第11話 7月14日(水)

 我妻の促しに、むっ、とした乾は、少し僕を視線を送った。

 僕がその視線に首をかしげる前に、乾は口を開く。

「昨日は……俺は放課後のパトロールをしていた。最近は森林公園に不良が出入りしているらしいから、俺がやっつけてやろうって思って」

 森林公園がたまり場になっている話は、特に保護者の間では話題になっていた。子供のためには、防犯上知っておくべきだろう。僕にも、母経由で耳に入っている。

 自然豊かではあるが、同時に薄暗いこの公園は、よくない人たちが集まりやすい。

「そんで、ここを見にきたら、えっと、ゴミをポイ捨てしているやつらがいたから注意したんだ」

 確かに、そこかしこに、菓子類の袋が散乱している。

「そしたらあいつら、俺の胸倉掴もうとして。だから、やり返したら、あいつら思ったより怪我しちゃって……」

 しゅん、と乾は落ち込む。

 どうやら、怪我をさせることの罪悪感は持ち合わせているらしい。そのおかげで先日も逃げられたが。

「でも、あいつらが先だったのは確かだし。な?俺悪くないだろ?だからその手帳貸してよ~!」

「だ~め~」

 う~、とうなる乾に嗤う我妻。

「頼むよ!早くその手帳がないと!」

 お願い! そんな乾の懇願を我妻は却下する。


 そして、我妻は片手で器用に手帳をめくる。

「ふふ、そんなに急く理由がどこにあるんだね?乾くん」

「それは……だって……」

 乾は口ごもる。

「君を有利にするためであれば、私ごと手帳を提出すればいい」

 それもそうだ。警察の心証をよくする、という目的であれば、手帳だけを奪う必要はない。

「それに君は最初『悪事の証拠』とこの手帳を呼んだね」

「え、ど、どうだったかな~」

『我妻梶、悪事の証拠つかんだどー!』

 我妻の手にはICレコーダーが。

「私がとり逃しているとでも?」

 やはり我妻だ。隙がない。

「うぐっ」

 乾はたじたじだ。

「君は、最初から手帳を求める理由に対し、本当のことを語っていない」

 我妻は嗤った。

「『悪事の証拠』は元々普段からそう思っているのだろう。証拠品としての提出は私たちの想像に乗っかっただけ。真実のところは全く異なる」

 我妻の目は嘘を見抜く。それは確からしい。

「まあ、例え君が手帳を求める理由が、本当に主張の通りだとしても。私は手帳を渡せない。だって君は、本当のことを全て語っていないからね?」

「まだなにかあるのか?」

「あるよ。ゴミの件に関しては、まあ、本当だろうけどね」

 つまり真実は語れど、全ては語っていないということか。

「まだ触れられていないこと、ごまかされていること、中田くんがよく知っているものについて、話していない」

 それはもしや。

「花宮さん」

「違う」

「え、違うの」

 僕がよく知っていることは花宮さんのことだと思ったのだが。違うのか。

「君のことだよ」

 我妻の視線は藪の中へと。

「中田桐乃ちゃん」


「桐乃?!」

 がさり。身を乗り出したのは、僕がよく知っている、妹の桐乃だった。

「お前、学校はどうした?」

「……」

 桐乃はむすっとした顔で答える気配はない。

 時刻は一時を回っている。

 まさか、さぼりか。小学生から堂々と。

「ふふん。最近の小学生は巧妙だよね。自分で自分の欠席を伝えるんだから」

「そんな、サボってまで虫を探しに来たのか?」

 桐乃がここに来る理由は虫取りしか考えられず、僕は唖然とする。

「虫好きの変態とはいえ、さすがに違うだろうよ」

 我妻は僕の考えを否定した。

「桐乃ちゃん、君はあるものを求めここにきた。でも、それは昆虫ではない」

 桐乃は答えない。

 僕は心配になる。

「桐乃、どうしたんだ?なにか困ってるなら僕にいってくれれば……」

「お兄ちゃんは黙ってて!」

 僕の言葉に、しかし、桐乃は癇癪を起したように怒鳴った。

「お兄ちゃんの手なんて借りたくないの!」

「そんなっ」

 僕はショックで地面に手をついた。

 好かれているとは思っていないが、それでも妹にこんなことを言われれば、僕のガラスの心は傷ついてしまう。


「あまりいじめてやるなよ、兄妹なんだろ?」

 我妻の言葉に、むっ、と唇を尖らせる桐乃。

「そういうの関係ないもん」

「そうかい、でも、昨日今日と君はここへ来た理由は、家族が関係しているんじゃないかなぁ?」

「……別に」

 我妻の言葉を否定しつつも、その声には動揺があった。

「我妻、なにか知っているのか?」

「まあね」

 僕の質問ははぐらされる。

 仕方がない。僕は桐乃へ視線を戻した。

 ゆっくりとした口調で話しかける。

「桐乃。僕は心配だったんだ。乾から話を聞いて、桐乃がなにかおかしなことに巻き込まれてるんじゃないかって」

「……」

「昨日だって、様子がおかしかった。虫かごを壊して、制服も全部、いつもよりずっと泥だらけで。桐乃、僕は心配なんだ。お前が、なにか傷ついてるんじゃないかって」

「……」

「桐乃」

 桐乃は答えない。


「このこは関係ねえよ!俺が全部悪いんだ!」

 下を向いてしまった桐乃。それをかばうように乾は立った。

「俺が、もっと考えて行動してれば」

「そうだね、君が相手に追わせる怪我がもう少し軽ければ、桐乃ちゃんも困らなかっただろうね」

 我妻はとどめを刺すように嗤う。


 いったい、我妻の手帳と、乾、桐乃、どのようなつながりがあるのだというのか。

 手帳には我妻が調べ上げた個人、変態の情報が入っている。

 当初、乾は手帳で自身の証言を有利にしたいと思われた。だが、昨日今日のやり取りでも、乾がそのようなことを思いつける思考回路を持ち合わせているとは思えない。別の意図があるようだ。

 そして、乾はわざと桐乃のことを語らなかった。


「もしかして、我妻の手帳が欲しいのは、乾じゃなくって桐乃?」

 名前を出された桐乃は大きく体を揺らした。

「でも……でも、どうして」

 桐乃が我妻の手帳を盗み、いったいどのような得があるのか。

 いやそれ以前に、なぜ桐乃と乾に接点があるのか。

 いいや、あったではないか。昨日桐乃はこの公園にいた。

 公園のここ。


「桐乃お前、乱闘事件の現場に、ここに、いたのか?」

 僕の質問に桐乃は沈黙するが、それは肯定と同義だった。

「それも……偶然いたんじゃない」

 僕の視線に乾はぎくりと肩を揺らす。

 乾は、正義感の強い子だが、しかし年下であること、子供であることを理由に、相手の言いなりになるような性格には見えない。

 乾はなにか、桐乃に思うところがあり、桐乃が求める手帳を手に入れようとしていた。


「桐乃は昨日の乱闘事件の現場にいただけじゃない。もっと深くかかわっているんだな?」

 質問だが、確信に近かった。

 だが、乾も桐乃も、僕の質問に答える気はないらしい。沈黙が流れる。

 仕方がない。話しにくいという心理は、僕も重々承知だ。

「我妻」

「なんだい?」

 愉しそうに黙していた我妻に向く。この際頼り切ってやろう。

「この公園には、どんな不良がよく集まるんだ?」

「そうだね」

 楽しいことが起こる。そう確信したように笑みを深くした。


「例えば神崎や小野を、任侠系の不良とするならば、ここに集まるのはその逆だ」

 小野たちを思い浮かべる。

 その反対となると、用は任侠ヤクザ映画の敵役。今でいう半グレのようなものだろうか。

「半グレ、いや、半グレモドキか。薬物などの目立った犯罪には手を染めていないし。というか染められないな。この辺りはヤクザはいないが……警察は結構怖いからね」

 我妻はまるで見てきたように肩をすくめた。

「彼らがやっているのは、転売。それも生物の」

 我妻の視線は、桐乃に向かっていた。

 転売、生物。そのワードに僕も理解が及ぶ。

「昆虫や、爬虫類のネットオークション」

 きっとそれで不良たちは金稼ぎをしていた。

 昨日乾に病院送りにされた不良も。

「まさか桐乃」

 僕の頭の中で点と点がつながる。

「不良に脅されて、虫を売っていたのか?」

 桐乃は僕を睨む。

「脅されて、ない」

 その目には涙がにじんでいた。

「でも」

「こいつは悪くないんだ!」

 再び乾が割り入った。

「悪いのはあいつらだよ!」

「それはわかるよ」

「あいつら!小学生だまして、虫集めて、生き物売って、みみっちいやつらなんだ!」

 転売とはそういうことか。

 森林公園に集まる子供に声をかけ、昆虫を安値で買い取り、ネットで売りさばく。ものによれば何万と値の付くものを、子供を使い簡単に手に入れる。

 子供は、転売という考え自体ないため、ほんの小遣い稼ぎで了承する。そして差額は不良の懐へ。

 確かにちょこざいな奴らだ。

 乾は元はごみのポイ捨てで不良を注意した。しかし衝突した原因は、不良と共にいた桐乃を助けようとしてくれたからだろう。

「それに桐乃が巻き込まれてたから、乾は助けてくれたんだな」

「そうだ!俺は悪い奴らを倒すんだ!」

 わかってくれた! と乾は満面の笑みを浮かべる。

 暴力は了承できないが、僕は喜ぶ乾に水をさすことはない。

 桐乃が、不良とかかわりがあるのならば、それを断ってくれた乾の行動はとてもありがたいことだ。


「でも余計なおせっかいだった」

「へ」

 しかし、喜色の乾は一転、きょとんとした。

 発言者の桐乃に首をかしげる。

「なんでっ?」

「私は、別に自分から売ったんだから。問題ないのに」

 乾は眉間にしわを寄せ、理解に苦しむ。

「で、でも、あいつらは悪い奴らで」

「そんなのどうでもいいでしょ?」

「お前だって、虫かご踏まれたり、転んだりして、大変だったじゃないか」

「私は!」

 桐乃は乾を睨む。

「お金さえもらえればよかったの!あんたはそれを邪魔したの!」

 桐乃の言葉に乾はうろたえた。

「お、おれ……」

「邪魔されて、賄うために手帳を持ってこさせようとしたのに、それもできなくって!バカじゃないの!」


「桐乃!」

 僕は叫んだ。

 桐乃の肩を強くつかむ。

「お前を思って頑張ってくれた人を悪く言うな。それ以上言ったら、僕は怒るからな」

 いつもより低い声が出た。

 桐乃は僕を見上げ、くしゃりと顔をゆがませる。

 あ、と思った瞬間には遅かった。

「……だってぇ」

「あ、あああ、桐乃、泣くな、ああああ」

 ぼろぼろと涙をこぼし始めた桐乃。

 渡そうとしたハンカチは即座にはたき落とされ、わたわたとする僕。

 助けてと乾を見やれば、桐乃とすっかり同じ顔。

 薄暗い森林公園の中に、女の子二人を泣かせている図が出来上がっていた。

 ぴーぴーと泣き声が響く。ギスギスとした空気から一転、さらに収拾がつかなくなった。

「え、あ、どうしよう、あ、我妻ー!」


「ぷっ」

 僕の悲鳴に我妻はとうとう噴き出した。

「あっはははははは!藪をつついて何が出るかと思ったら、こんな話か」

 我妻は腹を抱える。

「結構、結構。桐乃ちゃんも乾も、罪深いねぇ」

 手を叩いて、我妻はまるでごちそうを前にした子供のように、我妻の目は輝いていた。

「なにがそんなに楽しんだよ」

 僕はぐっと眉根を寄せる。

「いやだって、うん。いろいろあるけど。まず、つかいっぱしりにするとかさ、愉快なものだよ」

「ヤクザぁ?!」

 素っ頓狂な声を上げてしまった。

「乾はヤクザの組長の娘でね」

「くみちょっ????」

 僕は血の気が引く。

「だから乾は、自分の親が女子供を食い物にしていた、という事実が嫌でね。そんなわけで正義に固執してんのさ」

 乾の行動の理由なんて正直いってどうでもいい。

 そんなことよりも桐乃だ。

「桐乃なんてことをっ、ヤクザって、組長って!!!!」

 慌てた僕を、我妻は面白おかしく笑う。

「安心したまえ。元だ元。ヤクザは数年前に見事解体したさ」

 乾を見やる。ころっと泣き止んでいた乾は、神妙な顔でうなずいた。そんな顔できるのか。

「こいつのとーちゃんのせいでな」

「我妻のお父さんはそんなことも」

「ああ、違う違う」

 我妻はひらひらと手を振って訂正する。

「パパはヤクザを飼い殺しにしようとしたんだけど」

「飼い殺し?!」

「パパを目の敵にしていた刑事が躍起になってね。パパへの腹いせでヤクザを潰したんだよ」

「腹いせ?!」

 つまり一部の刑事が、我妻の父の望み通りにしたくない、その一心でヤクザを潰したと。

 僕には考えの及ばない高度な社会を垣間見てしまった気がする。


「ってそれ、桐乃に関係ないだろ」

 乾をつかいっぱしりにしたことは、𠮟るべきことだが。我妻の父のいざこざ、しかもヤクザの件はあまり関係がない。

 乾が出生に関する暴露でとばっちりを受けただけでは?

 僕の突っ込みに、我妻は肩をすくめる。

「いやいや~、関係あるよ。現在この街はヤクザのいないクリーンな街だ。でもヤクザという抑止力がなくなった分、増えたのが半グレモドキ」

 そして、と我妻は手帳を掲げる。

「これは情報の塊だ。私が観察してきた人間のね。情報はどの時代においても商品であり、武器」

「あ、そうか」

 僕は合点がいく。

「そう。半グレモドキからすれば、この手帳にある情報は売りさばくことも、あるいは脅しのネタにすることも可能なんだよ」

 例えば、初恋が暴露された神崎団長のように。情報で人を振り回すことができる。

 我妻が持つ情報量は、数日そばにいるだけでもわかる。

 それは持ち前の洞察力もあるが、なによりずけずけと踏み込むことに躊躇しない人格に支えられているだろう。

「そして桐乃ちゃん。君は、不良が昆虫をどうするのか、不良が手帳を手にしてどうするのか。それらを知っていてなお、了承した」

 我妻の視線に、桐乃は鼻をすすりながら、ぎゅっ、と拳を握りしめた。

「君のそれは、生来のものだ。そう、中田くんや、乾の後天的な性格・性質とは異なる。私と同じ。君は先天的に、他者への共感性がなく、他者の感情を無視することができる」

 我妻は実に愉快そうに、目元を歪めた。

「だから君は、昆虫が好きなんだよ。無機質な自分と、昆虫を重ねている」

 そして……、と我妻が口を開く前に、僕はすがるように彼女の制服を掴んだ。

「我妻」

 ぐん、と引かれる感触に、我妻は僕をゆるりと見下ろした。

「妹を、侮辱するな」

 ぐぐ、と拳に力が入った。我妻の制服にしわが寄る。

 桐乃は責められることをした。けれど、桐乃が今、これ以上言葉の矢を受ける必要はない。正当性など関係なく、僕は桐乃が嫌がることを、これ以上許すわけにはいかない。

 我妻は僕の手を、振り払うことはなかった。

「もちろん」

 にこりと、我妻は、それは無害そうに笑む。

 僕はその顔に拍子抜けして手を緩めた。

「話を、今回の事件に戻そう」


「乾は桐乃ちゃんに頼まれ ― 恐らくはそれがなければ身に危険が及ぶとして―手帳を欲した」

 やはり、乾は桐乃のお願いで手帳を手に入れようとした。

「そして桐乃ちゃんは ― 取引相手の不良からの注文で、手帳を欲した」

 どうやら、事の根本には乾が病院送りにした不良がいるらしい。

「なんだ!結局あいつらが悪いじゃないか!」

 乾は、やっぱり俺は悪くない! とけろっとしている。

 桐乃はすんすん、と鼻をすすりった。頬も真っ赤にむすくれた顔。帰ったら冷やしてやらねば。


 僕はため息を吐く。

 桐乃が巻き込まれているのも不安だ。

 しかし、昆虫の転売に協力した挙句、自分を助けようとしてくれたひとをだまし、我妻から手帳を奪おうとした。

 自分から進んで不良とつるんでいる桐乃に、黙ってはいられない。

 今は、その理由を聞かなければなるまい。

「桐乃」

 目を合わせようとするが、桐乃の視線は僕から逃げた。

 僕はそのままでいいと語り掛ける。

「なんで、不良なんかとかかわろうとしたんだ?」

 桐乃は下を向き、指先でいじいじと服の裾をいじった。

「お金が欲しかったのか?」

 桐乃は返答しないが、わずかにただよった視線に、肯定と取る。

「どうしてかな?母さんも、相談してくれればお小遣いだって出してくれるはずだよ?」

 我が家は特別困窮しているわけではない。

 僕も桐乃も、毎月お小遣いをもらっている。加えて祖父母はことあるごとにお小遣いをくれるのだから、同年代よりは金銭の余裕はあるはずだ。

「……意味、ないもん」

 桐乃はずぴ、と鼻をすする。

「お母さんからもらったお金じゃ、意味、ないもん」

「意味って?」

「制服、汚すから、迷惑かかるから、お母さん怒ったから。だから、自分のお金で弁償しないと、意味、ないもん」

 うつむいていた顔をぐしゃりと歪ませて、再び静かにすすり泣いた。

「そうか……」

 僕は桐乃の言わんとしていることが分かった。

 いつもいつも、制服で虫取りをしては母に怒られる桐乃。

 だから、桐乃なりに考えたのだろう。

 自分でお金を稼ぎ、自分のお金で、クリーニングするなり、新しいものを買うなりしようと。

 桐乃なりに、母に謝罪の姿勢を示そうとしたのだ。

「桐乃は、母さんを思って、自分でお金を稼ごうとしたんだな」

 そっと、その小さな手を触れようとして、僕は腐葉土に汚れた両手をひっこめた。

 置き場のない両手を膝の上で握りながら、桐乃に笑いかける。

「今回は難しかったけど、きっと、母さんは、正直に言って謝れば、桐乃を許してくれるよ」

 こくり、と桐乃は小さくうなずく。

 その小ぶりな頭に、僕は、この小さな妹がよくもまあ難しいことを思いついて、実行しようとするものだと、兄として恥ずかしくなった。

「それにね」

 しかし恥ずかしさを飲み込んで、僕は桐乃に言葉をかける。

 伝えなければならないことはたくさんある。

 それは、生物を売ることや、金銭のために手段を択ばないこと、それに人をだますこと、それらがどのような問題でどのような考えを持つべきなのか。倫理道徳を桐乃は学ばなければならない。

 けれど、今は、これだけを伝えることができればいい。

「桐乃が、体や心に、ひどい傷を負わされたんじゃないかって、僕は心配だった。きっと母さんもこの話を聞けば、僕よりずっと心配する」

 ずずっと鼻水をすする音がする。

「だからね、桐乃が正直に話してくれて、桐乃がひどいことをされていないって知って、僕は安心したよ。きっと、母さんも怒るかもしれないけど、安心してくれると思う」

「……ん」

 うなずいた頭のつむじを僕は抱きしめたかった。


 その前に、僕はもう一人の当事者に顔を向ける。

「乾」

 乾はきょとんとした。

「すまない。妹が失礼なことをして」

 僕は頭を下げる。

 妹の行動と言葉を

「それと、ありがとう。妹を、不良たちから守ってくれて」

「お」

 乾はじわじわと顔を赤くして照れる。

「おう!」

 こそばゆいと言わんばかりに体をくねらせる。

「へへへっ、ありがとうっていわれちゃった、へへへっ」

 うへへへっ、と奇妙な笑い。なるほど正義厨の一面が理解できた気がする。


「まあまあだったな。今回の事件は」

 我妻はただ一人、事のいきさつを手帳にメモしていた。

「我妻もありがとう。お前が首を突っ込んだおかげで、桐乃のことに気づけた」

「くくくっ礼を言うにはまだ早いぞ」

 我妻の不敵な笑みに、僕は眉を顰める。

「昨日の乱闘で倒されたのは、たかだか下っ端数人」


 ブゥン、とエンジン音。響く、改造マフラーの騒音。


「ひっ」

 僕は悲鳴を上げながらも、とっさに桐乃の前出た。

 ガサガサッと腐葉土を踏む十数人の足音。さらに公園内に乗り入れたバイク。

 僕は目を白黒させた。僕らを囲むのは、あからさまな不良だった。

「乾こま子!よくも舎弟をやってくれたな!」

「ひぃぃっ」

 情けない悲鳴を上げたのは僕。僕以外女子なのに、僕が一番おびえている。

 ぶわっと暑さからではない汗が吹きあがる。それでも桐乃の前からどくことはできない。

 現れたのは、恐らく、不良の元締め。半グレモドキの親玉の登場だ。


「我妻っ、何だよこれ!僕ら殺されちゃうよ!」

 僕は桐乃を抱きしめながら叫ぶ。

 中には金属バットや鎖(どう使うのだろう)を手にしている者もいる。

 だが我妻は怖がる様子などない。

「安心したまえ、中田兄妹」

 我妻はいつものように余裕の笑みを浮かべた。

「このようなときの、私たちの手足だろう?」


「整列!!!!!」

 ドッと声圧が森林公園を襲った。遠くで鳥が逃げてゆく。

「三浦学園応援団!倣え!」

 僕らを囲む不良。その背後。

 並ぶは学ラン姿の応援団。団長の神崎と副団長の小野。その他団員。

 黒い学ランの整列は、まるでヒーローが現れたかのように神々しかった。


「あ?お前……」

 不良を率いていた男がいぶかし気に神崎を見る。

「浜中の神崎か!?」

 神崎団長は糸目の奥からぎろりとにらんだ。

「現在は三浦学園応援団、団長!そして!『リコーダーペロペロ事件』捜査隊が盾であり剣!」

 大声で叫んでいい文字面ではない。というか僕らそういうくくりなのか……。

 神崎団長は全く気にしないし、誰もつっこまない。誰かつっこんだ方がいい。

「我妻梶、中田風太および子女を傷つける輩!許すものか!」

「いいぜ!やろうじゃねえか!浜中の神崎!」

 不良はノリノリだ。

「構え!!!」

 神崎団長の号令を合図に、半グレモドキとの衝突が始まった。


「ひぃぃぃぃっ」

 拳がぶつかる音。

 僕は突然の抗争に、悲鳴を上げながら桐乃に頭を低くさせる。

「とりゃぁっ」

 乾はいつのまにか応援団側に回り戦っていた。

 僕らサイドで唯一の戦闘員。脱出の頼みの綱が、自ら乱闘に参戦。

 ああ、このままでは僕らは逃げることもできず、半グレモドキと応援団の乱闘に圧殺される。

 ごめんなさい母さん。

 最後に一目会いたかった花宮さん。


「はははは」

 乾いた笑い。

「我妻っ」

 そうだ。僕らにはいつでも余裕な我妻がいる。

「さ、中田兄妹!にげるぞ!」

 我妻の声と共に、僕らは抗争の間を縫って森林公園から脱出した。

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