第4話 嵐の目覚め



「あほう! マスクなしで顔出すな新入りぃ!」


 怒声と共に張り手が飛んだ。

 配属されて二十日まで経たないミンタは、先輩整備士の恐ろしい形相に口をぱくぱくさせる。

 見かねた先輩整備士がミンタの半被りしていたフェイスマスクをがばっと被せてから、もう一度頭をはたいた。


『どあほう! ちゃんと着けろ馬鹿野郎が!』

「あっはいっ」


 マスクの無線からの怒声を聞きながら慌てて固定金具を留め、しっかり装着できたか左右によじって確認する。


「よく見えなかったもんで、すみません」

『あぁ?』

『スイッチ……すんません。よく見えなかったんで』

『死ぬぞ間抜け!』


 片方ずつしか喋れない無線通信トランシーバー。耳の後ろのスイッチを押しながら言い訳をしたら、もう一度罵声と一緒に胸に拳を当てられた。文句は言えない。

 新米整備士のミンタはハンガーの隔壁開閉のハンドルを握り、つむじ風をまとって進んでくるカレッサを確認した。


 感動的だった。

 エオトニア教国の至宝が動いているところを間近で見ることができるなんて。

 【糸斧】カルメの肩に輝く星十字にわずかな歪みもないことは先日先輩と一緒に確認した。その職務にも胸が高鳴ったが、実際に動いているのを見て興奮が抑えきれない。



『出るぞ、掴まれ!』


 カレッサの目覚めは荒々しい。

 溢れる力が暴風となり、まともに立っていられない。

 凄まじい力場の一端。稼働時には重力の波を発して遠い他国でも確認できる。各地の地震計が不規則に揺れる。これだけの力を有するから【偽勅】の支配も受けないと言われる。

 予定より早くザオゾウのカレッサ稼働を感知した為、カルメの出撃時間も早まった。そうでなければ隔壁を手動で開けたミンタがここに残っているはずもない。


「う、ぐうぅっ」


 隔壁のハンドルと近くの固定バーを掴みながら、ハンガーからゆっくりと出ていくカルメを、そして続く【花鏡】ヒマリアを確認する。

 吹き飛ばされそうな状況で、しかしミンタは嬉しくてたまらない。

 外装を整える程度の仕事しかできないが、自分が整えた美しい機体が実際に動いているのだ。

 いや、配属されたばかりのミンタはまだ実際にカレッサ整備などしていないのだけれど。それでも嬉しい。


『……へっ』


 動いていないアナンケを残して二機が外に出ると、次第に吹き荒れていた風が治まった。

 隔壁を閉じるのも忘れてゆっくりと空に浮かび上がっていくカレッサに見とれるミンタに、先輩整備士は軽く鼻で笑ったが叱りはしなかった。

 彼にもミンタと同じく新米の頃があったのだろう。


『まだマスクは取るなよ』

「はい?」


 二機が空に遠ざかったおかげですっかり静かになった辺りで、ミンタにもう一度注意をする。

 まだ何かあるのかと彼を見ると、親指で軽く上を促された。

 数百メートル以上離れたカレッサを下から見上げると――


 ――バンッ!


 カルメが加速したと思った次の瞬間、ミンタはひっくり返った。

 凄まじい衝撃。空気がはじけてミンタの全身を吹き飛ばす。


『もう一発くるぞ』

「うぁっ!」


 続けて逆方向にヒマリアが飛び去り、同じく衝撃波が地上の木々とミンタ達を震わせる。

 先輩整備士は半腰の姿勢を取り、腕を構えて衝撃を受けとめていた。

 衝撃が駆け抜けてしばらく経って、ひっくり返ったままのミンタを見ながらマスクを外して肉声で笑う。


「ああ、カレッサの情報は一応機密だから教わってねえか。初速で音速ぶっちぎるから上空に離れてから加速するんだぜ」

「ぷはぁっ……すっげぇぇ」

「はっ、のんきなもんだ。マスクなしだったら鼓膜か目玉かやられてたんだぞ」


 マスクを外して、まだ尻もちをついたまま。

 東の戦場に向かったカルメと、警戒の為に西に出撃したヒマリアの姿はもう見えない。

 先に教えてほしいとか痛いとかよりも感動が漏れるミンタに、先輩整備士はもう一度、今度は馬鹿にした風ではなく笑った。


「最高速度は計測不能。マッハ5から静止まで数秒。即旋回して戦うこともできる最強の機神だ。それでバラバラにならねえ機体も中の装主様も神様みたいなもんだぜ」

「知ってます。昔のカルメの戦闘ビデオとか見せてもらった時に……衝撃波のことは知らなかったですよ」

「生の実物はすげえだろ」

「そりゃあもう」


 過去のカレッサの戦闘は教育課程で誰もが見る。

 エオトニア教国の守護者の戦い。

 せっかく綺麗に塗り整えた外装も、ひとたび戦闘をすればボロボロになってしまうはず。

 その姿もまた誇らしいと思うし、次の出撃時にみすぼらしい格好などさせていたらエオトニア教国の恥だ。

 自己修復機能により内部には何もできないカレッサに対してミンタ達整備士がつく理由。他は数少ない外部兵装の為に。


「すげぇ、かっこいいなぁ」

「おら、ハッチ閉めるぞ」


 春も終わる日の晴れた空に。一筋の飛行機雲が糸を紡ぐように続いている。

 あっという間に彼方に飛び去った二機のカレッサの姿を追うミンタを軽く小突いて、巨大なハッチの開閉ハンドルを顎で指す。

 ハッチの反対端にも同じく整備士の姿があり、手を上げて同じタイミングで回そうと合図を待っていた。

 【偽勅】により電子制御技術が失われた世界では、人の手を必要としないものはなかった。



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