第39話 メンヘラちゃんは婚約者に鬼メッセージを送っている




【中性的な女 ゆう 2年前】


 寒いなぁ今日。


 ――孝也さんから連絡……来てないや。はぁ……次はいつ会えるんだろう。別に、いつでもいいけど……――


 自分の部屋の前まで来て、鍵を差し込み回す。いつも通りのルーティンだ。はずだったが、いつもの感触がなく、鍵が開いていた。


 ――あれ? 鍵開いている……閉め忘れちゃったかな……? 強盗とか入ってないよね……?


 恐る恐る扉を開け、電気をつけた。そこに見覚えのある黒い長い髪の男性が私の部屋で横になっている。


「……孝也さん……来てたのか。寝ているのかな?」


 孝也さん。と、声をかけようとしたが眠っているなら起こしては悪いと思い、私は口をつぐんで靴を脱いで静かに部屋に上がった。


 ――もう、こんなところで寝ちゃって…………――――


 近づいて、その異変に気が付いた。


 


 それも、少しではない。大量の血液。


 ――え…………どこから………………――――


「孝也さん!?」


 私はすぐさま孝也さんの身体を揺すった。

 冷たい。

 現実味がないが、震える手で救急車を呼び出しはじめる。


 ――どうしよう、脈は…………


 孝也さんの首の頸動脈の辺りに私が指をかけたその時に、私の腕は掴まれた。そして私の携帯を取り上げて、孝也さんはそのまま通話終了のボタンを押す。

 一先ずは生きていたことに私は嬉しく思ったが、まだどうするべきか解らずに混乱していた。


「悠……」


 死んでしまったと思った。何もかもが真っ白になってしまった私にとっては、ただ、孝也さんが生きていたことが嬉しくて、言葉が中々出てこない。

 私は孝也さんの手首がざっくりと切れているのを見つけた。そこから、ダラダラと出血し続けて、孝也さんの白いシャツを真っ赤に染めている。

 時間が経って固まった血は赤黒く変色を始めていた。


「孝也さん……! どうしたんですか…………止血しないと……!」


 死んじゃったらどうしようって思っているのに、気が動転しているけれど不思議と涙などは出てこない。

 この人が死んじゃったら、私はどうしたらいいか解らないほど、私は孝也さんのことが好きだ。でも、混乱しているからなのか、死ぬかもしれないって思っても涙は出てこなかった。


「死なないで! お願い!」


 私は家にあったハンカチ取ってきて慌てて傷口にあてる。血の感触がした。具体的に言うとぬるぬるしている。半分凝固している血の塊は不思議な弾力があった。

 ハンカチをとって傷口を良く見ると手首の内側の肉が見えていた。骨までは見えていなかったが、結構深くまで切れていて、白いところが見えるがそれは脂肪なのだろうか。

 焦っているはずなのに、頭の中では視覚情報が冷静に分析されていく。まるでもう1人自分がいるかのように。


「孝也さん……こんなに血が…………ッ!」


 私の手は、孝也さんの血で真っ赤になっていた。上から強めに縛って止血を試みる。適当に取ったハンカチはメンタルディスオーダーのライブのハンカチだ。元々赤っぽい色だったが、それが更にみるみる赤く染まっていく。

 場所は手首だし、争った形跡はない。つまり、自分でやったということだ。


「どうしてこんなこと……孝也さん……」

「悠……しんどいよ…………死ぬ…………」

「あなたが死んだら、私は……っ…………」


 私は……――――どうなってしまうのだろうか。「私は」の後に続く言葉が見当たらない。


「病院に行きましょう」


 私は孝也さんの腕を首の後ろにかけて、肩を貸すような形で孝也さんを立ち上がらせた。


「……病院……行きたくない」

「何バカなこと言っているんですか!?」


 無理矢理に、孝也さんを担ぎ上げようとするが、さすがに背の高い成人男性は私の力では担ぎあげられなかった。


「……死んでほしくないです…………お願いですから、行きましょう」

「…………あぁ……」


 血まみれの孝也さんを立たせ、近くの病院へと懸命に歩き出した。




 ***




 輸血と縫合が済んで、私は孝也さんを連れて帰ってきた。孝也さんは私に無言でもたれかかってきて、疲れ切ったようにタクシーの中で眠っていた。

 私の家から救急外来のある病院まではそう遠くない距離だけど、その短い時間、私はまだぬくもりがある孝也さんの感触と、サラサラと私の首や顔にかかる感触を感じていた。

 彼はきっと、私が聞いても本当のことは一切言わないかもしれない。仮に本当のことを言われても私は信じることがきっとできない。

 だったら、嘘を暴かなくてもいい。その嘘にずっと騙されていてあげよう。それで少しでも貴方が楽になるなら、私はずっと使われていてもいい。好きなだけ使ってくれて構わない。


 ――いてくれるなら、それ以上を望むなんてこと…………


 なんて、考えながら私は自分の長い髪を指先で弄んだ。


 ――髪の毛、切ろうかな……




 ***




【中性的な女 ゆう 現在】


 嘘は、嘘だと気がついても気づかないふりをしてあげたい。

 相手の為ではなく、自分の為に真実を突きつけたくはない。だって、もしかしたらそれは99%の確率で嘘だと確信していても、1%の確率で真実かもしれない。だったら私も傷つかなくて済む。自分を逃がすためのその1%の確率。

 でも、それは簡単に壊れるって知ってた。


 隼人は部屋に戻ってから黙々とケーキを食べていた。「美味い」とか「不味い」とか「この店のケーキは食べ飽きている」とか、色々な感想があると思うが、隼人は黙ったままケーキをフォークで切って口に運んでいる。


「ケーキ美味しいね」

「……あぁ、そうだな」


 明らかに高宮さんが現れた後から様子がおかしい。1番最初に高宮さんが来た時も様子がおかしかったし、私を親戚だと偽って紹介したときも、病院で孝也さんの言葉を聞いたときも、隼人の様子はおかしかった。


 ――ただ、黙っているべきだろうか


 真実なんていつもろくなことじゃないって私は知っている。

 だから真実なんて本当は知らない方がいいんだと思う。昔の人が日照りが続いたのは神の怒りだと雨ごいで生贄を捧げていた時代の人が、神様のせいじゃないって解ったら生贄の人が報われないじゃないか。

 せっかく命を神に捧げて誇らしい気持ちで死んでいくというのに(あるいは嫌々かも知れないけど)でも、真実を後で知ったら傷つくのは目に見えている。生贄なんて捧げても、雨が降ったりしないという無情な現実を知らずに済むなら、それでいいではないか。

 今まで犠牲になった数えきれない生贄たちの立場というものがない。


 そう思っていたが、私は隼人が苦悶の表情を浮かべているものだから、自分を守る嘘を、隼人を傷つけ続ける嘘を話すようにうながした。


「隼人、私は怒らないから本当のことを言って?」


 私からその言葉を聞いた隼人はケーキを食べる手をピタリと止めた。ケーキの半分くらいまでフォークが刺さっているが、その状態で隼人は手を止めた。

 怒らないからとは言ったが、隼人は罰の悪そうな顔をして口を開こうとはしなかった。


「私、本当は隼人の婚約者じゃないんでしょう?」


 サクッ……


 ケーキは途中で止まっていたフォークによって両断される。だが、隼人はそれを食べようとはしなかった。ケーキの乗っている皿をテーブルの上に置いて、手を顔の前で組んで私から目をそらしている。


「大丈夫だよ。怒ったりしないから」


 そう後押しすると、隼人は観念したように私に告白を始めた。


「悠……すまない。私はお前にずっと嘘をついていた……お前の言う通り……お前は、私の婚約者ではないんだ」


 ――あぁ、やっぱりね。やっぱりそうなんだ


 隼人は物凄く後ろめたそうな表情をしていた。それを見て、その言葉が何かの冗談などではないことが解る。

 予想の範疇内の言葉ではあったけれど、流石に少しショックはあった。

 1%の可能性すら、すべて奪いつくす無情な告白。


「そっか……やっぱりそうなんだね」


 私がそう受け入れると、隼人は一瞬驚いた表情をしたが、すぐにまた目を泳がせて気まずそうにする。


「………………それと…………お前が記憶喪失になったのは、交通事故が原因じゃない。お前は事件に巻き込まれて頭部を激しく殴打されたせいだ」


 ――事件……


 高宮さんが言っていたとおり、交通事故じゃなくて事件だったんだ。頭部を殴打されたって、私、誰かに恨まれるようなことしたっけな? それとも通り魔的な奴かな? 何にしても運が悪かったとしか言いようがない。


「腹部の傷も、刺された際についた傷だ」


 私は、お腹にある生々しい傷を触った。まだ塞がりきってはいない。瘡蓋かさぶたになっているけど、触ったり動いたりするとまだ痛い。

 私はただ、隼人の顔を見て話を聞いていた。

 隼人は苦虫を噛み潰したような顔をしている。

 言いたくなかったんだろうな。自分の非を認めるのって、本当に大変な労力を使うと思うし。

 自分のことなのに、怒りなどは不思議と湧いてこない。


「…………隼人」


 私は隼人に近づき、ゆっくりと抱きしめた。


「悠……?」


 私が近づいたとき、殴られるとでも思ったのか目を固く閉じた隼人が、恐る恐る目を開けた。明らかに動揺しているのが伝わってくる。


「話してくれてありがとう」


 隼人の身体を、強く抱きしめた。

 これが私が隼人にできる、精一杯のことだったから。


「なん…………なんで……お前はっ……! なんで……私のことを責めないんだ……どうしてっ……!」


 ――なんだ、隼人。泣いているの? 泣かないでよ


 いつも強気で、自信満々で、けして自分を曲げようとしないそんな隼人が私の腕の中で泣いている。


「泣かないで」


 まるで子供をあやす様に、隼人の優しく髪をなでる。伸びてきた綺麗な髪が私の指に絡む。


「バカっ……泣いてなど……いな……いっ!」


 本当に隼人は嘘をつくのが下手だな。

 そんな嘘じゃ、すぐに私、気づいちゃうじゃない。


「お前は……! 私に…………罵詈雑言を吐いて、罵ったじゃないか…………のように私を……責めればいいじゃないか………………どうし……て……」


 私は隼人に罵詈雑言を吐いた記憶はない。記憶の抜け落ちている部分の私はそこかしこで問題を起こしているようだ。それが私が原因のことなのかは解らないけれど。

 しかし、1つだけ確かなことがある。


「それだけ、隼人は私のこと好きになってくれたんでしょ?」


 その後、しばらく声を殺して泣く隼人を抱きしめていた。

 それが偽りだったとしても、偽善だったとしても、私は多分こうするのが正解だと思ったからそうした。

 何が正しいとか、今の私は分からない。記憶が戻ったとしても分からないかもしれない。

 人生なんて、どんな道を選んでも結局後悔するものだと思うから。



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