08 明日の僕に伝えたいことⅣ





 朝、はやく起きないと親父に怒られる、と思いながら無理やりに目をこじ開ける。


 それから、あぁもう親父はいないんじゃなかったっけと、夢うつつに考える。

 ノートの表紙のメッセージを読んで、そうそう、俺の記憶はリセットされてるんだと理解する。


 俺にとっての昨日は、2010年7月3日。だけど世間はちがうんだとぼんやり考え、携帯の画面を見て、ようやく日にちがわかる。

 今日は、なにかやらなきゃいけないんじゃないっけと思いながらノートを広げ、本当の昨日までの自分をチェック。

 そこでようやく、思い出す。


「花音、ごめん。今日はお店開けない」

「え、どうして?」


 朝ごはんを食べながら花音に言うと、花音は驚いた顔を見せた。


「……一緒に、来てほしいとこがあるんだ」







 朝食を食べ終わると、花音をむりやり車に乗せた。

 車を走らせること10分。駐車場に車を停め、花音をおろす。


「陽太、これ……」


 花音は戸惑った顔をこちらに向けた。


「今日は、結婚式。俺と、花音の」


 そう言って俺は、花音の手をとった。








「結婚式を挙げたい」


 昼の休憩中、花音がいない時をみはからって、ヤマトにうちあけた。


「……なんでいきなり」

「お金も結構貯まったし、小さくていいから……やりたいんだよ」


 昨日のノートにでかでかと書かれた、『花音と結婚式を挙げたい!! 花音にはひみつ!!』の文字。

 どういう経緯でこの考えに行きついたかはわからないけど、昨日の俺の熱さだけは伝わった。


 記憶を失くしてからいろんなことがあった。

 記憶としては蓄積されないけど、感情としてはわかる。花音が大事で、これからも一生そばにいたいと。

 記憶のない俺には、具体的に、論理的に気持ちを伝えることはむずかしい。


「……だったらせめて形で表現したいじゃん!! 大好きだって!!」

「けっ。幸せなやつは見てるだけでムカつくぜ」

「そう言わずにさ~、手伝ってよ~! 花音に内緒でやりたいんだよ~」


 ヤマトは不機嫌そうな顔で、ふーん、とぼやいた。


「……なんかノート持ってこい、新しいやつ」

「は、はい!」


 ヤマトの指示で、レジの下にあった新しいノートを取りだした。


「……いいか? 表紙に書け」

「うっす!」

「『極秘ノート』」

「ごく、ごく……」

「いんだよ平仮名で!」


 ヤマトに頭をひっぱたかれながら、表紙に『ごく秘ノート』と書いた。


「『花音と結婚式を挙げたい。ヤマトに相談。花音には秘密』」

「ふんふん……」

「『やること……式場決める、列席者決める、内緒で呼ぶ……』」


 結局、夜はヤマトの家に泊まった。

 高校の同級生が地元の式場で働いているので、格安で紹介してもらった。

 来てほしい友達の連絡先などをまとめ、明日の自分に長々とメモを残した。









「今日の俺、最高……! こんな花音が見られるなんて……!」

「恥ずかしいからやめて、陽太」


 花音のウエディングドレス姿は、本当にきれいだった。

 明日の俺はきっと、今日の俺を死ぬほどうらやましがるだろう。


「陽太くん、花音」

「お父さん、お母さん!」

「花音、とっても綺麗!」


 結婚式にはもちろん、お義父さんとお義母さんも呼んだ。

 俺と花音は冬にけんか……のようなものを、した。記憶にはないけど、それから俺は少しずつ意識が変わっていったんだと、思う。

 それ以来、花音の実家にもちょくちょく行くようになり、お義父さんとはふたたび酒を酌み交わす仲に……なったらしい。昨日までの俺、やればできる子。


「陽太くん、本当にありがとう。花音ったら、結婚式なんて恥ずかしいからヤダって、やろうとしなくって」


 お義母さんが、肩をすくめて言う。

 そう、花音はもともと結婚式を嫌がっていた。


「だってなんか、照れくさいんだもん……」

「ひゃひゃ、今日の主役は花音だからね?」

「じゃあ、陽太の後ろにひっこんでる……」


 お金を貯めたいというのもあったけど、『自分が主役の会ってなんか恥ずかしい』と、誕生日会すら拒否する女だ。そういうところも、うん、可愛い。


「陽太くん。花音を、頼むよ」


 お義父さんから向けられた真剣な目に、俺は深々とうなずいた。


「ありがとうございます」


 親を亡くした俺にとって、お義父さんたちも大事な家族だった。

 俺とお義父さんは、固く握手をかわした。








「新郎、在原陽太。

 あなたはここに居る森下花音を、病めるときも、健やかなる時も、富めるときも、貧しき時も妻として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」


 皆に見守られながら、式が執り行われた。

 バージンロードを歩いたお義父さんと、再びがっちりと握手をかわした。


「誓います」


 中学・高校の友人や先生、お店の常連さんなど、ごくごく身近な仲の良い人にだけ、来てもらった。もちろん、花音の友人たちも来てくれている。

 みんな花音のドレス姿に、うっとりと目を細めていた。


「新婦、森下花音。

 あなたはここに居る在原陽太を、病めるときも、健やかなる時も、富めるときも、貧しき時も妻として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」

「……誓います」


 花音と向かい合い、指輪を交換した。ずっと婚約指輪を付けてくれていた花音の左手の薬指に、新しい指輪が光った。

 ベールを外すと、花音が顔を上げた。花音は、驚くほどきれいだった。

 ばくばくとうるさい心臓の鼓動を感じながら、花音に唇を近づける。


「……陽太、大好き……」


 いきなり花音が小さな声でささやくから、唇からすこし、ずれてしまった。

 真っ赤な顔を花音に向けると、花音はいたずらっぽい笑顔を浮かべた。





 式の後は披露宴はせず、二次会のような形で簡単なパーティーを開いた。


「あーあ、ほんとなら俺が花音の横に並びたかったのに」

「中学の奴らはみんなそう思ってるよ」


 中学で花音に惚れていたのは、俺とヤマトだけじゃなかった。

 みんなからのブーイングに、花音も苦笑いを浮かべていた。


「花音ちゃん、いつも綺麗だけど今日はもっと綺麗! バッチグーだね!」

「島木さんまで来てくれて……ほんとにありがとう!」


 小さなパーティーながら、歌やダンスの出し物もあり、花音は楽しそうにそれを見ていた。

 うちの店は週に1度休みがあるだけ。たぶん花音は、営業日は毎日必ず店に出てくれてると思う。

 それを実感するのは俺には難しいけど、きっと、簡単なことじゃない。そうやって花音がここまで寄り添ってくれたことが、うれしかった。


「みなさん! 実は、新郎・陽太くんが新婦・花音さんへ、手紙を書いてきました!」

「え……」


 そう、この日のために、俺は手紙を用意してきた。

 今日の目的は、花音に俺の愛を伝えること。他のみなさんには申し訳ないが、この企画だけは、やり遂げないといけない。


「噛んだらごめんね」

「もう、ばか」


 へらへらと笑いながら、俺はマイクの前に立った。


「『大好きな花音へ』」


 大好きな、のあたりで、お義父さんはむっと顔をゆがめた。ごめんねお義父さん、俺ってば正直者で。


「『記憶がなくなってから、はじめて事故の話を聞いたときのことを……僕はもう、覚えていません』」


 この日のために、何日もかけて書いた手紙。

 前日書いた手紙を読み返して、なんでこんなこと書いてんだと書き直し……何日かけて書いたのかも、もはやわからない。


「『僕が……両親と弟が亡くなったことを理解できるまで、僕はきっと毎日悲しんだでしょう。そして僕のそばにいた花音のことを、ずっと苦しめていたと思います』」


 よく、離れないでいてくれたと思う。想像するだけで、心が苦しくなる。


「『そして僕は、花音にプロポーズしたことも、覚えていません』」


 そんな俺に、「私と結婚してるんだ」と告げる、しんどさ。


「『そのせいで花音を……いつも、不安にさせてしまいました』」


 俺には、想像することしかできない。きっと想像の何倍も、何十倍も、花音につらい思いをさせてきた。


「『こうして手紙を書きながら、花音の気持ちを想像するだけで……心臓が潰れそうになるくらい、つらいのに……花音は、嫌な顔ひとつせず、僕のそばにいてくれました。

 そしてそれを、当たり前だと、言ってくれました』」


 2011年12月24日のメモには、花音が言った言葉が書かれている。

 「私が陽太のそばにいるのは、当たり前だ」と。


「『……僕は、毎日、毎日、花音がそばにいてくれたこと、花音がプロポーズを受けてくれたことを、幸せに感じています。いつも言ってるけど、花音にプロポーズした自分を、心の底から褒めたいです』」

「陽太……」


 花音は笑いながら、涙を浮かべた。

 この笑顔を一生守りたいと、これまで何度も誓ったにちがいない。


「『明日の僕に……、伝えたいことがあります』」


 ノートでは伝えきれない、大きな、深い想い。


「『毎日、1日も欠かすことなく花音に大好きだと伝え、花音の話をたくさん聞いて、花音が不安にならないように何度でもプロポーズをすること』」


 たくさん話し、悩みを聞き、花音の気持ちを一生懸命考えて。


「『花音を一生大事に、守りぬくこと』」


 そして、花音のために生きていく。


「『たとえ今日の記憶を忘れてしまっても、僕はこれからもずっと……世界でたったひとり、花音だけを、愛します』」


 毎日、毎日、花音を想い、愛する。

 どんなに記憶を失っても、それだけは絶対に忘れない。


「『いつもそばにいてくれて、本当に、本当にありがとう。大好きだよ。陽太より』」


 読み終えると、会場から大きな拍手が沸きおこった。

 俺は泣いている花音の手を引き、力強く抱きしめた。


 明日の俺はきっと、この感触を覚えていない。

 それでもいい、また何度でも、抱きしめればいいんだから。












 fin.


 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。すべての読者様へ、感謝をこめて。




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明日の僕に伝えたいこと pico @kajupico

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