閑話休題

閑話休題 7月18日(日) 我妻梶の日曜日

 中田風太がデパートの階段から落ちた。

 昨日のうちに私の元に入った情報は、確からしい。もっとも、怪我は大したことがないという。

 であれば、わざわざ本人へと見舞う必要はあるまい。明日はのこのこと登校してくるだろう。


『梶へ。

今日は大学へ用があります。

朝食はテーブルの上です。』


 リビングのテーブルの上。ママの文字に短い文章。となりに置かれたのは朝食用の小さなオムライス。小皿サイズのオムライスを作るなど、逆に器用だ。そしていつも通り、素材の味なのだろう。

 ママの料理は味が薄い。ママが化学調味料を多用しないいわゆる自然派、というわけではない。ただたんに、本人があまり食事をとらないからだ。ママがまともな食事をとっている姿を見たことはない。

 そのようなママが、娘のために慣れない料理をし、結果味付けが分からず超薄味になっているわけだ。

 ケチャップをやまもりに、オムライスをかきこむ。

 さっさと用を済ませてしまおう。クローゼットを開ける。

 中にはチューリップ襟ワンピースやブラウス。ママの趣味ではない。パパの趣味だ。

 これらすべて、パパからママへ送られた洋服。しかしママは趣味でないため、全て私の私服になる。

 普段男物の制服を着ている理由には、これの反動も含まれているかもしれない。

 ママに聞けばその答えは見つかるだろうが。あえて聞かない。ママもはぐらかし、すぐには答えないだろう。

 毎週土曜日に行う心理検査の結果も、ママは私に教えないから。

 ママ自身、自分の正気が疑わしいのだ。だから精神科医ではなく、心理学者という椅子に座っている。

 

 パフスリーブのブラウスに、サスペンダー付きのスカート。薄化粧をし、レースのついた日傘を片手にママの家を出れば、日曜日の私が出来上がる。

 肩掛けのバッグも相まって、見知らぬ人から見ればませた中学生だ。

 そう認識される方が都合がいい。普段の制服とはがらりと雰囲気を変えることで、平日の私とは異なる行動をとることができる。


 目的の喫茶店にいる彼も、予想通り、普段よりも柔らかい態度で私を迎えた。

「モーニングは済ませたんですか?神崎団長」

「お前が予定よりも遅れたからな」

 私に待ち合わせ時刻を遅れられた神崎。しかし仕方がない、と肩をすくめる。

 女性には強く出れない、神崎は分かりやすい人だ。

 普段の男子制服を着た私であれば、怒鳴らないまでもその糸目で睨んだだろうに。女性らしい服装に、多少女性らしい身振りをすれば、待ち合わせに遅れても腹を立てることはない。

 己の信条を貫く、真っすぐな性格が見て取れる。私は思わず笑ってしまった。

「どうした?」

「いいえ、なんでも」

 失笑に怪訝な顔をされるが、適当にあしらい、ウェイターにオレンジジュースを注文する。

「いわれていたもの、用意しましたよ」

 私は早速本題に入る。デートや甘い関係ではないのだ、雑談はいらない。

 神崎に紙袋を差し出した。

「そうか」

 神崎は中をちらりと確認し、自身の鞄にしまう。

「今後もどうぞ、ごひいきに」

 私はわざとらしく笑ってあげた。その笑顔に、平日の私を思い出したのだろう、神崎は肩眉を上げる。

「まあ、俺たちが中田風太の味方でいるあいだはな」

 前向きな答えに、私は笑みを深めた。

 神崎は懐に入れたものには甘い性格だ。後輩の小野をはじめ、応援団の団員は当然のことながら、助力すると言った中田風太も身内判定となっている。

 私に関しては、判断を迷っているところだろう。

 だからこその今回の賄賂だ。神崎に取り入ることで、応援団という数の力を味方につけることができる。

 現在は中田くんの活躍により、予定よりも早く応援団を味方につけられている。しかし、より密接になることで、今扱っている『リコーダーペロペロ事件』だけでなくそののちも役に立つだろう。将来への投資だ。

 とはいえ、私は紙袋の中身を思い出しこっそりと笑う。

 あれの中身は、15mlチューブに収められた下水だ。しかも学校と応援団員各家の下水。下水は個人的に面白い資料だと思っているが、採取したのは初めてだった。学校でもさすがに不審がられて教師に連行されたし。


「中田くんに関しては、小野くんも気に入っているようだし、君も結構悪くないと思っているだろう?」

 口調を平日の私に戻す。

「当然、目立たないがいい子だと確信している」

 神崎は昨日のことを思い出してか、痛々しく眉間にしわを寄せながらうなずいた。

「だが健康とは言えない子だ。できれば食生活から指導したい」

「ああ、うん。とりあえず今日は病院で健康的なモーニングでも食べてるんじゃないの?」

「そうか……」

 少々残念そうにする神崎。身内に甘い上に、世話を焼きすぎるのが神崎の悪癖、変態性だ。

 このような面倒見のよさが、出身中学の浜中中学校において彼を現代では珍しい不良の総長に仕立て上げた。不良を辞めた今でも、浜中の神崎と呼ばれている。

 しかし神崎の世話好きは、舎弟が感じているものの比ではない。

 神崎は身内の健康、生活を徹底管理したがる、いわば支配欲にも似た性質を持っている。

 もっとも、本人もその異常性を理解しているため、あるていど我慢しているようだ。

 採集された下水はその我慢の表れである。下水には排せつ物に混じった個人情報がふんだんに含まれている。例えば性別、年齢、健康状態など、専門的な技術と知識があれば調べることができる。

 神崎は、その専門的な技術と知識を独学で身に着けた変態だ。勤勉な変態だ。

 その力で、学校や個人宅の下水を調べ、団員たちの個人情報を知ることで、徹底管理の欲求を満足させたいらしい。

 私にそれらの下水の採集を委託することで、ばれるリスクを回避している。

 興味深い人だ。

 このような欲求を持つようになった原因は、やはり初恋にある。

 近所の女子大生に恋をした神崎少年、当時小学五年生。毎日のようにアプローチをし、バレンタインまで贈った。かわいらしい子供の恋は、しかし、件の女子大生の情交場面を目撃することで終止符を打たれる。

 振られるよりも悪い終わり方だろう。なにより、件の女子大生は神崎少年に交際相手のことを徹底して隠していた。

 そのように隠された、という事実が神崎少年の性癖を歪め、度を越した世話焼きという変態性に仕立て上げた。

 神崎という変態は、比較的無害であり、かつ本人が自覚しているという興味深いケースだ。個人的には観察のしがいがあると思っている。

 もっとも、現在の私の興味関心は中田風太に集中している。

 神崎に取り入っている理由は、応援団団長という地位と、その勤勉さが主である。

 私はオレンジジュースを飲み干す。

「まあ、明日はたのむよ」

「分かっている。俺たちにできることならなんでもするさ」

 この先輩ありて、この後輩あり、といったところか。加納をかばおうとした小野を思い出す。

「派手なことはしなくていいよ。裏で見守っていてくれれば」

 明日、最低限中田くんを守ってくれれば、それでいい。




 喫茶店を後にした私は、虎マークの羊羹を購入し、勝手知ったる中田家に向かった。

 中田家には現在、中田風太くんの母親と、妹の桐乃ちゃんが在宅のはずだ。

 中田風太くん本人は、昨日階段から落ちた怪我で入院中。祖父母は、その付き添いで出ている。

 通常であれば駆け付けたい母親は、祖母の意向で留守番をさせられている。嫁姑仲が悪いわけではないが、いいわけでもない。祖母からすれば代行を名乗り出た気分だろうが、母親からすれば役割を奪われた気分だ。

 複雑な人間関係が見て取れる。実に興味深い。

 ちなみに父親は日曜日に関わらず仕事だ。逃げたな。


 玄関の前で、きちん、と私は淑女の仮面をかぶりインターホンを押す。

「はい」

 ややあって、母親が現れた。静かな雰囲気の人だ。あるいは疲れているようにも見える。

 母親は私を見てきょとんとした。珍しい客人だからだろう。

「こんにちは。わたくし風太くんと親しくさせております、我妻梶と申します。昨日風太くんが怪我をしたと伺いましたので、本日はお見舞いに伺いました」

「あら、まあ」

 息子にこのような友人が。あるいは、さらに発展した関係かもしれない。そのように母親は考えたのだろう。ぽかんと処理落ちしている。

「あ、でも、風太は今日は病院で」

「そうだったのですか?」

 頭を打った可能性がある、と念のため検査入院していることは知っている。が、わざとらしく驚いてみせた。

「知らずに申し訳ありません。こちら、お見舞いの品だけでも……」

 としおらしく虎印の羊羹を差し出した。

「そんな、こんなご丁寧に」

 上等なお見舞いの品に目を白黒させている。驚いた表情は息子そっくりだ。

 しかしこれを受け取って、ただで帰らせるわけにもいくまい。母親の次の言葉に、私はこそりと笑んだ。

「せっかくなんで、どうかしら、お昼」

「もちろんです」

 昼食の誘い。そのために、昼時に訪問したのだ。


「ごめんなさいね、こんなので。今日はてっきり私と桐乃だけと思っていたから」

「いえいえ。お母さまの料理の味は、風太くんからよく伺っています。とってもおいしいと」

「あら、お世辞でもうれしいわ」

 風太の母親は、ほんのりと頬を紅潮させ笑む。私はとどめに笑みを深めた。

 はりきり母親はキッチンに消えた。

 私は改めて目の前の食事に視線を移す。煮物やみそ汁、あとは漬物。なるほど、同居している祖父母好みの料理が並ぶ。

 一方のキッチンからは、香ばしいチーズの焦げる香り。祖父母のいぬまに、と予定していたのだろう。グラタンがオーブントースターの中で待機していた。

 にこにこと母親が戻るのを待つ私。そんな私を穴が開きそうなほど睨む視線が一つ。

「私の顔になにかついているかい?桐乃ちゃん」

「シャッ!」

 視線を返してやれば、桐乃ちゃんは猫のように威嚇した。

「せっかくお母さんの料理が並んでいるんだ。にこにこしてあげなよ」

 私は例を見せるように、お手本のような笑みを浮かべる。普段の嫌味な笑い方ではなく、淑女然とした上品な笑みを。

「うさんくさい」

 だが、桐乃ちゃんからは不評だ。普段のままなほうがまだマシ、と表情で語ってくる。

「ひどいなぁ。せっかく来てあげたのに」

「おまえ、目的はなんだ」

「お見舞いだよ。あ、羊羹せっかくだから食べてね」

 おいしいから。という私の言葉に、桐乃ちゃんは唇を尖らせる。不満、不信の仕草だ。

「それだけじゃないだろ」

 好きかってさせんぞ。という意気込みが桐乃ちゃんから伝わってきた。

 私はからかうように、無害アピールも含め、両手をひらひらと上げる。

「怖い顔しないでよ。今日はちょうどいいと思ってね。君のお母さんに会うには」

「やっぱりなんかたくらんでるな!」

 がたんッ、と立ち上がりスプーンを私に向ける。そんなものでどう攻撃するというのか。目玉でもくりぬく気か。

 しかし桐乃ちゃんの攻撃姿勢は、すぐに崩れた。

「こら、桐乃!」

 ごつ、と母親が桐乃ちゃんの頭を肘で軽く叩く。両手にはあつあつのグラタン。予想通り。

「人様にスプーン向けちゃだめでしょ!」

「……はぁい」

 しぶしぶ、と桐乃ちゃんは着席する。

「ごめんなさいね。この子、元気がありあまっちゃって」

「大丈夫ですよ。かわいらしい娘さんで」

「あ、ははっ、ありがとうございます」

「風太くんからはよく伺っています。にぎやかなご家庭だそうで。私は両親が別居していますから聞いているだけでもいつも楽しいです」

「まあ、ご両親が……」

 定型的な反応に、私はやりやすかった。

「ご心配なさらず。父が刑事ですので、仕事の都合ですから」

「そうだったの。ごめんなさい、不用意に勘違いしてしまって」

「いえいえ。都合はいろいろありますが、食卓を囲む、ということに憧れがありましたから、今日は突然の訪問にもかかわらず席を用意していただきとてもうれしいんです」

「本当に?じゃあせっかくだから、たくさん食べていってちょうだい」

 明るい顔を見せた母親は、どんどんと料理を進めてきた。




「君のお母さんは料理上手だね。私のママとは大違いだ」

 昼食後、適当な理由をつけ、桐乃ちゃんと共に外出する。

 中田家での猫かぶりによる疲労を感じながらも、母親に信頼を得ることができた。結果、メインの目的である桐乃ちゃんを連れ出せた。収穫としては十分だ。

「食後のコーヒーもおいしかったよ。お母さん、料理好きなんだね~」

「……」

 隣を歩く桐乃ちゃんはずっと無言でついてゆく。

「機嫌を直しておくれよ。君の取り分がへったこと、そんなに嫌だったのかい?」

 食の恨みはつらいね。と私は適当に肩をすくめる。

 無言の桐乃ちゃん。その感情が全く分からないわけでもない。テリトリーである家にずかずかと上がりこまれ、挙句には母親を取られ、そして私と行動を共にしているのだから。それは不機嫌にもなるだろう。

 だが、今ここにいるのは、桐乃ちゃんの意志だ。

「おにいちゃんのためになるって、本当なの?」

「もちのろんさ」

 疑わしい、と桐乃ちゃんの顔に書いてある。

 疑ってくれてかまわない。私という刺激を受けた対象が、どのような行動をとるのか、これもまた観察のしがいがあるのだから。

 しかし。

「あーがーづまーかじ!!!」

 暴力は、歓迎はできない。

 ドロップキックを決めようとした乾こま子を、最小限の動きで避ける。

「うぎゃっぶぇっ」

 乾は地面を転がり壁にぶつかった。

「相変わらずのじゃじゃ馬っぷりだね。乾」

 今日は私服だ。制服のときはいくらでも受けてやるが、私服はパパが選んだ服なのだ。もしもドロップキックの痕跡が残りでもしたら、今日一日の行動をつまびらかに語るまでパパは寝かせてくれない。

 そんなことは嫌なので、私はドロップキックを普通に避ける。

「挨拶の代わりにドロップキックとは、蛮人にぴったりの行動だ」

「んだと!」

 食って掛かる乾に、私は声を上げて笑ってしまう。

「まあまあ、今日は喧嘩をするために呼び出したんじゃないよ」

「じゃあなんだよ」

「先日の半グレモドキの件」

 私の言葉に桐乃ちゃんも反応を示す。

「あれの尻ぬぐいをさせてやろう、と思ってね」




「いいかい。『例の件で話をつけにきた』そういうんだ」

「分かってる」

 桐乃ちゃんは三度目になる私の確認に、うんざりとした表情だ。

 視線の先には住宅街にあるよくある公園。

 子供が遊ぶべき場だが、現在は中学生から高校生の不良たちに占拠されている。半グレモドキだ。

「おい、本当にいかせる気かよ」

「心配かい?そのために君を呼んだんだがね」

 乾は、そうだけど、と納得がいかなそうだ。

「なに、私たちは戦いにきたのではない。交渉しにきたのだ。君の出番はまずないよ」

 私の言葉に、乾は別の意味でむっとするが、それ以上は反論しなかった。

 桐乃ちゃんが公園へと踏み出したからだ。

「いってらっしゃい、桐乃ちゃん」

 私の目論見通りに。


「あ?」

 近づいてくる小学生女児に、半グレモドキは気づいた。

「おいガキ。およびじゃねえんだよ。よそで遊んでろ」

 不良の言葉に、桐乃ちゃんはおびえない。そういえば、森林公園で囲まれたときも、不良を怖がる様子はなかった。

 ザッザッザッザ、と桐乃ちゃんは不良の前に出る。

「お、おお」

 女児とは思えない迷いのなさに、不良は怖気づいたのか及び腰になる。

 所詮は乾により病院送りとなる一派だ。敵ではない。

「例の件で話をつけにきた」

「んだと」

 桐乃ちゃんの平常運転なとげとげしい言葉に、不良は威嚇されたと思ったのだろう。半ば囲むように女児を見下ろす。

「もしかしてお嬢ちゃん。俺たちのことお巡りさんとまちがえてるのかなあ?」

「ギャハハッ。俺たちのどこをどう見て、お巡りと間違えるんだよ。目ついてんのか?このガキ」

 じろじろとぶしつけな視線を、桐乃ちゃんは眉間にしわを寄せながら無言で受け流す。

 そして小さなため息ののち、持っていた手帳を地面へと放った。

「んだ、これ」

「きったねえノートだな」

 教養のない不良には、ノートも手帳も見分けがつかないのだろう。

 しかし桐乃ちゃんは分類などどうでもいい。

「これを使えば、お前たちの総長を警察から取り戻すことができる」

 その言葉に、不良たちは顔色を変えた。

 彼らの総長、森林公園で指揮をとっていた男は現在留置所だ。半グレモドキ全員を捕まえるには数が多いし一人一人の証拠が少ない。そのため、総長のみがブタ箱行きとなっている。

 しかし、総長が捕まり黙っているほど彼らはおとなしくもない。警察から奪取してみせる、と頭がないなりに馬鹿な考えを持ち、こうして公園に集まっていた。

 そこに、総長を警察から取り戻せる、と言われる手帳の登場だ。

 奪うように手帳を取り上げ、中身を確認する。目を見開いた。そこに詰め込まれた、個人情報を見たのだろう。

「なんだこれ。浜中の神崎もあるぞ」

「うわっ……」

 一部頭が回る者は、ドン引きしている。

「それを警察に提出すれば、お前たちの総長は釈放されるだろう」

 ただし、と桐乃ちゃんは続ける。

「報酬は最初に提示された額の、10倍だ」

「あ゛?」

 手を出した桐乃ちゃんに、不良は睨みつける。

「おいガキ。なに調子にのってんだよ。てめえの立場わかってんのか?」

「報酬がなければ、それは返してもらう」

「……っぷ、はっはっはっはははははは!!!!」

 不良は大きく口を開け、やに臭い息で笑った。

「返してもらうぅ?いっちょうまえにカッコつけてっけど、交渉の仕方がなってねえんだよ」

「お嬢ちゃん。こういうのは基本、前払いで貰うんだよ」

 後払いは機能しないから。と多少頭の回る不良は言う。

 だが、桐乃ちゃんはすべて無視した。

「報酬」

 ずい、と手を伸ばす。

「10倍」

 まっすぐに、不良の目を見つめ返す。

 動物の目を見つめ返す行為は、威嚇と取られるらしい。頭の足りない不良は畜生と同じだろう。

「あ゛?こっちが丁寧に出てりゃいい気になってよ!」

 桐乃ちゃんの態度に、一人が爆発した。

「クソガキぐぁっ」

 乱暴に腕を伸ばした不良は、顔面に強烈なパンチを食らうこととなった。

 一発KOで地面に倒れる不良。

 不良を殴り、桐乃ちゃんの前に立つ小柄な影。

 乾こま子だ。

「子供に手出そうなんざ、この俺が許さねえぞ!!!」

 構え、宣言する乾。予定通りだ。

「んだコラァッ!!!」

 中学生と小学生に馬鹿にされ、半グレモドキが黙っているわけもない。乾の拳と半グレモドキがぶつかる。


 乾こま子の父親は、『犬養イヌカイ組』というヤクザの組長だった。乾は改名した苗字だ。

 一人娘である彼女は、きれいなおててに育てられた。

 組の衰退を予測してか、あるいは娘可愛さか。組長は、親がどのような方法で金を稼ぎ、どのような金で生きているのか、娘のこま子に、ヤクザというものを全く知らせずに育てた。

 しかし、その育ち方は乾こま子にとって、犬養組の解体後大きな禍根を残すこととなった。

 組の解体後、親やその周辺人物は逮捕され、保護がなくなった乾こま子。彼女は、知ってしまったのだ。今まで自分につぎ込まれていた金や平穏は、弱者を搾取しえたものだと。女性や子供を食い物に、得た利益だと。

 乾こま子は知った。心中に巻き込まれた子供の末路を、貧困に苦しむ子供の最期を、親の負債を背負わせられた子供の行く先を。自分がのうのうと生活しているその裏で、たくさんの弱者の死体が積み上げられたのだと。

 昨日まで何も知らなかった少女が、それらを知り、何を思うか。想像に難くない。乾こま子は、悲しみ、心を傷め、そして深い罪悪感を抱いた。

 そして思った。自分が今までの生で、弱者を搾取しむさぼったのならば、その償いをせねば、と。

 そのような贖罪の思考ゆえに、乾は正義というものに固執する。

 私は、癖や趣向ではなく、義務に近いこの自傷行為に興味を抱かないわけではない。

 ただ私の体と思考は一人分しかない。今は、中田風太という貴重なサンプルに向き合いたい。

 なので、乾こま子に関しては、体のいい舞台装置として利用するにとどめている。


 乾の活躍で半グレモドキの数は半分ほどに減っている。

 しかしさすがに多勢に無勢だろう。一対多の戦い方から切り替え、桐乃ちゃんをかかえつつ各個撃破の形をとっている。

 さて、ここからが私のメインディッシュだ。

 私の目は、乱闘状態の公園から一人、こそこそと逃げようとしたものを逃さない。

「こんにちは」

「うぐっ」

 日傘の石突を喉元に当てる。実際の痛みはなくとも、急所にものを当てられる圧迫感で体は硬直する。

「私の手帳、返してくださる?」

 わざとらしく丁寧に、単独で逃げようとした不良に話しかける。

「……なんのことだ」

 日傘を避け、はぐらかす。他の者より頭が回るようだ。だからこそ、乱闘など参加せずに総長を警察から釈放できるという手帳を持ち去ろうとしたのだろう。

「そう」

「ぐっがっ」

 喉と足。石突で突き上げる。痣が残る程度。だが不良は痛みに態勢を崩す。

「かまわないよ。君自体には興味はない」

 倒れたうなじに、ひたりと石突をあてがう。たったそれだけで、不良へと負けをわからせることは十分だ。

 私はわざとらしく口角を上げた。面倒にならずに済んだのだから。

 最近は力量差を理解できない者が多い。私がこのように、穏便に済ませているにも関わらず、立ち向かう者は少なくない。諦めが悪いというわけではなく、勝てないことを理解できないゆえの行動だ。

 だが幸いなことに、今回は叩きのめす必要もなく降参してくれた。なので私が機嫌を悪くする要素はない。

「さてと」

 不良のポケットに突っ込まれていた手帳を回収し、さらにスマホも没収する。

 本命はこれだ。

 日傘で牽制しつつ、スマホの中身を確認する。暗証番号は予想済みだ。ロックはすぐに解除できた。

「ん、なるほど」

 探り当てた会話記録に、私は満足した。今回の目的は私が考えた推理の裏付けだ。

 今、日傘一本で無力化されている不良は、半グレモドキの中では参謀に当たる。つまり愚か者なりに頭が回る不良だ。

 彼のスマホには、現在警察にやっかいになっている総長との会話が残されている。そこに登場する顧客名は、私の考えを十分裏付けてくれた。

 これで、今後の予定を狂いなく進めることができる。

「ありがとう。見せてもらえて助かったよ」

 私は捕らえていた不良のポケットにスマホを納める。

 やっと解放される。不良の顔にはそう書いてあった。

「では」

 いけない子だ。無為に私の嗜虐心を刺激するなど。

「おやすみ」

 石突で後頭部を打てば、不良は地面に頭を打ち付け昏倒した。




「おつかれ~」

 不良の死屍累々な公園。勝ち誇った乾と桐乃ちゃんに声をかける。

「あ!今更なんの用だ!」

「そうかっかするなよ。こっちはこっちで、用を済ませていたんだから」

 逃げたとでも思われたのか。心外だな。

「ま、二人とも仲がよろしいようで。こちらとしても満足だよ」

「よくない」

 乾となど仲良くない、と反論する桐乃ちゃん。乾に抱えられた状態でいわれても説得力がない。

「さ、目的は達成したんだ。さっさと面かろう」

 遠くで鳴るパトカーのサイレンに二人も気づいたらしい。半グレモドキの屍を残し、私たちは公園を後にした。


「今回の件で彼らもしっかり警察に厄介になるはずだよ」

 中田家への帰り道。乾と桐乃ちゃんは私の言葉に半信半疑だ。

「信用ないかい?警察に、子女を襲った不良という曲解をさせることは、実に簡単なことだよ」

 実際、私たちは女の子。間違ってはいないだろう。

「前回のことも加味すれば、彼らが、全員ではないだろうが、少年院送りになる可能性もある」

 ここまで派手にやれば、おとがめなしはありえない。

「それ、俺もやばくないか」

「おお、気付いたか乾」

 君にしては頭が回るな、と小ばかに笑う。

「心配せずとも、君はいたいけな子供を守った勇気ある少女だ。そう、桐乃ちゃんに証言させればいい」

 そうすれば厳重注意はされるが、すくなくとも処罰の対象にはなるまい。

「桐乃ちゃんも、今回は逃げる理由もないだろう?」

「……ふんっ」

 私の流し目に、桐乃ちゃんはふい、とそっぽを向いた。だが、警察に事情を聴かれたとしても、乾を裏切る真似はしないだろう。

 仲良くなった二人に、私は笑みを深くする。

「さ、今日は疲れただろう?」

 中田家の門前にたどり着いた。

「明日は学校だ。ふたりとも、終業式だからってサボっちゃだめだぞ」

「だれがサボるか!」

「サボるわけがない」

 息のぴったりな二人に、私は満足した。

「よかったよ。それじゃあ、明日は中田くんをよろしくね」

 私の言葉に、二人はやんややんやと文句を言っているが、まあ問題はなかろう。

 私は明日を楽しみに、帰路についた。




 帰宅先が、ママの家だろうとパパの家だろうと、私は必ず寄り道をする。

 駅前のコインロッカー。財布の奥に仕込ませていた鍵で開ける。

 おおよそ50㎝四方の空間に、ICレコーダーやノート、私がいままで集めてきた情報がしまわれている。そこに、普段使用している手帳を納める。

 これらの品物を両親の家に持っていくことはない。どちらにせよ親といればプライベートなど皆無だ。

 刑事のパパと心理学者のママ。生まれた頃より常に、私の精神は覗きこまれていた。

 私は幼いころから覗き込む目にさらされてきたのだから、他者を除きこもうとするのも当然だろう。

 その点でいえば、変態の変態という私の性質は後天的、育った環境に作られたものだ。

 とはいえ、進んで人を困らせる嗜虐的な性格、そして共感性の低さ、タガの外れた行動力は、生まれ持ったものだとも考えている。

 だからこそ中田風太は興味深い。

 彼は私が持っていないものを持ち、触れたことのない環境で育った。あれをうらやましいとも思うし、知りたいとも思う。

 50㎝四方の空間を眺める。私が必死こいてかき集めた情報は、全てここに収まっている。使い古した手帳を撫でた。今度は彼のために、丸々一冊を使ってやろう。

 さて、明日が楽しみだ。

 コインロッカーを閉じた。

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