婦人帽を深く被ったおばあさん

 赤ずきんの家は1階建ての山小屋で、温かな雰囲気を纏っていた。


『目的地に到着なのあ!』


 舌っ足らずな車内アナウンスが流れた。

 カボチャの馬車を停め、一同は降車する。


「狭苦しいところですけど、おくつろぎくださいですし」


 赤ずきんに招かれて、モモタ一行は山小屋に入った。

 ネコメイドだけは馬に水や餌をやり、旅の労をねぎらっている。

 室内に入ると、天井はけっこう高く感じた。家具は木製のものが多い印象。


「落ち着く雰囲気ねぇ。カシャカシャ」

「ひとんちを無許可で撮るんじゃねえ」


 そのモモタの注意も聞かずに、シンデレラは間取りスキーと化した。


「いいですし。好きなだけ見てくださって結構ですし」


 赤ずきんはそう言うが。


「そう。じゃあ遠慮なく撮るしー」


 パタパタ。パシャパシャ。ガシャンガシャン。ジョボジョボ。シャトーシャトー。


「あっちこっち勝手に開閉すなよ……灰ずきん」


 ちょっとは遠慮せえ。

 おめえは空き巣か。

 シンデレラは現場検証のように家中をスマホで写真に収めていく。

 暖色系の裸電球。箪笥たんす。薪ストーブ完備。

 シャワールームとトイレは一体型。


「うわっ、排水溝に髪の毛オニ詰まってる!」

「おい、勝手に撮影しといて引くんじゃねえわ……」


 シンデレラに言いながらモモタは視線を滑らせると、窓の近くに天蓋ベッドが置かれていた。カーテンは閉めきられておりシルエットしか写らない。


「そこにいるのは誰だい?」


 カーテンの向こう側から、しゃがれた声が聞こえた。


「おばあさん、ただいまですし。赤ずきんが帰りましたし」


 赤ずきんは元気よく答えると、カーテンの中に吸い込まれていった。


「それから、あたしを家まで馬車で送り届けてくれた方たちも一緒ですし。おかげでオオカミにも襲われませんでしたし。お礼として、あたしのお誕生日会に招いたんだし!」

「そうかい。それはよかったねぇ」


 孫の成長を感じて、おばあさんの声はすこし涙ぐんでいた。


「賑やかでいいじゃないか。赤ずきんにも、お友達がたくさんできたんさね」

「はいですし」


 赤ずきんのシルエットは嬉しそうに飛び跳ねていた。

 お友達というか、ともがらになるんじゃけどな。

 おばあさんにはその許可ももらっておかんとな。

 そんなことを思いながらもモモタは故郷を懐古した。


 おばぁは、僕のことを心配しとるじゃろうか。


「それにしても……おばあさん。ちょっと見ない間に、とても耳が大きいのですし?」


 唐突にカーテン越しの赤ずきんのシルエットは不思議そうに小首を傾げた。


「なにを言ってるんだい。それはね、赤ずきんの声がうまく聞こえるようにだよ」


 おばあさんはそう返事をしました。


「だけど、おばあさん、目がとても大きいですし?」

「それはね、赤ずきんをうまく見えるようにだよ」

「だけど、おばあさん、手がとても大きいですし?」

「それはね、赤ずきんをうまく抱けるようにだよ」

「だけど、おばあさん、恐ろしく大きい口ですし?」


 赤ずきんの無邪気な質問の連続に、ついには、おばあさんは沈黙してしまった。

 それから、答えた。


「赤ずきん。それはね――」


 おばあさんがそう言い終わらないうちに、


「あっ、おばあさん。ベッドシーツはどうしたし?」


 食い気味に、赤ずきんは言葉を遮った。


「直接マットレスに寝てるし。それに……なんだか、声が今朝よりも低い気がするし」

「えっと……赤ずきん。それはね……」


 誰のものかわからないが、ゴクリと生唾を飲み込む大きな音がした。


「……風邪を引いているからだよ。ゴホッゴホッワオーン。朝っぱらから、ベッドシーツを洗濯したのが災いしたのかねぇ」


 と、おばあさんはやっぱり低い声で言うのだった。


「まあ、それは大変ですし。言ってくれれば、あたしがしたし……。今すぐ温かい紅茶を淹れるし。みなさんも紅茶ができるまで、ゆっくりしてくださって結構ですし」


 そう言って、赤ずきんはカーテンで仕切られたおばあさんの天蓋ベッドから出てくる。赤い頭巾を脱ぐ間も惜しんで、普段使いの見えるキッチンに向かった。

 お言葉に甘えて、モモタは正座しながらそれを待つ。

 その間、愛刀を脇に置いた。


「…………」


 翻って、先ほどから妙な匂いが鼻をつく。

 なんじゃ、こん臭気は?

 なんだか獣っぽいのう……。

 そしてどこかタンスの裏みたいに懐かしいような気もする。

 正直、モモタは鼻持ちならなかった。

 とそこで、やかましい奴がこっちに向かってくる。


「イエーイ! シンデレラ・チーズ!」


 シンデレラは自撮りしていた。

 家具を撮るのはもう飽きたらしい。


「つーかなんや、そのアヒルみてえな口は……めちゃくちゃブスやぞ」

「アヒル口って言って現代人の間で流行ってるらしいわよ?」

「ほうええて。流行りとか」

「ほぉら、モモタァもー。笑ってー」

「なんで何も起こってねえのに、無理やり笑わにゃいかんのか……。こりゃ拷問か」


 強制的に笑いよったら精神崩壊するど?


「だってモモタ、……いつも仏頂面なんだもん」


 シンデレラはしょんぼりした。


「それに生きてるってことは、ある種、今まさに奇跡が起こってるってことじゃない?」


 シンデレラは澄んだ綺麗な瞳のまま言った。

 穢れを知らぬ、それこそ奇跡のように。


「ふっ、笑かすな」

「あっ! 今、モモタ笑った!」


 シンデレラは照れ笑いしながら、そう報告した。


「あっちゃー。モモタの笑顔、撮り逃しちゃった。ねえ、だからもいっかい笑って?」


 途端、モモタの表情から笑みがなくなった。


「シンデレラが退学するときには笑って送り出してやるんよ」

「サイテーだ……この人」

「ほいで、あんまり無作法に撮影しよったら、そのスマホ叩き斬っちゃるからな?」

「そ、そんな殺生なぁ」

 

 シンデレラは涙目になった。

 ……完全にスマホ依存症になっとるじゃない、このJK。

 しかし、それも無理はない。

 シンデレラは見習いの魔法使いにもかかわらず、ろくすっぽ魔法が使えなかったがゆえに、魔法のようなハイテクスマホを手に入れて嬉しさMAXなのである。

 そのことを何となく察したモモタは、


「……まあ、別に1枚だけなら撮ってもええけどな」


 と、羽虫のような声で言った。

 その言葉を聞き逃さず、シンデレラはパァッと顔を明るくさせた。


「ヤッター! モモタと一緒に写真に写れるわ!」

「大袈裟すぎなんじゃ」


 でも、こんなおかしな世界にでも来なければ、モモタは一生できない体験だったろう。

 あまりに突拍子もなさ過ぎて笑えんけどや。

 シンデレラはモモタのしっかりとした腕を掴むと、小ちゃい顔を引っ付けた。小ぶりの桃のような谷間に腕がサンドイッチされてモモタは妙に落ち着かない。ブロンドヘアーからシャンプーの匂いがこぼれ落ちて、どこか懐かしい気分になった。


「あー、緊張で濡れてきちゃうわね…………もちろん、手がよ!?」

「わかっとるわ!」


 いちいち補足すんな。

 しんどいわ。

 モモタが声を荒げているとカーテンの向こう側から衣擦れの音がする。


「いいねぇ。若者は元気がよくて……」


 おばあさんは枯れ葉のような声音で言った。


「あっそうだ。いいこと思いついた。せっかくだし、おばあさんも一緒に撮ってあげるわ!」


 言って、シンデレラはベッドのカーテンを横にシャーッと思いっきり引いた。


「おめえは無神経か!」


 モモタはシンデレラの横首にエルボーをかました。


「ビ、ビックリしたぁ……。なによモモタ、いきなりプロレスごっこ?」

「こっちがビックリすらぁ!」


 もっとお年寄りを労れ。

 間にカーテンがあるということは、何かしら見られたくない事情があるということじゃろ。

 すこしは察っさんかい!


「いいんだよ」


 そう言っておばあさんが優しく黄ばんだ歯をこぼすもんだからシンデレラは気をよくした。


「ほら、グランドマザーだっていいって言ってんじゃんね」

「勝ち誇ったように言うなや。おんどりゃ」


 言いながら、モモタがおばあさんを直視すると、おばあさんは顔まで深々と婦人帽を被っていた。


「ごめんあそばせ、グランドマザー。うちのへっぽこ侍が騒がしくってよ」


 なぜかシンデレラはマダム口調で謝罪した。

 上体を起こした態勢のおばあさんは「いえいえ」などと、首を横に振っていると、


「みなさん、もう打ち解けてるし」


 そこで、赤ずきんがティーセットを運んできた。

 トレイにはケーキも切り分けてある。

 赤ずきんは人数分のティーカップに紅茶を注ぎ、給仕した。


「そうね。私たちはもうマブダチよ。そうよね? グランドマザー?」


 シンデレラはそう微笑みかけてから、おばあさんの長い頬にほおずりをした。サワサワ。

 立て続けに、斜め45度でスマホを構えたのち、


「ほら、赤ずきんちゃんもこっちに引っ付きなさい。もっと。そう、もっとよ」


 と、シンデレラに言われるがまま「こうでし?」と、赤ずきんはシンデレラの胸の内にすっぽりと収まった。


「シン姉。ずっと気になっていたんですし、この板はなんですし?」

「誰の胸がまな板よ!」

「……一言もいってないし」

「誰の胸が貧しいですってぇ……!」

「だから言ってないし」

「それよりまずはまな板を否定しなさいよ!」

「否定はできないし」

「じゃあダメじゃん。ほとんど言ってんのと同じじゃん」


 誘導尋問で自爆するシンデレラだった。

 しかし、こればかりはシンデレラを責めるのは酷な話だった。

 すべての元凶は成長期を栄養失調気味で過ごした貧しさの弊害なのである。これから巻き返しとなるか、乞うご期待。


「そのシン姉の手に持った板のことですし?」 

「いいから、いいから。小っちゃいことは気にしないの」

「…………」

「写真は、もちろん無料よ。お金は取らないから安心しなさい。ぼったくらないから」


 セイ・チーズ。

 と、シンデレラ、おばあさん、赤ずきんは、スリーショットを決めた。


「なに、ボサッと突っ立ってんの?」


 シンデレラは横目でモモタを見た。


「モタモタしてないで、モモタも早くこっちに来なさい。あんた、おばあちゃんっ子なんでしょ? ついでに外のネコも呼んできて。全員で記念写真を撮ってあげるわ!」


 シンデレラの戦略的には『おばあさんとの思い出』という餌をぶら下げたつもりなのだろうが、モモタはその餌に食いつくわけにはいかなかった。


 なぜならモモタは気づいていたからである。

 モモタはおばあさんに人差し指を突きつけた。

 そして日本一の正直者、モモタは言いました。


「いや、どっからどう見てもオオカミなんよ」

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