第28話 とあるミステリ研究会員の願い【解決編】

「モナミ! 聞こえるかい?」


 誰かの声が聞こえる。聞き覚えのあるその声に、俺はぼんやりとした頭で考える。

 誰だろう? すごく大切な人だってことだけはわかるんだけど。


「モナミ! 目を開けたまえ!」


 珍しいな。そんな切羽詰まった声。先輩には似合いませんよ。

 ん? 先輩?


「って、あれ? 先輩? どうしたんですか? そんな慌てて。らしくないですよ」


 気が付くと俺は家庭科準備室のソファで横になっていた。と、今度こそしっかりと先輩の声が降ってくる。

 どうやら俺はサトシに驚いて、つまづいて転んで、意識を失っていたらしい。病院ではなくソファってことは、それほど時間は経っていないのだろう。


「慌てている? この私が? モナミ、君は何を言っているんだい? 私はただココアのお代わりをお願いしようと思っただけだよ。この私が慌てることなど、例え太陽が西から登ろうともありえない話だよ」


 ふんっと効果音が付きそうな勢いでそっぽを向く先輩。その姿に苦笑しながら、はいはい、とココアを淹れようと体を起こしかけたのだけど。


「モナミ! まだ横になっていたまえ! 派手に転んだんだぞ!」

「あっ、やっぱり。っていうか、ココアのお代わりって言ったじゃないですか」

「ベ、別にココアはもうしばらく後で構わない。それより頭痛がするとかはないのか? って、モナミ! 何をにやにやしているんだ!」


 しまった。先輩の不器用な優しさが嬉しくて、つい顔が緩んでいたらしい。


「先輩、ありがとうございます。頭痛もしないし、大丈夫ですよ」

「そうか、それならいいのだが」

「なぁ、近藤」


 先輩と話す俺におずおずと声をかけてくる。やっぱりその目は、デカい図体に似合わず、不安げに揺れている。


「どうしたんだよ。サトシ、お前と話すのはあの日の屋上以来だよな」

「近藤! 思い出したのか?」


 俺の言葉にサトシが驚きの声を上げる。

 きっとジュンジとヒサヨシから、俺があのバレンタインデイのことを忘れていると聞いていたのだろう。


「ついさっきまで忘れていた」


 正直に答える。忘れていた、というより、蓋をしていたんだろう。

 学校に行かなくなってからしばらくたった頃、ふとその理由がわからなくなった。それをきっかけに普通に学校へ行けるようになった。


 ジュンジやヒサヨシのことは覚えているのに、サトシのことはすっかり忘れていた。もちろん自分がバスケ部だったことも。


 随分と不具合があったと思う。でも、周りのフォローのお陰で深く考えることもなく、俺は今日までの学園生活を無事に送ることができた。

 

 両親や教師はもちろん、何よりジュンジやヒサヨシに感謝だ。一緒にいる時間が長い分、俺が過去を思い出さないように、また不登校になってしまわないように、気を使ったことだろう。サトシとだって疎遠になってしまっていたのかもしれない。


「悪かったな」


 目の前のサトシを見たら、するりと謝罪の言葉がでた。

 見ればわかる。ずっと気にしてくれていたんだろう。デカい図体を小さく丸めて、不安げな目で俺を見て。なんでもはっきり言うサトシが言葉を選んで、何も言えなくなっている。


 俺の言葉にサトシの細い目が大きく見開かれる。そして。


「近藤、ごめん」

「うん」


 それだけで十分だった。

 

 あの日、俺たちはどっちもガキだった。サトシが全部受け入れてくれると頼り切っていた俺も。俺をやっかんで、やつ当たりしたサトシも。

 多分、今もたいして変わらない。きっと俺はこれからサトシを少し警戒するだろう。サトシだって俺を羨ましいと思う時はあるだろう。逆もあるかもしれないし、ジュンジやヒサヨシだって同じかもしれない。


 でも、その時はまた謝ろう。

 なかったことにしたりしないで、ちゃんと向き合おう。

 そう俺は思えたし、多分、サトシも同じ気持ちだと思う。

 だから、きっと大丈夫。


「やれやれ、モナミ、随分と時間がかかったようだね」

「すみません」


 俺とサトシのやり取りを見ていた先輩が肩を竦めて言う。時間がかかったというのは、もちろん今のやり取りのことではない。俺とサトシが和解できるまでにかかった時間のことだ。そんな先輩に俺は素直に謝る。

 

「まぁ、構わないさ。助手の成長は喜ばしいことだからね。ところで、体調に問題がないのであれば、ココアをお願いできるかな?」

「はい、もちろん」


 ソファから体を起こして、コンロへと向かう。

 

「あっ、サトシ、お前はどうする? 飲み物はコーヒー、ココア、お茶の三種類。コーヒーはインスタント。前からここにあったものだけど、一応賞味期限内。ココアは小鍋できちんと練って、きび砂糖で甘みをつけているのがポイント。今日のお茶はグリーンルイボスティー。普通のルイボスティーに比べて明るい水色と爽やかな味が特徴だよ」

「なぁ、近藤」


 ためらうようなサトシの声に俺は振り返る。やっぱり、すぐに前のようには話せないものだよね。


「何? あっ、お茶菓子はかぼちゃ饅頭なんだ。素朴な味だから、俺としてはグリーンルイボスティーがお勧め」


 少し無理矢理かも、と思いつつ、わざと明るい声で返したのだけど。


「お前、さっきから誰と話しているんだ?」

「えっ?」


 サトシの言葉に俺はキョトンとする。いやいや、今更? ずっと俺たちの話を聞いていたじゃん。

 

「えっ? あぁ、紹介がまだだったね。そちらは我がミステリ研究会の会長、アガサ先輩」

「アガサ先輩って誰だよ」


 固い声でたずねるサトシ。その目が鋭く俺を見つめる。

 

「ここにいるのは俺とお前だけだよな?」

「何言ってるの? そこにアガサ先輩が。って、あれ? 先輩?」


 気が付けばソファに先輩の姿がない。ローテーブルにあるのは、さっきまで俺が読んでいた緋色の表紙の本と先輩専用のマグカップだけ。


「いや、さっきまでここにいただろ? 栗色の長い髪で榛色の大きな目をした人が。小柄だしちょっと童顔だけど、高等部三年生なんだ。ヒサヨシも後輩だと勘違いしたんだけど」

「とりあえず、近藤、お前の好み、どんぴしゃだな」

「そうそう。って何、言わせるんだよ! ふざけてないで。さっきまでそこでココアを飲んでいただろ?」


 えっ? 本当にどこに行ったの? 家庭科準備室のドアは一つ。ソファから向かうなら俺を追い越すしかない。でも、もちろん先輩とすれ違ってなんていない。

 家庭科準備室だから、戸棚の影とか、隠れられそうな場所はいくらでもある。きょろきょろと探しまわる俺にサトシが声をかける。


「近藤、ココアってこれのことか?」


 ローテーブルに置かれたマグカップをサトシが取り上げて見せる。


「うん、それ。って、先輩、本当にどこに行ったのさ。ちょっと、変な冗談はやめてくださいよ。先輩、どこですか~?」

「近藤」

「なんでいきなり、かくれんぼ? いや、普段はもうちょっとちゃんとした人なんだよ。自由っちゃ自由な人なんだけどね。先輩、いい加減にしてください! ココア、淹れちゃいますよ。冷めても知りませんからね!」

「近藤!」


 いつの間にか背後に来ていたサトシが、俺の肩をがっしりと掴む。

 

「なんだよ。痛いって」

「近藤、マグカップを見てみろ」

「いや、わかってるよ。それ、先輩専用なの。いつも俺がココア淹れているんだから、見間違えたりしないよ。サトシが家庭科準備室に来た時にも飲んでいただろ?」


 ローテーブルを指し示すサトシにちょっと苛々しながら答える。肩を掴む手を払おうとしたのに、びくともしない。

 

「何するんだよ!」


 そのままサトシにローテーブルまで引っ張って行かれる。

 

「マグカップの中身を見てみろ」

「だから、ココアでしょ? わかってるって」

「中身だって言っているだろ!」

「何なんだよ! って、えっ?」


 先輩専用のマグカップには冷え切ったココアがなみなみと入っていた。


「あれ?」

「誰が、何を、飲んでいたって?」

「えっ? おかしいな。だってさっきも飲んでいたのに」

「近藤、ここには俺と近藤しかいない。このマグカップは俺が家庭科準備室にきたときから、ずっとこのローテーブルに置かれたままだった」

 

 嫌だ。聞きたくない。そんなはずはない。


「このココアは誰も飲んでいない」

「違う! そうだ! 先輩は急な用事ができて帰ったんだよ! 俺だけじゃない。ジュンジやヒサヨシも先輩には会っているんだ。二人に話を聞けばわかる!」


 家庭科準備室を飛び出そうとした俺の肩をまたサトシが掴む。


「はなせよ!」

「待て。もう下校時間だ。ジュンジもヒサヨシも帰っているはずだ」

「あっ」


 ふと窓を見ればとっくに日は暮れて、外は真っ暗だ。窓ガラスに俺とサトシの顔が映る。


「今日来たのは近藤に謝るためだけじゃない。アガサ先輩に会いにきたんだ」

「えっ?」


 ガラス越しにサトシが俺を見つめる。


「家庭科準備室の名探偵の噂を聞いたんだ。だから、近藤に会わなきゃって思った。いつまでも逃げていては駄目だって」

「どういうこと?」


 話が見えない。


「明日、ジュンジとヒサヨシの所に俺も連れて行ってくれないか?」

「えっ?」

「駄目なのか?」


 サトシが俺の顔を正面がからとらえる。細い目がじっと見つめてくる。

 

「えっ、いや、別にいいけど」

 

 真剣な顔のサトシに気圧されて、少しのけぞりながらもうなずく。


「じゃあ、明日」

「あ、うん」

 

 こうして、サトシと仲直りはできたものの、どこか複雑な気持ちのまま、俺はサトシの背中を見送ったのだった。

 

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