第5話
「王手」
「待った!」
午前十時。
鹿威しの音が鳴り響く小さな日本庭園。
松の木が心地よい日陰を演出する縁側にて睦月と坊主頭の老人が将棋を嗜んでいた。
今回の仕事は『暇な老人の相手』である。
「おいおい。何回『待った』を使う気だ。これじゃあ将棋になんねえぞ」
「大丈夫、大丈夫。自陣に王と歩兵三つの四駒しかない時点でこれは最早将棋じゃないから」
盤面には荒廃し滅亡寸前の睦月軍に対し、盤面の約半分以上を覆う老人が作り上げた連合部隊といった極限まで空腹の獅子と手負いの小兎の戦いが繰り広げられていた。
「いっそ殺してくれ」
「まだだ。そう簡単には殺さんぞ」
けらけらと笑いながら老人は睦月の陣地を蹂躙していく。残る微かな希望(歩)も気付けば残り一つとなっていた……。
数分後。
「やっぱり将棋はつまらんね」
「あれだけ弱けりゃ、そりゃあ面白く無いだろう……」
将棋を終えた二人は老人の淹れた梅昆布茶を縁側で飲みながら、雑談に花を咲かせていた。
「最近、将棋以外の趣味を見つけようと思ってな。それも、アウトドア系の趣味を」
「ほう。そりゃまた何で?」
ゴクリ、と一息の内に湯呑を空にし、老人に突き出すと、老人は苦笑いを浮かべながらお代りを注いだ。
「婆さんが居なくなってから散歩してないせいか身体が鈍ってなぁ」
「あぁ、成程ね」
この老人、二年前に最愛の妻を病で失っていた。
その寂しさを紛らわすため、老人は週に一度は睦月に依頼を出し、庭の整備を任せたり遊び相手になってもらったりしているのだ。
「で、何か候補とかあんの?」
「そうだなぁ……。ばあさんが好きだった油絵でもしてみるかな」
「いや、体動かす趣味にするんじゃなかったの?」
「おっと、いけねぇ」
わざとらしくすっとぼけて見せる老人。他愛のない雑談は小一時間続き、その間、普段は静寂に包まれた侘しい庭に快活な笑い声が響き渡っていた。
「にしても、だ。最近、治安が随分と悪くなってきたな」
「ん?そう?至って平和だと思うけど?」
何の脈絡も無く零れた老人の問い掛けるような呟き。首を僅かに傾け怪訝な表情でそう否定する青年に対し、老人は少し小馬鹿にしたように笑った。
「そりゃそうだ。この町以上に治安の良い場所なんて世界中どこ探したってありゃしねぇよ。儂が言いたいのは世間様の話だ」
そう言いながら老人は立ち上がると卓袱台の上にあるリモコンを手に取り部屋の隅にある大型のテレビを点ける。料理番組、健康食品のテレビショッピングの後、ニュース番組に切り替わったところで老人は手を止めた。
「おお、これだ、これだ。ホレ。見てみろ」
「んん~?」
背中を半回転捻り、両手を突いてテレビ画面に視線を向ける。そこには『連続婦女暴行犯。正体は魔人か』と大きくテロップが出されていた。見れば被害にあった女性の住所は睦月達が暮らしている町と駅二つ分しか離れていない。
「最近、こんなのばっかりだ。『魔人』の犯罪ばっかりニュースでやっとる」
「う~ん。『魔神石』が簡単に手に入るようになっちゃったからねぇ。『魔人』になってやりたい放題する輩が増えてもおかしくないでしょ」
「全く……。政府はもっと『魔神石』を厳しく取り締まるべきだ。見ろ、こんな事件まで起きておるぞ」
憤りを露わにしながら老人が指差す先には、『魔人』の手によって一家四人が殺害されたという嘆かわしいニュースが流れていた。犯人は未だ逃亡中のようだ。
「『ルースト』は何をやっとるんだ。しっかりと取り締まらんかい。全く……。遥ちゃんが居ればのう。一瞬で解決だろうに」
「しゃーないよ。遥さんは今や『ルースト』の最高戦力だ。こんな小者に構ってる暇は無いんだよ」
ぶっきらぼうに言い放ち、再び庭へと身体を向け温くなった茶を啜る。そんな青年の言葉に老人は諦念の籠った息を肺から捻り出すと、テレビを消し、再び睦月の隣に腰を下ろした。
「はぁ……。やれやれ。そうか、そうだったな。あんなに小さくで泣き虫だった遥ちゃんが、今では『ルースト』の幹部、か。分からんものだのう……」
茶を啜る音が、どこか寂し気に聞こえた。
……数刻後。
何時迄、といった取り決めは特にしていなかったのだが、正午になる手前で睦月は老人の家をお暇することにした。老人も満足したのか睦月を引き留めることなく、自然な流れでお互いに別れの挨拶を交わした。
そして、睦月は次の依頼先へと鼻歌混じりに歩みを進める。
――――――――――
初夏と言えどこの時間は空も星が目立つ程度は暗くなる。それは睦月が住む町も言わずもがな。
ちらほらと街灯が点き始めた路地にて、ペタペタとサンダルを鳴らす青年が一人。腕に抱えるは赤い洗面器。中には所々ほつれた垢すりと薄っぺらくなった石鹸が。
道行く人と挨拶を交わしながら彼は彼の住む街にある小さな商店街、その一角にポツリと佇む木造の古びた平屋へ向かった。屋根から顔を覗かせるステンレスの短い煙突からは濛々と湯気が漂っている。
睦月は『男』と墨汁で力強く表記された暖簾の先にある扉を開き、入ってすぐ右隣にある番台のカウンターに百円玉を四枚並べた。
「あ~、むっちゃん、いらっしゃい。今日は早いんだね~」
番台で店番をしていた少女が来訪に応じ飼い主の帰りを迎える犬のようにひょっこりと身を乗り出す。
毛先が僅かに跳ねた肩まで掛かる深いブラウンの頭髪。若干垂れ気味で穏やかな目つきと月夜のように濃い藍色を帯びた大きな瞳。薄桃色の小さな唇は無垢を思わせるが、薄手の白いTシャツの下には豊満な二つの果実が潜んでいた。
「今日はあんまり仕事無かったからな」
「そっかぁ。もうかってる~?」
「銭湯に来れるくらいには、な」
他愛ない言葉の応酬に、少女は幸せそうに、柔らかそうな頬を緩める。
彼女の名は『尾鳥優子』。幼少からの幼馴染であり、隣町の大学に通う学生だ。予定が無い日はこうして祖母の経営する銭湯の手伝いをしている。そして、睦月はこの銭湯の常連であった。
「お。俺一人か?」
「女湯は何人か来たけど、男湯はむっちゃんが一番乗りだよ~」
「やったぜ」
力強く親指を立てる幼馴染に対し、えへへ、と笑いながら控えめなピースサインを浮かべる。
狭い待合室のテーブルに洗面器を置くと備え付けの小さな冷蔵庫からフルーツ牛乳の入った瓶を取り出し、封を切った。
「一本ひゃくえ~ん♪」
「ツケといてくれ。財布の中、あと三十二円しかないんだ」
「あらら~。じゃあ、ツケにしてあげるから、今日のお仕事のお話し聞かせて~?」
「お安い御用だ」
一口でビンの半分を空にし、睦月は今日の出来事を大幅に端折りながら伝えた。優子は番台に肘と胸を乗せ、目を細めながら、まるで異世界の冒険譚を聞いているのかのように楽しそうに口を緩めている。
「いやぁ、私は今の季節に草むしりしたくないなぁ」
「仕方ない。この時期は順番待ちが出来る程来るからなぁ、草むしり関連の依頼……」
湿った愚痴を漏らし、残りを飲み干す。
「そう言えば就活はどうしてるんだ?もう選考とか始める時期だろ?」
その問いに、バツが悪そうに頬を弄りながらポツリと呟く優子。
「実は、やりたいことがまだ決まって無くてねぇ。……むっちゃん……?」
こてん、と首を横に倒し、向日葵のように明るく穏やかな笑みを個人事業主に向けるも、静かに否定される。
「社員は募集してないぞ」
「ありゃりゃ~、残念無念♪」
「ルーストに入るっていう選択肢は無いのか?」
優子の表情が分かりやすく曇る。困ったように眉をひそめ、指を艶めかしく絡め、肩が揺れる。
「う~ん……。私、戦うのあんまり好きじゃないし……。向いてないかな、って……」
「勿体ない。お前なら、ルーストの幹部にだって簡単になれるだろうに」
「それ、遥さんにも言われたよ~。でも、私はこの町が好きだから離れたくないんだよねぇ」
「そうか。勿体無いな。あ、遥さんと言えば。あの人、明日ウチに来るらしいんだよな何しに来るかは知らないけど」
「そうなの~?泊まりなのかな?」
「多分な」
「……ふぅん」
何かご不満なのだろうか。マシュマロのように柔らかな唇をツンと尖らせ、半眼を作りじっとりとした視線を睦月に向ける。
「ん?何だ?あ、お前も来るか?」
「いや、私は良いかな~。用事あるし。よろしく伝えておいてね~」
「あぁ、そうするよ。んじゃ、風呂入って来るわ」
「はぁ~い。いってらっしゃぁ~い」
空になった瓶をゴミ箱に放り投げると洗面器を手に取り、優子に見送られながら脱衣所へと消えていく睦月。
そんな幼馴染の大きな背中を見送りながら優子はカウンターに並べられた百円玉を一枚一枚丁寧に摘まみ取り、お店のとは別の金庫に大事そうに仕舞うのであった。
――本日も異常なし。
雑務屋の平和な夜は、ゆっくりと、ゆっくりと時を刻むのであった。
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