【真説】天国と地獄

森本 晃次

第1話 天国と地獄

この物語はフィクションであり、登場する人物、場面、設定等はすべて作者の創作であります。ご了承願います。


 人は死ぬと一体どうなるというのだろう?

 いろいろな宗教がある中で、一番日本人に馴染みのあるのは、「天国」と「地獄」という発想ではないだろうか。宗教的な発想からではあるが、道徳的にも天国と地獄の発想を持ち出すことで、人を納得させることができる。

 ここに一人の小説家がいる。名前を高山廉太郎という。彼は、

「俺は本当の天国と地獄を見てきた」

 と言って、一冊の小説にしようと、頭の中に描いている内容を文章にしようとしていた。

 元々は童話作家としてデビューしたはずの彼が、どうして天国と地獄などというテーマに手を染めたのか、知る人はいなかった。童話作家としての彼の名声は、それなりに知名度を得ていた。新たなジャンルへの開拓をいまさら手掛ける必要などないはずなのに、彼がどうして冒険とも思えるようなジャンルに手を出したのかというと、その理由が、

「天国と地獄を見てきた」

 という言葉だった。

 そんなバカなことを信じられるはずもない。せっかく今まで気づいてきた童話作家としての地位を自ら崩してしまおうという行動に、担当編集者も困惑したに違いない。

「高山先生。そんな無茶なことはやめてください」

 高校時代に童話作家新人賞に応募して、入賞すると、そこから先は順風満帆の作家人生を歩んできた。今年三十歳になっても、新作は出せばヒット、過去の作品も順調に売れていて、童話作家として、第一人者となっていた。

 彼の作風は、童話作品の中に、何かの教えが絶えず含まれていて、他の童話作家からは、

「宗教かかった作品だ」

 と言われて、非難する人もいたが、実際の読者にしてみれば、

「子供の教育上、きれいごとばかりを書いている作品が多いけど、高山先生の作品は、しっかりとした教えが描かれている」

 と言って、親や学校の先生からは絶大な人気だった。

 確かに可愛らしくて、メルヘンチックな作品ばかりが童話だと思われがちだが、そこに教訓めいたものがないことを危惧している人もいた。高山氏の話によれば、

「子供向けのおとぎ話には、必ず教訓めいたものが存在しているにも関わらず、そのことに大人が触れないことで、童話というものも、メルヘンチックな作品が童話だという認識になっているんだ。本当は少々過激な内容になったとしても、子供に対して、教訓を与える作品でなければ、意味がないと思うんだ」

 と、テレビに出演した時、話をしていた。

 その話に共感を受けた評論家も多かった。

「高山さんの童話は今までにない新しいジャンルの作風で、童話というよりも、おとぎ話のようなところがある。しかも、彼の話を理解しようとすると、避けては通れない教訓があり、そのために好き嫌いのような賛否両論が渦巻くことだろう」

 実際に、彼の作品が物議をかもし、社会問題になったこともあった。

 それでも、彼の作品は子供が読む作品という域を超えることはなかった。そのせいもあってか、賛否両論はあっても、否定的意見が賛成意見を超えることはなく、否定的意見の説得力よりも、賛成意見の説得力の方が強いことから、彼の童話が十年以上も売れ続けている証拠だった。

 高山氏は、作品を絶え間なく出版していた 出版社の中には、

「あの人の頭の構造はどうなっているんだろう?」

 と思えるほど、溢れるほどの発想が紙面に踊っていた。出版社の取材で、

「あの発想は、どこで思いつかれるんですか?」

 という質問に対して、ニコニコ笑いながら、

「夢に出てくるんだよ」

 と平気な顔で答えていた。

「夢にですか?」

「ええ、皆さんは夢に見たことを覚えていますか?」

「いえ、私はあまり夢を見ている方ではないので、見た時も目が覚めて覚えているということは珍しいですね」

 というと、

「あなたは、夢をあまり見ていないと言ったけど、本当にそうなんでしょうか?」

「どういうことですか?」

「本当は夢を見ていたんだけど、目が覚めた時に忘れてしまったことで、覚えていないと思っているだけじゃないですか?」

 と言われて、取材している人の表情は驚きに変わり、まるでそんな発想を抱いたことはなかったと言わんばかりだった。下を向いてしまって、一瞬自分の仕事を忘れてしまったくらいだった。

 だが、さすがにテレビ局のレポーター、すぐに我に返ると、

「確かにそうかも知れません。今まで考えたこともない発想に、さすがの私もビックリしました。でも、この思いはこのテレビを見ているどれくらいの人が、今の自分と同じくらいの驚きを感じたのか、気になるところです」

「そうでしょうね。夢に対しては、完全に他人事のように、『自分の意志に関係のないところで見ている』と考えている人と、夢を見る見ないというところから、いろいろ考えてしまう人もいるだろうね。僕の場合は、後者の方なんだ。夢に見たことを覚えているということは、それだけ何かの暗示があってのことだと思うんだ。覚えていないことが、大したことではないとは言わないけど、夢というのは、他人が絡むことではなく、すべては自分の中にある潜在意識が見せるものだとすれば、忘れてしまっているにはそれなりに理由があるからだと思うんだ」

「その理由というのは?」

「その夢を、目が覚めてから意識したくないという思いがある場合ですね。それが自分にとって思い出したくない夢なのか、あまりにも印象が深すぎて、夢の世界を引きずってしまいそうになるので、夢の世界だけに収めておきたいという思いからなのか、そのあたりの理由が潜んでいるのではないでしょうか?」

「なるほど、奥が深い発想ですね」

「それだけ、夢というのが奥の深いものだということですよね」

 高山氏の発想は、取材する人のさらに先を行っているようだった。

 この時のインタビューは、本当は夢の話をする予定ではなかったのだが、夢の話に言及したことで、高山氏の童話作家としての意識が、テレビカメラを通して、全国の童話ファンの心を掴んだと言ってもいい。

 元々彼に否定的な意見を持っていた人も、否定的な意見ではありながらも、

「今一度、高山廉太郎という人物について、いろいろ考えてみる必要があるかも知れないな」

 という発想になったのも事実だった。

 デビュー当時は、彼も他の作家のように、メルヘンチックな作風だった。

「メルヘンチックな路線でも十分第一人者になることができたはずなのにな」

 という人もいて、それを残念がっている人もいた。

 彼の作品に陶酔していた同業者である先輩童話作家がその一人だが、高山氏の考え方には一応の理解を示しているが、作品だけは、メルヘン路線で押し通してほしかったと思っている。

 その人のメルヘンチックな作品は、高山氏がデビュー前に尊敬していたものであり、かなりの影響を受けていた。

「一体、どんな人なんだろう?」

 趣味で書いている間、一番の尊敬する童話作家の彼のことに一番興味があった。

「あんなにメルヘンチックな発想をするくらいなので、心が綺麗な人に違いない」

 と思っていたのだ。

 ただ、小説家というものが、作風と実際の作品とが必ずしも一致しないということに、まだアマチュアだった高山氏は分かっていなかった。

 そのことが分かるようになったのは、高校を卒業してからだった。

「僕は童話作家として、デビューしたのだから、作家としてこのまま食っていきたいんだ」

 と親に話をしたが、親は猛反対だった。

 高山は、学校の成績もよく、地元の国立大学には、十分合格することができるだけの成績だった。

「これだけの成績なのに、大学に行かないなんてもったいない」

 という担任の意見、そして父親としては、

「今の世の中、大学くらいは出ておかないと、潰しが利かない。悪いことは言わないから、大学に進学しなさい」

 という意見だった。

 口調は柔らかで、

「とりあえずは」

 という言い方だが、父親の性格をよく分かっている高山からすれば、これほど頑強に反対している父親を初めて見たと思っていた。

 高山の父親は、感情が入ると、気持ちとは裏腹に言葉が柔らかになる。気持ちを表に出してしまうと、感情だけになってしまい、理屈どころではなくなるということを父親は自覚していたからだ。

 実は高山の父親と似たところがあった。

「悪を許せない」

 という感覚である。

 高山の中にある悪という感覚は、

――いい加減な――

 という発想であった。

 追及されると、反論できないことは、いい加減なこととして、自分の中で悪として把握しているのだ。

 父親は、そんないい加減な人を許せないと思いながらも、自分が完璧ではないことも分かっている。したがって、その矛盾がたまに自分の中でジレンマとなって、自分を許せなくなることを感じていた。それだけに、いい加減なことを言わなければいけない立場に自分が置かれた時、冷静さを失い、感情だけで話し始めると、自分でも抑えることができなくなることを分かっていた。だから、言葉が柔らかになり、それでいて、他人事のようにそっけなくなってしまうのだ。

――僕もそんな父の血を引いているんだ――

 という思いがあった。

 だから、子供の頃から無口で、人とあまり話すことなどなかった。中学時代までは引きこもりと思われるほどの暗さに、自分でも何をどうしていいのか分からなかった。ただ、父親から受け継いだ、

「悪を憎む」

 という発想から、何をすればいいのか、すぐに気が付いた。

 それが勉強だったのだ。

 引きこもってしまうと、ゲームをしたり、アニメに嵌ってしまい、ヲタクになってしまいそうになる自分を想像しただけで、吐き気を催すほどだった。

――それでは何をすれば?

 と考えた時、比較的すぐに思いついたのが、勉強だったのだ。

 勉強は、自分を裏切ることもない。それが一番の理由だったが、やっているうちに楽しくなったのも事実だった。

 勉強するようになって、夢を見るようにもなった。それまでは、まったくと言って夢を見ることはなかった。

「夢を見るということは熟睡しているからだよ」

 という人がいたが、まさにその通りだった。

 勉強することで、自分なりに充実感を感じられた。

 だが、見た夢の内容を覚えている時と覚えていない時があることに気がつくと、

――どうしてなんだろう?

 と思うようになっていた。

 ずっとそのことが気になっていると、忘れないように、見た夢の内容を、覚えている時だけ、メモに残しておくようになった。後になって、その内容を読み直してみると、その内容が、高校時代に応募した童話の内容だったのだ。

 入賞した作品の評価の中に、

「この作品には、リアリティが感じられる。メルヘンチックでありながら、まるで見てきたような内容に、他の作品にはない斬新さが現れている」

 という内容のことが書かれていた。

 その評価が、出版社の人の目に留まり、

「うちで、作品を書いてみませんか?」

 という誘いに繋がったのだ。

「僕でいいんですか?」

 大賞を受賞した人なら分かるが、佳作というべき入賞という立場で、まさかお誘いがあるとは思っていなかっただけに、戸惑いながらも、有頂天になりかかっていたのも事実だった。

 確かに父親の反対するように、有頂天のままの自分だったら、

――後先考えずに、目先のことだけに調子に乗って――

 と、自分で理解した時には、後の祭りとなったことだろう。

 しかし、有頂天だけで終わらなかったのは、自分が夢というものに対して、人とは違う特別な発想を抱いていたからに違いない。人とは違う発想に、自分が納得できたと感じなければ、後の祭りとなってしまう。逆に感じることができれば、自分を試すに十分な足場が固まっていると考えてもいいだろう。

 高山はデビューすると、彼の尊敬するメルヘンチックな童話作家に会う機会が、比較的早く訪れた。ちょうど、雑誌社との打ち合わせで、偶然同じホテルの喫茶店でインタビューを受けていたその人と一緒になったのだ。

 その作家の名前は、進藤勇作という。

 年齢的には、四十歳を超えたくらいであろうか。ただ、見た目はもっと年を取っているように見える。それは彼の貫禄によるものだと、高山は感じていた。写真などで見たことはあったが、実際に生で見るのは初めてだったので、感動していた。

 高山は、デビューしてからまだ半年も経っておらず、やっと受賞後の次作を完成させ、出版についての打ち合わせに望んでいるところだった。三十歳の高山からは信じられないほどの若かりし頃、まだ海のものとも山のものとも分からない新人だった高山は、出版社との打ち合わせが楽しみで仕方がなかった。

 高校を卒業してから、すぐに東京に出てきた高山だったが、自分が想像していた以上に明日が見えない生活に、毎日戸惑っていた。童話だけを書いているだけでは生活をしていくことができないのも当然で、昼間はコンビニでアルバイトをしていた。その日暮らしの生活に不安を感じていたが、出版社との打ち合わせと、童話を書いている時だけが、前を見ている時間だと思っていたのだ。

 まだ受賞作しか世間に知られていない高山は、取材を受けるほとの技量があるわけではない。自分でも分かっているので、今の目標は、

「取材を申し込まれるほどの作家になりたい」

 というものだった。

 作家が取材を受けているところを見たこともないので、どんな質問が相手からあり、それにどのように受け答えするものなのか分からない。芸能人や政治家などと違って言葉を操る人種なので、それなりに言葉に重みのあるものなのだろうと、勝手に想像していた。

 打ち合わせは、都内の某ホテルの喫茶店で行われた。出版社からは目と鼻の先にあるところで、自分以外の作家との打ち合わせも、よくここで行われるという。もっとも売れっ子作家になれば、締め切りに追われる毎日なので、作家の自宅に通いつめていることだろう。

「僕も、そんな作家になれればいいんだが」

 これも夢であるが、毎日の先の見えない人生に、夢くらいはいくつだって見てもいいだろうと思っていた。

 作家でも、ベテランになってくれば、出版関係のことは少しは分かってくるものだが、新人作家にとって出版の話はよく分からない。打ち合わせと言っても、まずは、大体の出版日を決めて、それに基づいて出版社の方から逆算し、いつまでにどこまでやればいいのかを決めてもらう。

 どうしても無理な時は、出版社の方で、調整を行うことになるが、そうでもない場合は出版社が決めたスケジュールどおりに進められる。出版社の人は作家を相手にしているだけではなく、印刷会社や広告会社との打ち合わせなどもあり、かなりの多忙である。それだけに、調整が難しく、どこか一つが狂うと、大変なことになるのだ。

 自分のことを担当してくれているのは、幻影社の三雲という男性で、年齢としては、三十歳くらいであろうか。まだ新人の高山にとっては、三雲の存在はなくてはならない絶対のものに思えていた。

 全幅の信頼を置いている三雲は、相手がいくら新人で、年下だと言っても、口調は敬語である。出版社と作家という立場をしっかりとわきまえたその態度は、全幅の信頼を置くに十分な存在だった。

「では、高山さん。今私が申しました意見を元に、少し推敲の方をよろしくお願いいたします。その間、私も印刷会社の方と、いろいろ話をつめておきますので、そちらの方で、またご相談することがあると思いますので、その時はよろしくです」

「ええ、分かりました。ご丁寧に、ありがとうございます」

 出版までにはいろいろな手順がある。

 一冊の本を作るためには、カバーに載せるデザインも必要で、写真を使う。イラストを使う。それぞれに写真家やイラストレーターの手をかけてもらうことになる。ページ最後の解説のコーナーでは、他の作家さんに解説をお願いする必要もある。つまりは、作家と出版社の人間だけで本ができるわけではなく、他にもたくさんの人の手がかかるということなのだ。

 その日は、高山が受賞後の第一作を書き上げてから最初の打ち合わせだった。

 幻影社は雑誌を発刊しているわけではなく、文庫本のみの会社なので、できた作品は、「書き下ろし」ということになる。雑誌掲載を経て文庫本かされるものがいいのか、それともいきなりの書下ろしがいいのかは分からないが、他のエンターテイメントのような小説では、連載で読者の興味を引くこともできるが、童話のようなものは、書き下ろしの方が却っていいのかも知れないと、高山は思っていた。

 高山と三雲が打ち合わせを終了しようとしたところで、

「おや、三雲君じゃないか。今日はどうしたんだい?」

 と言って、出版社の三雲に話しかける男性がいた。その人の横には和服を着た男性が立ていて、雰囲気からその人も作家ではないかと思えた。

「ああ、これは山内さん。今日は取材か何かですか?」

「ええ、進藤先生の取材だったんですよ」

 と、山内と呼ばれた男性がいうと、初めて三雲は和服の男性を見た。三雲はスックと立ち上がり和服姿の男性を見て、

「これはこれは進藤先生、ご無沙汰しております」

――この人が進藤勇作先生――

 作品はよく知っていたが、顔は知らなかった。

 進藤の作品には、作者の顔写真が載っているものはなく、進藤のインタビューの記事にも写真が載っているものはなかった。そういう意味で、業界の人間以外、進藤の顔を知っている人はいない。作品には陶酔している人がいるのに、なぜか作者に対しての人気度がそれほどないのは、顔写真がないため、親近感が沸いてこないからだろう。そのことが進藤にとってプラスなのかマイナスなのか、まだ若かった高山には分からなかった。

 進藤の表情を見ていると、

――思っていたよりも、気難しそうな人だ――

 と感じた。

 メルヘンチックな作品を手がけている人が、まさかこんなに気難しそうな人だとは思ってもみなかった。髭でも生やしていれば、まるで仙人のように見えてきそうで、不思議な感覚の人だった。

 しかし、考えてみると、メルヘンチックというのは、どこか幻想的な雰囲気である。幻想的な雰囲気は見る角度によって、まったく違った印象を与えるものに思えた。それは万華鏡であったり、お祭りなどで見られる「ミラーハウス」の中だったりするような、少し大げさではあるが、人の感覚や感性を麻痺させるものに思えたのだ。

 進藤は、三雲の顔を見ても表情一つ変えることなく、軽く会釈をしただけで、何も言わなかった。その行動が彼を気難しい雰囲気に見せていたのであって、あまり人と話をするのが嫌いな人ではないかと思えた。それでも取材だけは受けるのだから、自分の考えていることを表に出したいという気持ちは強く持っているのだと思った。

 進藤が何も言わないので、今度は山内と呼ばれた人が三雲に、

「こちらは?」

 と高山のことを聞いた。

「こちらは、高山先生です。この間、新人賞は逃したんですが入賞されたので、うちの出版社から、入賞後の第一作を出すことになったんです」

 というと、今まで何の反応も示さなかった進藤が、

「ん? あなたが高山錬太郎君ですか?」

 と、口を挟んだ。

 進藤が口を挟むのは珍しいことなんだろう。出版社の二人はお互いに目を合わせて驚いていた。その表情はまるでハトが豆鉄砲を食らったかのような様子である。

 急に反応されたことで一番驚いたのは、当の高山だった。進藤の作品に陶酔していただけではなく、自分の入賞作に進藤が興味を抱いているというのを人づてに聞いたからだった。

 その相手が今目の前にいるのである。それだけでも夢のようなのに、自分の名前を聞いて反応してくれたのが分かると、急に胸がドキドキしてくるのを感じた。

「あ、はい、私が高山錬太郎です」

「そうですか。どんな方なのかって想像していたんですが、私の想像していた通りの人ですね」

「どういうことでしょうか?」

「口で説明するのは難しいですが、一言でいうと、あなたはこれからどんどん変わっていくような気がするんですよ」

 その言葉を聞いて、急に三雲が口を挟んだ。

「進藤先生がお変わりになったようにですか?」

「ん? 君は?」

「私は幻影社の三雲というものです。山内君とは、大学時代の同期でしてね。これからもどうぞよろしくお願いします」

「こちらこそ。あなたが高山先生の担当なんですか?」

「ええ、そういうことになります。私は童話作家の担当は初めてなので、これからいろいろ勉強しようと思っているところなんですよ」

「それは、どうか頑張ってください。そうだ。この山内君にいろいろ聞くといい。お互いに知らない仲なんだったら、情報交換もできると思いますよ」

「ありがとうございます。そうさせていただきますね」

 三雲と進藤の会話を黙って聞いていた高山だったが、

「僕が変わっていくというのは、気になるところですね」

 と、山内に小声で聞くと、

「あまり気になされない方がいいと思いますよ。進藤先生は、時々いきなり想像もつかないようなことを口走ることがありますからね」

「そうなんですね」

 少し気が楽になった高山だったが、ふいに進藤が高山に向かって、

「あなたは、頭に浮かんだことというよりも夢に見たことを小説にするところがある。その思いは大切にした方がいい」

「ありがとうございます」

「それと、夢から覚めて、昼頃までその記憶が消えない夢は、必ず小説にして書いておくことをお勧めます。それも、なるべく早めに。つまりは、忘れてしまわないうちにですね」

 進藤のその言葉が、高山の頭の中に入り込んで、忘れることのできない言葉となった。その言葉が、彼の童話作家としての運命を決定づけたといってもいいかも知れない。

 進藤とは、その日はそれだけの会話だったのだが、同じ童話作家で、お互いに意識しているということが世間に広まったことから、それ以降、二人は時々一緒に取材を受けたりすることが多くなった。

 もちろん、本業の執筆作業の合間のことなので、そんなに頻繁ということはなかったが、お互いに楽しみにしていたのも事実である。取材を受けているうちに、お互いがお互いをけん制しあったり、触れてはいけない部分があることに気づいているくせに、ギリギリまで近づいて相手の出方を待つというところがあるのは、二人が似た性格だったからに違いない。そのうちに少しずつ高山が変わってきていることにまわりも気づくようになっていたが、それも、

「作家としての成長が、そうさせたんだ」

 という思いをまわりが抱いてくれたおかげで、変わっていくのがいいことのように捉えてくれることで、誰も必要以上に気にすることはなかった。

 ただ一人、進藤を除いては……。

 だが、当の本人も自分が変わりつつあるという意識はなかった。最初に会った時、進藤に言われた、

「あなたはこれからどんどん変わっていくような気がするんですよ」

 という言葉の印象が強すぎて、自分がどのように変わっていくのかを考えた時に、普通の変わり方ではないという印象を深く持ってしまったため、普通に変わってきた自分を意識していても、それは変わったとは言えなかったのだ。

――あの時の進藤さんは、どういうつもりであんなことを言ったんだろう?

 と考えた。

 ずっと一緒にいることで、あの人が意味のないことを口にするような人ではないことは分かっている。

 意味のないということは、根拠のないということだ。初めて会って、一目見ただけなのに、根拠も何もないだろうと思えるが、進藤に限って、何か閃きのようなものがあったに違いなかった。

――そういえば、あの時、山内さんは何かを言いかけていたな――

「あなたが変わったようにですか?」

 と言った言葉を、忘れていたのだ。

 それは、忘れようとして忘れたわけではないのだが、自分の意思が働いていなかったとも言い切れない。わざとではないが、無意識でもないこの感覚は、童話を考えている時にも時々感じることだった。

――僕の性格の中に何か矛盾したものが潜んでいるに違いない――

 と感じていたのだ。

 山内は相変わらず進藤の担当だったが、三雲は高山が童話作家として一人前になったのを機会に、新人作家を担当するようになった。

 その新人作家というのは、オカルトやホラーを専門としている作家で、今までの高山のような童話作家とはまったく違ったジャンルなので、さぞや戸惑っているかと思っていたが、

「作家というのは、皆どこか似たところがあるので、それを見つけることができると、新しい人に担当が代わっても、さほど戸惑いというのはないものですよ」

 と言っていた。

 最初は強がりなのかと思っていたが、案外とそうでもないようだ。

 相手が新人なだけに気を遣うところもあるだろうが、元々高山も新人だったのだ。そういう意味ではやりやすいのかも知れない。

 三雲が担当している作家の作風は、それまでの高山の作品とはまったく違ったものだった。その作家の名前は、綿貫五郎という名前で、ペンネームのようだった。

 高山は綿貫の作品が気になっていた。自分には書けない作品だという意識が強いからなのかも知れないが、気になればなるほど、三雲に逢いたくなっていた。

 綿貫という作家は、締め切りには厳格な人で、そういう意味では編集者の手を煩わせることはない。しかし、ホラー作家らしく、彼は神出鬼没で、ほとんど家にはいないという。

「どうやって、原稿をもらっているんですか?」

 と三雲に聞くと、

「彼は旅先から原稿を送ってくるんです。パソコンなので、メールで十分ですからね」

「それはそうなんだろうけど、編集者も知らないところにいるというのは、どうにも分からない作家ですね」

「ええ、でもそれが契約時の約束でもあるんですよ。締め切りに間に合うのなら、どこから原稿を送ってもいいってね」

「新人にしては、特別扱いなんですね」

「それだけ、社としても、綿貫さんには期待しているということなんでしょうね。事実、締め切りに遅れたことはないし、原稿もしっかりしていて、手直しもほとんどない」

「一体、綿貫さんはいつもどこに行っているんですか?」

「ほとんどが温泉で逗留しているようなんですよ。きっと、取材旅行も兼ねているんだと思います。彼の作品は、ご当地の怪奇な話が多く登場しますからね。だから、我々としても、彼の行動を黙認するしかないんですよ」

「僕などは、締め切りをあまり意識したことはないのでよく分からないんですが、締め切りに追われるというのは大変なストレスになるんでしょうね」

「そうですね。高山さんも締め切りに間に合わなかったことってなかったですよね」

「僕の場合は、週刊連載のようなものはなかったからですね。一つの作品を思いついたら、後はそれを文字にして仕上げるだけですからね」

「それがなかなかうまくいかないのが、作家というものらしいですよ。特に毎週の連載ともなると、締め切りに間に合ってから次の締め切りをすぐに意識しないといけない。永遠に締め切りというしがらみから、逃れることができないものだって聞きます」

「僕のように書き下ろしの作家には分からないことなんでしょうね」

「そうですね。綿貫さんみたいに締め切りに間に合わなかったことのない人の頭の構造がどうなっているのか、見てみたいものだって思いますよ」

「僕は、綿貫さんの作品のファンなんですよ。一度読むと嵌ってしまって、次号が出るのを楽しみにしています」

「僕も編集者としてではなく、一読者として、彼の作品は好きです。そういう意味でも、一番そばにいるはずの自分が、彼の所在を分からないというのも、複雑な気がしているんですよ」

「一度、僕もホラー作品を書いてみたいですね」

「期待していますよ」

 そんな会話をしてから数年が経っていた。

「そういえば、最近の高山先生の作品は、少し変わってきたような気がしますね」

 場所は幻影社の編集部。週刊雑誌の締め切りに編集部では、ほとんどの人が出払っていた。

 そこにいたのは、三雲の後に高山の担当になった人と、三雲との会話だった。言葉を先に発したのは、三雲だった。

「そうですね。高山先生の作品にしては、子供向けから、少し大人向けにも見えるような掻き方になっていますね」

 徐々にだが、その傾向は二年ほど前からあった。

 ずっと高山のことを見ている今の担当と、担当から離れて、時々しか見ることができない三雲とでは、おのずと見る視点が違っていた。

「高山先生の今の作風は、何かホラーっぽさが感じられるんですが、それを感じさせないように書いているように思えます。一般の読者として見ている分には、さほど変化は感じられないんですが、編集者の目で見ると、ホラーっぽさを感じてしまう。きっと、疑ってみると、違う角度から見えてくるような高度な書き方をしているように思えてならないんですよ」

 これが三雲の高山の作品に対しての分析だった。

「どうして、そう思うんですか?」

「僕が今担当している綿貫先生の作風も似たところがあるんです。僕は最初から綿貫先生の作品の一読者として見ていたところもあったので、編集者としての目で見た作品と、どこか違って感じられるような気がしていたんですが、今の高山先生の作風を見て、最初にこの作風を行っていたのが綿貫先生だって気が付いたんです」

「じゃあ、高山先生の作品を読んで、綿貫先生の作法に気が付いたというわけですか?」

「そういうことになりますね。僕にとって、綿貫先生も高山先生も今同じ視点で見ることができる唯一の作家に思えるんです。だから、高山先生の作品が最近非常に気になってきたんですよ」

「三雲さんは、高山先生とはプライベートでも仲がよいようなので、実際に確認されてみてはいかがですか?」

「どう切り出せばいいんだい? 高山先生は、こちらの考えていることが分かるようなんだけど、それだけにこちらからある程度導いてあげないと、自分からは決して口を開かない人なので、ますは切り口をハッキリさせておかないと、話にはならないと思うんだ」

「僕も高山先生の担当になってから数年経つので、その気持ちは分かります。あの先生は付き合えば付き合うほど、その気難しさが分かってくるタイプの先生ですからね」

「それは、最初から先生の中にあるもので、それをこちらが気づいていないだけなんだよ。高山先生は、自分が他の人と違っているということに気づいていない。だから、作家という商売ができるんだって、僕は思っているんだ」

 三雲の考えは半分当たっているが、半分間違っていた。

 高山は他の人と自分が違っているということには気づいているが、それを認めたくないという思いがある。だから、他の人との違いを明らかにすることがそのまま作品のヒントになっている。高山が他の人とどこが違うかということを細かいところから分析すると、無限にあるように感じられる。だから、発想が絶えないのだ。締め切りを意識しないと言った高山の言葉は、まんざらウソではない。無限に湧き上がってくる発想は、早く吐き出してしまわないと、詰まってくるからだ。

 湧き上がってくるエネルギーがそのまま創作意欲に繋がってくる。

 三雲が高山が自分と他の人の違いに気づいているということを理解できれば、高山のエネルギーの源と、その源がどこから沸きあがってくるかということまで分かってくるに違いない。三雲がそのことに気づく前に、高山は自分が覚醒してくることを悟るに至ったのだ。

――僕の作品の源は、夢に見たことだったんだ――

 そのことに気づいた高山は、それまでのメルヘンチックな作風から、少しずつ変わっていったのだ。

 一番そのことを気にしていたのが三雲だった。だから、今の担当の男に高山の変化について聞いてみたかった。しかし、彼にもよく分からないという。考えてみれば、ずっとそばにいる人間に、急激な変化が分かるはずもない。もし分かっているのだとすれば、自分にも分かりそうだと三雲は思っていた。何しろ、最初の担当であり、一番そばにいた自分だからこそ、離れてからと両面を見ることができるのは、自分しかいないと自負していたからだ。

 高山の作風が、夢に見たことで記憶していることを表したものだということに最初に気づいたのは、進藤だった。

 進藤は、誰にもそのことを言わなかった。気づいたといって誰かに話しても、信用してもらえないだろうし、人の作風について、あれこれ口に出せる立場でもないからだ。ただ、高山の作品が他の作家の作風に似てきたことで、その人も、夢に見たことを描いているのではないかと感じるようになった。

 その相手というのが、綿貫氏だった。

 綿貫の作品は、いかにも夢で見たことをそのまま描いたと言っても、誰もが納得できるような話だった。全国各地にある民話やおとぎ話の中には怪奇なものもたくさんある。それを聞いたことで自分の潜在意識が刺激され、夢となって見たとしても、それは至極当然のことではないだろうか。

 進藤は自分の中で、

「私は、他人の夢を共有することができるんだ」

 と、感じていた。

 夢の共有とは、自分が見ている夢を、他の人も見ていて、相手はそのことに気づいていない。お互いに夢の中で、

「これは自分の夢だ」

 と信じている以上、夢の共有という発想はありえない。まるで、

「交わることのない平行線」

 を描いているような感覚である。

 進藤の作風は、この「夢の共有」である。夢の共有という発想は、本当は他の人にもあってしかるべきだと進藤は思っていた。しかし、誰もそんな発想を思いつく人はいない。夢は自分個人のものだと思っているからだ。

 そこに人間の思い上がりと自尊心が存在する。

「人は、一人では生きてはいけない」

 と言いながらも、心の中では、

「俺は他の人とは違う」

 と思っているはずだ。

 もし、そう思っていないとすれば、一人では生きていけないという言葉を信じることで、それを生きるためのよりどころにしているからだ。元々そんなことを言い出した人も、自分の中に思い上がりと自尊心を持つことに罪悪感のようなものを感じたからに違いない。

 人との間に結界を感じるとすれば、夢の共有を否定するからであろう。しかし、現実世界では、この世界を共有しているのに、夢の世界で共有できないというのもおかしな話ではないだろうか。夢の共有を否定するという考えは、本当は人間というのはいつも一人であり、他の人とは違うと思いたいにもかかわらず、それができないのはこの世界を共有しているからだ。だったら、夢の世界くらいは、共有できないようでないと、自分だけの世界はどこにも存在しないということを意味していることになるだろう。

 進藤は、むしろ、他の人と自分は違うんだということを特に強く思っている。だからこそ、夢の共有という考え方は、考え方という点で、他の人と違うといえるのではないだろうか。その感情が彼の作風を作り上げているのだった。

 夢を共有することによって、相手は自分のことを夢の中の登場人物としてしか思っていない。そこに人間臭さが存在する。

 進藤は共有している夢の相手が人間だと思って見ていない。誰なのか分かってしまうと、夢を共有できないと思っているからだ。夢の中に出てくる妖怪は、共有している夢の相手だと思うようになった。だから、それを忘れないようにして、目が覚めてから文章にしていた。

「夢で怖い夢を見た時というのは、誰か必ず夢を共有している人がいるはずだ」

 というのが、進藤の考えだった。

 これは、進藤だけにいえることではない。他の人が怖い夢を見て、それを目が覚めても覚えているというのは、夢を共有しているからなのだ。

 進藤の作品は、この感覚から来ていた。

「誰にも信用してもらえないことを、どのように興味を持たせることができるか」

 ということがテーマだった。

 だから、進藤には高山の書いた小説の意味が分かっていた。

 しかし、高山が進藤の夢の共有の相手だというわけではない。もしろ、違うからこそ分かるということもあるというもので、もし、高山が進藤と同じ夢を見ているとすれば、高山にも進藤の気持ちが分かるであろう。

 そうなれば、高山は夢で共有した内容を自分の作品として発表しようとは思わないはずだ。

 夢の世界で見たことは、現実の世界で感じているような単純なものではない。同じ夢を見ながら、相手が何を感じているのかが分かるからだ。それは相手が自分と違う性格であることを分かった上で分かるのだから、感じていることは違って当たり前だと思っているはずだ。

 高山と進藤が同じ夢で共有した内容を小説にしようとするならば、違う作品に仕上がることだろう。読者が見て、

「これはどちらかが盗作したのでは?」

 という発想には決してならない。そう感じることができる人がいるとすれば、その人も夢を共有していないといけないからだ。

 共有しているとはいえ、それは違う世界でのこと、立場が違えば、現実世界でそれを表現しても、同じものにはならないのだ。

――それなのに、どうして高山が作品にしようとしないと思うのか?

 それは、

――他の人から何と思われようともかまわないが、夢を共有している進藤本人に、自分の書いた小説が、共有している夢の内容であるということを知られるのが一番辛いと思うだろう――

 と、高山が考えているからに違いないと思ったからだ。

 お互いに誰かと夢の共有ができていると思っている二人は、実際には夢を共有することはありえない。夢を共有していることを知っている人は、自分から夢を共有する相手を選べないからだ。つまりは、分かっているもの同士は、まるで磁石の同極のように、反発しあうものであった。

 そのことに先に気づいたのは、高山だった。進藤は深いところまで夢の共有を感じていたため、浅いところでの感覚はマヒしていた。まだまだ高山は浅いところで夢の共有を感じている。それは、自由な発想をもたらすことのできるものだった。

 高山が天国と地獄の夢を見たのはその頃だった。誰かと夢の共有をしているというのに、内容が天国と地獄、一体誰が、そんな発想を抱いていたというのだろう? 今すぐに分かる必要はない。永遠のテーマであってもいい。その方が、目が覚めて覚えている夢に広がりを持たせることができるというものである。

 その夢を見る前の朝、目覚めはあまりよくなかった。元々、その日は執筆を休むつもりだったので、外出するつもりだった。目覚めがよくなかったからと言って、別に体調が悪かったわけでも、夢見が悪かったわけでもない。最近ではあまり感じたことのなかった欝状態の兆しがほんの少しあっただけで、目が覚めるにしたがって、次第に欝状態から解消されていくのを感じた。

――気のせいだったんだろうか?

 高山は、毎日執筆しているわけではない。一週間に二日ほど、自分の都合のいいところで休むことにしている。急遽気分が悪くなることもあって、いきなりその日、執筆する気にはならない時もあったが、それほど気分にムラがある方ではないので、予定通り進むことの方が多かった。

 ただ、ここ最近は、童話の執筆に疑問を感じ始めるようになると、執筆意欲がだいぶ失せてくるようになった。

――僕は、どうして童話を書こうと思ったんだろう?

 ここから疑問が始まったのだ。

 童話の新人賞に応募し、入賞したことで、今の童話作家としての地位がある。誰が見ても順風満帆の童話作家人生を歩んでいるように見えるのだろうが、どうして童話を書こうと思ったのかということを考えてしまったことで、急に自分が分からなくなってしまっていた。

 今まで自分に疑問を持ったことがないわけではなかったが、一度疑問を持つと、弊害が起こってしまうなど、考えたこともなかった。順風満帆という状況にいながら、その言葉を考えたこともなかった自分が、どれほど見えていなかったのかということに気が付いたのだ。

――一度自分に疑問を持つと、過去の自分を思い出そうとしても思い出せない部分がある――

 ということに気が付いた。

 そもそも、過去の自分を振り返ってみようなどということを考えたこともなかったような気がする。少なくとも童話作家になってからは、過去の自分を顧みたことはなかった。それまでの自分を思い出そうとしても思い出せないのだから、過去を顧みようと思ったかどうかなど、分かるはずもなかった。

――今よりも、子供の頃の方が、いっぱい夢を見ていたような気がするな――

 と感じるのは、欝状態に陥った時だった。

 欝状態に陥るようになったのは、童話作家として名声を得るようになってからだというのは皮肉なことなのだろうか? ちょうどその頃、目が覚めてから、

――何かの夢を見ていたような気がする――

 と感じることが多くなった。

 覚えている夢がいつも怖い夢ばかりだったので、最初は夢を見ることを怖がっていたのだが、よくよく考えてみると、目が覚めるにしたがって、忘れていく夢も存在することに気が付いた。

――忘れたくないのに――

 と感じる夢で、覚えているのが怖い夢ばかりだというのを、皮肉に感じるようになっていた。

 ただ、目が覚めるにしたがって忘れてしまう夢の中で、子供の頃にも同じような思いをしたことを思い出したような気がした。夢の中に出てきた自分はまだ小学生で、怖い夢を見たことを忘れてしまいたいと思いながら、目が覚めていく感覚だったのだ。

 子供の頃のことを思い出すとすれば、それは夢でしかないと思うようになっていた。だから、最近は見た夢を忘れたくないと思うようになっていて、それが怖い夢でもいいような気がしていたのだ。そんな時に見た夢が、天国と地獄の夢だったのだ。

 あれは、神社の奥に友達と入り込んだ時のことだった。

 どうして、神社の奥に友達と入り込んでしまったのか分からなかったが、そこで見た大きな絵が印象的だった。まさに天国と地獄の絵だったのだが、子供の自分には、それが天国と地獄の絵だということに気づかなかった。教えてくれたのは、神主さんだった。

 その部屋は、結構広かったようだ。しかし、子供の高山から見ても、それほど広く感じなかったのは、天井が高かったことと、天井に近いところに、大きな絵が何枚も架けられていて、上から下を見下ろしている感覚に襲われたからだった。

「ほれ、ここに乗っているのが、天国だよ」

 と言って指差した先に架けられた絵の、最初に感じたのは大きな池だった。

 池のまわりには、蓮の花が咲いていた。もちろん、子供の頃にそれが蓮の花だなどと分かったわけではなく、

「天国というところは蓮の花が咲いている池があるんだ」

 というのを、学校で習ったからだった。

 それを教えられたのは、国語の授業の時だった。

 教科書に載っていた芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という作品。教科書には挿絵が載っていて、天国の蓮の池のほとりに、お釈迦様が佇んでいるものだった。

 挿絵はその一枚だけで、地獄の絵は書かれていなかった。あまりにも描写がエグいので、教科書としてはふさわしくないからだと思ったが、今でも、その通りだと思っている。

 その時に見た絵は、まさしく、蓮の池のほとりにお釈迦様が佇んでいるものだった。

――教科書で見た時、それほど天国の絵に感動がなかったのは、それより前に神社で神主に見せられた天国の絵が印象深かったからだ――

 と感じた。

 もし、天国の絵を最初に見ただけだったら、

――天国なんてウソ臭い――

 などと感じることもなかっただろう。

 なまじ、国語の授業で、似たような挿絵を教科書で見てしまったものだから、せっかくの神社で見た絵の印象が半減してしまったのだ。

 だが、神社で見た絵の印象が薄まるわけではなかった。強い印象で残っていたのは間違いないことだ。ただ、その思いが表に出てくることは、子供の頃にはなかったというだけだった。

 なぜなら、子供の頃というのは、上ばかりを見ているからだ。成長することしか頭の仲にはなく、背が縮んでしまったり、大人になることを否定するようなことがあるはずはないと思っていたからだ。

 それだけに、少しでも大人に対して不信感を抱くと、

「大人になんかなりたくない」

 と感じるようになり、本当であれば、

「あんな大人になりたくない」

 という個人的な相手に絞られるにもかかわらず、大人全体が何か汚いものに見えてしまうのは、成長を信じて疑わない感覚の弊害ではないかと、大人になって感じたのだ。

 天国の絵が最初のインパクトから、教科書を見てしまったことで、ずっと印象が薄かったのに対して、地獄の絵は、最初に見た印象がそのまま大人になっても消えなかった。

 いや、大人になるにつれて、印象が深まっていたといってもいいだろう。絵を思い出すということはそんなになかったはずなのに、どうして印象が深まっていったのか、最初は分からなかった。

 高山が、童話を書く時に思い浮かべることとして、天国と地獄が思い浮かんでいたのは事実だった。思い浮かべるのは天国と地獄のセットで、どちらかだけを思い浮かべるということはなかった。天国のイメージは、次第に小さくなっていったはずなのに、童話を書く時のイメージは、大きいままだった。

 次第に印象が薄れていく天国の絵とは反対に、最大だったインパクトの強い第一印象より衰えることのない印象を植え付けられたのは、その横から数枚にもわたって描かれている地獄絵図だった。

 天国の絵が一枚だけだったのに比べて、地獄の絵は一体何枚あるというのだろう?

「この地獄絵図を見ると、ずっと頭の中に残ってしまって、忘れることができなくなることがあるので、本当は子供には見せてはいけないものなのかも知れないが、わしは敢えてお前たちに見せる」

 と言って、神主は地獄絵図を指差した。

「あれが、釜茹で地獄。あれが、血の池地獄。あれが針の山の地獄……」

 と、次々に絵を指差した。

 そこに描かれているのは、すべて鬼たちだった。鬼というのは、赤い鬼もいれば、青い鬼もいる。

「どこかで見たことがある顔だ」

 というと、

「節分の時の鬼の面で見たんだろうな」

 と神主に言われて、

「ああ、そうだ。あの時の顔と同じだ」

 と思ったが、実際に金棒を持って、人間を血の池に落としたり、針の山に追い詰めたりしているのを見ると、怖いという印象よりも、どこか他人事のように感じられた。

 しかし、次の絵で、鬼の顔がアップになり、絵全体に鬼の顔が描かれているのを見せられると、

――これが神主さんの言った「忘れることができない」ということなのだろうか?

 と感じたのだ。

 だが、他人事のように思える地獄絵図。描き方が昔の描き方だったからだ。教科書で見た平安時代の絵巻や、あるいは、国語の教科書に載っていたおとぎ話の挿絵などのように、今の絵のような、見た目を忠実に描く画法と違った描き方は、子供の頃の高山には、他人事にしか見えなかった。

 それが、印象深く感じられるようになったのは、高校になってからだった。

 それまで嫌いだった社会科の授業で、日本史に興味を持つようになると、他人事のように思えていた絵が、一つの画法だと考えることで、リアリティを感じるようになっていった。

 その思いが、絵の中のどれか一箇所を集中的に記憶しているという思いを抱かせた。

 鬼の表情ひとつが印象に残っている以外に、血の池地獄が大きく印象に残った。それは、真っ赤に染まった池の色と、赤鬼の表情の合致であり、さらに、天国で感じた蓮の池が、真っ赤に染まっているのをイメージしてしまったからだ。

 捻じ曲がった記憶の中で、天国の印象が薄くなってきたのは、血の池地獄の印象が強かったからだというのもあった。

 だが、意識の中に、

「天国というのは、いいことをした人が行くところで、地獄というのは、悪いことをした人が行くところなのだ」

 ということを、その時初めて神主から聞いた気がしたからだった。

 しかし、それはおかしな気がした。

 絵を見てすぐに、

「これは天国と地獄の絵だ」

 ということは分かったはずだ。

 天国と地獄というのを理解しているのだから、そこがどういうところなのかということも分かっていたはずだ。最初にどこで天国と地獄というのを理解したのかということを覚えていないほど、神主に見せられた絵の印象が深かったのだろう。

 大人になって思い出してみると、今までに見た夢の感覚に似ていた。

「天国のような怖くない夢は、目が覚めるにしたがって忘れていくが、地獄のように怖い夢は、忘れてしまいたいにもかかわらず、忘れることができない」

 という皮肉に結びついてくるのだ。

 今回、

「天国と地獄の夢を見たので、それを小説にして発表したい」

 と編集社に告げたのは、思い出してしまった天国と地獄の絵の印象から脈絡と続いてきた大人への道を、今ここで掘り下げてみたいと考えたからだった。さらに、

「天国と地獄の夢は、これで終わりではないような気がするんです。だから、次の夢を見る前に、今見た夢を書き留めておかないと、完全に忘れてしまって、二度と思い出すことができなくなるような気がするんです」

 という思いが頭の中にあり、その思いを小説にして発表することが自分の使命のように感じたからだ。

「天国と地獄と言っても、皆が考えているようなものではないんです。そこには宗教に対しての皮肉めいたものがあったり、人間臭さが渦巻いていたりするんです。今僕が書いている童話も、この天国と地獄をテーマにした小説を書くための前兆のように思えるくらい、発表してみたい内容なんですよ」

 と編集社の担当者には話してみた。

 もちろん、編集社の意向としては反対をするのは分かっていた。

「先生の作品には、先生の顔というイメージがあるんですよ。子供向けに書いてきた先生が、今度は怪奇小説を書くというのは、今まで積み重ねてきたものを崩しかねないんじゃないかって思うんです。ペンネームを別にして書かれてはいかがですか?」

 という話があったが、

「それでは意味がないんです。高山廉太郎として発表しなければ、天国と地獄の作品は成立しないんです」

 と、高山は言い張った。

「分かりました。少し、三雲さんに相談してみます」

 今の高山の担当者は、三雲に陶酔していた。自分の担当が当時三雲が担当していた高山だと聞いて、非常に嬉しく思ったのだ。

 もっとも、この話は三雲から出たもので、自分が綿貫の担当になるについて、高山の担当の後任に彼を推薦したのは、他ならぬ三雲だったからだ。

 三雲は、自分が綿貫の担当になっても、時々高山の相談相手になっていた。彼は知らなかったが、本当は天国と地獄の話を出版してみたいという話を最初に持って行った相手は、三雲だったのだ。

「なかなか面白いんじゃないですか?」

 というのが三雲の意見だった。

 もちろん、出版社がすぐに賛成しないことも分かっていた。高山も分かっていたから、三雲に最初に相談したのだ。それを踏まえた上で、三雲は賛成した。やはり高山の中にただの童話作家として以外に、違った血が流れているということを最初に看過した三雲だからこそ、言えることなのだろう。

 まだ、完全に構想はできていなかったが、

「まだ、小説で言えばプロローグしか浮かんでいないんだ」

 と言って、導入部分だけでも三雲に話すと、

「その発想はすごいですよ。今までの発想を一気に覆すことになる話になりそうじゃないですか? その後の構想が楽しみですね」

「それは僕も同じなんですよ。何しろ、どのような発想が浮かんでくるか、自分で思い浮かべているにもかかわらず、どこか他人事のように思えるので、そこが僕にとっても楽しみなんですよ」

 作者としては、少しおかしな言い回しだったが、三雲には高山が何を言いたいのか分かった気がした。

「一緒に楽しみましょう」

 これが、三雲の答えだったのだ。

 この答えが高山の背中を押した。いまさら編集社が何を言おうと、高山は引き下がる気はしなかった。やはり最後に決めるのは、高山だからである。

 高山の発想は、まだプロローグでしかなかった。誰かに話すとしても、序章でしかないので、聞いた人は、話が天国と地獄というある意味、「パンドラの匣」を開けるイメージなので、話の展開によっては、社会問題にもなりかねないという危惧を持っていた。

「この話は、半分皮肉が篭っているので、普通に考えられている世界とは、まったく違った内容にしてしまわないと、いけないような気がするんだ」

 と三雲がいうと、

「そういう意味では、夢で見た話の中で覚えていることを書いているので、普通に考えられている話とは反対の世界を描けるように思うんだよ。僕はまず最初に見たのは、天国と地獄に振り分けるための関所のようなものの存在だったんだ」

 高山の夢の中では、


 一人の男が彷徨いながら、ドライアイスが敷き詰められた足元の見えない世界を歩いている。それはまるで雲の上を歩いているような感覚で、普通の精神状態なら、足元が見えないのだから、怖くて一歩でも足を踏み出すことはできないはずだ。

 それなのに、その男は足元を見ながら、足場はしっかりしていることだけは理解しているのか、道もないのに、彷徨いながら歩いていた。

 目の前から一人の女性が歩いてくる。彼女も彼と同じように彷徨うように歩いているにもかかわらず、一直線に歩いていた。

 目標物がないので、彷徨っているように見えるが、二人には自分の進む道が見えているのか、ゆっくりではありながら、着実に前に進んでいる。

「地獄にはいけませんでしたか?」

 と男性が訊ねると、少し苛立った様子を隠すこともなく、聞かれた女性は、

「ええ、残念ながら」

 と答えた。

「あなたはこれから地獄へ?」

「ええ、天国に行けば、あなたは地獄だって言われました」

 男は、さっきの女性とは別に微笑んでいる。

「そうなんですね。私も最初から天国に行けばよかったわ。そうすれば、こんなに落胆することもなかったのに」

「大丈夫ですよ。地獄にいける道だってありますよ。落胆することなんかありません」

「そうだったらいいんですけどね。私は死ぬ前は淫乱だったんですよ。男がいないと生きていけない女。そんな女、あなた嫌いですか?」

「嫌いではないですよ。死んでしまうとどうなるのか分からないんですが、何か『天国には行くな』と言われたような気がしてですね」

「あなたもなんですか? 私もなんですよ。どうしてなのかって聞くと、その人は笑顔でこういうんです。『あなたは淫乱なんでしょう?』ってね。生きている時なら、『なんて失礼な人なんだろう』って思うんですけど、死んでしまったと認識すると、淫乱という言葉が懐かしく感じられるようになったんですよ。そしてひょっとすると、あの世では淫乱というのは悪い意味ではないんじゃないかってね」

「あなたは、それをどこで聞きました?」

「私は自分が死んだと認識したのは、実は今なんですよ。あなたに声を掛けられて初めて理解できた気がしました。それまでは、別の世界にいたような気がしたんですが、そこで、自分が死んだということを聞かされました。もちろん、そんなことは信じられないし、死んだという意識もない。でも、現実の世界とは程遠いので、てっきり夢を見ているんだって思ったんですよ」

「僕も似たような世界にいたような気がします」

 と男がいうと、女もニッコリと笑って、

「そこには建物があって、まるで大学か研究所のようなつくりのところだったんですが、別に宿泊施設があるわけでもない。教室がいくつか存在していて、それまでまわりに誰もいなかったはずなのに、その建物が見えた途端、たくさんの人がまわりに湧いて出てきたんですよ」

「建物を意識すると、人が現れたという感じですか?」

「ええ、そうです」

「私は逆でしたね。人を意識すると、目の前に建物が急に出現した。どうなっているのか分からなかったけど、今から思うと、あなたが感じたよりも僕の方がショックは小さかったような気がします」

「最初は、その人たちは女ばかりだったんです。だから、てっきり女性専用の場所なのかなって思ったんですが、建物に意識を集中させてから、またまわりに意識を戻すと、今度は男性もその中に混じっていた。不思議な感覚でした」

「僕は逆ですよ。というよりも、同じというべきなのかな? 最初は男性しかいなかったのに、あなたと同じように意識を建物から元に戻すと、女の人の姿も混じっていました」

「自分の感覚を、誰か他の人に操られているんじゃないかって私は感じたんです」

「僕は違いますね。あくまでもこの世界で起こっていることは、自分の潜在意識の外に出ることはないと思っているんですよ」

「ということは、あなたは、これは夢の世界だって思っているんですか?」

「ええ、大体、死んだということ自体意識がないわけだし、死んでしまって意識が残っているというのも、何かおかしな気がするんですよ」

「じゃあ、あなたは死んだら、そこでおしまいだと思っているんですか?」

「そこまでは思っていないんですが、死ぬ前の意識とはまったく違った意識が宿るように思うんです」

「それって、でもおかしいですよね。肉体がないんだから、違う人になってしまうということですか?」

「あの世では、別の肉体と別の精神が用意されていると思っているんですよ。見た目はまったく違う人なんだけど、それぞれの世の中で一番近しい存在。それが、生きている時に感じる天国と地獄なんじゃないかってですね」

「でも、生きている時は世の中は一つなのに、死んでから、どうして天国と地獄という二つの世界が存在するんでしょうね?」

「ひょっとすると、生きている世界でも天国と地獄のような二つの世界が存在し、その世界での行いによって、死んでからの天国と地獄に振り分けられるということなのかな?」

「もう一つの世界では、自分たちとは似ても似つかない人たちが存在していて、まったく違ったモラルやルールが存在しているのかも知れない。どっちの世界がよかったのかしらね?」

 二人はそこまでいうと、少し黙り込んでしまった。

 男の方が考えていることは、

――生と死の世界が存在するのなら、それ以外の世界だって存在してもいいかも知れない――

 という思いだった。

 それは、天国と地獄のような二面性を持った一つの世界が複数存在しているのではないかという発想だった。

 女性の方も似たような思いを頭の中に描いていた。

 だが、彼女が気になっていたのは、男女の違いである。

 最初に気が付いた時は、まわりに女性しかいなかった。しかし、次第に男性が現れて、そこで我に返ったような気がしたからだ。

――どの世の中であっても、異性がいないと、その世界自体が存在しない――

 そう思うと、自分が淫乱だと思っていたことも、ただ単に、男性という異性を求める思いが強すぎるだけで、なるほど、悪いことではない。むしろ、人間の欲を正当化するには一番身近に感じられるのが性だとすると、淫乱が悪いことではないと胸を張って言えるのではないだろうか。

 二人は会話に疲れたのか、少しお互いを意識しないように、雲の上に腰掛けた。座るとドライアイスの煙が身体に纏わりつくと、一瞬前が見えなくなった。

 相手が隣にいてもいなくても、別にかまわないと思っていた。

――この世界でも疲れることはあるんだ――

 一応、死後の世界だということは理解しているつもりだったので、二人とも、疲れを感じたことに、少し違和感があった。男性の方は、夢に近いとは思いながらも死後の世界を受け入れているのは、彼女と話をしたからだった。

 寝ている時に見る夢は、潜在意識のなせる業だと思っているので、彼女の存在が自分の潜在意識が生み出したものではないことは分かっていた。だから、もし隣に彼女がいなくても、それはしょうがないことだという思いがあったのだ。

――僕はあの建物に入ってから、早く抜け出したいと思っていたにもかかわらず、気が付けば一人になっていたことで、早く出たいと思ったことを後悔したんだっけ――

 と、男性の方は感じていた。

――私はあの建物で、天国と地獄のどちらに行くのか精査されると思っていたのに、気が付けば表に出ていた。ちゃんと決めてくれなかったから、こうやって彷徨うことになるんだわ――

 という思いを抱いていた。

 お互いにまったく違ったことを考えていながら、次第に、相手が何を考えているのか、察しがついてきたような気がした。

「あなたは、生きている時に、天国と地獄って、どうして知ったんですか?」

 男が、女性に語りかけた。

「私は、おばあちゃんから聞かされました。生きている時にいいことをすると天国にいけて、悪いことをすると地獄に落ちるんだってね。あなたは、どうだったんですか?」

「僕の場合は、近所のお寺で聞かされたんだ。結構ワンパクだったので、いつも境内の果物の木に登って、実を取って食べていたんだけど、ある日、住職に見つかって、正座させられたんだ。その時に、天国と地獄の話をされたんだ。内容は、今あなたが言ったのと同じことだったんだけどね」

「じゃあ、天国と地獄のことは、皆教わった相手は違っても同じ認識だということなんでしょうね」

「それは天国と地獄の話に限ったことではないだろうけど、決定的な違いは、天国と地獄を誰も見たことがある人がいないということだね」

「ええ、天国と地獄を見るには、死ななければ見ることができないですからね。そして死んでしまったら、二度とこの世に戻ってくることはできない」

「それだけ矛盾を抱えているということだけど、死んでしまってから、考えることでもないかな?」

 と言って、男性は笑った。

 それにつられて女性も笑ったが、

「じゃあ、また地獄でお会いしましょう」

 と言って、踵を返し、歩いていくわけではないが、スーッと姿が消えていった。

 一人取り残された男性は、

「じゃあ、俺はどっちに行こうかな?」

 さっきまで天国にいたのを忘れたかのように佇んでいる。

 そして、彼もそのまま踵を返すと、スーッと何もない空間に、消えて行ったのだった……。


 それが高山の夢だったが、ここまで完全に覚えているわけではない。小説にしようとしているのだから、少々着色された話にはなっていた。

 この話を聞いた三雲は、

「なかなか面白いんじゃないですか?」

 と言った。

 口調は、どこか他人事のように聞こえたが、返事をしながら、話の内容を反芻しているようだった。

「今、口で言ったことを文章にしてみたんだけどね」

 と言って、原稿を三雲に渡し、見てもらった。

 すると、

「う~ん、口で話をしてくれた方が面白かったな」

 と三雲は言ったが、さらに、

「でも、同じ話であれば、最初に聞いた方がセンセーショナルなので、それはしょうがないことだよな。文章にしたものをあらためて見ると、それなりに見るべきところはあったと思う。特に強調したいところを、なるべく同じ言葉にならないように反復するところは、作家のテクニックによるところがあるからね。その部分においての高山先生の技術は、僕が保障してもいいと思うよ」

 と言ってくれた。

「三雲さんがそう言ってくれるのなら、きっと大丈夫な気がする」

 と高山は言った。

 謙虚なところのある高山だったが、担当の人の意見を鵜呑みにしないところもあり、そこが作家のプライドなのだろうが、三雲はそのあたりは分かっていた。今の担当はそこまで分かっていないことも三雲は分かっていて、なぜ高山が自分に最初に相談したのか分かる気がした。

 それでも、自分の口から大丈夫だというのは、三雲には意外だった。自分の着目点について自信があっても、実際に売れるかどうか、自信がないというギャップを感じているからなのかも知れない。

「まずは、完成してみないと何とも言えないと思う。ここから先の展開が楽しみですよ」

 三雲はそう言って、それ以上口出ししなかった。

「そうですね。自分でもどんな展開になるか、今の段階では何とも言えないからですね。新しい発想が生まれたら、また話に来ますよ」

 と言って、その日は別れた。

 新しい発想は立て続けに生まれるもので、その日も高山は夢を見た。前の日の夢の続きだと最初は思わなかったが、途中から夢の続きだと気付いたことが今度の夢の特徴だった。この特徴は、これから後の夢にも受け継がれていくことでもあったのだ。

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