第3話 交渉上手

 結局考えがまとまらないまま、夜更けということもありすぐに眠ってしまった。

 そして朝を迎え、私は朝食を食べにダイニングルームへ移動した。

 数年振りの我が家を懐かしみながら、掃除や庭の手入れしている者達が挨拶をしてくれる。


「お嬢様、おはようございます!」


 私も笑顔で返す。


「おはよう。いつもご苦労様です」


 普通の挨拶のつもりだったが、メイドは少し意外そうな顔をした後に、すぐに頭を下げなおした。

 前は使用人を蔑ろにすることもあったが、彼らがいるからこそ、この家はいつも清潔なのだと気付いた。

 前の人生でそれは痛いほど痛感した。

 それに自分の仕事が認められるのはとても嬉しいことだ。


「庭師さんも今日も綺麗にお花を手入れしてくださいましてありがとうございます」

「えっ!? いいえ、これくらい私の仕事ですので……」


 こんな感じですれ違う者達一人一人に労いの言葉を掛けた。

 するとリタがこそっと耳打ちしてくる。


「ソフィア様、本当にお身体は大丈夫ですか?」


 リタからすれば私が突然変わったと思うだろう。

 体は十七歳だが、心はすでに二十歳まで成長して、見聞も広めたので前の私とは全然違う。

 これは慣れてもらうしかないだろう。


「大丈夫よ。ほら、急がないと食事が冷めてしまうわよ」


 お腹が空いているので食事が楽しみだ。


 パリーン!


 ガラスの割れる音が聞こえた。

 少し先で廊下の隅に寄っていた年若いメイドが花瓶を落としたようだ。

 メイドは顔を蒼白にして、必死に割れたガラスを素手でかき集めていた。

 切れた手から血がこぼれて花瓶の水が赤黒くなっている。


「も、申し訳ございません! すぐに片付けますのでどうかお許しを!」

「ダメよ」


 私はまずは止める。高価な花瓶かもしれないが、彼女の手が可哀想だ。

 前の私なら厳しく叱咤しただろうが、私も彼女たちの気持ちが分かるので怒ることはしない。

 メイドは顔を上げて許しを乞うような泣きそうな顔になっていた。


「ソフィア様、お足が汚れます!」


 リタが止めようとするが気にせず水たまりの上を歩いた。

 少しだけ屈んで、彼女の腕を掴んで、手のひらを見てみた。


「ほら、こんなに切れてる。雑巾で拭きなさい、怪我はすぐに治らないのよ。花瓶はまた買えばいいわ」

「は、はい……」


 メイドはまるで許されると思っていなかったように呆けていた。

 しかしすぐさま頭を下げられた。


「ご温情に感謝いたします!」


 私は、気にしないで、と笑った。


「次は気をつけてね」


 あとは任せて私は目的地へ足を進める。

 メイドたちにも生活があるのだから、こんな些細なミスでクビにはしない。

 私は自分を見つめ直したのだ。だけど周りのメイドたちの反応を見るに、まだまだ信頼を勝ち取るには時間が掛かりそうだ。


 ダイニングルームに着いてすぐに椅子に座った。

 テーブルにいくつもの皿が並べられていき、スープだけで五種類もあった。


「なっ、なっ……」



 言葉を失ってしまった。私はどれだけ贅沢をしていたのだ。

 未来では堅いパンばかり食べ、贅沢とはほど遠い生活ばかりだった。

 リタは私がショックを受けていることに別の方向で勘違いしだした。


「ソフィア様、いかがいたしましたか? 好みのおかずがないのでしたら作り直させますが――」


 私は思わずくわっとリタへ目を向けた。


「だ、だめよ! もったいないわ!」

「……はい?」


 こんな豪華な食べ物を食べずに捨てるなんてもったい。

 私はスプーンを手に取ってスープをすくって一口だけ口に含んだ。

 まろやかな味が広がり、口の中をとりがらの味が染みこむ。

 思わず涙が出てしまうほど美味しかった。


「ソフィア様!? 本当にどうされたのですか!」


 リタがこれまでかというほど慌てだした。

 このままではリタが心配しすぎて倒れてしまいそうなので、私はハンカチで涙を拭いてリタを安心させた。


「大丈夫よ、それとリタ、お願いがあるの」

「はい、何なりとお申し付けくださいませ」

「料理長を呼んでもらってもいいかしら?」



 なんだか周りにいる侍従達の空気が固まった気がした。

 リタも何かを覚悟をしたかのように口を結び、「仰せのままに」と部屋から出て行く。

 こんな美味しい食事を作れる料理長は我が家で一番大事な存在といっても過言では無い。

 ずっとここに残ってもらうためにも、この料理の感謝を伝えなければならない。

 料理長が来るまで少し時間も掛かりそうなので、私は出来立てのパンをちぎって食べた。


「んんー、柔らかい!」



 ミルクに浸さないと食べられないパンと大違いだ。

 これならいくらでも食べてしまいそう。

 他にも小さく斬られたサイコロ状のステーキも食べたが、あまりのおいしさにほっぺが落ちそうだった。

 次は何を食べようか悩んでしまう。



「お、お嬢様、お呼びと聞いて参りました……」



 食事に集中しているといつの間にか料理長がやってきていた。

 ごろつきのように太い腕と髭もじゃのせいで恐い人に見えるが、顔が青白いせいで何だかあまり強そうに見えなかった。

 私はさっそく感謝を伝えなければいけない。



「ええ、この料理を作ったのは貴方で間違いはないわよね」



 失礼な話だが、私はろくに使用人の顔を覚えていない。

 今日からしっかり顔と名前を覚えなくてはいけないが、どうせすぐに覚えられないだろうから名前は後でもいいだろう。


 すると料理長はぷるぷると震え出し、ひざをついて頭を下げ、神に祈るように手を結んでいた。

 突然の行動に私が驚かされた。



「お嬢様、どうかお許しください!」

「な、何を!?」


 もしや何か悪いことを企んでいたのか。

 私は緊張しながら料理長の言葉を待った。

 彼は震える口でゆっくりと喋り出す。


「私には妻と三人の子供がいるのです!」



 そこで私は合点がいった。未来でも組織で家庭を持つ者がいたが、子供が多いほど生活が苦しいと嘆いていた。

 生きるのに必死なのなら、給与交渉をしたくなるのも分かる。

 私は頷いた。


「分かったわ。いくら欲しいの?」


 すると料理長は泡を吹いて倒れた。大男がどうして気絶するのだ。私は助けを求めるようにリタへ顔を向けた。


「ソフィア様、おそらくは退職金の話になったのでこれからの生活を考えて倒れてしまったと思います。最近は家も購入したと言っていましたので……」

「た、退職金!? どうしてやめるの! 給与を上げてほしいって意味では無かったのですか!」



 あれ、周りのメイド達が首を傾げて居るぞ。何だかかみ合っていない気がしてきた。

 リタも少し怪訝な顔をしている。


「えっと、ソフィア様は料理長をどうしてお呼びになったのですか?」


 もしかするとリタにも伝わっていなかったようだ。前は私の考えよりも早く動いてくれたので、てっきり今回も通じていると思っていた。

 私は改めて理由を伝える。



「そんなのこの美味しい料理への感謝を伝えるためではありませんか!」



 すると周りに立っている侍従達が、まるでその答えを予想していなかったかのように目を点にしていた。料理長も都合良く目を開けた。


「お嬢様! ということはまだ働いてもよろしいのですか!」

「ひい!?」


 匍匐前進で足下までやってきた。

 気持ち悪いので近づいてほしくないと思っていると、リタが料理長を踏みつけて殺気立っていた。



「それ以上の距離は許可しておりませんよ」



 料理長は真っ青な顔で頷いて少し離れてくれた。

 気を取り直して感謝を伝え直そう。


「料理長、貴方は素晴らしい腕の持ち主よ。解雇なんて考えるわけがないわ。ぜひ私の家でこれからも腕を磨いてください」


 すると料理長は両手を握り合って、涙を流していた。


「もちろんでございます! このザナフは一生貴女様へ尽くします!」


 大げさと思うが、おそらく解雇されると思っていたから、ただお礼を言われただけで感激してしまったのだろう。

 ただ一つだけ言わなければならない。


「でも料理の数は減らしてもらってもいいですか?」


 私はこんなに大量の料理は食べられない。捨ててしまうなんて勿体ないことはしたくないのだ。


「その代わり使用人達の食事は一品増やしてあげてください」

「それは構いませんが……本当によろしいのですか?」


 料理長は恐る恐る尋ねてくる。私は当然だと頷いた。


「皆様が居てくださるからこの家はありますのよ。ならあなたたちが頑張れるように場所を提供するのがわたくしの役目です」



 おかずが一品増えるだけで、その日の食卓は豪華になるのだ。

 私への料理が減れば出費も減るはずなので、そこまで支出も増えないはずだ。

 それにみんなもお腹いっぱいに食べたいだろうから。



「か、かしこまりました! では本日よりそのようにさせていただきます」

「ええ期待しているわよ。みんなが頑張れるかはザナフに掛かっているのですからね!」

「はい!」



 料理長の顔に血色が戻っていた。どうやらここに来たときから真っ青になっていたようで、勘違いとはいえ可哀想なことをしてしまった。

 前の私と大きく価値観も変わっているので少し自重した方が良いかもしれない。


 満腹になったのでゆっくり部屋で休もうかと思っていたが、クリストフがもうすでに屋敷にやってきたらしい。

 どうすれば帰ってくれるのでしょう?

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