第50話 メンヘラちゃんは動揺している




【ひょろメガネ 隼人はやと


 悠をなんとか説得して、私の家にしばらくいるようにと言ったが


「少し距離をとりたいかな」


 なんて言われて断られてしまった。

 正直に話したら気持ちは少しは楽になったが、悠がこのまま離れていってしまいそうで怖かった。

 私は悠が思い通りにならないことで仕事をしていても気が散ることが以前もあった。だからひざまずかせようと思ったのだが、尚更前よりも気が散るようになってしまった。

 医師がそんなことではいけないのに。人の命を預かる崇高な仕事であるにも関わらず、私は目の前の命ひとつひとつに目が行き届かない。


 ――まさか、自分が医者の病にかかるとはな……


 治療薬のない、永遠に治療薬などできない……それは古来人間の間に頻発して見られ、脳に異常を来たす厄介な“恋の病”というやつだ。


 私が疲れ切って車の運転をしているときに考えていた。帰っても悠は「おかえり」とは言ってくれない。

 家になんて別にただ眠るためだけに帰っていたようなものだったのに、それが自分の居場所をまるで見失ったかのように感じた。

 私は車を家の駐車場に停めて、いつも通り自分の家の玄関を開けた。


 ――自分の部屋まで行く距離すら億劫だな……――――


「あら、隼人おかえりなさい」


 その声に「億劫」などという気持ちは一瞬でなくなり、私は驚いた。妙齢の女性がそこにいたからだ。美しく品性が漂う上品な女性。

 つまり、私の母だ。


「お母様、お戻りになっていらっしゃったんですね」

「ええ。お父様も一緒よ」

「お父様もですか? どうされたのですか? お2人とも帰国されるなんて珍しい」


 私はネクタイをゆるめながらお母様に話をする。


「律華から連絡が来てね……亜美が悪い女の人に騙されているっていうのよ。亜美は騙されやすいとは思うのだけど、年頃だから男性に興味があるのは分かるのよ。でも、女性って。マルチ商法とか宗教とかそういう方面じゃないわよね?」


 ――悪い女の人……?


 その言葉を聞いた瞬間、嫌な予感が身体を這いまわる。


「女性に貢がされているなんて言っていて、心配だったから帰ってきたの。きちんと話をしようと思って」


 ――…………まさか、律華のやつ、悠のことを言っているのか? 


「おぉ隼人、久しぶりだな」


 そこにお父様が現れる。

 以前見た時よりも少しやつれているように見えた。

 両親は難病の治療薬の開発現場に行ったり、未知のウイルスの蔓延る諸外国に行ったり、色々な場所に行っている。

 特に先進国ではない不衛生な国にいると、水にすら事欠くほどだということは知っていた。過酷な労働をしている様子の両親を見て、今の自分が恥ずかしくなる。恋の病など訳の分からない言い訳をして目の前の患者をないがしろにしている私は雨柳家の跡継ぎとして本当に相応しいのだろうかとすら感じる。


「お久しぶりです。お父様」

「亜美のことは母さんから聞いたか? どうにも心配でな……亜美は最近不安定だとは思っていたが」


 その心配には及びません。

 と、言おうとしたがお父様が言葉を続けたので私はそう言えなかった。


「私たちとしては、瑪瑙君との結婚をそろそろ本格的に話を進めようかと思っている」

「高宮瑪瑙と結婚……ですか」


 私は両親のその言葉を聞いた時にふと思った。

 亜美が瑪瑙と結婚すれば、悠のことは必然的に諦めざるを得ないと。どれだけ亜美が悠に執着していようと関係ない。これは家の決めた正式な決定だ。


「確かに亜美は最近、浮ついています。雨柳家の息女として自覚を持たせないといけませんね」


 と、亜美と高宮の結婚の話を後押しするべく進言をした。

 やはり、私は汚い男だ。




 ***




【中性的な女 ゆう


 アミと色々な場所を回った。

 駅、私のアパート、レストラン、公園、とか色々。

 しかし私は相変わらず何も思い出せなかった。思い出せない自分に苛立つし、この先の不安を考えれば私の未来に暗雲が立ち込めているのは間違いない。

 暗い顔をしない様にはしていたけど、それでも顔に出てた様でアミが私に気を遣ってくる。


「亜美は……ユウ様の記憶が戻らなくても良いって思うんです。これから一緒に沢山思い出を作っていけたら……亜美はユウ様がいてくれたら、もうどんなユウ様でもいいんです」


 その言葉に対して私は返す言葉が見つからず、黙ってそれを聞いていた。


「亜美が手首を切って自殺しようとしたときも、病院から逃げ出したときも…………ユウ様に……好きな人がいるって知って亜美が飛び出して……結果として記憶喪失になる原因を作ってしまったあの時も、ユウ様はいつも亜美のこと真剣になっていてくれました。だから、あなたが好きなんです」


 アミはそう真っ直ぐな瞳で私を見つめる。

 その言葉が、私の心の中に広がっていく。疑心暗鬼の塊になっている私の心の中に。


 ――この子も同じなんだ。私と一緒で、誰も信じることができずにずっと生きてきたんだな……


「あなたがたまたま女であっただけで、亜美にとって大事な人……好きな人であることには何の偽りもありません」


 アミはそう言って、涙を流しながらも笑顔を作った。


「大好きです…………だから…………」


 泣いているから言葉につかえてアミは続きの言葉がなかなか出てこないようだった。


「無理に……あんな事件現場にっ……行かなくても……」


 私も、別にもうどこにも行きたくない。

 でも下がる後ろの道はなく、進む他ない。その場で足踏みしていても、時間は過ぎていってしまうし、ここで引き下がっても崖から落ちてゲームオーバーって感じだ。


「まぁ……このままでもいいって少しは思うけど、それでも行かなくちゃ、事件のあったところ。ショックとかで思い出すかもしれないしね」

「……はい」


 アミはその笑顔を曇らせ、しかし、私が行くと言った後にアミも覚悟を決めて歩き出した。

 私は時間を確認するために何気なく携帯電話を見た。

 そこに隼人から何度も着信が入っていることに気づく。

 サイレントにしているから全く気付かなかった。いや、いつも気づかないようにサイレントにしてるんだけど。


「どうされたんですかユウ様?」

「隼人から何件も電話が入ってる……かけ直してもいい? 用件だけ聞くから」

「はい」


 私は隼人に折り返しの電話をかけた。


 プルルルルル……プルルルルル……


 ツーコールくらいしたくらいですぐに隼人は電話に出た。


「おい、なぜ電話に出ない」


 第一声は文句の言葉だった。


「ごめんごめん、サイレントにしているから気づかなかった」


 なんというか、上手く言えないけど携帯電話が鳴るのは嫌いだ、身体がビクリと驚いて飛び上がってしまう。多分そういう感じの恐怖症みたいなものだと思うけど、別段私は生活に不便していないので放置している状態だ。


「何のための通知音だ、鳴るようにしておけ。まったく亜美もお前も何のために電話を……――――」


 くどくどと隼人が小言を言ってくるので、まったくうるさいな隼人は……と、思いながら私は早く用件を聞くことにした。


「ところで何の用?」

「あぁ、そうだな。今、愚妹と一緒にいるのだろう」

「うん、アミと一緒にいるけど」

「妹に代わってくれ」

「本人に電話すればいいじゃん……」

「着信拒否か何かで繋がらないのだ」


 うん。アミなら隼人のこと着信拒否しそう。家族関係冷え切ってるなと思いながらアミに代わってほしいと言ってることを伝えた。


「隼人がアミに代わってって言っているんだけど……」

「お兄様が……?」


 アミは凄く嫌そうな顔をしていたが、恐る恐る私から携帯をとり、隼人と話を始める。

 あまり聞くのも悪いと思って離れようと思ったけど、アミは私の服の裾を掴んで離さなかったので、仕方ないからあまり聞かないようにはしていた。

 けど「そんなの……!」「嫌です!!」なんてアミが大声で言いだすものだから聞いていないフリはできなかった。


「………………?」


 電話が終わったと思ったら、アミが私に強く抱き着いてきた。

 さっき言ってたアミの言葉も加味すれば、絶対にアミにとって良くないことだと私は解った。

 内容は正直聞きたくないって思ったけれど、さすがに自分にしがみついてグズグズと泣き始めた女の子を、全部無視して歩き出すような鋼の精神は持ち合わせていない。


「………………ユウ様……っ……うぅ…………ユウ様…………っ」


 泣き始めたアミに対して、気の利いたセリフも言えないが、とりあえずどうしたのか聞いてみた。


「どうしたの?」


 隼人に罵詈雑言を吐かれて泣いているのかな、と思ったがアミの口から発された言葉は、私が思っていたようなものとは大きく異なるものだった。


「お母様と……お父様が…………亜美と瑪瑙の結婚を進めるって…………」


 ――メノウさんと結婚……?


 それに対して気の利いたことを言うよりも、純粋に疑問に思ったのでアミに問う。


「メノウさんとアミって……婚約していたの?」


 だとしたら、色々とまずいんじゃないか。

 私のことが好きだとかそういう話は私が女だからとか以前の問題だ。


「瑪瑙と亜美は……結構前から両家が決めた婚約をしています…………けど、亜美は納得できていません……」


 本人が納得しているかどうかという問題も勿論あるんだろうけれど、でもアミは家柄的に普通の家とは違う。財閥の人だと隼人が以前言っていた。

 メノウさんも財閥の御曹司とか言ってたし、スケールが大きすぎて私の頭では処理しきれない。


「そうなんだ……アミは……家に戻った方がいいね。私は1人で事件現場に行くから」

「亜美はユウ様と離れたくありません」


 そう言って私の服をギュッとつかんで離さない。

 うーん、そう言われても私が間に挟まってると話がややこしくなってしまうし。


「でも親が決めた結婚を進めるってことは、どっちみちメノウさんときちんと話をしないといけないんじゃない? 私と一緒にいると納得できないまま結婚することになるんじゃないかな」


 私はアミの気持ちは正直解らない。好きでもない人と結婚させられる人の気持ちなんて。

 昔は、家が決めた相手との結婚は当たり前だった時代があったのかもしれないけど、私は生憎そういう時代に生まれていないし、そういう家柄の人間ではない一般人だ。多分。凄い秘密のある家柄ではないと思うし、財閥とかのウルトラレアカードの人材じゃないと思う。


「一先ず、納得できないなら、その気持ちを伝えないと話が勝手に進んじゃうよ。自分の気持ちを伝えないと後悔すると思うし。言わないと相手には伝わらないから」


 なるべく優しく言ったつもりだったけど、これでどうだろうか。アミは納得してくれるだろうか。


「………………」


 というか、論理的に諭してもアミに響くとは思えない。

 なら、感情に訴えてみよう。


「私は逃げたりしないから、きちんと話をしておいで」


 待ってるよというアピールをすることで、それがセーフティになって離れやすくなるんじゃなかろうか。

 というか、これ以上の言葉は思いつかない。


「………………」

「……………………」

「……解りました」


 長い沈黙の末、アミはあまり納得していない様子だったけれど、私から離れた。


「私は1人で行くから。道中気を付けて」


 そう言って私はアミとは別れ、隼人に再度連絡しようと思って携帯を見つめた。


 ――親の決めた結婚相手かぁ……私だったらどうするかな?


 多分、気に入らなかったら相手を(あるいは親ですら)ぶん殴ってでも婚約解消すると思うけど。

 私の人生は私のものなんだから、道具のように使われてたまるか。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る