて貰った。鍵は貰っているからな」
悪戯に成功した子供のような笑みを浮かべるノエル。その手にはこの家の鍵……1枚のカードが握られていた。そう、この家なんと称号魔法を応用して作られたカードキーである。
全くもう! とぷりぷり怒るクレハの隣に腰を下ろすノエル。どうやら配信に参加するらしい。
「視聴者の方々。久しぶりだな。クレハ・ヴァレンタインのスポンサーをしているライオット家の長女、ノエル・ライオットだ。本日はクレハに新事業の進捗報告に来たのだが……まさか私が来たことに気付かないほど配信に夢中だったとはな」
「だってぇ! まだ約束の時間まで30分あるじゃん!」
「私が約束の時間丁度に来るような人間だとでも? まさか早く来て文句を言われるとは思わなかったな」
やれやれ、と首を振るノエルにクレハはぐうの音も出ない。
代わりにポコスカとノエルの肩を叩くが、ノエルは全く意に介せずコメントを読んでいく。
『ノエル様、ド正論』
『クレハちゃんにずかずか物言える人初めて見た』
「ふむ……まあ我々は昔馴染みだからな。お互い遠慮などとうの昔に消え去ったものだ」
「まぁねぇ……10数年だもんねー。長い付き合いになったもんだよ」
「あぁ……っとそうだ、クレハ。来る途中でメルから預かり物だ」
そう口にしたノエルは、持ってきていた荷物の中から包みを取り出す。
なんだろうかと首を傾げながら受け取ったクレハは、その包みを丁寧に解いていく。
「……これは……窯?」
「わぁ……凄い凄い! こんなものまで作れるんだ!」
その中から出てきたのは、石材のような材質で出来た半球の物体。正面に大きく口が開き、上部には煙突が付いていた。正しく、パン焼き窯だ。持ち運びにするには流石に大きすぎるが、家の中で使うには十分な大きさだ。
「まさかこんなものまで作るとは……しかし、窯とは思えないほど軽かったぞ?」
「えーっと、なになに? 最近開発した軽量耐熱レンガを使ってみました。使用感を教えて下さい……よしっ! ノエルちゃん! ピザ焼こうピザ!」
「落ち着け……はぁ……分かった。たまには料理の師匠として腕を振るうかな」
「ホントっ!?」
ぱあっと顔を輝かせるクレハに、ノエルは力強く頷いた。
──10分後──
流石に家の中で窯を使ったら大変なことになるので、場所を外に移した彼女たち。
いつものローテーブルではなく、腰の辺りまで高さのある大きなテーブル。机の上の調理器具もキャンプのためのものではなく通常通りのもの。
その机の前に、エプロンを着けたクレハとノエルが立っていた。2人の周りをカメラが動き回る。
「では、これよりピザ焼きを開始する!」
「おー!」
「本来ならピザ用の生地を準備するところから始めるのだがー……時間が長くなってしまうので、クレハの実家からピザ生地を頂いてきた」
「はいっ! こちらにっ!」
クレハがばっと見せたボウルの中には、適度に発酵を済ませたツヤのあるピザ生地。
ピザを焼くと決まった瞬間にクレハが超特急で実家に駆けつけ、父親からねだってきたものだ。具材に関しては、クレハの家に貯蔵されていた具材を使用する。
では、とノエルはピザ生地をきちんと吹いた机の上に置く。
「今回のピザの広げ方は、外でもできるよう手順を簡略化している。清潔な机さえあればできるものになっている」
ノエルはそう言うと、生地を一食分取り分け、それに気持ち多めの打ち粉を振る。
そして、生地を持ち上げて引っ張りながら回して薄くしていく。生地を重力と引っ張ることで伸ばしていく形だ。
手に持った部分はピザの耳として分厚くなり、中心は薄く伸びる。これをくるくると繰り返していく。
「これは手を使って行うやり方だが──極論、麺棒でも構わない」
「あれま。その心は?」
「その方が簡単だからだ」
綺麗な円になったピザ生地を机の上に置く。ある意味一番の見せ場をあっさり終わらせたことに落胆の声を出していたコメント欄も、ノエルの言葉に考えを改める。
「手の込んだ素材を創意工夫を凝らし調理する……不味くなるはずが無い。しかし、簡単な手順で美味なものができればより良いだろう? ……まぁ、私の料理の師匠の言葉だがな」
『誰?』
『お抱えの料理人?』
「いや……クレハの父上殿だ」
『……はい?』
『どういう状況?』
『何故?』
「そういう反応になるよねー……まぁ、色々あったんだよ」
ははは、と遠い目をするクレハ。この話題は終わりと言わんばかりに、ノエルがごほんと咳をする。
ノエルは広げ終わった生地の上に、トマトベースのソースを塗り広げる。
「最初はー……シンプルに行くか」
最近流通量が増えてきたチーズをパラパラと置き、その上にクレハが切った具材……玉ねぎやサラミ、ドライトマトやピーマンを乗せ、最後に再びチーズ。
「さて……では、焼くか。クレハ。火はついてるか?」
「バッチリ!」
「では……入れようか」
焼床の温度が上がりきったことを確認したノエルは、そこにピザピールで持ち上げたピザ生地を入れ、扉を閉める。
「あとは様子を見ながら待つだけだが……その間コメント返信でもするか」
「…………あれ? なんか乗っ取られてない?」
自分よりもテキパキとコメントを返信していくノエルに、普段の自分が如何に適当に配信しているのか思い知ったクレハなのであった。
ピザが焼けるまで、まだまだ時間が掛かりそうである。
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