序-3 サイドB:物騒な武装集団

 同刻夢島港区ポートサイド――


「違う、違うんだよおねがいだやめてやめてくれ俺には二歳の息子が――」


 ガムテープが剝がされるような湿った音。夕暮れの塔サンセットタワーに苦悶の絶叫が響く。コンクリート打ちっぱなしの床を魚が跳ねるような音が後に続く。電灯の光の届かない陰の中で、数人の男たちが人魚を拷問していた。首領格の男が人魚に馬乗りになり、肩に担いだペンチでだるそうに自分の肩を叩く。


「違う違わないじゃあないんだよポロッペ……てめえが金を独り占めにしてフケようとしてたのは互助会ウチの掟破り。これはもう事実なんだ。動機がどうこうとかも全部どうでもいい。俺達が聞きたいのはお前が『どこで』『誰から』『どうやって』あんな大金を手に入れたか、だ。練習するか? ほら言ってみな『俺は俺んちで俺から俺してあの金を貰いました』」

「お、俺は俺んちで俺から俺してあの金を貰いました」

「言えたじゃねえか。あとは『俺』をちょいと変えるだけだ。簡単だろ? ほら言ってみな」


 静寂。男は深いため息を吐いてポロッペの鱗にペンチを引っかけた。また絶叫。男はきっかり十秒かけてポロッペの鱗をはがし終え、ペンチを肩に担ぐ。


「さっさと言ってくれよおい……こっちもこんなこと嫌なんだよ。休日はクラシックを聴きながら深煎りコーヒーを一服……それが理想なんだ。なんで言えない? 大事な相手か? 俺達以上に大事な相手がいるか? いないだろ? そんなに頷いてるもんなあ。じゃあ言えよ……言ってみろよほれ」


 数秒の静寂があった。


「違う……違うんだよお」


 半泣きの声にため息を吐き、男が再びペンチを鱗に引っかけた――その時、カツンン……と硬い靴の音がフロアに響いた。


「カロー、まだやってるの」


 よく通る冷たい声に、拷問夫達はぶるりと震えて即座に背筋を伸ばす。靴音が氷花ひばなくうに散らしながら近付いてくる中、カローと呼ばれた首領だけが元の姿勢のまま人影を見ていた。


「ボ――あいや会長。今日もお早いお着きで」


 レッドゴールドの服を身にまとった会長は何も答えずポロッペ――中年毛むくじゃら人魚の顔を覗き込むと、充血し、恐怖に染まったポロッペの目ににっこりと笑いかけた。


「話せないの? 話さないの? どっち?」



 ポロッペは数秒口をもごもごと動かすが、言葉らしきものは発さない。絶望に目が染まる。鱗にあてがわれたペンチにわずかに力が込められたからだ。しかし会長が人差し指をピンと立てるとそれは収まった。会長は笑みを消す。


「話せないようね。カロー、これをオペ室に。脳を摘出して分析させて」

御意ラジャ


 カローはちょっと眉をひそめつつも部下に合図を出す。ざわ、と空気が揺れた。部下の一人が呟いた。


「いくらなんでも――」


 銃声が響いた。彼は口をO字にしたまま崩れ落ちた。張り詰めた空気の中、動くのは銃口で揺れる硝煙のみ。それもすぐに消え、撃鉄を起こす小さな音が響く。凍ったように動かない拷問夫達に片手で銃を向けながら、会長はゆっくりと口を動かす。


「反論は無駄。論理で動きなさい。アタシの組織に倫理はいらない。アナタたちは歯車。アタシはモーター。アタシが動けと言ったら動く。動くなといったら動かない。そうして初めて機械は機能する。不良部品は廃棄の定め。なぜなら機械が壊れるから。分かるでしょ? ――返事はいらない。アタシは分かると言える人だけを選んでる。アタシはアナタ達を信じてる。無駄はいらない。それを早くオペ室へ運んで行きなさい」


 時は動き出し、拷問夫達は白目をむいてぐったりとしたポロッペを担ぎあげて運び始める。カローも会長に目礼し、部下たちについていこうとして立ち止まった。震えるスマホをポケットから引き出し、画面を眺める。


「会長、面白い映像が入ってますぜ」


 無言で立てられる人差し指に応えカローが画面を叩くと、壁に備わった大画面に映像が映し出される。そこには金髪黒スーツ、彼女に支えられているブレザー姿、そして宙に浮くけむくじゃらの人魚が捉えられていた。映像が千六百八十万色に目まぐるしく色を変え、音声にアニメのセリフが混ざったりする中でも、ポロッペが口論の末に札束の奔流に飲み込まれて目を輝かせる様子ははっきりと見て取れた。


「なるほど」


 言い終わらないうちに銃声が響いていた。ポロッペの脳天に風穴が空き、拷問夫達がバランスを崩すのには一瞥すら与えず、会長は映像を凝視しながら、滑らかな手つきでホルスターに拳銃をしまう。


「なるほど。これは確かに面白い映像ね。ありがとうカロー」

「会長……オペは取りやめで?」

「分かり切ったことを聞かないでちょうだい」

「……御意ラジャ――おいお前ら!いつもの手順でそれを片付けろ――会長、ポロッペは『裏』とも繋がっていたようですがそっちはどうしやす?」

「六時間後に会談。バロンを用意。向こうが実力行使に出るなら潰す。秩序がアタシたちの根本原理であるから」


 さっきより長い間を開けて「御意ラジャ」の声が控えめに響く。


 カローが去り、薄闇に一人取り残されたあとでも、会長は映像を見つめ続けていた。幼さの残る学生が金髪のパンクな女と繰り広げたあれこれを見届けて、会長はやおら胸元のマイクを口元に引きつけ短く指示を飛ばす。ゆっくりと靴を鳴らして画面にギリギリまで近付き、話し合う二人をほとんど睨みつけるように凝視する。

 搾り出すように――いや氾濫した水を押しとどめていた自然のダムが限界を迎え、泥水がじわりと下流に染み出すように声を出す。

 会長は素早く踵を返し、出入口へと早足で向かう。それと背中合わせに、二人が傾いたビルとビルの間へと入ってゆく。鉄筋の芯まで響くような靴音もやがて絶え、夕暮れの塔サンセットタワーには真の暗闇と――深い残響だけが残された。


「アタシがルール……この島のルールはアタシよ」


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