煙突の落とし穴

「ひょっとして……私のせいなの? 単なる冗談のつもりだったんだけど……あれぇ?」

「ほんまおめえはいらんことしか言わんな!」


 モモタはもはや呆れを通り越してシンデレラが可哀想に思えてきた。

 続けてハスキーは荒い息のままに、まくし立てた。


「放っておくことなどできるはずもなかった。一瞬、赤ずきんの秘密が人間にバレてしまったのかとも思った。しかし、どうやら人間たちは赤ずきんの正体にまでは気づいておらず、自宅まで案内をさせるつもりらしい。そう思ったぼくは、即座に作戦変更を決め、全速力で先回りしてプランBに移行した」


 大樹の森でモモタが感じた嫌な視線は、このときのものだった。


「脱兎のごとく家に舞い戻ったぼくはおばあさんの身ぐるみを剥いで変装した。息を引き取ったばかりで、死後硬直はまだ始まっていなかった。おばあさんの最期の体温を噛み締めながら、ぼくは地獄で仏に会ったような気分だったよ」


 しかし猶予は少ない。

 と、ハスキーは切羽詰まっていた。


「おばあさんにベッドシーツを被せて、ぼくは手を合わせた。それから赤ずきんを人間の魔の手からいつでも助けられるようにベッドの上から監視することにしたんだ」


 このときオオカミおばあさんはベッドの下である。

 つまり祖母と孫は、あの世とこの世の2段ベッドで寝ていたわけだ。


「本物のグランドマザー、すっぽんぽんじゃんよ!」


 またしても、シンデレラはいらんことを言った。

 するとハスキーは言い訳っぽく犯行当時の心境を語る。


「忌まわしい人間たちから赤ずきんを守る。あのときのぼくの頭の中にはそれだけしかなかった。だからせめてもの弔いとして、ぼくはおばあさんにシーツを被せたんだよ」

「そういう問題なの……?」

「そもそも、オオカミのおばあさんに衣服は必要ないんだ。あれは赤ずきんを騙すための人間のコスプレだよ。最期は本来のオオカミの姿で逝けて、おばあさんも本望だったろう」

「うーん……そういう問題かぁ。……ぐぬぬ」


 なぜ、おめえは悔しがるんよ?

 そんなにオオカミを悪役に仕立て上げたいんか、人間め。

 モモタはつくづく思った。

 要するに集合の無意識から孤独は生まれる。


「そしてカーテン越しになら、ぼくの杜撰ずさんな変装でも誤魔化せると思ったんだけど……」

「なんか……ほんとごめんね」


 シンデレラは謝罪した。

 それもそのはずでシンデレラがカーテンを引かなければ露見しなかったはずなのだから。

 いかな大嘘も天然の前では無力なものである。


 これが事件の全貌。

 わかってしまえばたいしたことのない未熟な犯行だった。

 仕掛け人ならぬ仕掛け狼は、祖母と父と息子で、ターゲットは末娘。

 血で結ばれた真っ赤な嘘。

 赤頭巾で覆い隠された嘘。

 全員がちょっとずつ嘘をついてしまったせいで、真実が見えづらくなってしまった。

 元はといえば、人間の差別から始まった事件でもある。


 そして気づけば、ハスキーの背後に赤い影が忍び寄っていた。

 足音も立てずに。

 野生の肉食獣のように。

 暗がりから躍り出る。

 それは、赤毛の獣耳の生えた赤ずきんだった。


「あたし、ぜんぶ思い出したし……」


 そう言った赤ずきんは、もう赤頭巾を被っていなかった。


「……お兄ちゃん」


 久しぶりに呼ばれたのだろう、ハスキーはブワッと総毛立ち、感涙を流した。


「こんなぼくのことを、まだそう呼んでくれるのかい?」


 レンガの家の前で、生き別れていた兄妹は出会った。

 約2年ぶりの再会。

 思春期の若者にとっては、見違えるほど成長する年月。


 こうして並べて見ると、たしかに似ている。

 と思わず、モモタは相好を崩すのだった。

 ハスキーはしゃがみ込んで、赤ずきんと目線を合わせた。


「今日は赤ずきんの誕生日だったろう。お兄ちゃんさ、実はおばあさんから誕生日プレゼントを預かってるんだ。もしよかったら受け取ってくれるかい?」

「えっと、あたし……」


 赤ずきんは口を開きかけた。

 まさにそのとき、


「そうは問屋が卸さないブゥ!」


 と、ストピーは物言いを付けた。


「なに、お涙ちょうだいみたいになってるブゥか!」

「ちょっとぉ! ブタ、あんた邪魔よ!」


 シンデレラは片手で「シッシッ」と、画角からき払うジェスチャーをした。


「せっかくの感動VTRなのに、フレームインしてくんじゃないわよ! ただでさえ、図体でかいだから」

「うるさいブゥゥゥッス!」


 ストピーはシンデレラの細腕を掴んでスマホカメラに接写した。


「ひぃぃぃいいい! 画面いっぱいにブタの鼻ぁぁぁあああ!」


 シンデレラは発狂した。

 続けざまに、ストピーは「ブヒッ!」と、ブタ鼻でスマホをはたき落とした。


「な、なんて外道なの! ごめんよぉ……愛しのスマホちゃん」


 シンデレラは砂埃すなぼこりを払ってから、スマホに頬ずりする。

 どっちもどっちなんじゃ。

 モモタはけったいな気持ちになった。

 しかし、ストピーの怒りはまだ収まらない。


「そいつは、オイラの藁の家を息で吹いて、ぶっ壊したブゥ! 弁償しろブヒ。これには捕食しようとした精神的苦痛も加味されるブゥ!」

「それは……」


 オオカミ少年ハスキーは、申し訳なさそうに言い訳を始める。


「ストピーくんの藁の家の向こうに竜巻ハリケーンが見えたから、慌てて、ぼくは息で吹き飛ばしたんだ」

「ブヒッ?」

「そうしたら、藁の家まで巻き込んじゃって……その、意外と藁の家が脆くてさ……」

「なんだとブゥ……!」


 一瞬逆ギレしかけたが、ストピーは抑えた。

 どうせハスキーがいなくても、竜巻で倒壊していただろうことを察したのだろう。

 ようは欠陥住宅だったのである。


「本当にごめんよ。謝ろうと思ったんだけど、ぼくが大声で叫べば叫ぶほど、ストピーくんは遠くに逃げちゃったから……」

「そもそも、どうして家の周りをうろついてたんだブゥ」


 バツの悪いストピーは、話題を逸らそうとする。


「友達になりたかったんだよ」


 ハスキーは恥ずかしそうに顔を伏せた。


「人間はむずかしいけど、ブタくんたちなら友達になりやすいと思ったんだ」


 孤独な一匹狼は、ただただ寂しかったのだ。


「でも実際は、ぼくはドアをノックすることすらままならなかった……。どうしても勇気が出なくて、挙げ句の果てに足まで震えてきちゃって……笑っちゃうだろ?」


 オオカミなのにね。

 と、自嘲的に笑うハスキー。

 しかしこの場には、そんなハスキーを嘲笑する者は誰ひとりいなかった。


「じゃあ、ポクの木の家にはどうして放火したトン?」


 ウドは咥えていた小枝で、ハスキーを指した。


「それは……元から、家に火が点いてたんだ」

「なんでトン?」

「ぼくも知らないよ。でも窓から覗いたら、ウドくんが昼寝してて……これは放っておけないと思って、そこでぼくは思いついたんだ。さっきは藁の家を吹き飛ばして失敗したけど、今度は木の家だし、きっと大丈夫だろう。そう思って、思いっきり息を吹いたら、火の手が大きくなっちゃって……。結局、遠吠えでウドくんを目覚めさせるしかなかった」

「そうだったトンかぁ。命拾いしたトン。ありがトン」


 ウドは友好の証としてハスキーに手を差しだすと、ハスキーは緊張気味に握手を交わした。


「にしても、どっから出火したんだトン~?」


 ウドはそう疑問を繰り返した。

 火が上がった理由。

 それにモモタは心当たりがあった。


「木の家の焼け跡には木の炭しかなかったんよ。十中八九、そのせいじゃろう」

「桃ヤン、なに言ってるブゥ?」

「誰が桃ヤンじゃ」

「木の家なんだから、そんなの木しかなくて当然だブゥ」


 ストピーは舌鋒鋭く反論した。

 ……こいつら、ほんまに建築家なんか?

 モモタは不審に思いながらも答えた。


「ウドは暖炉で暖まっとったちゅうとったな?」

「そうトン」

「木材使用割合100の家で暖炉に火を点けた日にゃ、全焼するのは当然じゃろ」

「あっ、言われてみればそうだトン」


 ウドは照れたようにのっぺりとしたブタ頭を撫でた。


「うっかりしてたトン。だってポクは実家では主に料理担当だったからトン」


 死にたくなけりゃ反省せえ。

 モモタがそう思っていると、長男ブロピは首を鳴らした。


「弟らと、一級建築士の俺を一緒にしてもらっちゃあ困るぜ。灰色オオカミのハスキーさんよ」


 ガラ悪っ。


「俺たちを襲う気はなかったことは、百歩譲って信じてやる。だがおめえさんは、なぜ俺んちの煙突をぶっ壊したんだ。ゴラァ?」

「それは……」


 ハスキーは正直に答えた。


「暖炉に火を掛けてあるのに、どっからどう見ても、煙突から煙が出てなかったから……。窓も閉め切ってるし、あのままじゃ――になると思ったんだよ」


 まして、あのときは実の妹である赤ずきんが室内におり、兄貴としてはただ事じゃなかった。しかし、下手なことをすれば妹の秘密がバレてしまうかもしれないから、自分に注意を引く必要があった。

 ハスキーと赤ずきんは目を合わせると何やら以心伝心して微笑みあった。

 モモタはハスキーへの助け船を出した。


「つまり、これでシンデレラが眠りに落ちてしまった理由も、赤ずきんがなかなか起きなかった理由も、ウドが眠そうに話していた理由も得心がいく」

「ウドの喋り方は元からだブゥ」


 すかさず、ストピーは訂正を加えた。

 元からかい。

 紛らわしいんじゃ。


「そういえばあのとき、なんだか急な眠気に襲われたわね」


 首を傾げるシンデレラに、モモタは言った。


「あれはシンデレラの脳内の酸素が低下したために生じた、単なる生理反応じゃ」


 そもそも家に入る直前に、煙突から煙が出てない時点で僕が気づくべきだった。


「なるほどね。多い日も安心だったから私もつい油断してたわ」

「おう。そっちの生理じゃないんよ」


 というわけで。

 みんなが安全だと思っていたレンガの家は外から見ると、実は危険な状態だった。


「で、モモタは眠くなったりしなかったの?」

「僕は桃から生まれた、日本一の桃太郎じゃ。一酸化炭素中毒程度には屈しないんよ」

「都合のいい身体ね……あんた」


 シンデレラが苦笑していると、


「ちょっと待てえ!」


 と、レンガの家の管理者であるブロピは、異議を申し立てる。


「そりゃおかしい。てめえらが来る直前に、煙突掃除はストピーの奴がやってくれたはずだぜ……って、まさか!」


 ストピーに全員の視線が集まった。


「横着しちゃったブゥ」


「「このブタ野郎!」」


 全員からストピーは大顰蹙だいひんしゅくを買った。

 総スカンだ。

 要するに、ストピーの嘘のせいで全員死にかけてしまったという話。

 ということは、むしろハスキーはみんなの命の恩人だった。

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