傘をさがして

秋色

Looking for the umbrella

 ――ビニール傘でいいよ――


 それは、ハルカが傘を買いに行くトモヤに、もう一度かけた言葉。



 その日、都市高速を抜け、隣の市の標識が見えてきた瞬間、水滴が車の窓に当たった。一粒。二粒。そしていつの間にか、大粒の雨がドラムを鳴らすように窓を叩きつけ始めた。ハルカは隣で運転するトモヤに言った。

「雨だよ。どうする? 病院の駐車場から入口まできっと濡れちゃうね。お見舞いを入れた紙袋まで濡れたら、大変だよ」


「都市高出たところに、昔ながらの商店街があるはずだから、そこで傘を買おう」


「いや、コンビニのビニール傘でいいよ。どうせ車から病院までの間だけだから。それに傘なんて、絶対失くす運命なんだし」



 コンビニの駐車場に車を停め、トモヤは傘を買いに走った。大きな背中を雨粒が濡らしていく。ラジオでは情報番組が地方のニュースを伝えている。


『こちらの町では、四年ぶりに伝統行事となっている小石星空祭りがこの夏、開催されます』


 ――小石星空祭り、今もやってるんだ。この四年はやっぱり中止だよね――



 それにしても、トモヤはなかなか戻らない。ハルカは待ちくたびれ、しびれを切らしてコンビニの中に入っていった。


 付き合ってまだ半年のトモヤは三才年下。職場の大きな仕事の打ち上げで気が合ったのがきっかけで、休日に一緒に出かけるようになった。ちょっとダサめで女ウケより男ウケするタイプで、気は優しいけど、どこかズレている所もある。年下という事もあり、親しい友人にも紹介できないままでいる。


 コンビニの店内にトモヤの姿はない。結局、別な店に行ったのかと車に戻ろうとした時、ハルカの眼に飛び込んできた便利グッズコーナーの一角。

 そこには「傘を失くさないためのストラップ」と書かれた丸型のストラップが陳列されていた。虹の絵が付いていて、クッキー大で可愛いけど、それが傘を失くさない事に、どう貢献するのかが分からない。


 ――これ、どう使うんだろう?――


 ストラップはハルカの興味を引いた。傘を失くすので、ついにはここ何年ビニール傘しか使わなくなっていた。

 お気に入りの傘を失くすのはどうしてなんだろう? ハルカは滅多に物を失くさない。傘が失くなるのは過失でなく、全て運の悪さだった。



 *



 小学一年生の頃、赤い傘を買ってもらって大喜びした。よく似合うと言われ、とても大事にしていた。


 ある雨の日、傘をもたずに登校していたユウコちゃんと相合い傘で帰った。ユウコちゃんは、入学式の日、隣りにいた子で、小学校に入って初めてできた友達。折り紙や絵を描くのが得意だった。ハルカは、お願いして自分のノートに、可愛い子猫の絵を描いてもらった事がある。ユウコちゃんの家はハルカの家より学校から遠いので、ハルカの家の前で赤い傘をユウコちゃんに貸した。

 次の日、ユウコちゃんは学校に来なかった。その次の日も。噂では、ユウコちゃんの家族は町を出て行ったらしい。大人達が声をひそめ、「夜逃げ」という言葉を口にしていた。ノートの中の子猫の絵は首を傾げたまま。


 *


 高校生の頃、好きな色は水色だった。お気に入りのきれいな水色の傘を買ってもらい、雨の日が好きになった。

 高校生活もあと一年という早春に突然父親の転勤が決まった。その時、今の土地はいずれ都市合併のため、町の名も変わり、住宅地だった場所や学校の土地は、商業地に変わると聞いた。

 引っ越しを済ませ、新居でバタバタと荷物を片付けた時、水色の傘がない事に気が付いた。引っ越しの喧騒の中で、結局ハルカの傘はどこへ行ったか分からず仕舞いのまま。


 *



 働き始めて、初めての梅雨に買ったのは、ブランド物のペールグリーンの傘。そのブランドの特徴的なロゴが全面に透かし柄で入っている。これはよく似合うと店員からも、周りの皆からも褒められた。ずっと大切にし、もう二度と他の傘をさす事はないと自分でも思っていた。

 働き始めて間もなく出逢い、付き合い始めた恋人がいた。ジュンヤ。出逢った瞬間に、胸がきゅんとなり、大切な人になる予感があった。

 付き合い始めて三年後にジュンヤの部屋に行った時に雨が降っていたので、そのブランドの傘を持って行った。夜には晴れたので、そして翌日も来る予定にしていたのでそのまま傘は置いて帰った。

 ところが次の日、休憩時間、職場の近くの街角でジュンヤが知らない女性と歩いている所を見てしまった。様々な修羅場と涙があって、別れに至った。

 傘の事は常に気持ちのどこかにあったけど、そして事務的対応で傘を取りに行けば良かったけど、躊躇し、そのまま年月が過ぎた。もうとっくの昔に傘は処分されているだろう。




 *



 そんな事を思い出していた。あのペールグリーンの傘は本当に素敵な傘だった。あの傘でジュンヤと相合い傘した事もあったな、と感傷的に思い出す。

 その時ふいにコンビニの入口に現れた、傘を持つ長身の姿。元彼のジュンヤがペールグリーンの傘を持って現れた。……そんな風に見えた。


 いや、だがそれはトモヤの姿だった。似ても似つかないジャガイモ顔の。しかも持っているのはツツジのようなオペラピンクの傘。


「どうしたの? それ」


「やっぱコンビニのビニール傘はハルカに似合わんと思って、自分のビニール傘だけ買って、商店街にこれ、買いに行った」


「そのピンクの傘を?」


 どうせなら、少し先の有名百貨店まで行けば、ちょっとは見栄えのする傘を買えたのに、とハルカは思いかけた。でもオペラピンクの傘とトモヤの組み合わせがあまりにおかしくて笑ってしまった。

「これ、見てみ。ちゃんとした傘やから」


 本当に傘の骨がちゃんとしていた。


「これ、私に似合うと思ったのかぁ」


「うん可愛いやん。雨の日はこのくらい明るい色がいいし」


「病院に行くのに、不謹慎じゃない?」


「いや、ウチのオカンは逆の事言っとったよ。病院に黒とか暗い色の物を持っていく方が良くないって」



「それもそうだね。でもこれ、年齢的にキビシクない?」


「全然大丈夫やろ」


「でも……ね、これ、私に似合うかやっばり微妙」


「絶対、似合うって言ってた」


「誰が?」


「傘屋の老夫婦。ハルカがどんな感じか説明したら」


「もう。参ったな。でも、ここまで来ておいてなんだけど、そもそも私なんかが叔母さんのお見舞いに付いていっていいのかな。 やっと色んな病院の面会制限が解除になったばかりだし」


「ぜひって叔母さんも言っとったよ。オレにとっては、小っちゃい頃からかわいがってくれた、第二のオカンみたいな親戚なんでハルカを紹介したいんだ」


「本当に? じゃ、もっといい服来てくれば良かったー」


「いや、普段通りがいいって」


「あ、そう言えば……」


「そう言えば?」


「さっき車の中で聴いてたラジオの放送で知ったんだけど、私が高校の途中まで過ごした町のお祭り、四年ぶりにこの夏、開催されるんだって。昔の町名を残したお祭りなんだ。ごめん。話、変わり過ぎだよね? 小っちゃい頃からで思い出した」


「いや、別にいいけど。お祭り、行きたい?」


「うん。行きたい」


「じゃ、一緒に行こう」


「本当に? 楽しみ」


 ハルカは、コンビニの外でピンクの傘を広げてみた。視界がぱっと明るくなる。「これなら目立つから、きっと失くさないね」


 ピンクの傘を広げ、二人で停めていた車の所まで並んで歩いた。小学生時代のノートの中から出てきたような子猫が、雨宿りしながら首を傾げてそれを見ていた。





〈Fin〉

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傘をさがして 秋色 @autumn-hue

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