第29話 自覚がないやらかし程怖いものはない
「父上、よろしいですか?」
リナリエラの部屋を出た後、クリストファーは自室に戻ることなく父がいる書斎の扉をノックした。自分が帰ってしばらくした後、父が王城から乗った馬車が帰ってきたのを自室の窓から見かけたからだ。父が自宅に帰ってから書斎に籠るのは殆ど習慣だから、クリストファー自身は戸惑いが無かった。
ノックをしてから数秒後、中から父の声がする。その返事を聞いてクリストファーはドアを開いた。
「なんだ?」
仕事なのだろうか、それとも領地から送られてきた情報を確認しているのだろうか、父であるエドムントは難しい顔をしながらこちらを見つめてきた。それにうっすらと笑みを浮かべた後、クリストファーは部屋の中に入る。
「お忙しいところすみません。こちらを」
そう言うと、クリストファーはリナニエラから借りてきた封筒を父へと手渡す。いきなり渡されたそれに、エドムントは怪訝そうな顔をしながらもそれを受け取った。
「これは?」
怪訝そうに尋ねるエドムントに、クリストファーは薄く笑うと、リナニエラが同級の男子学生から受け取ったものだとつげた。『男子学生』という単語をクリストファーの口から聞いた瞬間、エドムントの眉に皺が寄った。
「どういう事だ?」
途端に機嫌の悪くなる父の顔に思わずクリストファーは軽く吹き出す。笑うクリストファーの様子に、エドムントの表情は更に厳しい物になった。普段、達観しているようで表情が余り変わる事のない父の顔に、クリストファーは笑いながら話を続ける。
「大丈夫ですよ。今度学園で催される演習前にギルドで依頼を受ける予定を連絡するだけの手紙ですから」
そう言って、中を見るように促せばエドムントは手早く封筒を確認しようとする。だが、封を開けようとしたところで、封書を閉じている封蝋の意匠を見て彼は眉を寄せた。
「……この家紋は――」
先ほど、リナニエラに手紙がやって来たという話を聞いた時よりも難しい顔でその封蝋を見つめる。父の表情を見て、クリストファーは『ああ、やっぱり』と自分の中にあった疑念が確信になるのを感じる。
「私も、確証は無かったのですが、この家紋は隣国の公爵家のものですよね」
「……そうだな」
自分の認識を確認するように、父に尋ねれば彼は難しい顔をしながら頷く。どうやら、隣国の貴族がこちらに来ている事をエドムント自身が把握していなかった事が不満のようだ。確かに、外務大臣として国の重役を担っているなら把握しておきたい情報だったようだ。
「リナニエラはこの事に気が付いているのか?」
ふと思いだしたように、手にして封筒をひらひらとしながらエドムントは真顔でクリストファーの顔を見つめてくる。その顔は、娘を心配する父親の顔だ。しかも、その愛情は湿っていて重い。そんな事を考えた。
そう言えば、リナニエラの姉であり、自分の妹であるミルシェに、隣国の公爵家令息が一目ぼれをしてアプローチをかけてきた時も、父は同じような表情をしていた。
隣国とはいえ公爵家の子息がリナニエラにアプローチをかける事は、今の状態だと、何を言われるのか分からない。少なくとも今の妹は形だけとはいえ第三王子の婚約者なのだから。
「いいえ。リナニエラは気が付いていませんよ。この国の貴族の紋章でないというのは分かっているみたいでしたが、手紙をよこした人物が自分で作らせた意匠だとか思っているようですよ」
「——そうか……」
ほっと息をつく父親の顔を見て、クリストファーは表情を緩める。外務大臣の娘として、他国の貴族の家紋を知らないのは問題ではあるが、彼女がこの封筒を渡して来た相手の素性を知らなかったのは、結果的に良かっただろう。そんな事を考えた。
そのまま部屋の中に沈黙が流れた所で、屋敷の中で『バン』という大きな音が響いた。
「何だ!?」
火薬が爆発する音に近いその音に、一瞬部屋の中には緊張感が流れた。廊下の向こうからも、メイドや、家令達の先ほどの音が何なのかというような声が聞こえてくる。ドアを挟んでも聞こえるその声に、クリストファーとエドムントは顔を見合わせた。
「賊か?」
「まさか……。真夜中ならいざ知らず、侯爵家ですよ?」
真顔の父の言葉に、クリストファーも冷静に返す。確かに、強盗が入る可能性もあるが、今はまだ夜と言っても浅い時間で、屋敷の人間が起きている時間だ。こんな時に、正面突破してくるような賊がいたらはっきり言って自殺行為だ。それにクリストファーは現役の騎士団小隊長だ。腕にも覚えがある。父だって、今は外務大臣という立場だが、魔法の腕は相当だという事は知っている。
そのまま、二人で顔を見合わせながら何かしらの報告を待っていると、今度は二階の方からメイドと思われる女性の叫び声が聞こえた。直後、ドアを荒々しくノックされる音が響いて、クリストファーもエドムントもビクリと肩を揺らしてしまった。
「入れ」
軽く咳払いをして取り繕うようにしてから、父が声をかける。そうすれば、中に入って来たのは、主に屋敷内の使用人の事を取り仕切っている家令のトーマスが入って来た。普段落ち着いた様子の彼はひどく慌てた顔をして部屋に入ってくルのを見て、クリストファーは何か不測の事態が起こったのだと判断した。
「どうした」
混乱した様子のトーマスを様子を眺めた後、クリストファーはトーマスに向けていた視線を父エドムントへと移動させた。普段冷静なトーマスが慌てているのが分かるのだろう。エドムントの眉に力が入るのが分かる。一方のトーマスの方は、エドムントに尋ねられて、一度自分を落ち着かせるように深呼吸をした。そして、エドムントへ視線を向けた。
「リナニエラお嬢様が……お部屋で倒れておいでで――」
「え?」
「何だと!」
リナニエラが部屋で倒れていたという報告を受けて、一瞬部屋の中の空気が凍り付いたような気がした。
「一体何があった!」
珍しく声を荒げるエドムントの言葉。その荒々しさに、トーマスが肩を揺らした。普段、冷静な父がここまで取り乱す事が珍しいからだろう。
「父上。落ち着いてください」
冷静さを欠いているエドムントの様子を宥めるように、クリストファーが声をかけた。そうすれば、父は我に返るような顔をした後、何故か苦虫をかみつぶしたような表情をした。そして、一つ息を吐きだすと、眉間を指で揉む。
「すまない。で、何があった?」
苛立ちはしているものの、さっきよりは随分冷静な言葉で、父はトーマスに尋ねる。そうすれば、彼も同じように一度深呼吸をした後、エドムントへと向き直る。さすが、長年このオースティン家の中の使用人のトップにいる人間だからだろうか、さっきまでの慌てた様子が消えている。
「実は、先ほどの大きな音の原因を探る為に、部屋を一つ一つ回っていた所、リナニエラお嬢様からお返事がなく、ドアを開いた所お嬢様が部屋の中で倒れられていたんです」
「で、リナニエラは?」
「——、少し前まで意識がありませんでした。今は意識が戻っております。受け答えはしっかりしておりますが、顔色も悪いので、一応お医者様を呼んでいます。——」
折り目正しく話すトーマスの言葉に、エドムントはうなずくと座っていた椅子から立ち上がった。
「分かった」
そう言うと、エドムントはそのまま部屋を出ようとする。恐らく、リナニエラの元へと向かうのだろう。想像ができた。
「私も行きます」
父の後を追いかけるようにクリストファーも声を掛ければ、エドムントは無言で頷いた。二人の案内するように前を歩き始めたトーマスの後を追いかけるように、クリストファー達はリナニエラの部屋に向かって歩き始めた。
一階の書斎から、屋敷の二階にあるリナニエラの部屋へと向かう。途中何人かの使用人とすれ違ったが、皆一様に心配そうな表情を浮かべている。
「お父さま、お兄様……」
リナニエラの部屋の前に到着すれば、同じように誰かから話を聞いたのだろう、ミルシェが心配そうな顔をしてドアの前に立っていた。
「ミルシェ」
妹の名前を呼んで、エドムントがミルシェの元へと歩み寄った。
「リナニエラは?」
「分からない」
尋ねられた言葉に、エドムントは短く答える。皆、知っているのはリナニエラが倒れたという事だけで、理由は分からないようだ。不安そうな顔をしたミルシェの背中をクリストファーは軽く叩く。
「大丈夫だよ。もう意識も戻っているらしい」
そう口にすれば、ミルシェの表情は少し和らいだ。とにかく、今は彼女に何があったのか、確かめるのが先決が、父、妹と顔を見合わせた後、代表してエドムントがドアをノックした。
「どうぞ」
ノックをして、すぐに部屋の中から声がする。恐らく、返事をしたのは、母のナディアだろう。自分達と同じようにリナニエラの心配をしていたのが分かる。その返事を聞いた後、ドアを開けばベッドの上の住人となっているリナニエラ。そして、ベッドの脇にある椅子に座ったナディアの一緒についてきたのだろうカミルの姿があった。脇に立っている使用人に目配せをすれば、察しの良い彼女は自分達へと頭を下げると部屋の外へと出て行った。
パタンとドアが閉まった後、エドムントがリナニエラのベッド脇へと近づいた。
「大丈夫か?」
低い声で囁く父の言葉に、リナニエラが小さく『イケボ』と謎の言葉を口にしたような気がしたが、とりあえずそれは聞き流す事にした。エドムントの問いかけにリナニエラは小さくうなずく。だが、頷く彼女の顔色はお世辞にも良いとは言えない。普段、元気な彼女とはかけ離れた状態に、家族の全員が息を飲むのが分かった。
「どこか辛い所は?」
ミルシェの言葉に、リナニエラは困ったように笑うと、手を差し出してくる。その手が微かに震えているのが分かった。
「身体に力が入らなくって……」
そう言って伸ばした手をミルシェが握る。リナニエラの手を包み込むように握るミルシェは、一瞬目を見開いた後、辛そうな表情を浮かべた。
「こんなに手が冷たい……。寒くない?」
尋ねる言葉に、リナニエラは小さく首を横に振った。
「へーきです」
そう言うリナニエラの表情は、何故か苦い顔をしている。青白い顔と弱々しい空気は、幼い頃のリナニエラと何故だか姿が重なった。
「リナニエラ……」
先ほどから無言だった父が、不意に指先へと魔法を展開させる。それが、初期魔法のライトだというのは、クリストファーにもわかった。白く光るそれは、明るすぎず、暗すぎずといった様子で淡い光を放っている。リナニエラも、いきなり父が展開した魔法を見て不思議そうな表情をしていた。
「リナニエラ、これは何色だ?」
「え? どういう事ですか?」
尋ねた言葉の意味が分からなかったのだろう。ナディアが怪訝そうな声を上げた。だが、母の問いかけにも、父は答えない。そして真面目な顔をしてリナニエラの顔を見つめる。
「え……っと、紫です……か? 珍しい色ですね」
戸惑いながらも返事をしたリナニエラの言葉に、クリストファーは目を丸くした。そして、父の顔を見る。エドムントの方はリナニエラの言葉を聞いて、無言のまま天井を仰いだ。
「どうされたのですか?」
エドムントの反応の訳が分からないナディアの問いかけに、エドムントは大きくため息をつくとリナニエラを見つめた。
「先ほどの大きな音は、リナニエラのせいだな?」
「——はい」
尋ねた言葉に、リナニエラは少し沈黙した後返事をした。まさか、先ほどの怪音の犯人がリナニエラだと知って、クリストファーは目を見開いた。まさか、先ほどの屋敷に響き渡った音が妹が出した音だなんて――。俄かに信じられずに、クリストファーがリナニエラを見つめれば、彼女はちらちらと窺うようにしてエドムントを見つめている。
「……すみません」
謝罪の言葉を口にするリナニエラを見て、エドムントはもう一度ため息をつくと、リナニエラの額に手をやった。
「熱は無い。だが、明日から三日間は学園に行かずに、家でおとなしくしている事。明日は部屋から出るのも禁止する」
「ええ!?」
いきなりの父の言葉に、リナニエラは声を上げるが、ジロリと睨む父の視線に黙り込んだ。二人のやり取りを聞いていて、訳が分からないクリストファー達は戸惑った顔をするばかりだ。
「父上、一体?」
話の流れが分からずに、エドムントに問いかければ彼はちらりとリナニエラへ目をやった後、こめかみを押さえるような格好をした。
「魔力枯渇だ。昔よくリナニエラがやっていただろう」
「「「あ!」」」
エドムントの言葉に、リナニエラと、カミル以外の家族が声を上げた。そうだ。確かに、今の妹の状態は昔魔力不足になって倒れた時の彼女に似ている。あの頃は、魔力枯渇を起こしているのだという事に気が付かなくて、リナニエラが極端に身体が弱い子供だと思っていたのだが、実際は家族に黙って魔力を使っていたという理由だったのだ。あの時も、妹が倒れる理由が魔力枯渇が原因だと知った時は、ほっとしたのと同時にそこまで魔力を使う事に執着していたのかと呆れたものだ。あれから、彼女はあまり無理をする事がなくなって、倒れる事が無かったから、すっかり忘れていた。
「でも、魔力枯渇なんて……」
ナディアが呟く言葉に、エドムントは難しい顔をしたままリナニエラを見つめた。
じっと見つめる父の視線に、彼女は観念したような顔をした。そして、ぽつぽつと話を始める。
「さっき……魔力を循環させていた時に、魔力を手のひらの上に集めて操作する事が出来ないかと思って……」
もごもごと言いづらそうに話をするリナニエラの言葉を聞いて、クリストファーも大体の事が想像ができた。
恐らくリナニエラは、手のひらに魔力を集めて操作する事に成功したのだろう。だが、それは魔力を思った以上に使う事になった。恐らく彼女が想像する以上に、そして、魔力を使い切ったという事だろうか。
「魔法として使うのではなく、純粋な魔力を使おうとすれば膨大な力が必要となる。知らなかったとはいえ無茶のし過ぎだ」
「重ね重ね申し訳なく……」
小さくなるリナニエラの様子を見て、エドムントはため息をつくと、『今日はゆっくり休みない』と続けた後、部屋の外に出ようとする。その後を追いかけるように、ミルシェとクリストファーも続いた。母であるナディアはもう少しこの場所にいるようだ。
「カミルおいで」
折角だから、母と二人きりにしてやろうとクリストファーが声を掛ければ、姉に心配そうな顔を向けながらも、カミルはクリストファーの後をついてきた。
「姉さま、大丈夫ですか?」
しゅんとした顔で自分達に尋ねる弟を見て、クリストファー達は顔を見合わせる。自分達は、過去リナニエラが魔力枯渇で倒れた所を何度か見たから理由を知って安心したのだが、カミルからすれば、姉が倒れるなんて初めての経験だ。きっと怖かったのだろう。今にも泣きそうな顔をして、自分達の顔を見上げてくる。そんな弟の様子を見て、エドムントは腕を伸ばすと、カミルの身体を抱き上げた。そして、笑顔を作る。
「大丈夫だ。リナニエラ姉さまは少し疲れているだけだ。明日には大分よくなっているだろう」
「本当?」
「ああ」
父の言葉を聞いて安心したのだろう。カミルの表情が緩んだ。
「母様はもう少し、姉さまのところにいるから先に夕飯を食べてしまおう」
「そうですわね」
カミルに話しかけた言葉に、ミルシェも同意する。クリストファーも二人に賛成するように頷いた。
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