第4話 リアルの先輩は人を殴ったりしない

 週が明けて、また出勤日。僕はひとつため息をつき、スーツに着替えて家を出た。


 家の外は典型的なマンション街になっていて、背の高い建物がいくつも並んでいる。道にかかる日陰はほとんどなく、歩いているだけでくらくらするほどの暑さだ。


「あ、ヤバ……」


 汗をぬぐうのに気を取られていて、足下のコンクリートが陥没しているのに気付かなかった。僕は前方に大きくつんのめり、そのまま硬い地面に膝を──


「おっと、危ない危ない」


 打ち付ける前に、誰かが僕を引き戻した。肩が抜けそうな勢いで引かれてうめき声が漏れるが、なんとかまっすぐの姿勢に返り咲く。僕は窮地を救ってくれた人物の方を向いた。


「いくら暑くても、前見て歩かなきゃダメだよ」

「すみません、助かりました。……暑さでやられてまして」

「ホント、毎年ひどくなるよねえ」


 からからと元気に笑うこの救世主こそが、天ヶ瀬糸あまがせ いと、僕の尊敬する先輩だ。


 美人でスポーツ万能、スタイル抜群。しかも地頭がいい、というのか、学歴はたいしてないが抜群に気が利いて、上司の誰からもかわいがられる。


 それを鼻にかけることもなく、同僚や部下が困っているとすっと手をさしのべてくれるという優しさも兼ね備えていた。……ちょうど、今のように。


神宮寺じんぐうじくん、ほんとに出社して大丈夫? まだ辛かったら休んでもいいんだよ」

「いえ、大丈夫です。この前はフォロー、ありがとうございました」


 糸先輩に比べて、自分の情けなさが身に染みる。僕は体力がなくてやせっぽちで、背だってそう高くない。しょっちゅう風邪もひくしお腹も壊す。


 もともと話すのが下手くそだし、他部署や他社の人の名前と顔が一致しない。営業部の奴がこんな感じでいいはずもなく、完全に職場では蚊帳の外だ。


 唯一、人よりできていた料理も、このところ残業が多くてまともに作っていない。──なんのために生きている、と言われたら。今の僕はきっと、答えられない。


「そう? じゃ、お先に。麦茶作っておいてあげるから、遅刻しない程度に来なさいよ」


 先輩は最後に僕の肩を叩いて、足早に朝の太陽光の中を駆けていった。僕は結局聞きたかったことを口に出せず、ほぞを噛む。


「あの動画、本当に先輩だったのかな……?」


 もし本当に先輩だったとしたら、何故あんなことをしていたのか聞いてみたかったのに。つくづく、自分のどんくささが嫌になった。


「おはようございます……」


 僕は暑さと電車の人混みでへろへろになって出社した。部長は僕にじろっと冷たい視線を投げかける。


「神宮寺、なんだそのツラは。そんなんじゃ、今月も営業成績ゼロだぞ。とりあえず、洗面所で顔でも洗ってこい」


「ふぁい……」


 僕は言い返す気力もなく、トイレの横の洗面所で顔や腕をびしゃびしゃ洗った。少しすっきりしたが、気が重いのは相変わらずだ。部長の言うことが正しいのは分かっているから、余計に胸のところに鉛が詰まったような感覚になる。





※今回のお話は楽しんでいただけましたでしょうか?

「先輩、リアルでは常識人?」

「思ってた以上に主人公がダメな子」

「夏の暑さで何かが透けたりしないんですか!?」

など、思うところが少しでもあれば★やフォローで応援いただけると幸いです。

作者はとてもそれを楽しみにしています!

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