花は誘(いざな)う 中


 

「誰かに、つきまとわれでもしてるんですかね?」


 天が羽奈を彼女のアパート近くまで送ってから戻ると、奏斗かなとと蓮花は、羽奈の依頼内容について話していたようだ。

 店に入るや、二人の話し声がする。


「まだ、何とも言えない。でも『常に誰かに見られてる気がする』とか、『悪いものが近くにいる気がする』っていうのは、大抵当たってるのよね」

「っすよね……天さんに憑いてたが気になりますね」

「うおーい、迂闊うかつに話してんじゃねえよ」

「あ、お帰りなさい。ちゃんと気を付けてますよ」


 奏斗が振り返る横で、蓮花が渋い顔をしている。

 

「ねえ天。羽奈の様子、気づいた?」

「ああ。かなり消耗してたなあ」

「本人には自覚がない。早くしないと、命に関わる」

「だなあ」

 

 まだ学生で、実家を出て一人暮らしだと言う羽奈は、経費の負担も難しいというので、固定額の成功報酬方式を採用した。そうすることによって、「頑張って貯金します」と注文書にサインするところまではこぎつけられた。偶然同じ大学だという店員の奏斗を、学生証を見せながら紹介したことも、大きかった。

 

「学部違いますけど、同じ大学ってのはラッキーでしたね。なるべく様子見ときます」

「奏斗。無理すんなよ」

「最悪は、私も学生のふりして潜入しようか」


 天と奏斗が、蓮花をぎゅいん! と振り返る。


「蓮花が女子大生! エロいな! 俺も行きてぇ」

「あー。絶対合コンしろしろ攻撃喰らう気がするんで。遠慮しときます」

「おまえら……斬られたいか?」



 ――大男ふたり、すぐに両手を挙げた。命は、大事だ。


 

 

 ◇ ◇ ◇




 某大学の英米言語学部。羽奈はそこの三年生だ。理系じゃないから文系。とはいえ特に学びたい分野もないから、英語。

 そんな安直な選択肢で、田舎の両親に学費を出させている後ろめたさを感じつつも――これで少しでも良い企業に就職できれば、という思いだけで通っている。

 他の学部と違って、研究などの専門性がないせいか、女子学生たちは勉強より恋愛やおしゃれやサークル活動に熱心だ。それらに興味のない羽奈は、当然浮いている。


 友人も、はじめのころはガイダンスや一般教養の講義で一緒になった子たちと普通に会話をしていたのだが、いつのころからかになった。

 今日もひとり、人気のない学内の無人カフェで講義と講義の間の空き時間を潰していると、


「羽奈。またここにいた」


 同じゼミ生のはやてに話しかけられた。

 

 学生の傍ら、雑誌の読者モデルもしている彼は、その整った外見や紳士的な態度で、女子学生たちからの絶大な人気を誇っている。

 正直ゼミが一緒なだけで、なぜわざわざ話しかけてくるのか羽奈には分からない。それに、颯と話すことによって、周辺から信じられないぐらいの罵詈雑言ばりぞうごんをもらうことになってしまっている。

 

 

 ――なんであんな子に話しかけるわけ?

 ――ハヤテ、趣味わる~っ

 ――ブスじゃん~!

 ――え、まさかのブス専!?

 ――ぼっちサルベージ・ボランティア! だよな!

 


 無遠慮に浴びせられるそのような悪意の数々は、羽奈の心を削るのに十分である。


 だから、背中にねっとりとのしかかるようなモノは、疲れているせいか。常に感じる強い視線は、自意識過剰か。――と悩んでいたところに、便利屋の天が声を掛けてくれ……真剣に話を聞き『原因究明を依頼として受ける。しかも成功報酬でどうだ!』と言ってくれたことで、まさに救われる思いだった。

 

 もちろん颯には、もう近寄らないで欲しいと直接言ったこともある。そうしたら

「僕は、羽奈と話したいだけなんだけど……迷惑?」

 と悲しい顔をされてしまった。

 

 まるでこちらが悪者であるかのようだ。

 

 あと一年。卒業までのカウントダウンだけが、羽奈の心を支えている。


「羽奈さん」

「! 奏斗君」

「ういっす~」


 顔を上げると、奏斗がプラカップに入ったアイスコーヒーを片手に、羽奈に近づいてきた。


「今空き時間なんすよ。そこ、座っていいすか?」


 目線で羽奈の向かいの席を指し、羽奈もどうぞと頷く。


「え……」

 

 戸惑うのは颯だ。無理もないだろう。耳にはボディピアスを始めとしたたくさんの金属が並んでいて、タッパも筋肉もものすごい金髪の強面男子が、真面目を絵に描いたような羽奈に気安く話しかけるのだから。


 呆気に取られる颯を尻目に、どさっとわざと乱暴に空いている椅子の上に鞄を置いてから、羽奈の向かいの椅子にどっかりと腰かける奏斗は、膝を広げて手に持ったアイスコーヒーのストローをくわえる。さらにくわえたまま、

「てかなにあんた? なんか用?」

 続けてじろり、と値踏みするような視線を投げかける。もちろん、この柄の悪さは全て計算してのこと。

 

「え、と。じゃ、あとで」


 はた、と我に返った颯が、ようやくそそくさと立ち去る背中を、奏斗はずっと見つめている。


「はあ。ありがと、奏斗君」

「いえいえ。大変すねえ」

「え、わかる?」

「わかりますよ。空気読まねえ善人ヅラ。一番タチわりぃ」


 ぶっ! と思わず羽奈は吹いた。


「やばい。ひとことで全部言った。すご」

「お、笑いましたね? 賭けは俺の勝ちだ~やったね」

「え?」

「天さんとね、羽奈さん笑わせられた方が、ねこしょランチ奢るって賭けたんす。笑ったって証言してくださいよ?」

「なにそれ。私にも奢ってくれるかな?」

「たかりましょう。『まあじかよぉ~』て言いながら奢ってくれますよ」

「ふふ。あはははは! 真似うますぎ。天さんの顔、想像ついちゃった!」

 

 お腹を押さえて爆笑する羽奈に、奏斗も

「ひひ。羽奈さんは、もっと笑った方がいっすよ」

 と無邪気な顔で笑う。



 ――羽奈は、ようやく気づいた。いつぶりか分からないほど、笑っていなかったことに。




 ◇ ◇ ◇


 


「ごめんね……」

「羽奈さん悪くないし、仕事っすから」


 無人カフェの、いつもの場所に座る羽奈と奏斗。

 自販機が並んでいるだけの、閑散としている穴場スポットのはずが――大体がもっとメニューも豊富で広いカフェテリアにいる――今はなぜか混んでいる。というのも、

「じっみ」

「ブスじゃん」

「え、なんで颯、わざわざ?」

「どこが良いの?」

 と、颯の取り巻きと思われる女子学生たちが、なぜか羽奈を見に集まってきているからだ。


「そんなことを言うのは、失礼だよ」


 当然のようにその中心にいるのは、はやてだ。


「相変わらずうぜぇなあ、善人もどきが。言ってやめねえなら意味ねんだよ」

 そんな颯を一蹴する奏斗のひやりとした声が、カフェに響く。

 ずずー、とわざと音を立ててアイスコーヒーをすすりながら、奏斗は続けて

「てか、あんたらすげえ悪口言うけど、ナニサマ?」

 女子学生たちを見ながら、大声で言う。


 

 ――空気が、凍った。


 

「うぜんだけど」


 止めようと立ち上がりかけた羽奈を、奏斗は目で制した。

 

「つまりはそれってさあ、俺もあんたらのこと、好きなだけけなしていいってことになるよ」

 

 奏斗はゆっくりとテーブルの上に肘を付いて、手のひらに顎を乗せながら女子グループを睨む。

 ひっ、と何人かから悲鳴が漏れた。奏斗のようなに絡まれたらどうなるか――と想像したのだろう。女子学生たちはみるみる動揺し始めた。


「え」

「やば」

「やめてよ!」

「巻き添え食うの、やだからね」

「あたし、知らないから!」


 ガタタ。

 椅子を鳴らして立ち上がると、奏斗は彼女たちのテーブルの脇から見下ろすように立つ。

 

「とりあえずさあ。そういうの今度からやめろよ、ダセエから」

 返事もせず、お互いの顔を窺いながら黙っている女子学生たちに対して

「なあって――返事ぐらいしろよな」

 さらに詰め寄り

「自分が発した言葉は、自分に還ってくるんだぞ」

 と静かに諭す。


 だが、残念ながら奏斗の言葉は届かなかったようだ。

 ヤンキーのくせに! 説教たれんな! うざっ! と、捨て台詞と共にガタガタと皆逃げるように去っていき、奏斗と羽奈の他は――


「あーあ。なんであんな醜いことが平気でできるんだろう。俺には全然理解できねーわ」


 颯だけが、ぽつんと残っていた。


「あんた」

「っ」

「なんで羽奈さんに構うの? 近づくとこうなるって分かってて。わざと?」


 顔面蒼白になった颯の肩が、ぶるぶる震え出した。


「ちがっ、ちがうっ!!」

 叫んだかと思うと、

「僕は、ほんとに! 羽奈が、心配なんだ!」

 悲痛な声でにじり寄ってくる。


 羽奈は、それから逃げようと慌てて立ち上がる。奏斗はそんな彼女を庇うように、颯の前に立ちふさがった。

 怯えた羽奈は、その背中に隠れるようにして、ぎゅっと奏斗のTシャツの袖を掴む。

 

「羽奈の側にいると、みんなおかしく……狂っていくんだっ! 今も、見ただろう!? 普段はあんな子たちじゃないんだ! 本当だよ!」

 

 颯は歯を食いしばり、キッと奏斗を睨む。


 羽奈は奏斗の袖を掴んでいた手をぶらりと落とし、呟く。

 

「今の……どういう? あ? 私……」


 慌てて振り向いた奏斗は、ふわ、と羽奈の姿が、二重になったのに気付いた。

 

「羽奈さん! しまった、揺さぶりすぎたかっ」

「は、な……? 羽奈!」


 奏斗を強引に押しのけてその両肩を掴み、揺らしながら焦って名前を呼ぶ颯に対して、不思議そうな顔をする羽奈。

 奏斗がその様子を見て焦りつつ、スマホを耳に当てる。


「天さん、緊急事態! 今すぐ迎え来られます? はい。正門のとこで」

 

 タン、と液晶画面をタップしてから、奏斗は羽奈を見つめた。


「羽奈さん。……俺が誰か。分かりますか?」

「……え……?」


 羽奈には、

 なぜ急に、この人が私の名前を呼んだのか。

 なぜ颯が、ここにいるのか。


 

 途端にむせ返るような芳醇な香りが、身の内からあふれ出す。


 

 昔住んでいた家の近くの小山にあった、ほこら

 迷い込んだその場所で、自分が出会った、不思議な魅力のある男。

 頭を撫でる手、独特の笑い方――

 

 


 ――……思い……出し……




 ◇ ◇ ◇

 



 十五歳だった僕は傲慢にも、なんでもできる気になっていた。

 この見た目は、どうやら人に好かれるらしい。そう悟ったら余計に。

 

 ――欲望を止めるすべが、なかった。

 

 花のように笑って、出来損ないの僕を良いと言ってくれた彼女は。

 僕のことが好きに違いない、と確信していた。

 だから何をしても怒らないだろうだなんて、思いあがっていたんだ。

 


 彼女を取り囲んで、寄ってたかって嘲笑ちょうしょうするクラスメイト達に、当然気づいていたけれど。見なかったことにした。

 

 ――お前みたいなブス、颯みたいなイケメンが彼女にするわけがないでしょ!?

 ――その気になるとか、まじキモ。

 ――身の程を知れって。

 ――ブーーーース!

 

 あとから慰めるフリをして近づくために。

 君の泣き顔に、ゾクゾクしていたんだ。最低だろう?


 

 毎日毎日、黒い欲望は際限なく、彼女に叩きつけられる。

 クラスメイト全員が、先生までもが、醜悪な態度や言葉を浴びせて快楽をむさぼる。そんな異常な空間はまるで――


 花の香りに誘われた虫たちが、蜜を得ようと執拗しつようにブンブン飛び回っているかのようだった。

 僕も、そのうちの一匹。ただ僕は、羽奈を独り占めしたかった。そう、僕だけのものにしたかったんだ。

 

 

 

 ――羽奈さんは、転校することになりました。


 

 

 担任の乾いた声だけ、鮮明に覚えている。

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