廃ビル Inside of outside of outside of

「たまに思うんだけど、私なにをしてるんだろうって。これって不毛だよね」

 電気も通っていない雑居ビルの階段に座り、エリカが独り言を呟いた。

 聞こえるようにわざと言っているのか、思いついたことを口にしただけなのか判断が付かない。

 とはいえ合理的に考えれば、反応した方がいいだろう。

 もし俺に話しかけた訳じゃなかった場合、声を掛けたら鬱陶しそうな顔をされるに違いない。

 一方で俺に話しかけたのに、返答をしなかった場合。彼女の機嫌はべらぼうに悪くなってしまうだろう。

 どっちも最悪だが、後者の方が地獄だ。

「……なに?」

 失敗した。話し掛けたら、舌打ちして睨みつけられた。

 俺に聞こえるように言葉にしたという読みは間違っていなかったらしい。が、話しかけるのがよくなかった。おとなしく自分の話を聞けと言うターンだったらしい。

「よく短い動画を見るんだけどさ、だいたい登場人物がムカつくヤツにイジメられて、それに反撃して終わりってヤツなのよね。見終わったらスカッとするんだけど、これって動画を見て発生した怒りを、動画内で発散してるだけよね」

 お手軽だな。

「ほんとそれ。自分が安っぽくて嫌になる」

 彼女は愚痴りながら、なおもスマホを眺め続けている。

 たしかにエリカの言う通り、1分動画はインスタントなストレス発散方法だ。昔感動ポルノという言葉が流行ったが、あれは作った作品を奥の人に見て貰い、感動させる手間があるだけまだ誠実といえよう。

 1分動画は、数ある動画の中からムカつくヤツを勝手に探してくださいと言うスタンスだ。

 主婦なら古臭いウトメを、社会人ならパワハラ上司を、学生ならブラック先生を。男性なら人間を。女性なら人間を。攻撃性のビュッフェとでも言えようか。

「ねえ……なんで何も言わないの?」

 なんでとは?

「せっかく私がいるのに、嬉しくないの?」

 俺はエリカに呼ばれただけだ。話があるのはそっちじゃないのか。

「……」

 また舌打ちされた。そんなに言うなら、スマホを閉じればいいのに。

「あ、ごめん……寂しかった?」

 エリカは今やっと気づいたとばかりに、スマホをスカートのポケットにしまった。

 そしてニヤニヤ顔でこっちを見てくる。

「ね、寂しかったの? 構って欲しかったの? にひひ~。私への気持ち重くない? 私のこと好き過ぎ?」

 鬱陶しい。メンヘラはそっちじゃないか。

「女の子は皆メンヘラだよ~。そんな事も分からないなんて、ぷぷぷ。童貞かな?」

 はいはい。かわいい君を前にして、うまく話し掛けれませんでした。

「よくできました~♪ 初めから格好つけなければ、かわいげがあるのに」

 エリカは俺の白旗宣言にご満悦。にこにこ笑顔で、近寄ってきた。

 何でもいい、愛の話をしないか。

「愛の話?」

 エリカはん~、と考え込む。そして何を思い出したのか、あ、という顔になる。

「『こどもの男女の確率』問題知ってる?」

 愛の話がなんでそうなるんだ?

「いいじゃん。というか、下ネタがしたかったの? あ~、えっちなんだ~」

 ……ったく。

『ある家族にこどもが2人いて、その内少なくとも1人が男だとします。その家族のもう1人のこどもが女の確率は? 男と女が生まれる割合は1対1とします』ってやつだな。

「そうそれ! 普通に考えらたら1/2じゃん! 1人が男だろうと、もう1人は男か女かの2択! それがさ、先生は2/3とかいうの。卒名されても、『それ間違ってませんか?』って指摘しても、バカにするだけなんだよ!」

 条件付確率ってやつだな。それが正解なんだから、文句を言っても仕方ないだろ。つーか、そもそも数字苦手だろ。

「うっざ! これマジで私が勉強嫌いになった理由だから。マジで学校の先生とかバカばっかり! てゆーか、1から5までなら完璧なんですけど、舐めすぎ」

 あのな、正しいものが正解なの。

「問題文が間違ってるんだって! 『男と女が生まれる割合が1対1として。ある家族がこどもを2人産もうとしていて、その内少なくとも1人が男である。その家族のもう1人のこどもが女の確率は?』っていうのが、この問題を正しい日本語にしたものなのよ」

 正しいのか、その日本語。

「正しくなよ? でも問題文を正確な表現にすればこうなるの! 問題を誤りのない状態にすれば、私の言ってるのが正しい。でも描写的に適当じゃないから、日本語をおかしくして、それっぽい形に仕上げてるのよ。これ、行動が神様なの! 神様にでもなったつもり勝かっての」

 神様に成れないから、こうやって無理矢理人間視点になっているんだろ。

「ん~~~! そうじゃないじゃん! 完全に人を馬鹿にしてるわ! 間違った正解を正しいって教え込んだら、この世界に間違った人間ばっかりになるに決まってるじゃない!」

 かつて天動説が正しいって神話を信じていた偉い学者さん達にとっても、間違っている事こそが正解だったんだから。間違っている事を教えるのが教育なんだ。

 だいたい学校の先生なんて、東大生が目指す職業じゃない。本当に頭のいい人が成る職業じゃないんだ。先生は自分が賢くない事が子どもばれてないと思ってて、それを隠すことに労力の大半を割いているんだから。

「そこまで言ってないじゃん。先生も大変なんだよ」

 あ……うん。

「でも、わっけわかんない! 見た目ばかり整えて、間違っていることを誤魔化し続けるのはおかしいよ! どんなに不都合な真実でも、真実が正解である事だけが人を前に進めるはず!」

 生きよ、そなたは美しいってやつだな。見た目が10割だ。

 正しい事じゃなくて、美しい方が大事。真実なんて求めたい奴だけの自己満足だ。綺麗な夢、安全に見える世界。留まる方が幸せだ。

「うっさ、死の」

 そう言うとエリカは拳銃を取り出し、自分のこめかみにあてた。そして躊躇いもなく弾丸を呑み込んで毒殺してしまう。

 6時66分。もうそんな時間か。

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