第7話/キス・ラプソディ



 金髪美少女のキス待ちの顔というのは、なんと甘く愛おしい感情が沸き上がるものか。

 しかし同時に善人には、むくむくと悪戯心が頭をもたげる。

 唇ではなく、額に、もしくはこのまま放置して月海からキスするのを待ってみる等。


(わき腹をつついてみるのも楽しそうだよね、いやー、慌てふためくルゥも楽しいんだよなぁ)


(きっ、キス、はぁはぁはぁ、キスされる、変な顔にはなってない筈っ、鼓動が激しすぎて心臓が痛いっ、うわああああん、するなら早くしてくれ――――っ!! 体がもたないよーー!!)


 善人がよからぬ事を思案しはじめ、結果的に焦らしている状況であったが。

 キス待ち顔が崩れ、緊張により呼吸が早くなってきたルゥは今、それどころではなく。

 端的に言って、恐怖のまっただ中。


(あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛! ダメだぁ、キスできる気がしないぃ~~っ、なんで? どうして世の中の皆はあんな簡単にキスとか出来てるんですかぁッ!! 私なんてもう恥ずかしさを通り越して怖いんですけど!?)


 怖い、でもそれはホラー映画を見るようなそれじゃなくて。

 怖い、まるで底なし沼にはまってしまう気がして。

 怖い、自分が自分でなくなってしまう感覚。

 分かるのだ、今キスしてしまえば己は変わってしまう。


(……錯覚だって、分かってるつもりなんです)


 羽寺月海という人物を構成する全てが、一つ残らず座古善人に占有されてしまう様な。

 それはつまり、心の奥底までさらけ出してしまう恥ずかしさと一緒で。

 ――きっと、恋欲に堕ちてしまうのが怖いと。


(でも…………善人なら、いいかな)


 だから、ルゥは待つことにした。

 恥ずかしさすら感じなくなる程、自分を変えられてしまう程のキスを。

 善人を信じて待ち望んで、決して、そう決して、色ボケしたらそのまま結婚お嫁さんニートになれないかな、と一瞬たりとも思っていない。


(あ、これガチでキスしないとぶっ殺されるやつだよね?)


 長い付き合い故に、彼は彼女の雰囲気の変化を敏感に察知した。

 ここでキスしないと確実に激怒する、だが善人にはもう一つ確信があって。

 ルゥとの付き合いは年齢とイコール、誕生日だって一日違いなのだから。


「…………キスしたら結婚とか言い出して、お嫁入りするから専業主婦に見せかけたニートになるって言わないよね??」


「……………………ソ、ソンナコトナイヨー??」


「なんでカタコトになったの!? 恥ずかしくて誤魔化してる感じじゃないよね??」


「も゛ーーっ、仕方ないじゃないですかぁ!! こっちだっていっぱいいっぱいなんですよ!! キス以外の事に思いを馳せないとキスできないんですよ!!」


「キスしてる最中に別のこと考えられる僕の身にもなって?? 同じ事したらブチ切れるよね??」


「…………ヨシトっ、だーいすきっ!」


「それで誤魔化される訳ないだろっ! ああもうっ、中止だよ中止ッ、後で絶対に不意打ちでキスしてやるからな!!」


「はあああああああああ?? 今更何を言ってるんですかぁ!! ハリィハリィアップ! 今が少女マンガみたいなロマンチックなキスする所でしょおおおおお!! ――逃げるなコラァ! 責任を果たせっ! 逃げるな卑怯者おおおおおお!!」


「あばよとっつぁ~~ん、外に逃げればこっちの――ぐぇっ!!」


 善人が逃走を開始した瞬間、彼女は後ろから彼の首を両手で掴んで締め殺さんとする勢い。

 ルゥが鍛えている訳がないので腕力も握力も平均以下な筈なのに、いくら引っ張ってもその手を外せなくて。


「ちょっ、ギブギブギブッ、僕を殺す気かよ!?」


「嘘だッ、降参するフリして逃げるのなんてお見通しなんだよぉ!! とっととキスせんかいワレェ!!」


「でもキスすると思ったら恥ずかしくて拒みたくなるんだろう?」


「それはそう」


 月海はう゛ーう゛ーと唸りながら半泣きで善人を解放する、逃げるなら今が絶好の機会。

 しかしここで逃げれば負けた気がするのも確か、と彼は大きく深呼吸。

 キスまでの時間を与えすぎて、彼女はきっと考えすぎてしまったのだ。


「わかった、じゃあコンビニでコンドーム買いに行ってくるから頭冷やしておいて」


「ウェイウェイウェイスターープッ! リピートワンモア!! なんか変な単語あった!! 絶対あった!!」


「いい加減にしてくれないかなメンヘラ女、処女も人生も奪ってやるから大人しくしてて??」


「おわああああああああッ!? 善人の変なスイッチ入れちゃったああああああ、どーーしてこうなるのおおおおおおおおおっ!!」


 ヤッベ逃げなきゃと月海は即座に逃亡を開始、だが肉体面では善人の方が上。

 彼女は部屋から一歩も出ることなく捕まると思えた、だが。

 彼の手が彼女の襟首を掴んだと思った瞬間、瞬間移動したようにすり抜けて。


「はっはーっ! こんな事もあろうかとミスディレクションを覚えておいたのさっ!! 流石は私っ、天才すぎるっ!!」


「ぬおおおおおおおッ!? 変な小技覚えるんじゃないよ!? 逃がすかあああああああ!!」


 そして始まる、はた迷惑な深夜の鬼ごっこ。

 フィールドは羽寺家と座古家の敷地内、彼女は縦横無尽に逃げ回り。

 ひきこもりなのに、どうしてこんなに体力があるのか。

 ――当然、その騒ぎは羽寺父と母も気づいて。


「………………なあ母さんや、もしや善人君とウチのバカ娘は」


「ええ、いつの間にか付き合ってるみたいね。ううっ、頭はいいのに引きこもってばかりのあの子を、恥ずかしがり屋過ぎてコンビニにも行けないあの子を、善人君は……っ!」


「なんて出来た子なんだ善人君は、普通なら見捨てても仕方がないのに恋人にまで選んで……くぅっ、その懐の大きさにッ、愛の深さに感動したッ。――これは私達の手で後押ししないとな」


「ええ、お父さん。明日、向こうの家に行って……」


 月海の両親がそんな会話を交わしているとも知らず、鬼ごっこは続き。

 もう何度めか分からない座古家の階段を、月海は駆け上がる。

 上がった先にはお嫁に行った彼の姉の部屋、その左隣に彼の部屋が。


(よし! よし! このまま善人の部屋から私の部屋に戻って窓を閉める! これで完全試合だ!)


 一方で善人は追いつくのは無理だと判断し、来た順路を逆回り。

 ルゥの部屋から己の部屋へ行き、待ちかまえる作戦である。

 全力で動いている内に、どちらも何故に鬼ごっこをしているのか忘却の彼方で。


「――ッ!! しまった先回りされてるっ!? 戻れ戻れええええええええ!!」


「チッ、若干あっちのが早かった! でも今なら追いつけるスピードが落ちてるぞアイツ!!」


「階段で差をつけ――――ぁ」「っぶない!? ちょっとルゥ!? マジで今危なかったよね??」


 瞬間、ルゥは階段を踏み外して転げ落ちそうになり。

 ギリギリで善人が間に合い、両腕で腹部を掴み全身全霊で引き戻す。

 当然、自分のバランスを考える余裕などなく。


「………………はぁ~~~、死ぬかと思ったぁ」


「足下には気を付けて、んでそろそろ退いてくれるかい?」


「あ、ごめんごめん。いやー、ホンマ助かりましたわ善人はん」


「エセ関西弁がでるくらいなら、もう大丈夫だね」


 廊下で仰向けになった善人の腹部の上に、ルゥは女の子座り。

 彼女はまた落ちないようにと、ゆっくり立ち上がり。

 彼はそれを見届けてから、疲れと安堵の混じった表情で立ち上がる。

 ――助けられた、そう自覚してしまうと月海の胸に甘い痛みが走って。


「………………よしと」


 彼女は何も考えることなく、体が動くままに従って己の手を彼の両頬へと。

 彼もまた、深く考えることなく彼女の腰を抱き寄せて。

 何も言わず目を閉じた、まるで何度も繰り返したような自然と顔を近づけて。


「――――ん」


「ん………………はぁ」


「へへっ、えへへぇ……キス、しちゃったね」


「だね」


 善人は満ち足りた気分で、月海を左腕で抱きしめると綺麗な金髪を右手で梳く。

 彼女はそれを、うっとりと受け入れて。

 ――それらを善人の両親が覗き見しているのに気づかず。


「何もしないから、今日は僕のベッドで寝ようよ。君の部屋まで行く気力がないんだ」


「うん、私もすっごく眠いのでそろそろスヤァタイムにしましょう」


 二人は善人の部屋のベッドに入ると、朝までぐっすり寝て。

 疲れていたのか、ぐっすり寝過ぎて善人は遅刻。

 大慌てで登校し、残されるは月海のみ。


「…………今日のキス券、まだあげてなかったっけか」


 帰ったらちゃんとあげよう、そう思いながら窓づたいに己の部屋へと戻ると。

 そこには、母が待ち受けていた。

 月海が何用かと聞く前に、髪色以外はよく似た母はにっこりと笑って。


「月海、近々この家を出て行って貰うからね。決定事項だから心の準備をしておきなさい」


「……………………へ?? ふぇええええええええええええええええええええええええええ!?」


 少し遅い朝に、ルゥの叫びが響きわたったのであった。


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