第4話 偽装結婚

 クリストフが馬車に乗ってもうすぐ到着するらしい。私は玄関でお出迎えするため、外で待っていた。

 もう春の風になってきているが、それでもまだ肌寒かった。

 ようやくこちらに豪華な馬車が二台やってくるのが見えた。

 おそらく後ろの馬車は護衛だろうが本人が強いので不要な気がする。


「まあ……」


 馬車から降りたクリストフはいつもの法衣姿とは違うおしゃれ姿に、おもわずときめいてしまった。黒いコートに、首元には高価なレースがジャボとして使われていた。

 クリストフがある意味では普通の貴族のような恰好をするとは考えていなかったので、不意にキュンとさせられた。

 だけどすぐに心の中で首を振って、彼は恐ろしい人、と何度も念じた。

 クリストフは数歩離れた位置に止まり、綺麗な姿勢のままお辞儀をする。


「ソフィア様、お招きありがとうございます。本日の出会いは神の思し召しでしょう」



 そんな神様とは縁を切ってくださいと言えない私は、作り笑いを浮かべて彼を歓迎しているフリをした。



「そうですわね。では狭いところですがおくつろぎくださいませ」


 私はクリストフを客間へ案内する。私は彼が付いてきているか確認のため何度か振り返りながら、彼の様子が変ではないか見逃さないようにした。

 するとクリストフは、ぽりぽりと頬をかく。


「そんなに見つめられると、俺も照れてしまいますよ」


 クリストフは普段より砕けた喋り方をする。おそらくはこちらが素なのだろう。


「申し訳ございません。クリストフ様がそのような普通の恰好をされるとは思っていなかったもので――もちろん、似合っていないというわけではないのですよ!」



 私は一応弁明した。あまり見てしまって失礼と思い直して、見るのは必要最低限に留めよう。クリストフは柔らかい顔で微笑む。


「それは良かった。ソフィア嬢に少しでも気に入ってもらえるように選んだ甲斐がありました」



 未来ではいつも仏頂面だったので、こんな笑顔ができるのだと知った。

 客間に到着してソファーに座ってもらう。リタが私達の分の紅茶とお茶菓子を出してくれた。

 するとクリストフもまたテーブルの上に菓子折を置いた。


「お好きだと聞きましたので是非食べてください」



 開いた箱にはチョコレートで出来たマカロンが入っていた。

 食事を取ったばかりだが、お腹が空いてしまうのはお菓子の魅力のせいに違いない。


「ありがとう存じます。せっかくなのでいただきます!」


 私はマカロンを手に取ってひとかじりした。

 生クリームが口の中で溶け、チョコの苦みがちょうどいい甘さになった。

 ほっぺを押さえて美味しさに感動していた。


「幸せ……」


 私はすぐに口に入れた。またお代わりしようとしたが、クリストフがこちらを見ているのに気付いて我に返った。


「も、申し訳ございません。とても美味しかったものですから……」

「いいえ。気持ちの良い食べっぷりでした。会える日は持参しましょう」


 そういえば私と婚約をしたのなら何度も会うことになる。

 今は優しくともいつ私の敵になって、暴れ回るかわかったものではない。

 ここは遠慮している場合では無いため、単刀直入に聞こう。


「本当にお父様は婚約を承諾したのですか?」



 過去にそのような話を聞いたことが無い。もしかすると私が居ないところでそんな話が出ていたのかも知れない。

 するとクリストフは何食わぬ顔で答える。


「ああ、それは嘘ですよ。てきとうなでまかせです」

「えっ!?」



 私はおもわず声が荒げてしまった。


「どういうことですか!」


 クリストフは終始落ち着いており、ゆっくりと紅茶を口に運びながら答える。


「俺も最近は結婚の話が多いので、ちょうど婚約者を探していたのですよ。そしたら、ソフィア嬢が困っていましたので、助け船のついでにあのように言いました」


 彼の何事もなかったかのような態度に空いた口が塞がらない。

 助かったのは事実なので文句を言えるはずも無い。ただしおかげで危機は脱出できたとはいえ、そのために私は別の危険に晒されてしまったのだ。


「しばらく婚約者がいれば縁談の話もないでしょうから、俺と一年でいいので、偽装結婚をしてくださいませんか? それならば王太子からの賠償金も肩代わりしますよ?」



 おもわず「ではお願いします」と言いかけてしまった。お金は大事な問題である。

 しかしクリストフと一緒に居る時間が増えれば、私がぼろを出してしまう気がした。

 なぜなら私は彼ら正教会に狙われる理由がもう一つあるからだ。

 そしてクリストフは私の出自を知れば間違いなく殺そうとするはずだ。

 彼は悩む私に驚く情報を伝える。


「あのときはまだ了承はもらえませんでしたが、ソフィア穣のお父君から事後承諾はもらっておきました。もちろん全て話した上で許可を頂きましたよ」

「お父様から!? まだ一日しか経ってませんよ!」

「俺は司祭ですからね。詳しくは言えませんが、これを見ていただければわかってもらえると思います」



 昨日の今日でお父様に話をしたということだ。彼は証拠ですと、羊皮紙を机に出して、私の家の家紋である桜が入っているのが確認できた。

 恐るべし正教会自慢の謎の高速移動。



 しかしお父様は娘が偽装結婚することに何か疑問はなかったのだろうか。

 それは帰ってきた時に聞けばいいと、今は目の前の問題に集中する。


 断ってしまうと、また王太子との問題が浮上する。

 王太子との婚約破棄にはしっかりとした理由がなければならないし、これから王族関係者から嫌がらせを受けるかもしれないため、お父様にも迷惑をかけてしまう。

 私が一年だけ隠し通せばいいのだから、これはチャンスと捉えたほうがいいかもしれない。



「分かりました。そのお話を受けましょう」


 私は覚悟を決めた。もう後戻りはできないのだから進むしかない。

 クリストフも満足そうな顔をする。ただ一つ疑問があった。


「ですが偽装結婚とはどのようにすればいいのですか?」


 偽装結婚なんてしたことも、考えたこともないので、どのように振る舞えば良いのかわからない。


「普通の夫婦のように過ごせばいいだけですよ。ただ後々にお互いに権利を主張するのは避けたいのであらかじめて取り決めはしておきましょう」


 するとクリストフはお菓子を退けて、紙をテーブルへ広げた。

 それは偽装結婚に関しての誓約書となっており、公に出ることはないが、もしお互いにとって不利益になる場合には効力があるということだ。


 おそらくは家督問題とかだろう。

 こういうのは、子供がいるから正妻と認めろ、とかを危惧していると推察した。

 私はクリストフを好きになることは絶対に無いだろうが、相手はそう思ってくれないだろうから、当然と言えば当然であろう。



「そうですね。クリストフ様が決めたことなら安心でしょうけど、念のために目だけ通しますね」



 私は誓約書を読んでみる。すると内容に少し疑問があった。


「偽装結婚なのに食事やおでかけは必要なのですか?」


 食事はできるなら毎食、おでかけも週に一回は設定されている。

 わざわざこんな本物の夫婦のような関係になる必要があるのだろうか。


「当然です。本物の夫婦のように過ごさなければ簡単にバレてしまいますよ。それはお互いにとってよくはないでしょ?」



 クリストフは当たり前のように言うが、私としてはなるべく会わないのが理想だった。

 やはり未来で殺されかけたことはトラウマなので、出来ればたまに会うくらいでよかった。

 しかしそんなことは言えないので、納得しているように頷いてみせた。


「でも意外ですね。てっきり子供が出来た場合には、こちらが引き取ることに対して、何か言われる覚悟がありましたので」


 跡継ぎに関してはやはり揉める部分だろう。

 しかし私はあえてそこは気にしないようにした。


「クリストフ様を信用しているので、あまり心配していませんわ」



 未来でもずっとクリストフは結婚していなかった。噂では女嫌いで、どんな綺麗な令嬢から誘われても断り続けたらしい。

 そんな彼が私と男女の関係になるとは考えられなかった。


「そうですか……」


 びくっと体が急に震えた。クリストフの顔を見ると笑顔なのだが、何だかさっきよりも笑みが深まっている気がした。

 それなのに温かみを感じないのはどうしてだろう。

 私は誤魔化すように、書いてなかった項目について質問する。


「あ、あの! これには私が正妻にならないという項目がありませんがよろしいのですか!」



 この誓約書だと、結婚関係は事実上あるので、私が正妻を名乗り続けることが法律的に可能だ。

 それは相手も本意ではないはずだ。

 するとクリストフはテーブルを越えて身を乗り出して、私のアゴに手を添えた。

 流れるような無駄の無い動きのせいで、私は反応すら出来なかった。

 彼の目がまるで獲物を狙う肉食動物のようであった。


「もし希望だったら、それでもいいですよ。その場合は寝室も毎日一緒にしましょうか」


 頭が言葉を理解するのに時間が掛かった。しかし徐々に私も言葉の意味が分かるごとに体温が高くなってきた。


「い、いいえ! これは偽装結婚ですので! 分かってますから!」



 私は身を後ろにそらして、彼の手から離れる。

 危ないところだった。

 彼と私では体力に違いがありすぎるので、三日と保たずに参ってしまうだろう。

 もし私が正妻を望めば後悔させるぞ、という意味に違いない。

 クリストフは自身の手を少しだけ見た後に立ち上がった。


「では今日はこれくらいにしておきましょう。また明日も来ますのでお身体も大事にしてください。見送りは結構です」

「は、はい……」


 クリストフは呆けている私へお辞儀をして客間から出て行った。

 彼はたくさんの令嬢から人気な理由が少しだけ分かった気がした。


 あれほど恐いと思っていた彼に、まさかドキドキさせられるなんて考えたことも無かった。

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