Prologue

「テストの平均というのは、どれだけ高くても精々70点くらいです。そしてどんなに高くても、最高点は90点後半。100点を取れる人なんてほとんどいません。ましてや毎回100点を撮り続けられる人は、いないと言い切って構いません。

 でも、人はそれを忘れてしまう。たとえば殆ど正解の事を言っているのに、漢字を1つ読み間違えるだけで嘲笑の対象になってしまいます。殆どあっている部分が褒められることは無く、たった一つの間違いをあげつらわれ、バカにされるのです。

 人は一つ間違えただけで笑われる。たった一つ間違えただけなのに、その間違いだけで評価されるのです。そんなの正しい訳がありません。あなたは青春で一つ間違えたのかも知れません。でもそれだけです。それであなたの全てが否定されて良い訳が無い。あなたは頑張りました。それは一つの間違いなんかでは否定されない、素晴らしい事なのです。

 胸を張ってください。あなたは私達の誇り。この学校を巣立つ、輝かしい栄光の1つなのですから」


 校長先生が祝辞を述べる。

 たった一人の自分のために、熱い言葉を贈ってくれる。


 正直目頭が熱く、気を抜いたら涙がこぼれてしまいそうだった。


「卒業、おめでとう!」


 校長先生が卒業証書を読み上げ、仰々しく渡してきた。

 これまで特に話したことは無かったけど、彼は自分より先に泣いていた。


 2年の途中までは普通に通っていたけど、訳有って3年では別室登校になった。

 そのまま教室に復帰する事も無く、学友と顔を合わすことなく3年生を終える事となった。3年の後半は別室登校すらしていなかった。

 家で勉強して、模試だけ別室に受けに行くと言った感じ。どうせ受験もあるし、単位さえ取れればと、学校側は口うるさく言わなかった。


 卒業式も出る予定なんてなかった。何の価値も感じなかったから。

 でも母親に叩き起こされて、無理矢理部屋から連れ出された。喧嘩になったし、大いに揉めた。

 徹底的に抗議したけど、母親はこっちの話なんか聞かず、さっさと学校に連絡してしまった。卒業式にだけはどうしても出るつもりだと。

 勝手な事をしないでくれと電話を切ろうとしたけど、スピーカーの電話口から先生の嬉しそうな声が聞こえてきた。

 心の奥底に空いた穴に気が付いたみたいで、先生と母親のやり取りを邪魔する事は出来なかった。


 とはいえ既に卒業式が始まっている時間だったし、式に出るのは物理的に不可能だと思った。

 こっちで邪魔なんかしなくても、卒業式に出る未来なんてなかったはずだった。


 けど先生は1人のためだけに卒業式をしてくれると言い出したのだ。母親は恐縮してか、皆が出ている卒業式の端っこに、式の最後に少し座れるだけでもいいと言った。

 でも先生はそれでは可哀想だと言い、たった一人の子の卒業式を用意して喰らたのだ。


「ありがとう……ございます…」


 頭を下げ、卒業証書を受け取る。


 ここは校長室。目の前に校長先生がいて、壁の方には担任や保険の先生、強化を受け持ってくれた先生たちなど、沢山の先生が並んでくれている。

 彼らは目に涙を浮かべ、恥ずかしくなってしまうくらい拍手をしてくれた。


 ずるいよ……


「あり……がとう…ございます……ご心配かけて……ぐす………すいませんでした……」


 声が震える。涙が溢れる。

 学校にいい思い出なんてなかったけど、小さな幸せや小さな努力など、自分を作ってきたものが胸の中で膨らんでいった。

 もしかしたらあんな日々でも、後に青春として光り輝くのかも知れなかった。


「がんばった……がんばったねぇ…謝らなくて……ひっく……いいからぁ」

「ありがとう……ございます……」


 保険の先生が駆け寄ってきて、抱きしめるように背中をさすってくれた。

 学校にいけなくなって、皆と同じ空気に耐えられなくて。

 それを何度母親に説明しても、なかなか理解してもらえなかった。無理矢理投稿だけはさせられて、でも行くところもなくて困った。


 自然と保健室に通うようになった。最初は仮病だったけど、すぐに先生は事情を察してくれた。

 話を聞いてくれたり、保健室で勉強をしたり。とても親身になってくれた。

 そして担任と相談してくれて、別室登校という形にしてくれたのだ。


 結局元の形には戻れなかったけど、無事に卒業までこぎつけることができた。

 別室登校の日々は、自分としては苦しくも無い、ただ虚無な時間だと思っていた。


 でも今ならわかる。きっと辛かったんだ。

 心が痛くて痛くて痛くて痛くて。壊れそうで。でも壊れないために、痛みを感じないように、自分で秒御していたんだ。

 自分は頑張っていたんだ。熱い感情が奥底からこみあげてきて、眼球を沸騰させ、次から次へと涙をあふれさせた。


 しばらくずっと泣いていた。先生たちも泣いていた。

 入り口の方を向くと、母親も声を殺して泣いていてくれた。


 なんだかポカポカしてポヤポヤして、訳の分からない位泣いていた。

 よく分からないまま先生に挨拶して、校長室を後にした。保険の先生はずっと手を振ってくれていて、こっちも見えなくなるまで何度も頭を下げて返した。


 既に日は暮れかけていて、校舎には生徒の達の気配は無かった。

 誰もいない廊下を不思議な感覚に包まれながら、無言の母親の背を追って進む。


 母親には感謝しかない。

 卒業式なんて形だけのもので、何の意味も無いと思っていた。でも皆に祝福されて、見送られて、新しい日の旅立ちを感じられた。

 いや、皆に祝福されたからこそ、新しい日として旅立てるのかも知れない。


 下駄箱で靴を履き替えて、グランドを抜け、校門までたどり着く。

 背の低い門を過ぎた時、二度と此処に来ることは無いのだと心に隙間ができた。


 振り返ると、見慣れた校舎が闇に浮かび上がる。

 見慣れた校舎の見慣れない姿。学生生活をそこに置いてきたみたいだった。


 たたずまいを直し、頭を下げる。

 自分は礼儀正しい人間ではないけれど、そんな気紛れもいいものだろう。


 校舎に感謝を感じている間に、母親はすでにコインパーキングに着いていた。

 精算機でお金を払い終え、車の前で待ってくれていた。


 小走りで母親の下に向かい、遅れてしまった事を謝った。

 母は自身の涙をぬぐい、じっと目を見詰めていた。


 なんだか気恥ずかしい。悪くない気分だ。愛されてるんだな、とあらためて思った。


 今日の朝は卒業式に出ないと、さんざん喧嘩をした。でも終わって見れば母親が正しかった。

 皆が祝福してくれて、幸せな気持ちに満たされた。これで新しい日々が始まる。そんな風に思えた。


 謝るべきだろうか? それとも感謝を述べるのが先か?

 迷ったまま、少し表情を崩した。


 パンっ


 え…………?


「お母さんにこんなに恥をかかせて、なんてみっともない! こんな惨めな思いをしたのは初めてだよ! 情けない不登校が終わるかと思ったら、こんな……どうして私にこんなに恥をかかすの? どうして普通にできないの。先生たちにまで迷惑を掛けて! 先生たちも恥ずかしい奴がいなくなって、ほっとしてるでしょうよ! あんたが嫌いだから、皆と同じ卒業式に出さなかったんでしょうし!」


 左頬をぶたれ、皮膚を剥がされたような熱さが広がる。じんわりと痛みが侵入してきて、鼓膜が破れたみたいに声が聞こえなくなった。


 遠くの方で早く車に乗りなさいと言う雑音が脳に届き、のろのろと従う。


 驚きや絶望ではなかった。

 世界ってそうだよな、というあきらめにも満たない粘度が心を炙る。


 学校に通えない子供を無理矢理、皆のいる卒業式に出そうとする。

 そんなの自分勝手な世間体以外ないなんて、考えなくても分かっていた事だろうに。


 バタン


「っ!?」


 窓枠に肘を掛けて痛む頬を抑えていると、扉が開き、誰かが車に入ってきた。


 こんな時間、誰も来るはずがない…………でも、心当たりはある。


 母親は相変わらず、こちらに対して罵詈雑言を続けるだけ。入ってきた人物について、言及する様子は無い。

 顔見知りなんだから、おかしなことではない。


「セイちゃん……」


 男の子としては長く、女の子としては長めのショートの髪。全体的に茶髪で、光を受けて毛先が金髪のようなグラデーションになっている。

 世界で一番かわいい顔をした幼馴染。

 でもセイちゃんと口にしたなら、男女の幼馴染の女の子の方なのかもしれない。


 だったらわたしは………


「うるさいな。俺に話しかけるなよ」


 頭の中で音楽が鳴り響く。

 オーケストラみたいに大音量で、音で脳みそがはじけ飛んだみたい。

 耳の穴から、だらだらと血が流れ続けていた。


「ねえ、考えたことない?」


 まずは子どもの頃の話でもしてみよう。家に着くまで時間は沢山あるのだから。


 まだ時間は6時……66分? そんな訳がない。

 だめだな、見えなくなってきてるのかも知れない。

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新世界VTuberと主人公殺人事件~登録者数80億人でこの世界は…… 月猫ひろ @thukineko

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