ファン

連喜

第1話

 *本作品はフィクションです。


 俺は二十代のサラリーマン。出身大学はFランで、就活して入った会社はノルマのある不動産賃貸の会社だった。大手だからみんなも知っているかもしれない。俺は個人向けの賃貸マンションやアパートを扱っていた。不動産業界は来店客が多い土日は休めない。オフィス向けのをメインにやっている会社は別だけど、うちみたいな会社は暇な時期に交代で休みをもらえるくらいだった。


 俺の彼女は、元々お客さんとして知り合った人だった。地方から出て来た大学生で、入学前の三月に一人で部屋を見に来た。普通は親と一緒に来るものだから、心配になっていろいろ相談に乗っているうちに自然と仲良くなった。彼女は誰一人知り合いのいない東京で、たまたま出会っただけの俺に頼りきっていた。


 俺たちは歩いて物件を見て回った。車じゃなくても、すべて徒歩で行ける場所にあったからだ。秋田出身の子だった。共通語を話そうとしてるけど、言葉の端々にちょっと訛りがあった。


「親が仕事休めなくて…」

「そうなんだ。一人で来たなんて大変だったね」

 気が付いたら俺はため口になっていた。顔がすごくかわいいんだけど、ついつい胸に目が行ってしまうくらい、胸の発育がいい子だった。それを隠そうともせず、パステルカラーのセーターを着て姿勢よく歩いていた。まるで、見せびらかすかのようだった。スカートから覗く足もまっすぐで、とにかくスタイルがよかった。


「大丈夫。俺が面倒見てやるから。他の不動産屋に行ったら騙されるかもしれないから、うちで借りた方がいいよ。今、家賃が高い時期だから、大家さんと交渉してあげるよ」

「ありがとうございます」

「俺も妹がいるんだけど…今大学生だから他人とは思えなくてさ」


 彼女は全く警戒心がなくて、部屋で二人きりになっても、ずっとニコニコしていた。絶対、変な気を起こす営業マンもいるだろうと思うくらいだった。

「今、毎日大学生が見に来てるから、すぐ埋まっちゃうと思うよ。二階だし、まだ新しくてきれいだから」

 営業トークなのだが、完全に嘘ではなかった。値段は周辺の相場と照らし合わせても妥当だったし、前も大学生の女の子が住んでいた部屋だった。


 結局、彼女は同じ日に内見した三部屋のうちから決めてしまった。俺の営業トークがなくても決まっていただろうけど。部屋を見せる時は、イマイチの物件を入れておいて本命物件を最後に持って来るとすぐに決まる。しかも、大家さんが女性でないとダメという人だったから、実は競争率はそんなに高くなかったのだ。


「部屋が決まって安心しました」

 彼女は笑顔でお礼を言った。本人が喜んでいるし、俺も売り上げを立てられてほっとしていた。

「書類揃えて家賃振り込んでくれたら、鍵早めに渡してもいいよ。それに、大家さんが今月分の家賃はまけてくれるって」

「え、ほんとうですか?よかった~」

 

 実は日割り家賃は俺が交渉して0にしてもらった。俺は大家さんに気に入られていたし、あと十日しかないから大したことはないのだが。

 彼女は相変わらずたわわな胸を揺らしながら微笑んでいた。

「で、今、どこにいるの?」

「ホテルです」

「この辺?」

「ううん。〇〇」

「晩飯、一緒にどう?お礼に奢るよ」彼女は絶対断らないのがわかっていた。

「はい」

 彼女の携帯番号は申込書類に書いてあったから知っていた。

「Line聞いていい?」

「もちろんです」


 俺は彼女の家の住所を知っているし、合鍵も作れる立場なのに彼女は全く警戒心がなかった。どんな相手でも、一応は用心しないと危ないと彼女に教えてやったのだが、そのこともあって俺のことを誠実な男だと思ったらしい。ますます俺を慕ってくれて、どんどんおしゃべりになって行った。俺のことが好きなのは疑いの余地がなかった。

 

 しかし、うちの会社のコンプライアンス上、お客さんと付き合うのは禁止だった。それに、相手がまだ未成年だから、どうしようかと思っていたけど、あっちから言われたら付き合おうと決めていた。


 一緒に飯を食って、彼女の高校時代の話を聞いていた。部活は新体操をやっていたそうだ。ちょっと肉感的過ぎないかと思ったし、明らかに胸が邪魔そうだったけど、体型は生まれつきだからどうしようもない。俺の妹はアイドルに憧れていたけど、背が伸びすぎて諦めてしまった。


「新体操やってる人ってもっとがりがりのイメージだったけど」

「顧問の先生から毎日痩せなさいって言われてました。夕飯抜いてたんですけど、全然痩せなくて」

「へぇ、それきついね」

「そう。夕飯食べてないとおなかが空いて寝れないんですよ。だから学校で授業中眠くて…」

 俺はどうしようもなく彼女のレオタード姿を思い浮かべてしまって、気をそらすのに苦労した。


 彼女は都内のことを全然知らないから、俺は仕事が休みの日に一緒に電化製品を見に連れて行ってやった。別の日は、部屋に上がって通販家具を組み立ててやったりもした。部屋に二人っきりになっても、あちらは幼くて、俺を疑うことがまるでなかった。まるで家庭教師と教え子が話しているみたいだった。あまりに純粋だから、手を出したらちょっとかわいそうな気がしてしまった。こういう子の頭の中は少女漫画みたいになっていて、キスをするまでにも何カ月もかかって、ましてやセックスなんて結婚するまでないのかもしれない。俺は人が変わったようになっていて、相手が言い出すまで辛抱強く待っていた。


 その日は、一緒に郊外のショッピングモールに洋服を見に行って、夕方には彼女のマンションに戻っていた。

 フローリングの床に二人で座って、無言のまま駅前のファストフードでテイクアウトしたハンバーガーを食べていた。静か過ぎて気まずかった。出会ってひと月くらい経っているのに、手を握ったこともなかった。俺が彼女にとって、ただのお兄さんなら俺はそろそろ会うのをやめようかと思っていた。

 俺は思い切って恋愛の話をしてみた。彼女が俺のことをどう思っているか知りたかった。


「女子高だったから周りに男の人がいなくて」

「へえ。でも、合コンとかないの?」

「田舎だから全然」

 彼女は真っ赤になって下を向いていた。

「好きな人はいたんじゃない?」

「うん…。友達のお兄ちゃんがサッカーやってて…。でも、一回も喋らないで終わっちゃった」

 俺のことが好きだから付き合ってって、早く言ってくれないかなぁ…。俺は次の言葉を待ってわざと黙っていた。


「前田さんは彼女いる?」


 よし!俺は顔に出ないようにクールなふりをしていたが、読み通りの展開になっていると確信した。

「いないよ。土日仕事だから、休みが合わなくて…」

 実際はそんなことは関係なくて、前の彼女とは大学時代から付き合っていたけど、俺が結婚に踏み切れなくて数カ月前に別れてしまったんだった。もし、結婚してたらこんな子と付き合うのも難しかっただろう。あんな女と別れておいてよかった。


「じゃあ…私を前田さんの彼女にしてください」

 まるで、アニメのヒロインのように可愛らしい声だった。

「え?」

 俺の返事を待ってにこにこしていた。意外とストレートに告白して来たから、俺はびっくりした。さすがに照れてしまって「俺でいいの?」と、いかにも軽そうに答えた。

「はい。よろしくお願いします」

 彼女は恥ずかしそうに微笑んでいた。

「初めての彼氏になってください」


 美結はすごくかわいいのに、本当に男と付き合ったことがなく、キスも俺が初めてだったそうだ。こういう子といると、俺も緊張してギクシャクしてたけど、かわいくて仕方がなかった。彼女は物静かだけど、つまらない感じではなく、一緒にいて落ち着く感じの子だった。


 彼女は秋田の出身だから肌に透明感があって色白だった。腕を絡め合っていると俺の肌が黒いのが目立った。間違いなく今まで付き合った子で過去一白い子だった。髪も茶色っぽくて、色素が薄く、儚い感じがする。秋田は美人の宝庫だと言われるが、美結もよくぞ今まで一人だったと思うくらいの子だった。彼女が言うには、周りに男がいない環境で育ったから、免疫がなくて話すと上がってしまうらしい。時々、知らない男が話しかけて来るけど、何を言っていいかわからなくて逃げ腰になってしまうと言っていた。全然遊んでいないし、彼氏いない歴年齢だから昔付き合っていた男の話が出ることもない。性格は明るくて、優しくて、気が利く。俺が望むものが何もかも揃っていた。


 彼女のマンションは俺の勤務先と同じ駅にあった。俺の家はちょっと離れていて、一時間くらいかけて通っていたから、仕事が終わったら彼女の家に毎晩泊まって行くという半同棲状態になった。彼女は大学生だから飲み会なんかで遅くなるかと思いきや、いつも家で俺を待ってくれるような健気な子だった。俺の仕事が六時までなのだが、彼女は必ず六時には家にいた。俺が家に着くより遅く帰って来たことはなかった。


 俺が家に着くと、彼女はすぐにスマホの電源を落としてしまう。理由は二人の時間を邪魔されたくないからだそうだ。なんてかわいいんだ!俺は心底感激した。俺のことをそこまで思ってくれるなんて…。こんないい子は二度と表れないだろう。俺は口には出さないが、付き合ってすぐにその子と結婚しようと決めていた。


「美結が大学卒業したら結婚しよっか?」


 俺は彼女の誕生日に指輪を贈った時、そう提案した。彼女はまだ十九歳だけど、就職して他の男に目移りする前に、俺が彼女を囲い込んでしまうつもりだった。美結は美人だから、大企業に入って俺より稼ぐ男を見たら気が変わる恐れがあったからだ。

「うん。嬉しい!でも。私の本当の姿を知ったら嫌いになっちゃうかもしれないよ」

「ならないよ」

 俺は笑った。本当の姿って何だろう?もう俺たちは大人の関係になっているのに、今さら何を言うんだろう。俺は不思議に思っていた。

「俺の目の前にいる美結がすべてだから、何か隠してても気持ちは変わらないよ」

「じゃあ…私がいいよって、言ったらしようね。えへ」 

 美結は肩をすくめた。かわいい。俺の心は感動で震えていた。俺は毎日美結と一緒に過ごすようになったせいで、友達との付き合いもしなくなった。本当は友達にも会いたいのだが、美結がいつも一緒にいたがるから、彼女を優先することにしたのだ。

 

 しかし、気になることがあった。それは、何カ月も一緒にいて、一度も美結の友達に会ったことがないということだった。スマホの電源を落としているから電話はかかって来ないし、友達の話を聞いたことがなかった。さらに、実家の話も全然しない。俺もちょっと前までは大学生だったし、その年代の女の子は親や家族の話をするものだと思っていたのだが。両親と仲がいいのか、悪いのか、どうなんだろうか。お姉ちゃんが一人いるそうだけど、その人からも何の連絡もなかった。


 そのお姉ちゃんは秋田に住んでて、工場で働いているそうだ。田舎は仕事がないが、そこには高校からの推薦で入ったそうだ。お姉ちゃんの学校からは毎年何人かがその会社に入るらしい。業種としては食品と言っていたと思う。前に田舎出身の友達から似たような話を聞いていたから、何となくわかる気がした。


「スマホの電源落としてたら実家の人たち心配しない?」

 美結があまりに人づきあいがないので、気になって尋ねた。

「大丈夫だよ。夜は電源落としてるって言ってあるから」

「そうなんだ…いいよ。俺のこと気にしないで友達とかに電話しなよ」

「でもいいの。だって、マサキ君は昼間は仕事に行ってるから、それ以外の時間は一緒にいたいもん」

「あ、そう?」

 嬉しいけど、ちょっと息苦しかった。しかし、美結があり得ない程かわいいから、やっぱり一緒にいたいと思ったし、彼女に対して感じた違和感はすぐに忘れてしまった。


***

 

「大学でどんな授業取ってるの?」

 俺は美結がまったく勉強しないので、気になって聞いてみた。俺に合わせているせいで、単位を落としたりしたら困るからだ。

「うーん。子どものお世話のこととかかなぁ」

「何学部だっけ?」

「幼稚園の先生になるところ」

「へえ。美結は幼稚園の先生になるんだ?」

「うん」

「幼稚園の先生も教職っているの?」

「う、うん。いるよ。私、子どもが大好きなんだ」

 大学の話をしているのに、いきなり子どもが大好きだという話を始めた。ずいぶん話が飛んでおかしいなと感じた。大学のことを聞こうとしても、彼女は何も教えてくれなかった。


 一応、テキストを買って持っているけど、いつまでも真新しくて、捲ってみても読んでいる形跡がなかった。普通は線を引いたりしないだろうか。しかも、一年以上一緒にいて勉強しているのを一度も見たことがなかった。大学生なら、相当緩い大学でもそれなりにレポートや課題があるんじゃないだろうか。


「テストとかないの?」

「うん、うん。うちの大学馬鹿だから適当に書いても丸もらえるよ」

「へえ、じゃあ、テスト受ければ全員進級できるの?」

「うん」

「へえ。楽だね。〇〇女子大学ってそんな緩いんだ」

「うん」

 そんな大学行く意味があるんだろうかと思ったけど黙っていた。

「就職、どんなとこにするの?」

「幼稚園とか」

「幼児教育の学部って、何割くらい幼稚園の先生になるの?」

「うーん。ほとんどかな」

 それもおかしかった。俺の従妹で幼稚園の先生になった子が言ってた話だと、実際に先生になる人は学生の半分もいないということだったのだが。

「美結も卒業したら幼稚園の先生になるの?」

「う~ん。どうかなぁ。ならないかも。大変そうだから」

「じゃあ、何で入ったの?」

「最初はやってみたかったけど、給料安そうだから…」

「へえ、そうなんだ…」

 何のために四年間も高い学費を払って通うのかまったくわからなかった。

「親、何も言わない?」

「うん」

「普通に就職するとしたらどんなとこ行きたい?」

「うーん。何がいいかなぁ」彼女は困ったように首を傾げた。

 働く気がないのか…俺はがっかりした。子どもがいるならともかく、俺の給料で専業主婦なんて不可能だからだ。

「俺、言っとくけど給料安いから。共働きして欲しいんだけど」

「大丈夫。私ちゃんと働くから大丈夫だよ」

 ほら、やっぱりいい子だ。俺はほっとした。

「就活はいつからやるの?」

「卒業するちょっと前とか?」

 それって遅すぎないかと思った。インターンも三年の夏休みくらいからやるんじゃないだろうか?

「インターンやらないの?」

「インターン?ああ、やるよ」

「どこで?」

「まだ決まってない」

 何だかおかしいなと思った。本当に大学通ってるんだろうか。


 それが確信に変わったのは、付き合って一年経った頃だった。夏休みの期間もずっと家にいるようだったし、正月実家に帰省することもなかった。学校の行事とかについても何も触れなかった。うちの会社には同じ大学の子も来るのだけど、その子たちと話していて感じたのは、美結が大学生っぽくないことだった。サークルをやったり、合コンしたり、他大と交流という話も全くなかった。


 俺が家に帰ると、毎日、何時間もかけて作ったようなちゃんとした料理が並んでいた。 

「すごいね。ずいぶん時間かかったんじゃない?」

「うん。私料理が趣味なんだ」


 そうやって微笑む美結は完ぺきだった。家はいつもピカピカで入居した時と同じくらいきれいだった。


「美結はほんといい奥さんになれるね」

 いつも優しくてかわいいし、本当に絵に描いたような良妻だった。

 難を言うとあまり漢字が得意でないことだろうか。


 俺は近眼だから外ではコンタクトをしているが、家では眼鏡を掛けている。誰しも思うだろうけど、近眼は不便だ。視力のいい美結が羨ましかった。

「美結は目がよくていいなぁ。」

 美結は二重瞼がぱっちりして、まつ毛が長い。いとおしく眺めながら尋ねた。

「うん、まあね。私、目は大丈夫だから」

「いいなぁ。眼鏡じゃまでさ、コンタクトは高いし」

「そっかぁ。でも、メガネの男の人って好き。頭よさそうに見えるじゃない?」

「ああ、そう?」

「うん。わたし、はだかめだから、眼鏡の人って素敵だと思うよ」

「はだかめ?」

 一瞬、何のことかわからなかったけど、裸眼のことだと後から気が付いた。 


 それに、読み間違いが度々あった。ご利益をごりえき、月極をげつごく、小豆をおまめ、海豚をうみぶたと読んでいてやばいなと思っていた。さらに、鰻、鯛、鮭などの一般的な漢字も読めない。九州を全部言えない。俺も大学はFランだけど、これは酷いと思った。こういう失敗が沢山あり過ぎて、思い出せないくらいだった。

 

 世の中、漢字が苦手な人もいるだろうけど、幼児教育の勉強をしている人とは思えないことがいくつかあった。幼稚園の先生なら音楽や絵画などもやるはずなのに、歌や楽器を全くやっていないし、やろうともしていなかったことだ。いつもスカートをはいて大学に行っているけど、実習はやっていないんだろうか。大学のホームページを見てもやっぱりおかしかった。


 俺は会社が休みの水曜日、大学に行く美結を尾行することにした。俺は普段通り紺色のスーツを着て行くことにした。スーツだと遠目で見たら誰かわかりにくいし、目立たないからだ。まあ、体形で似ているなと思うかもしれないけど、普段着で行くよりはばれにくいだろう。


 美結が通っている大学は、自宅のある駅の二つ先の駅だった。なぜ、今住んでいる駅に部屋を探しに来たのかはわからない。その駅は柄の悪い人が多く、汚い街だから、若い女性には人気がなかった。駅前に大きなスーパーがあり、美結はそのまま駅を通り抜けて反対側に向かって行った。駅の反対側は飲み屋街で、朝行くと生ごみ臭く、カラスがごみ袋をつついているような所だ。それに、パチンコ屋には朝から行列ができている。


 大学に行かないで何してるんだろう。俺はそのまま後をつけた。午前中からそんな所に行くなんて、ちょっとおかしいなと思っていた。


 すると、美結は一軒の怪しい店に入って行った。近づいて見てみると女の子の写真が看板になっていた。どうせ本人いないだろうと思ったが。ここで、バイトでもしてんのかな…。キャバクラかと思い、店の看板をよくよく見ると、そこは風俗の店だった。


 え?嘘だろ?


 俺はショックを受けて頭が真っ白になってしまった。美結の清純でかわいいイメージとはかけ離れていて、ただただショックでしかなかった。

 女子大生が風俗でバイト?何のために?俺はそんなに貢がれているわけでもないのに…。

 何でそんなに金がいるんだろうか。実家から仕送りをもらっていると言っていたのに。おかしい…。客のふりして入って行って問い詰めようと思ったけど、それはやめておいた。


 俺は居たたまれない思いのまま、駅の周辺をうろうろしていたが、結局は風俗で働いている女の子とは付き合えないという結論に至った。

 

 あいつが帰って来る前に荷物をまとめて出て行こう。まだ時計を見ると9時台だ。俺はマンションに戻ってすぐに、あいつの大事な物が入っていそうな引き出しを開けてみた。前にそこから印鑑を取り出していたからだ。


 通帳を見てみよう。そんなに金がないのか知りたかった。もしくは、風俗で稼いだ金をたんまりため込んでいるかだ。そもそも、彼女は隠し事をするような子には見えなかったし、俺も人のスマホを見たりするタイプではない。真面目な子だから風俗でバイトしてでもやりたいことがあるのかもしれない。俺の独立資金?まさか。俺はいつも独立するのに金を貯めたいと言っていた。

「じゃあ、うちに引越しちゃえば?」

「でも…うちで仲介した案件だし。本当はここ一人用なんだよね」

「そっか…引越したいなぁ。でも、無理か…」


 もし、俺のために金を貯めてくれているんだったら…。俺の決心は揺らぎそうになっていた。


「森坂小百合」


 通帳に書かれていたのは、知らない人の名前だった。森坂って誰だろう…。そして、森坂名義の診察券がいくつも出て来た。心療内科。精神科。内科。整形外科。それにパスポートもあった。年齢は26歳で俺と同い年だった。


 あれ…この写真…。まじかよ…。俺ははっとした。

 あの女、整形したんだ。


 目が一重でぽっちゃりしている。美結とは似ても似つかないが、よく見ると目以外はそっくりだった。鼻は高くてきれいだ。


 俺は大学時代にバンドをやっていたのだが、その小百合ちゃんもよくライブを見に来てくれていた。あれ…あの子って巨乳でスタイルよかったっけ?前はそんな目で見たことはなかった。どちらかというとぽっちゃりして眼鏡をかけた地味な子だった。ライブの後は毎回出待ちしてたけど、プライベートで行く店について来たり、大学まで俺を見に来たりと、しつこく付きまとって来た。

 何度もやめてほしいと言ったのに、嫌がっているのが伝わっていないようだった。


 気前よく差し入れもくれた。意味不明なのだが、毎回俺に洋服を買って来る。好みではないが、人気ブランドの服なので、普段着にしていた。それがつい2年ほど前まで続いていた。


 最後に会った時、俺はそのプレゼントを受け取らなかった。

「俺、もう普通のサラリーマンなんで。今までありがとうございました。それは、リアルで大事な人にあげてください」

 彼女はショックのあまり言葉を発することができずにいて、ただ俺のことを睨んでいた。


 それが最後だった。

 森坂小百合…。

 俺が今まで一緒にいた美結は一体何だったんだろう。 


 なら、本物の佐藤美結って人も存在するはずだ。部屋を借りる時に身分証として保険証と学生証のコピーももらったし、父親には保証人になってもらい、印鑑証明の原本を提出してもらっていたからだ。もし、身分証が偽造だとしても、なかなかそこまでのクオリティにはできないだろうと思う。


 俺は美結の大学に行ってみることにした。本物の美結って子はどんな顔してるんだろう。美人だろうか。俺は大学の門のところで、歩いている子に「何年生?」と聞いて回った。たまたま、2年生の子を見つけると、「佐藤美結って子、来てる?」と尋ねた。ちょっと地味でダサい感じの子だった。


 その子は面白い物を見たかのように笑顔になった。

「え?美結の友達?」

「うん。美結ちゃんには言ってないけど、遠くから来たから挨拶したくて」

「そうなんだ。さっき学食にいたよ」

「ほんと申し訳ないけど、案内してもらえない?」

「まあ、いいよ。友達だし」

 男一人で大学に入れないと思っていたが、たまたま美結の友達が見つかったので、堂々と侵入することができた。多分、紺のスーツなのもよかったのだろう。出入りの業者にも教職員にも見える。


 俺は初めて女子大の校内に入った。やっぱり女子大っていうのはかわいい子が多い。共学の二倍女の子がいたら結果的にそうなるだろうけど。みな、女性らしいかわいい服を着ていて、性格も穏やかそうに見えた。ここに男が紛れ込んだら、まさにハーレムだ。すれ違う女の子がみんな俺の方を見ていた。


 俺が学食に行くと、地味な女の子五人がまとまっていてテーブルを囲んでいた。さっきすれ違ったかわいくて華やかな集団とは真逆だった。陰キャの集まりみたいな感じだ。

「美結。友達連れて来たよ」

 俺は頭を下げた。

「美結。ごめん、大学まで来ちゃって」

 俺はまるで知り合いのようにそう言った。周りの子たちは、どうしたの?このイケメンはという顔をしていた…と、自分では思っている。

「あ、なんだ。連絡してくれればよかったのに」

 美結って子はそう言って笑った。初めて会うのに、随分アドリブのうまい子だと感心した。

「ちょっと二人で話せない?」

「うん」

 俺は本物の美結と二人きりになった。


「君が美結ちゃん?」

「はい」

「小百合に名前貸してんの?」

「ええ、まあ。…交換してるんです。私たち部屋を」

「何のために?」

「あっちはお金あるからちょっと広めの部屋を借りてもらって住んでます。私の狭いワンケーの部屋は小百合さんが住んでくれてて」

「でも、小百合は何でわざわざ狭い部屋に住んでんの?」

「女子大生のふりをして好きな人に近づきたいって言ってました」

「あ、そうなんだ」

 最初からそのつもりだったんだ。何で気が付かなかったんだろう。整形して、痩せてきれいになって、眼鏡かけるのをやめたんだ。レーシックでもしたんだろうか。


「彼氏さん?」

「さあ、どうかな…」

「何で?別れるの?」

 俺は答えなかった。何か言うと本人に伝わるかもしれない。

「あの子とどうやって知り合ったか教えてくれる?」

「ネット」

「ネットってどういうの?」

「病み系のサイトで仲良くなって…」

「ああ、そうなんだ…」友達が全然いないのも納得だった。


 それによると、高校時代に二人は出会い、お互いの境遇に共感して親しくなったそうだ。小百合は児童養護施設の出身だった。そこで、年上の男子たちから虐待を受けていたそうだ。


「そういえば、ご両親が保証人になってくれたんだ。部屋借りる時」

「うん」

 秋田出身で両親のいる子。何で病んでたのかまったくわからないくらい普通の子だった。愛嬌があってかわいい。学校でのいじめだろうか。陰キャっぽいから、いじめに遭うかもしれないという雰囲気はあった。

「ゆりちゃん、保証人になってくれる人がいないし…施設出身って知られたくないからって。彼氏さんに嫌われたくない、って言ってました」

 すごい美人でも、施設出身というのはちょっと引くかもしれない。もし、本当に好きなら気にならないかもしれないけど、やっぱり親には反対される気もした。百歩譲って整形してなかったら…、風俗でバイトしてなかったら…俺は許したかもしれない。俺の心に迷いが出て来た。


「あの子、仕事何してるか知ってる?」

「知ってるけど言えない」

「君いい子だね」

「友達だし」彼女は笑顔になった。

「で…住人が入れ替わってたってことか…」

「うん」

「詐欺で訴えるよ」

「え、そんなぁ」

 本物が甘えたような声をだした。ちょっとかわいく見えてしまった。

「だって、本人が住んでないってダメじゃん」

「そうですよねぇ。すみませんでした」

「じゃあ、鍵渡すから、今日から自分の家に帰んな」

 俺はポケットから鍵を取り出した。美結とお揃いで買ったキーホルダーが付いていた。

「はぁい」

 間延びした声で女は答えた。病み系のサイトにいるようには全く見えなかった。

「お兄さん、バンドやってたんですか?」

「前ね…」

「なんかわかるぅ。ストカーしたくなるのが…」


 そう。俺は学生時代、趣味でバンド活動をしてた。中学からベースを始めて、大学在学中には週何回か店で生演奏するまでになっていた。プロのスタジオミュージシャンになりたかったけど、食えるわけがないから諦めた。


 大学時代から俺には固定のファンがついていた。ライブには俺目当てで来る女の子も多かった。本当に、ボーカルやギターより俺の方が人気があった。理由は自分が言うのもおかしいけど、見た目がよかったからだと思う。この外見のおかげで、俺はFラン出身のくせに業界では大手の不動産会社に内定をもらうことができた。


 実は俺のファンの子はまだいて、学生時代からやってるTwitterアカウントは今でもフォロワーが三桁いるし、tweetするとコメントが二桁以上寄せられる。またライブやってと言われると、あの頃に戻りたくなる。女の子からキャーキャー言われていた頃。芸能事務所にスカウトされたこともあったけど、音楽じゃない仕事がメインになりそうだから断った。


 ファンの子でかわいい子もいたけど、そういう子は彼氏旦那持ちなのがほとんどだ。バンドマンを追っかける疑似恋愛をしている子は、やはりリアルで彼氏がいない人なのだと思う。言っちゃ悪いけど、どんなに美人で素晴らしい人でも、一人ということはニーズがないということに他ならない。いろんな意味で俺はファンとは距離を置いていた。


 こうして俺は一カ月ぶりに自分の家に帰った。部屋の中はちょっと湿っぽく、かび臭い匂いがしていた。すぐに換気して掃除機をかけたから匂いは収まったけど、気が重かった。明日、仕事に行く時にあの駅に行かなくてはいけない。小百合が駅の改札で待ち伏せしているかもしれない。もし、会社に来たら逃げられないし、客に手を出したと暴れられたらどうしようか。整形してまで俺に近づいて来るくらいだから、ちょっと精神的におかしいんだろうし、刺されたりしてもおかしくはない。


 それに、俺の自宅もばれている。前に何度も連れて来たことがあった。俺は小百合から逃げるために、仕事を休んで実家に帰ることにした。今はそれほど忙しくないし、親の体調が悪いふりをしてしばらく休んでもそれほど迷惑はかからない。社会人失格だが、いっそのこと仕事自体やめようかとまで思った。すでに、彼女に対する愛情や未練は一斉なくなっていた。


***

 

 気が付くと俺は実家の最寄駅にいた。頭の中は不安と恐怖に支配されていて、スマホなんかなくても一時間くらい余裕で過ぎていた。俺は電車の中で母親に「今からそっち行くから」と、Lineを送っておいた。


「仕事どうしたの?」


 俺を見るなり母が言った。せっかく息子が帰ったのに、あまり喜んではいないようだった。俺はちょっと体調を崩して戻って来たと嘘をついた。

「仕事忙しいの?」

「うん」

 その先は何を言っていいかわからなかった。

「しばらくこっちにいるから」

「仕事大丈夫なの?」

「うん」


 中学の頃の反抗期以来、両親とは距離ができていた。俺は乗り換え駅で買ったお土産を渡して自分の部屋に行った。俺は大学までは実家に住んでいたから、その部屋に入るとまたその時分に戻ったような気分になった。大学時代に戻りたい。あの頃は輝いていたのになぁ…プロを目指してみればよかったかな。今はストーカー女に追いかけられるだけのつまらないサラリーマンになってしまった。


 俺は疲れたからすぐにベッドに横になった。小百合からの連絡はなかった。着信拒否にしたけど、本気なら公衆電話からでもかけて来るだろう。本物の美結が知らせたんだろうか。諦めてくれたらいいなと思った。そんなわけないか…。美結と会ったらなんて言おうか…風俗でバイトしてるなんて受け入れられないと言ったらいいのか、整形してる人は無理だって言えばいいのか。相手を怒らせないようにやんわりことぁるのがいいのか。


 俺は仕事をしばらく休ませて欲しいと支店長に電話を掛けた。

「そうか。お母さん大事にしてやらないとな。会社のことは気にしなくていいから、親孝行してやんな」

「ありがとうございます」

 嘘をついているのが後ろめたかったが、普段感じの悪い支店長が意外といい人だったのでほっとした。


 上司に電話してようやくほっとした。しばらくあの駅にはいかなくていい。しかも仕事を堂々と休める。大手企業に勤めてはいるけど、ノルマがあるから仕事のストレスが半端なかった。もともと独立したかったのだが、金遣いが荒いほうだから、金はあまり貯まっていない。親に頼むとしても数百万が限度だろう。父親は公務員だから、民間に勤めている俺には失望していた。


 俺は目的もなくスマホを弄っていたが、いつの間にか寝落ちしていた。電気はつけっぱなしで歯も磨いていない。起きなきゃ、起きなきゃと、何度も思っていたが、ようやく起き上がる決心をしたのは、トイレに行きたくなってからだ。

 もう夜中だっただろう。

 しかし、トイレに行きたくても起き上がるのが面倒だった。


 ふと、俺は誰かの視線を感じた。

 仲のいい妹がふざけて顔を覗き込んでいるんだろうと思っていた。

 俺は薄目を開けた。


 俺は髪の毛が逆立った。

 え?なんで?

 

「何でここにいんだよ!」

 なぜか、俺の部屋に小百合が立っていた。

「お母さんが入れてくれたの」

 そう言って微笑みながら俺を見下ろしていた。

「嘘だろ?」

 俺が家に着いたのは九時頃だったから、そんな夜遅くに知らない人が家に来たら普通は追い返すだろう。

「お付き合いさせていただいてます。って言ったら入れてくれたの」

 俺は固まった。


「はあ?もう、別れよう。君、小百合ちゃんだろ?全然気が付かなかったよ!」

「いつか思い出してもらえると思ってたのにな…寂しかった」

「整形して嘘ついて俺に近づくなんて、頭おかしいよ!」

「だって、かわいい子しか相手にしてくれないもん!マサキ君。かわいい子には全然態度が違うんだから」

 お前がきもいんだよ!心の中で叫んでいた。

「そんなことないよ」

「嘘!」

「別れよう。もう、無理だって。帰ってくれない?」

「いや!帰らない。私、自分の人生捨てたんだから、マサキ君のために」

「どういう意味?」

「さっき、殺して来た。美結のこと」

「えっ?」

「あの子、自〇志願者だったから、警察も疑わないと思う。遺書も書かせたし。だから小百合は〇んだの。それで正解」

「え?嘘だろ?」

 昼に大学の学食で喋った子がもうこの世にいないなんて…。大して知りもしない相手だけど、寂しかった。

 俺が学食に行ったせいでそうなったのか?

 俺はどうしたらいいんだ?

 わからない。

 

「あんた狂ってるよ」

「マサキ君のせいじゃない!私、前はこんなふうじゃなかったのに!マサキ君のせいでこうなったの!」

「あんな若い子を〇すなんて。ひどくない?」

「〇にたがってたんだからいいの!私を捨てたら、次はマサキ君をやっちゃうよ」

 美結は無表情のまま言った。

「わかったよ…。付き合うよ」

 俺は命の危険を感じたからそう言った。

「やっぱり、愛してくれてるって信じてた」

「ああ…」

 俺は目を閉じてそのまま眠った。トイレに行きたかったけど言い出せなかった。もし、そう言ったら女がついて来る気がしたからだ。俺はトイレを我慢しながら、ベッドの中でうつらうつらしていた。


***


 俺が次に目を覚ました時にいたのは、前と同じ6畳のワンルームのベッドだった。

「マサキ君~朝ですよぉ」

 美結のねっとりとしたキスで目が覚める。女の生暖かい舌が口の中に入って来た。今は汚物を口にねじ込まれているような気分になる。どこも行かないくせに、朝からメイクをしていやがる。傍から見たらかわいいのだろうけど、元の顔を思い出して俺は腰が引けている。

「うふん。お寝坊さんなんだからぁ」

 そうそう言って俺の髪を撫でる。

「ああ、おはよう」

 目の前にいる美結はもう前の美結じゃないのに、それ以外は何もかもが元通りだ。あの出来事が現実だったのか夢だったのかわからなくなっている。


 美結が準備してくれた完璧な朝食を食べて、俺は家を出る。

 玄関でまたキスをせがまれる。


 俺はどうしたらいい?

 全然幸せじゃないのに。

 電気ショックのついた首輪をつけられているような気分だ。

 犬が吠えたら電気をジュっと流すやつだ。


 誰か俺の話を信じてくれるだろうか?


***


 俺が今朝会社に行った時、支店長が声を掛けて来た。


「お母さん大変だったな」


 その言葉だけが、俺の記憶が現実だったことを物語っていた。 

「は、はい。ご迷惑をお掛けして、ほんとすみませんでした」

「まさか急に亡くなるなんて…みんな、心配してたんだぞ」

「え?」

 俺は固まった。

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