後編


「……あぁ、今日も来たか、小童」


 聞こえたのは、低く落ち着いた女の声。


 それは、磔にされた妖の声。


 苦渋の色など一切見せず、しめ縄に首を擦りながら、妖が顔を上げた。


 割れた唇は弧を描き、微かに覗いた瞳は金色だ。額から伸びていたであろう角は折れている。


 私は荷物の紐を握り締め、旋の予想通りだったと口を結んだ。


 同じ日を繰り返す呪い。どんな怪我も治してしまう加護。


 そんな大層な呪いをかけてしまえば、しっぺ返しを食らうのは分かり切った通りだ。


 人を呪わば穴二つ。神を恐れぬ天罰。理を壊す大呪。


 不老不死の男は犬歯を見せて目を見開くと、素手で祠を殴りつけた。


 けれど彼の拳は祠に弾かれる。強く反発した拳は一瞬で火傷したが、それも瞬きの間に治ってしまった。


 治癒の呪いを見た私は、磔の妖が笑う声を拾う。


「やめておけ、やめておけ、今日も無駄な事を」


 首に縄が食い込んでいる妖は苦しいだろう。でもそんな気配は微塵もなく、高見の見物とでも言いたげに男を嘲笑っていた。


「治ると言っても痛みはあるだろうに、学ばぬなぁ」


「いくら経とうとも、俺は成長できんのだ。お前のせいでな」


「成長できぬとも良いではないか。生きられるのだから、いくらでも、幾年でも。時間は無限に与えてやっただろ」


「時間が欲しいなどと誰が言った」


 男が祠の横にあった鉄の棒を持って妖を殴りつける。何度殴ろうとも妖に鉄は届かず、祠同様に弾かれるだけだった。山には電気が弾けるような音が響き、先に折れたのは男が持っていた鉄の棒だ。


 肩で息をする男の背中からは苛立ちが見える。投げ捨てられた棒切れを視線で追えば、近くの草むらに同じような武器の成れ果てが埋まっていた。


「俺は、独りの永遠など願っていないッ」


「死にたくないと願ったではないか」


「病を治して欲しいと、まだもう少しだけ時間が欲しいと思っただけだ!」


「だから永遠をあげたんだ。少しなんて勿体ない」


「限度を知らんのかお前は!!」


 ごもっとも。


 男の怒号に共感する私は荷物を下ろし、肩を怒らせる不老不死者に同情した。


「限度など、知ったことか」


 頬を上げている妖の首縄が締まる。まるで咎めるように皮膚へ食い込み、拘束する杭は深く埋まった。


 それでも笑い続ける妖を観察しつつ、私は荷物から仕事道具を出す。


 背を伸ばした男は、妖だけを見上げていた。


「俺の呪いを、今日は解きに来た」


「……ほぉ」


 ついと動いた妖の目がこちらを向く。私は体の中心を射抜かれたような心地になり、握った仕事道具――なたを握り直した。


「そんな小娘に頼むのか? 哀れだなぁ、とうとう他人を頼ったか」


「他人を頼るのは哀れなことではないですよ」


 私は鉈を軽く振りながら妖に近づく。妖は少しだけ目元に力を入れ、私は祠に鉈を向けた。


「他人を頼るのが簡単でない人がいます。彼は正しくそうでしょう。不老不死などと言う話は簡単に口に出せないし、まず信用されないでしょうし。私達への支払いだって安くはない。それでも彼はお金と勇気を使って頼ってくれたんです」


「だからお前は破壊に来たと? そんなことをすればその小童は死ぬぞ」


「確認はしました。彼は生きることを望んでいない。だから私は仕事を受けます」


 でも、それだけだと割に合わないから聞くよ。


 両手足を杭で打たれ、首を絞められ続けている妖。


 彼女の黄金の瞳で、鈍い光が揺れた。


「貴方は、どうして繰り返しの呪いをかけたんですか」


 妖の指先が微かに痙攣する。


「そんな大層な呪いをかければどうなるか知らなかった訳ではないでしょう。その杭と縄は貴方への戒めですよね」


「だから何だと?」


「千と、飛んで八年。呪いを解かなければこの先も、彼が生きるだけ、貴方は縛られ続けるのではないですか」


「そんなこと知っているとも、小娘」


「それでも解かないのは何故ですか。貴方なら解けるはずなのに。どうしてそこまでして彼が生きることに執着するんですか」


 私には分からなかった。妖が自分の自由を捧げてまで男に永遠を与えた理由が。


 呪いにはそれだけの想いがある。


 男は呪いを解いてくれと乞うたが、私は呪いを払うのが嫌いな呪詛払い師だ。


 だから聞かないといけない。呪いをかけた妖に、どんな想いがあったのか。


 妖は軽く瞬きした後、鼻で笑って首を絞められた。


「生きて欲しかったからに決まっているではないか」


 縄が徐々に食い込んで妖の喉が赤くなる。それでも喋り続ける妖を見て、不老不死の男は自分の手袋に爪を立てた。


「私と喋ることが出来る人間など貴重だった。私の祠を掃除してくれる奴など、もういないと思っていた」


 妖の首から赤い雫が伝う。


 貴方の血も、人と同じ色をしているんだな。


 妖は、渇いた唇で謳うのだ。


「そんな人間が祈ったんだ。まだ死にたくないと。ならば私は永遠をやろう」


「それは飛躍し過ぎでは」


「人間のようにケチ臭い精神はしていないのさ」


「それでお前は、磔か」


 男が強く手の甲に爪を立てる。微かに充血した目は妖を睨んでいるけど、妖はどこ吹く風だ。


「別にいいだろう」


「ここから動けず、何かに触れることが出来なくなると知っていてもか」


「動けぬことなど、ここに祠がある時点で変わらんさ。話し相手は怒鳴る小童で十分さね」


「俺は、独りの永遠などッ」


「それは聞き飽いたよ、小童」


 妖が笑う。それは意地悪ではなく、仕方が無さそうな、子どもに向けるような微笑みだ。


 あぁ……だから嫌いなんだよな、この仕事。


「お前が死んでしまっては、私こそ独りになってしまう。そんなのつまらんからなぁ」


 妖の首が微かに伸びる。縄が締まりながら上がっているのだ。


 私は鉈を持つ手に力を込め、だくだくと血を流す妖から視線を外さなかった。


「生きておくれよ、小童。私はお前を生かしたかっただけなんだから」


 妖がそこで初めて咳き込んだ。口の端からは血が流れ、男が強く私の肩を掴む。


 見えたのは、憔悴した不老不死者の顔だった。


「……解いてくれ、この呪いを」


「ですが」


「早くしてくれッ!」


 近距離の剣幕に私は一瞬体を竦めたが、男の顔が無性に泣きそうだったので直ぐに力が抜けた。妖を振り返れば、黄金の目が嘲笑っている。


 これから起こることの予想がついた私は、肩を痛いほど掴まれ続けた。


「同じ日を繰り返す呪いの、しっぺ返しかぁ……」


 男が私の両二の腕を掴んで頭を下げる。戦慄く体全体で訴える。


「頼む、頼むから、早く解いてくれ! ッ頼むからアイツを!!」


 鼓膜に皮膚の伸びる音が届く。


 震える男の手には力が籠もり、青い芝に大粒の涙が落ちた。


「殺してくれ!!」


「今日もお前の負けだよ、小童」


 妖の声にあぶくが混ざる。


 皮膚の千切れる音がする。


 生々しく響いた音と同時に山には静寂が広がり、私に縋っていた男は顔を覆って膝を折った。


 嗚咽を漏らし、千年も生きる男が泣いている。


 私は大樹に目を向け、そこに吊られた生首を認めた。


 両手足を杭で貫かれた体には首が無い。滝のように血が流れ出し、毒々しいしめ縄が妖の引き千切った首を揺らしていた。


 永遠の大罪には、永遠の罰を。


 口から血を流す妖は喋ることなく、垂れ落ちる血液が着物を汚した。


 縄はゆっくりと首を下ろし、千切れた部分の血液が細く糸のように繋がっていく。


「……これを、千年と八年も?」


「ッ、あぁ、あぁそうだ! 俺に永遠を与えたコイツは、永遠に首を千切られ続けている!!」


 顔を上げた男は、真っ赤になった目で私の腕に縋りつく。


「早く、早く解いてくれ! 俺の呪いを、俺の永遠を壊してくれ!! もう沢山だ、沢山なんだッ」


 彼の姿を見て、腑に落ちなかった部分に合点がいく。


 だから私は、男の言葉を受け止めた。


「俺が願ったせいで、少しの願望で、コイツは永遠に死に続けるんだッ」


 大粒の涙を零す男が私の鉈を奪い取る。それで殴った所で祠は壊れないのにさ。


 殴り続ける男は、ちょっとだけ、もう少し生きたいって思っただけなのだ。だけど寛大な妖は永遠なんてあげちゃって。けっきょく男は、自分のせいで死に続ける妖を見なくてはいけなくなったらしい。


 たった一人、唯一、同じ永遠を進む相手なのに。これを毎日、毎年、もう千年も。


 酷い罰だよ。痛い罪だよ。


 それでも、妖は呪いを解かないんだから。


 私は不老不死者の腕を掴んで鉈を振るのをやめさせる。仕事道具が刃こぼれしては困るから。


「払いますから、返してください」


 私は片手で男の手を開かせて鉈を抜き取る。男は疲れたように膝を着いたまま、時間をかけて治される妖の首を見上げていた。


「貴方は賢く、優しい人なんですね」


「……何が言いたい」


「毎日妖が死んでいようとも、ここに来なければ見なくて済んだはずです。永遠を楽しんでも良かったはずです。ここに、貴方まで縛られる呪いはなかったんですから」


 男が鼻で笑う。それは、妖の笑い方と似ている気がした。


「離れる訳がないだろ」


 男が両手を組んで額に当てる。


 祈るように背中を曲げる。


 妖の首は繋がり、口から空気の混ざった血が吐かれた。


「そんなこと、できるはずが、ないだろう……」


 黄金の瞳が開かれる。


 ゆっくり目を開けた妖は視線を下げ、首を垂れる男に口角を上げた。


「お前もしつこいなぁ……小童」


 笑った妖は、それでも嬉しそうだ。


 あぁ、なんて不毛。なんて我儘。


 ここにあるのは、すれ違っただけの執着心。


 理解した私は、鉈を両手で持って、生まれた時から抱えている霊力を込める。


 想いを断ち切る時はそれだけの礼節を持って。


 そうでなくとも、今日の仕事は千年物の大仕事だから。


「殺してくれるな、小娘」


 私の鉈を見た妖が明確に願う。


 しかし私は首を横に振り、妖は目元に力を入れた。


「私を殺せば小童も死ぬ。お前は人殺しになりたいか」


「自殺ほう助が依頼ですから。元より悪いことをする覚悟はしてきました」


「やめろ」


「いいえ、殺します。嫌ならご自身で呪いを解いてはいかがですか」


「呪いは解かん」


「ならば私が断ち切ります」


「やめろと言っているッ!!」


 初めて黄金が強く輝く。力の込められた腕からは勢いよく血が滴り、私は鉈を構えた。


「貴方がどれだけこの人に生きていて欲しかったとしても、その執着を彼は望んでいなかった」


「……それでも、それでもさ」


 妖が犬歯を見せて顔を歪める。笑っているような、泣いているような。私では判断しきれない表情だ。


「死んでほしくないと願って、何が悪いと言うのか」


 私の手が一瞬だけ迷う。


 しかし直ぐに男の顔が視界に入ったから、呪詛払い師として、私は鉈を振り上げた。


 断ち切ることに特化した私の力。


 嫌だと叫ぶ妖の声を無視して、手袋を外した男の姿を映しながら。


 私は祠を破壊する。


 千年の呪縛を瓦解する。


 亀裂が入って砕けた祠から光が放たれ、妖を縛っていた杭と縄が弾けた。


 同時に妖は足元から泡になる。まるで、王子を殺せなかった人魚姫のように。


 大樹から落ちる妖の目元に亀裂が入り、立ちがった男は駆けていた。


 サンダルで木の根を踏んで、どれだけ手を伸ばしても届かなかった彼女の元へ。


 落ちる妖を受け止めた男の手の甲には、墨で書かれた新たな呪いが浮かんでいた。


「ありがとう、呪詛払い師」


 ほどける妖を抱いた男が急速に老いていく。肌から水分が一気に失せ、髪も爪もボロボロに。


 それでも妖から腕を離さない男は目を伏せて、白い髪に顔を埋めていた。


「やっと……やっと、触れられた」


 しわがれた声が喜んでいる。


 崩れていく両腕が、固く妖を抱いている。


「俺は、お前に触れられない永遠なんて、いらなかったんだよ」


 それは、朽ちていく妖に届く声だったのだろうか。


 男の肉が削げていく。手の甲に書かれていた墨の紋が二人を囲う。


 見えたのは、もうちょっとだけを願った男の、新しい呪い。


 靡く墨は男と妖を繋ぎ、瞬いて、次には白い骨が木の根元に転がり落ちた。


 乾いた音が辺りに響き、男の骨の上には妖の着物が被さる。かと思えば、共に泡となって消えてしまった。


 山の中腹には私だけが残される。


 どこかに逃げていた蝉の声は復活し、私はその場にお尻をついた。


 大樹は静かに風に揺れる。


 壊れた祠が一気に苔むしていく。


 仰向けに寝転がった私は知識を引っ張り出し、男が消える間際に残した呪いを思い出した。


『「病気を後退させる術式」や「体の成長を著しく遅くする祈り」に始まり、「他者の寿命を自分と同じにする式」や「」まで、関連しそうなものは沢山あった』


 ……うん。


「死ぬまでずっと、よりも、死んでもずっと……かぁ」


 私は荷物に入れていた水を取り出して口に含む。それからまた寝転がって、大樹の陰で昼寝に入った。


 千年もの執着だ。ちょっとの霊力では払えない。たった一振りで空っぽだ。


 そうして風にそよそよと撫でられながら眠りこけ、どれほど経ったか。


 不意に額に骨ばった手が乗せられる。


 浮上した意識で目を開ければ、呆れたように笑う旋がいた。空は青から橙色に変色しかけている。


「やぁ、旋」


「律、ごめんね。一人だとやっぱり大変だった?」


「まぁ、そこそこにね」


「霊力空っぽだね」


「だから寝てたの。そっちは無事に終わった?」


「終わったよ、滞りなく」


 旋が私の隣に座る。私も体を起こして水を飲み「偉い偉い」と頭を撫でるきょうだいに苦笑した。旋はとてもご満悦の様子だ。


 祠は完全に朽ちており、大樹からも青葉が少しずつ降ってくる。ここが枯れ果てるのも近いかな。


「ねぇ」


「うん?」


「今回の依頼、完全に乗せられたって感じ」


「依頼者に?」


「そう。まぁ、だからあんな依頼文の書き方だったんだろうけどさぁ。もっと素直な内容でも受けたってのに」


「そう書けないから千年も困ってたんだよ、きっと」


「そっかぁ、そうかぁ。あーなんか、見せつけられちゃった」


 私は水の減ったペットボトルを見る。ラベルの張られていないそれは、いつも旋が準備する。何の水かなんて私は知らない。ただ旋がくれるから、飲んでいる。


 ペットボトルを揺らした私は、双子の兄に頬を上げて見せた。


「執着してこそ、愛だよね」


 旋の両目が細められ、どろりと弧を描く。


 目元を染めて蠱惑的に笑うきょうだいは、私の髪を耳にかけた。


「執着に至らない感情なんて、愛とは呼べないよ」


 旋の親指が私の目元を撫でる。


 瞼を伏せた私は無言で同意し、再び水に口をつけた。


 もし、あの不老不死者にまたどこかで会えたら言ってやろう。依頼文はもっと素直に的確にお願いしますって。回りくどい言い方で妖を殺すように仕向けなくたって良かったんですよって。


 そう、例えば――「大切な人を救ってください」の一言で、十分なんですよって。


「あー、ちくしょー!」


「それ飲んだら帰ろうね」


「はーい!」


――――――――――――――――――――


もう少しだけ、もう少しだけ。

病を治して、君との時間をもう少しだけ。


まだもっと、君とずっと。

君が死ぬところなんて見たくないから。


人間らしい男と、あやかしらしい妖の永遠の関係。

巻き込まれただけの呪詛払い師は、今日も誰かの呪いを断ち切っているんでしょうね。


どうしようもない彼女達を見つけて下さってありがとうございました。


藍ねず


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君との永遠が欲しいから 藍ねず @oreta-sin

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