第9話 Invader

「シエラ」

「んっ…誰?」


 窓から差し込む日の光。誰かが名前を呼んでいる。


「お姉ちゃん…?」


 目を擦ると、目の前に姉がいた。ひとつに束ねた長い髪、どことなく子供っぽい顔立ち。シエラはお姉ちゃんの脚の上で眠っていたらしい。こうして朝起こしてもらうのもなんだかすごく久しぶりな気がする。毎日一緒に眠って、一緒に起きて、ずっとそうしてきたはずなのに。


「ん、おはよう」

「よかった~ちゃんと起きてくれた!」


 シエラが起きたのを確認すると、お姉ちゃんは満足気に頷く。


 シエラ達には親がいない。生きてるのか死んでるのかもわからないけど、シエラはそれには興味がなかった。最初からいない人達のことなんて考えても仕方ないと思うし、小さな子供2人を置いてどこかに消えてしまった親なんて、どうせ禄でもない人達だろうから。


 けど、お姉ちゃんは違う。物心ついた時から一緒にいてくれたお姉ちゃんは、シエラにとって誰よりも大切で、かけがえのない家族だ。そして、村はずれのこの小さな小屋も、シエラの大事な帰る場所なのだ。


「お姉ちゃん、今日も行くの?」

「もちろん!お仕事ちゃんとやらないと、困る人がいるからね」

「……あの人達、もっと困った方がいい」

「あはは……まあ気持ちはわかるけど」


 お姉ちゃんの仕事は森神様の前で踊ることらしい。森神様はこの土地を守っている大いなる存在で、敵対者が森に入るのを防いでくれているんだとか。シエラは会ったことは無いけど、お姉ちゃんが言うのならそうなのだろう。


 にもかかわらず、誰も森神様に感謝しない。それどころか、そのお世話をみたいにお姉ちゃんに押し付けている。


「シエラ達が"純血"じゃないからって舐めてる。許せない」

「いいよいいよシエラが怒らなくても」

「よくない。お姉ちゃんはアイツら守ってる。こんな村はずれに追いやって……シエラは納得できない」

「妹が暴力的で姉ちゃん怖いよ~」


 えんえんとウソ泣きをする姉は、それでもシエラからしたら優しすぎるように見えた。


「私ね、ほんとに気にしてないんだ」


 お姉ちゃんが羽を広げる。ふわふわした汚れひとつない綺麗な白色。昔からこの羽に包まれて眠るのがシエラの一番な幸せだった。


「秘密なんだけどね、私は別にあの人達の為には舞ってないし、なんなら森神様のためとも思ってないんだよ?」


 ……村人たちに聞かれでもしたらきっと大きな石を投げられるだろう言葉。だからこそ、シエラはその感情が自分に向いていることがこの上なく嬉しいと思う。


「私はシエラがいてくれればそれでいいんだ~。だから毎日森神様に、シエラを守ってくださいってお願いしてるんだから」

「ん……シエラもお姉ちゃんがいればいい」

「あ~ダメダメそんなこと言っちゃ」


 シエラから離れた姉がむすっと頬を膨らませる。


「シエラにはもっと自分のやりたいこと沢山やってもらわないと!」

「お姉ちゃん、さっきシエラがいるだけでいいって……」

「ふっふっふ。大人って言うのは矛盾するものなんだよ~。それじゃ、行ってきます」


 そう言って姉は小屋から飛びしていく。


「ん、いってらっしゃい」


 木製の扉がギシリと音を立てる。

 姉を見送った後、シエラいつも通り狩りに行こうと思った。


 そうだ。姉は『ミブチドリ』のお肉が好きだった。その日もそれを取って帰ろうと思ったんだ。




 ──世界が切り替わる。




 目の前の村が燃え上がっている。崩れた民家。周りに漂う焦げた匂い。肌を焼く炎の温度。災禍を生き残ったであろうわずかな村人も、周りを走るに襲われ逃げ惑っている。それはさながら地獄絵図。


 だというのに、不思議なことに。

 シエラは村の心配をしなかった。嫌いだったっていうのもあるけど、それ以上にシエラの中を支配したのは──。


「お姉ちゃん!」


 姉がまだ帰ってきてない。何よりもまずは姉の安否だ。


 と、


「うっ……ぐッ!」


 足元から苦しそうな声が聞こえてくる。崩れた民家の下に、誰かが巻き込まれていた。村に来たことは数えるほどしかない。だから声の主のことも今初めて見た。既にかなりの時間が経過しているようで、男は今にも力尽きそうなほど弱弱しい。


「そ、こに、いるのは──」


 建物の下敷きになっている男と目が合う。

 

「お前……村はずれの……」

「っ!」


 弱弱しかった表情が嘘のように、男の顔に怒りが満ちる。


 ──それはまるで、シエラの鏡の様だと思った。


「お前がっ!お前の姉がちゃんと祈っていればっ!」

「し、知らないっ!シエラ達悪くないっ!そもそもあなた達がお姉ちゃんにばかり頼るからっ!」

「口答えするなっ!さてはこの襲撃もお前達が──」

「うるせぇなぁ!!」


 積み上がった瓦礫ごと男が蹴り飛ばされる。ただ蹴られただけで人の体が球みたいに飛ぶ光景。それを見て、シエラの思考がフリーズする。一瞬遅れて、遠くで何かが壊れる音がした。


「ったく雑魚が喚くなみっともねぇ」


 男を蹴飛ばした存在は、赤い服に身を包んでいた。だらりと垂れた腕の先には翼が生えておらず、代わりに細長い棒が何本も付いている。日に慣れていなそうな白い肌はまるで死体が歩いているかのようだ。加えてこの悪寒。単に強い魔物と相対した時とは、異質のプレッシャー。


 シエラ達は村の住人達と違って魔力探知がうまくない。だからこの感覚は魔力由来のものじゃなくて──。


「あ、あ……」

「はぁ~あ。魔王サマに言われてきてみたは良いものの、こいつはとんだ無駄だったなぁ」


 シエラはその事実にひどく恐怖した。男が放っているそれが、純粋な殺気だったから。


「俺ぁ"強翼の魔王"が第6の使徒。名前は『アアル』。この辺りに強ぇ"羽魔族"がいると聞いてきたんだが、全くとんだ見当違いだったなぁ。俺ぁよえぇヤツと魔王サマに逆らうヤツ、それから俺をイラつかせるヤツは死んだ方がいいって思ってんだがぁ──」


 アアルと名乗った男の腕が、ゆっくりとシエラに伸びてくる。


「お前はどうだぁ?」


 逃げなきゃいけないのはわかってる。


 でも怖い。恐怖で脚が動かない。


「助け──」

「【空魔法エリアルワイズ】!!」

「お姉ちゃん!」


 見覚えのある魔法が直撃し、男が派手に吹き飛ぶ。

 その隙に近くに降り立った姉は、戸惑うシエラを力強く抱きしめた。硝煙の匂いに変わって、シエラの中になにか暖かいものが込み上げてくる。


「よかった……無事でよかった……」

「お姉ちゃん?」

「ふぅ……よしっ!」


 間近にある姉の顔には、いつも通り笑顔が浮かんでいる。けど、その裏にいつもとは違う気持ちを感じる。まるでこれから大きなことをするような、なにか覚悟を決めたような、そんな表情。


「私ね、シエラが生きててくれればそれでいいよ」

「ん、知ってる。だから早く逃げよ?」

「シエラの為ならどれだけでも頑張れる」


 ズガンッッ!!!


 っと、なにかがはじけ飛ぶ音が響く。

 姉の魔法で吹き飛ばされたアアルが、無傷のまま立ち上がったのだ。事もなさげにニヤニヤと笑う男を見て、全身が粟立つのを感じる。


「ったくなぁ」


 お姉ちゃんの魔法は直撃していたのに……。


 男の目線が姉に向く。


「んだよやっぱりいるじゃねぇか!」

「……なんの用?」

「【ファルレギオ】が見つかった」

「ッ!」


 お姉ちゃんの顔色が変わる。


「アレに挑むには戦力がいるからなぁ?ウチの魔王サマはオマエみたいなヤツでも頭数に入れたいらしい」

「……関係ない。私と貴方達との縁はずっと昔に切れてる。お引き取りいただけないかな」

「はッ!そいつはオマエが勝手に思ってるだけだぜぇ?繋がりっつーのは死ぬまで切れねぇもんなんだよなぁ!!」


 その時、アアルの目がぎょろりとこちらを見据える。


「だが今ここで見せてやってもいいぜぇ?繋がりが切れる瞬間をよぉ?」

「ッ!シエラッ!!逃げてッ!」

「【□□□ヴェールムワイズ】」


 アアルの手元に3本の炎の矢が出現する。赤く燃え上がるそれは、獲物を捜すかのように揺らめき、次の瞬間シエラの方へと向かってきた。


「え──」

「【空魔法エリアルワイズ大渦エルヴェルベール】」

「わっ!」


 シエラと姉の間に大きな竜巻が発生する。強化された風の勢いは、容易くシエラを吹き飛ばし、当たるはずだった矢はおかしな軌道を描いて木にぶつかった。


「え」


 立ち上がり、姉の方を見て気付く異変。

 竜巻が消えていない。これじゃあお姉ちゃんがこっちに来れない。


「お姉ちゃん!!魔法が消えてない!!」

「シエラは逃げて。貴方が無事じゃないと私やる気でないからさ」

「なんでっ!やだっ!お姉ちゃんも一緒に──」


 風が一層強さを増す。まるでシエラが近付くのを拒むように。


「じゃあさ。シエラは今逃げて、後でお姉ちゃん助けにきてくれないかな?」


 いかないで欲しい。いなくならないで欲しい。

 その心に反発するように、姉の声が遠く離れていく。靄がかかったように、その顔も消えていく。あれ、ていうか──。


「約束だぞ?」


 ──お姉ちゃんって、どんな声だったっけ。


 ◆◆◆


「うわっ!!!」

「うわああああ!!!!!」

「キャーー!!!!」


 飛び起きた傍で響き渡る悲鳴。咄嗟ににあった枕を投げつけてしまう。それが直撃した声の主は、ひっくり返って鼻を抑えた。


「うぎゃっ!」

「あ、ほのかっ!ごめんなさい」

「んーん大丈夫!こっちこそ朝からびっくりさせてごめんね」


 鼻の頭を赤くしたほのかが涙目で言う。


「ここは……」


 ほのか達の家だ。あの森の小屋じゃない。

 ……そう、今はここに住まわせてもらっている。ベッド以外には何も置かれていない部屋。扉には昨日ほのか達と撮ったプリクラ(?)が張られている。窓の外から差し込む日の光は、心なしか姉と過ごしたあの小屋と同じように思えた。


「(さっきまでのは……夢……)」

「なんかすっごくうなされてたよ?大丈夫?具合悪くない?」

「ん、大丈夫。問題ない」

「ならいいんだけど……わたしに出来ることあったらなんでも言ってね!!」


 やる気に満ち溢れた表情でほのかが言う。


「(お姉ちゃん……)」


 ほのか達にはすごく助けられている。これ以上シエラが何か迷惑をかけるのは……。


「?」


 ほのかが不思議そうにこちらを覗いていた。


「体調は大丈夫だけど……ほのか、ひとつお願いがある」

「ほえ?」


 ほのか達に頼るのは申し訳ない。

 けど、これ以上お姉ちゃんのことを忘れてしまったら、シエラの中の、なにか大切なものが無くなってしまう気がする。


 シエラはただ、それが恐ろしかったのだ。

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