第25話
万里は噂を知っていて、やはりショックを受けていた。事実は知りたいが、私達と今顔を突き合わせるのはつらいと話したらしい。最終的に、電話での報告に落ち着いた。揺らぐ関係に不安を感じないわけではないが、万里を追い詰めたいわけではない。万里が閉じたドアを、私達がこじ開けるわけにはいかないのだ。私が望むのは、そんなことじゃない。
「じゃあ万里さんには必要になったら電話で意見を聞く、ということで」
「そうだな。ある程度まとまってから伝えた方がいい」
ダイニングテーブルの斜向かいに腰を下ろし、位坂は傍らのデイパックからレポート用紙を取り出す。差し出したコーヒーを受け取り、礼を言って少し飲んだ。
「じゃあ、まずは前回と今回の事件の経緯から話すね」
私もコーヒーを一口飲み、自分のノートに『前回』と書き込む。トーマスから得た情報を自分の中で再び咀嚼するように、位坂へと話した。
「先輩のなりすましは、翡川も知っていたのか?」
位坂は聞き届けたあと、違和感を埋めるように尋ねる。
「うん。何度か希絵にSNSを見せてもらったけど、すごく自然だったよ。たまに給食の話もしてたけど、違和感なかった。蓮士は卒業生だし市内の中学校は同じ給食センターだから、メニューは大体知ってたんだろうね。『からあげ好き』『七夕ゼリーかわいい』って書かれても、疑う要素がなかった」
「アイドルの情報はネットで収集して、あとは経験を利用したわけか。女子のふりも、先輩には妹が二人いたからな。姉妹のいない男には難しいだろうけど、先輩には楽だったのかもしれない」
位坂は納得してレポート用紙に書き込み、私を見た。
「温室のブルーシートは、どれくらい前から掛かってたんだろう。掛けられてた理由は知ってるか?」
「いつからだったのかな。知らないうちに掛かってたし、私達には『近づかないように』とも言われなかったからなあ。まあ、不審者が割ったんじゃないと思うよ。不審者だったら、朝の会なんかで先生が言ってたはずだから」
芳岡に聞けば、その辺りは分かるかもしれない。でもそんなことを聞いたら、調べているのがバレてしまう。今回は、共田の時のように事件性がないものではない。間違いなく芳岡は止めるだろう。
「十二月半ばなら、五時過ぎなんて既に暗かったはずだ。彼女は、温室を選んだ蓮士を不審に思わなかったんだろうか」
「多分、他校の子って設定だから『先生に見つかりたくない』って言ってたんだと思う。あと、温室はガラス張りだからね。天井から街灯の光が差し込んでそこまで暗くはなかったはず」
あの頃はまだ街灯の数も少なかったが、道路が近かったからそれなりに光は差し込んでいたはずだ。
「ひとまずの俺の疑問は、これくらいか。翡川はどこに違和感があった?」
「一つ目は、指紋だね。防犯カメラをできる限り避けたり、証拠が残らないように雨の日や時刻を選んだりしてるのに、なんで指紋だけはべったり残したんだろうって」
「確かにそれはあるな。ただ四年前の指紋は『握手を断られて激昂して握った凶器に指紋がついた』のなら、先輩の性格と照らし合わせれば俺は納得できる。温室の外の足跡は雨で流れても中は残るってことが抜けていたのもな」
位坂はメモの手を止めて、視線を上げる。
「今回の事件で手袋をはめていなかったのは、周囲の目を引かないようにだろうか。目に入れば、不審に思われる季節だ。もしかしたら、傘を残して行くつもりはなかったのかもしれないな」
「前回の一件があるから、その可能性は捨てきれないんだよね。さっき話した女性が共犯だとしたら、うっかり忘れていった蓮士に頼まれて現場を見に来てたのかもしれない。本人も、心配で見に来たとか」
私の推測に頷きながら、またメモに書き込んでいく。角の目立つ字で『共犯か?』と書き、丸で囲んだ。
「もし意図的に指紋を残したとしたら、目的はなんだ?」
「警察を挑発するためじゃないかと思ってる。ただなんか、なーんか違和感があって」
何か、何かがどこかで引っ掛かっている。この違和感を見過ごしてはいけない気がするが、何かが分からない。
「それで、違和感の二つ目は時期ね。特に理由はないと言われたらそれまでだけど、なんで今なんだろうって思わない? なんで四年経った今起きたんだろうって。前回と共通するのは夕方と雨だけ。あとは季節も違うし」
「今回の事件は、九月二十九日だな。前回は四年前の十二月十四日か」
位坂は携帯を取り出し、カレンダーを確認する。
「曜日が一緒だな。水曜日だ」
『水曜日』と私もノートに書き込んで、悩む。希絵はレッスンを休んで会ったはずだ。
「先輩側で考えると、今拐う理由は思いつかない。学校に通っているわけではないしな。拐われた子の方に理由があったんじゃないか? ここから引っ越すとか」
「その可能性はあるね。お母さんに聞いてみれば、分かるけど」
家が変わっていなければ、今もあの団地に住んでいるはずだ。ただ、会ってくれるかは分からない。
――もう、先へ進む志緒ちゃんの姿を見るのが、つらいのよ。
また、あんな台詞を言わせてしまうのではないだろうか。鈍く痛む胸に、長い息を吐く。でも、美璃を探すためなら協力してくれるかもしれない。
「会ってくれるかどうか分からないけど、行ってみようか」
無理なら、その時にまた考えればいい。私には、今できることをするしかないのだ。
腰を上げた私に、位坂も続いた。
万里には、バスを待つ間にこれまでのまとめを電話で伝えた。少し緊張した様子で応えた万里は、予想どおり全て聞き終える頃には沈黙した。
「すみません、きつかったですよね」
携帯を握り直し、胸を占める重苦しさに息を吐く。受ける痛みには、あちら側もこちら側もない。見上げると、位坂が気遣うような視線を落とした。
傘を差しながらの通話は大変だろうと、今は位坂の傘の中に入っている。位坂の黒い傘は身長に合わせた大きなサイズで、私が入っても問題なかった。
「……うん。覚悟はしてたけど、しんどいね。でも何も分からなくて悶々としてるより良かったよ。絶対に先輩を捕まえて、その子を見つけないと」
少し苦しそうに聞こえた決意に、頷く。信頼を裏切られた位坂の痛みもつらいだろうが、初恋の相手が犯罪者になってしまった万里の痛みは耐え難いもののはずだ。トーマスがそんなことになったら、私は立ち直れない。過激な言動を苦笑ですませていられるのは、言うだけだと信じているからだ。私は、トーマスを信じる。
「それで、今の時点で思ったこととか疑問点とかあれば教えてください」
携帯を少し離して、スピーカーに切り替えた。
「うん、あるにはあるよ。志緒の説明が良かったせいかもしれないけど、先輩がすごく頭脳犯ていうか、知的な感じに聞こえたんだよね。でもあの先輩が防犯カメラの位置割り出して見つからないルート作ったり、三ヶ月もボロ出さずに小学生女子とSNSでやりとりしたりできるかなって、ちょっと違和感があった。そんなマメさや慎重さがあったのかと思って」
そういえば、私は蓮士の人となりを知らない。激昂しやすいとか荒れていたとか、知っているのは一握りだけだ。好きで観察していた万里が違和感を抱くなら、それは聞き流していいことではない。
「凶器に指紋を残したり温室に足跡を残したりしたのは、どうですか?」
「そっちは分かるね。カッとしやすいとこはあったし、足跡が温室の中には残るのを忘れてたんなら、らしいなとは思う」
万里の意見に、隣で位坂が頷く。つまり、それが本来の蓮士らしさなのだろう。剣道道場から離れた前後、蓮士の身に何が起きたのか。
「今回の事件は指紋つきの傘が残ってたんですけど、どんな理由なら納得できますか?」
「そうだなあ、その子を担いだあとに持って行くつもりが焦っていて置き忘れた、くらいかな。でも四年間もバレなかったくせに杜撰すぎない? とも思う。まあ、共犯者がいればできたかなって感じ」
当時の捜査で共犯者説が出なかったのは、犯行が杜撰だったからだろう。でも四年潜伏したあとの今回はどうか。共犯者説に変えていてもおかしくはない。
バスが来た、と小声で告げる位坂に、視線を上げる。赤信号で待機する循環バスは、いつも以上に空いていそうだった。
「バスが来たので、ひとまず終わりますね。ありがとうございました。また分かったことがあったら、連絡します」
「うん……よろしくね」
万里の少し寂しげな返事を聞き遂げて通話を終え、青に変わる信号を眺める。
「共犯者が、鍵だね」
そうだな、と返して、位坂はバスに向かい手を挙げる。行き先は証川、私達の育った地区だ。ウインカーを瞬かせながら滑り込んだバスに、位坂は傘を畳んだ。
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