小説家になるということ

 次の日、放課後になると立花から紙束を渡された。400字詰めの原稿用紙が60枚ほどクリップで留められている。改行等もあるので、字数にして約20000字といったところか。

 

 昨日ああ言った手前、今更断ることはしたくない。けれど、まさか一つの短編小説を仕上げてくるとは思わない。1日でこの量を書きあげるのは無理……とも言い切れないか。初めて書いたころは気が狂ったようにパソコンに文字を打ち込んでいた。気持ちはよくわかる。


 中身に目を通してやると、章は4つに分けられていた。ただ短いものをかき集めたというわけではないらしい。形のある、一つの物語として完成されたものだ。


 ここまでされて、しかも自分から頼んでおいて読まないのはありえない。なので、俺はやや気合を入れて読むことにした。正直、少しだけ楽しみだ。


 原稿用紙の束を読むのは初めてに近かった。基本、パソコンやスマホの画面、買ってきた文庫本で読むので、推敲もされてない文章を読むことも少ない。


 と、1ページ目を読み始めたあと、ものの数秒でダウンした。

 擬音と感嘆符の押収。繋がりのない文章。改行がない。カタカナが多い。他にも色々ある。端的に言えば、稚拙。


「これはなんだ 」

「え、SF小説だけど」

「お前が昨日読んでいたあの作品はなんだ」

「恋愛小説だけど」


 そういうことじゃない。

 中学生のほうがまだマシな文章を書いているように思う。これが受賞作より面白いわけがない。こんなことは俺でなくともわかる。


「まあでも」


 これが小説に間違いはないのなら。


「もう少しだけ読んでみるから」


 酷評するのはそのあとでもいい。

 この文字数を数分で読む切るのはかなりの気力がいる。お世辞にもきっちり組まれた文章とは言えないため読みづらく、表現も構成もプロとは程遠くて下手くそすぎる。

 

 かなり上からの言葉になってしまっているが、それくらい酷いのは素人目にも頷けるはずだ。


 そんなふうに言いたいことは山ほどあったが、ひとまず序章を読み終えた。立花をそれを感じ取ってか、感想を訊きたそうにうずうずしている。


 本当なら全て読み終わった後に言うべきだとは思う。けれど、クールダウンも兼ねて話すことにした。


「読んでいて描写力に震えることはなかった」

「え」


 小説はただ内容が面白ければいいというわけではない。


 アニメや漫画であれば、イラスト・絵。ドラマや映画であれば、俳優の演技や小道具の質。


 映像としてのの出来がひどくても、脚本が良ければ面白い作品はある。でも、映像が素晴らしければより楽しめることは事実。逆に、作画や演出の悪さで、どれだけ完成度が高く面白い内容でもつまらなく感じることもある。


 小説も同じだ。

 いくら面白いストーリーでも、それを伝える文章の質が悪ければ世界観に入り込めない。でも、前言撤回。


「それでも面白かった。俺は好きだよ、こういうの」


 こんな表現はどうだろう。文字が躍っているように感じた。ありふれた表現だと思うけど、これを書いているときの立花は、きっと遊びに夢中になってる子どものように笑顔に満ちていただろう。


「続き、読むから」

「……うん」

「珍しくしおらしいな」

「まさか褒めてもらえるとは思ってなくて、その、うれしくて」


 わかるよ、とは言えないけれど。


「あっ、笑った!」


 小説は楽しく書いてなんぼだから、その気持ちだけは忘れないでいてほしい。


 自分の中にある面白さを詰めた作品は、読んでいる人も楽しめるはずだから。


 去年書いた作品はその裏返しだったのかなって今になって思った。


 確かにそうだ。

 文化祭に出したあの短編は、やけになって書いたんだ。自分の想いを込めた作品ではなかった。



 ◇



 感想はあれ以上言わなかった。いくつかそれっぽい文章の作り方が載っている本を紹介したけれど、内容に関しては何も言わない。


 設定や世界観、人物の掛け合いが面白いことは確かで、基礎さえ押さえれば書籍化はないにしろ一定数の評価を得られる作品になるとは思った。とにかく会話劇が上手い。他人と上手くコミュニケーションを取ってきたのか、テンポ感が心地良かった。


 なにを上から偉そうに。そう自分でも思う。今はまだ上だから。たったそれだけなんだ。


「けーくん。ちょっと文章直してみたから読んでもらえない?」

「ああ、いいよ」


 前後の繋がりはどうだ。展開があまりに不自然で突発的なものになっていないか。不必要な情景描写を入れていないか。自戒も込めて指摘していく。

 

 めきめきと実力が伸びていく。スポーツの習い事をしていた経験があるとわかりやすいが、何をするにも始めたばかりの頃は上達が早い。あらゆる技術を習得していき、あっという間に経験者に追いついていく。それがセンスのある人間であれば顕著に出るのだ。


 立花はきっと。


 あれからアドバイスを求められることが多くなった。

 小説は書いてないといったのに、それは関係ないからと一蹴して助言を求めてくる。数か月が経った今では、すっかり教える立場になっていた。


「ねえ、どう?」

「……」

「きいてる?」


 数か月経った辺りから、俺は部活に参加するのをやめた。

 もともと、サボるくらいの活動はしていない。だから、部活に顔を出さなくても問題はない。


 けれど、そういう意味じゃない。まさかこの短い期間で変わるとは思わなかった。


 彼女が新しく書いた短編。


 基礎をあっさりと覚えた彼女の文章は、川が淀みなく流れるように緩やかで読みやすかった。そして、途端に常識を覆すような展開となり、その流れには緩急がある。振り落とされてしまう。


 小説は、基礎さえ掴んで文章の作り方がわかれば後はセンスでどうにでもなる。売れない芸人がいくらでもいるのと同じ。


 それが難しいと誰しもがいう。


 けれど、彼女は毎日のように書き続けていた。汗をかきながら、眠たい目をこすりながら、毎日部室に来ては本とパソコンに向き合って、プロの文章を読みながら打ち込んでみたり、二次創作を書いてみたり、前に描いたSFものの文章を修正したりと常に小説のことを考えているようだった。


 才能は必要だ。しかし、それはあくまでも努力を積み重ねた者たちの話であって、そうではない者には関係がない。立花は前者の人間だった。


 評価に囚われず、ただ書きたいものを書き続ける。

 

 例えば、作家志望なのに約一冊分の作品を書けない人がいる。そもそもボリュームが足りなかったり、書くことが苦痛になったり。懸賞の募集要項の条件すらも達成出来ない人もいる。それが如何に難しいことかは書いている人にしかわからない。


 そしてそれは、作家になる最低限の条件に過ぎない。


 その条件をクリアした上で俺は言いたい。


 完成されたものを渡された。読んだ。面白かった。


 文化祭まで数週間を切った。

 この作品を載せてもいいと思った。載せるべきだと思った。


 時間の流れとともに彼女の成長を感じて、俺のアドバイスなんていらないほど自由に書けるようになって、久々に読ませてもらった結果がこれだ。


 立花秋音は、れっきとした小説家になっていた。 そのことが許せなくて、俺は文芸部を退部した。


 季節が過ぎた。文芸部を退部し、高校も卒業し、もう彼女の名前を聞かなくなった頃。そんな長い回想を経て。


「けーくん、久しぶり」


 3年後の春の日。


 小説家『橘シュウ』が俺の務める古本屋にやってきた。


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