【短編】おひるねをしよう

おかゆ

お昼寝にぴったりの

2023年6月9日は梅雨のほんの合間の穏やかな日だった。前日まで降り注いだ雨は群青の中空を渡る白雲となり、幾億年も繰り返した循環の任をただ全うしている。


ちょうど日向ぼっこに心地良いくらいの陽光が地表に注がれた。数時間前までひんやりとしていた大気がじんわりと熱を受け取り、人々の肌も熟れ始めた桃の果皮のようにほんのりとほどけた。


午前10時11分。氷魚児童公園はまっしろな夢を抱えてぽかぽかと淡く微睡んでいる。背の低いブランコが物憂げに揺れ、出世間的な気配の匂い立つ少女が退屈そうに欠伸をした。


濃紺のスカートからは妙な生白さが目を惹く腿がすらりと伸び、喪服の布地を思わせるソックスとローファーがそれに続く。少女の脚全体は総合して平均的な発達をしているようで、児童向けのブランコではその長さをいささか持て余していた。そのためか、空間を求めて両脚が前方へと投げ出されていた。


少女は踵とつま先を交互に地面との接触点にして体重を乗せ変えながら、あてもなく、ただそうしたいからといった様子で前後に軽く体を揺らしている。


公園全体に満ちる気の抜けた空気を脅かすものは何もなく、ただ時間がゆったりと体を横たえていた。何から何まで完璧で、何から何まで退屈だった。少女の纏う高等学校の制服が白くぼやけた陽光を吸い込み、吸い込まれた光は真っ白な繊維の中に閉じ込められ内部でギラギラと反射され続けたが、そんなことに気付くものは居なかった。


 10時15分。授業終了のチャイムが氷魚児童公園の大気を揺らし、公園全域のささやかな眠りに無粋極まりないヒビを入れた。少女はその気配を敏感に察知し、ほんの僅かに眉根を寄せるとおもむろに立ち上がった。と同時に、温められた潮風が横殴りに吹きつけ、ブランコの上部にくくりつけられた輪が煽られ、勢いのまま少女の頭の側面をぶった。


「あいてッ......全くもう。風ってやつはいつもこうだよ。ヤな時にヤなやり方で吹くんだから。連れて行くのは太陽だけで十分だよ」


___本当にもう。

口の中で小さく悪態をつきながら少女は右手の甲で輪をぶち返し、返す手のひらで頭を慰撫した。


ブランコの後側に回りこみ、2つずつ並んだ4席の中間に立つ。足元の地面はまだ僅かに湿っているが、その上には教科書やノートの類が剥き出しの状態で積み上げられていた。


少女はごく自然な足運びで右足をテキストの上に載せた。最上段の哀れな生物図表がローファーの裏の土汚れの犠牲になった。構成要素を緑、赤、青に蛍光染色された動物細胞たちは無機物を主成分とする茶褐色の構成要素を後天的に獲得したが、この類まれなる形質がアカデミアで日の目を浴びることはないだろう。


続けて踏み出す左足が、今度は始祖鳥の復元図に口づけを贈った。太古に生きた体長51.57cmの爬虫類は、賢き人と数多の昆虫が支配する新時代の地層に閉じ込められた。見知らぬ時代で目を白黒させていた彼も、今は安住の地で5匹の仲間たちと共に眠っているに違いない。


「わたしは目を覚まし、然して眠りにつくのだ」


ぬくぬくと眠り直したばかりの公園を見回し、少女は満足そうに頷いた。


「今日はお昼寝にぴったりの日だね。うん」


先ほどとは打って変わって、今度は輪を愛おしそうに指先でそっと撫で、首を通した。次の風が吹くまでの長くも短くもない間、少女は首を傾げて何か考えているようだった。






___不意に三歩目を踏み出した。

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【短編】おひるねをしよう おかゆ @okayu_mochi_

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