まだ子どもだよ?

 少年は睡蓮から引き離そうとした昂の手を避けて、ぴょーんぴょーんと跳ねるように地面を蹴りながら去っていった。

 何が何だか分からずに、睡蓮と昂の二人は声も出せずに唖然とした。一方は口を半開きに、もう一方は眉根を寄せて。

 そんな二人を他所に、後ろに居た狛が太秦を呼ぶと、たちまち睡蓮たちの足元に風が巻き起こった。吹き出すように舞い上がった烏の羽根と共に魔法陣が現れる。

 太秦が八尋殿から発動させたのだろう。使わしめが操る奇妙な術に翻弄されつつも、そうして睡蓮たちは一度天上した後、山に囲まれ、その中央に大きな湖が広がる盆地の志那都国へと再び降り立つのだった。



「……おねーさん、もしかして陽の巫女さま?」


 淡黄色たんこうしょくの花を付けた高木こうぼくを見上げていた少年が静かに言った。

 大御神の神託を受けて訪れた志那都国だが、太秦をはじめ、使わしめたちの意見が一致したのはこの場所——洲羽すわ大社である。

 その洲羽大社の参道を歩いていると、ポツンと一人、この白い着物姿の少年が居たのだ。年齢としは山で出会った少年と同じくらいだろう。

 睡蓮が返事をすると、大人しそうな少年は顎のラインで切り揃えられた深緑色の髪をそっと揺らして微笑んだ。


「なぁ、君も使わしめなのか?」


 目線を合わせるように膝を屈めて昂が優しく訊ねたが、少年はいぶかしげそうな顔で頷いた。それから少年は三人の元へと近付くと、


「……ひぃふぅみぃよぉ


 そう睡蓮の身体に視線を滑らせていく。少年は最後にいつと数えると、ぼうっとした眼差しで唇を見つめた。


「あ、あの?」

「……それでこっちが雪兎ゆきと。……なら、こっちはぼく、ね?」


 少年は視線を頬の右から左へ移すと、目線を上げて睡蓮の瞳を見ながら微笑んだ。

 まだ生意気でないから良いものの、山で出会った少年にされた状況と同じような場面。触れたくてもめったに触れたことがない睡蓮の頬を撫でる少年へ、昂は堪らずため息を吐いた。

 しかしだ。少年が左頬から視線を落とすと、昂は慌てるのだった。

 髪と同色の暗い碧の瞳。その瞳が映し出す睡蓮の唇へ向けて、顔を寄せていくからだ。


「まずは自己紹介でもしたらどうだ?」

「……狛、痛い引っ張らないで」


 狛に後ろから襟元を引っ掴まれた少年は目を眇める。

 そして焼きもちかと訊ねるが、狛は先に行ってると言い残し参道を進んだ。


「……誤魔化すなんて大人げない。……口、取ったくせに」

「取った、ですか?」

「……そぉ、マーキング。……でも、早い者勝ちだからしょうがないよね。……一夜明けちゃったから、もう残ってないと思ってたけど」

「マーキング……? あっ、なぁ君がもしかしてげんきくんか?」

「……まぁ。……そうだ、自己紹介をしなきゃね。……ぼくは玄亀げんき、亀の使わしめだよ。……ねぇおねーさん、この人はだぁれ? 悪い人?」

「え? い、いいえ私の幼馴染みの昂くんですよっ、玄亀さん! 私は美月睡蓮です。これからどうぞよろしくお願いいたします」


 そう言って睡蓮はお辞儀をした。すると玄亀は瞳を揺らす。


「ふふ……良かったぁ、おねーさんが優しそうで。……気の強い人だったらどうしようって思ってたんだ。はぁ……おねーさん、すごく可愛い」


 むぎゅ。


「……ぼくのおねーさん」と、玄亀は甘えるように睡蓮へ抱き付いた。身長差があり、睡蓮の胸に顔をうずめる形になると、その様子をはたから見ていた昂は赤面した。


「はわわわ~」


「可愛いですっ」と、睡蓮の方も頬を染めた。少年に懐かれて嬉しかったのだろう。コロンや狐を相手にした時のように、睡蓮は玄亀を抱き返すのだった。


「ちょちょちょ、二人とも!?」

「……どうしたのおにーさん? ぼく、まだ子どもだよ? はぁいい匂い……。あ、そうだ」


 玄亀は沈める度に形を変える胸から顔を上げると、睡蓮に甘えた声で言った。


「……ぼくの部屋に来る?」

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つかわしめ戦記ゆめ語り りほこ @himukai

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