38 マルモッタと魔獣寄せ

 マルモッタ狩り、いや、カミーユにとっては楽しみにしていた森の素材集めの日だ。


「結構人がいますよ」


 集合場所は探索者ギルド前。

 カミーユはフィンと向かっているが、遠目にも続々と参加者が集まっているのが見える。

 槍や棒のような長い得物を手にした者が多い。手押し車もあるようだから、害獣駆除だけではなく、素材として狩る気満々なのだろう。


「あ、来たっすよ! カミーユさん、早いっすねー」


 向こうもカミーユたちを見つけたようだ。

 端の方に、手を挙げるジャックやアルバンの姿が見える。


「おはようございます! 今日も雨だったら延期でしょ? それが心配で早く目が覚めちゃったんですよ。前と違って、今日は大勢ですね?」

「おう。マルモッタの数が多いと報告があったからなあ」

「おはよっす! 魔獣狩りだとわかってるっすからね。余裕があった方がいいっすよ」


 参加者が集まったところで、話しながら森へと移動する。

 一昨日、昨日と雨が降り、アルタシルヴァは森の香りが濃い。


「おー、この森の香気。やっぱり素材の宝箱よね」


 湿り気を帯びた土、倒木を覆う苔、雨水に湿った木の皮、爽やかな枝葉の香りが鼻に届く。

 目をつぶり、両腕をいっぱいに広げて深呼吸をした。

 鋭く、すっきりとした清涼感。それに続く、温かく、静かで、深みのある香りは重厚で、大地の包容力を感じさせる。

 軽やかなフレッシュさは花や果実の香りから繋ぐミドルノートにぴったりだし、どっしりとした存在感はラストノートには欠かせない。


「……来てよかった」


 立ち止まってしまったカミーユの背を、フィンがグイッと押した。

 パッと目を開ければ、先のほうでジャックたちがカミーユを待っている。

 カミーユは慌てて歩きだした。


 立ち止まりそうになる足を、ふらふらと別の場所へ歩き出しそうになる背を、最後尾を歩くフィンとアルバンがちょいちょいと操る。


「カミーユ、素材は後だぞ」

「ええ、もちろん。わかってますよ。……うわっ」


 そう口にした先から、カミーユは左右にばかり気をやって足元がおろそかになっている。


「……全く信用できないんだが」

「同感だ」


 フィンとアルバンは、そろってため息を吐いた。


 しばらくして、一団は川の畔、少し開けた広場のような場所まで来た。

 周囲を見回したカミーユが、首をひねる。


「あれ? ここって……。あれ?」


 アルバンが頷く。


「ああ。氷の森フロストシルヴァだった場所だな。氷に覆われてたろ? フロストタルトが無くなって氷が解け、一時はここも川になってたんだが……。水が引いた跡地だ」

「やっぱり! あの木の辺り、見覚えがあると思った。あの葉の形はきっと瑞々しいサイプレス系の……」


 ふらりと木に向かうカミーユの手首を、フィンがパシッと掴んで引き戻した。


「まだだ。……アルバン、カミーユが待ちきれなくなる前にやってしまおう」


 アルバンが呆れた。


「ったく、もう。カミーユ、まずはマルモッタだ。ほら、さっさとやろう。早く終われば、それだけ時間が採れる。マルモッタ寄せを出してくれ」


 カミーユは慌てて鞄から瓶を取り出し、アルバンに渡した。


「うお? すげえ。なんだこりゃ。……なんか旨そうだな」


 蓋を持ち上げて香りを嗅いだアルバンから、思わずといった声が上がる。

 カミーユは得意げに胸を張った。


「ふふふん。自信作ですよ。だって『とにかく激甘な香り』っていう依頼でしたからね?」


 綿菓子のような甘い香りをイメージしてある。

 香水瓶はアルバンの手からフィンへと渡り、フィンも目を丸くした。


「これは甘い。砂糖に火を入れたような」


 カミーユはコクコクと頷いた。


「ええ。砂糖ってそのままでは匂いませんよね。熱を加えて初めて甘く香るんですよ。マルモッタは火を使って甘くするって聞きましたから、それと似た香りに引き寄せられるんじゃないかなって。どうでしょう?」


 最初に作った虫除けが効かずに、ジャックたちが森で酷い目にあったことを覚えている。

 今回はそうならないように、カミーユにしては珍しく、香りを強調して思いきり甘くしたのだ。


「なるほどな」

「いいんじゃねえか」


 褒められて、カミーユの表情がパッと明るくなった。


「あとヴァニラと共通する成分も入ってるんですよ!」

「あ? ヴァニラだと?」

「美味しくなったと思うんですよ」


 カミーユが嬉しそうに続ける。


「グルメなマルモッタには、これって思って!」

「グルメ……?」

「グルメなマルモッタ……」

「そうか。グルメ、な、の、か……?」


 周りで聞いていた探索者が、不可解といった顔でぼそりと繰り返す。


「ほんとはフルーティさや、スパイシーさも足したかったんですけどね。止めたんです。いかにグルメでも魔獣ですもんね。美味しいと言ってくれるわけでもないから、香りを突き詰める張り合いもないですし。……ケーキには良さそうだったけど」


 カミーユは片手を頬にあて、首を傾げた。


「はい、はい。自重してくれて何よりだ。さ、やるか」


 アルバンが周囲の探索者を見回した。


 どうやって使うのかと見ていれば、長い木の棒を持った者が近づいてくる。

 その先端には布が巻かれ、そこにマルモッタ寄せが振りかけられた。

 脳まで染みてくらりとくる甘い香りが、ぶわりと辺りに広がった。


「うおお!」

「すげえ!」

「旨そうだ」

「こりゃあ、釣れるぞ」

「ハハハッ。グルメなマルモッタにいいんじゃねえか?」

 

 探索者たちは川を背にして間を開けて並ぶと、ブスリと棒を地面に突き刺した。

 一つの棒を三、四人で囲んでいる。


「これで後は待つだけだ。カミーユは、そうだな。そこの岩の上にでも座っててくれ。齧られたくなけりゃあ、地に足をつけるなよ。そうそうねえが、マルモッタも興奮しているからな」


 カミーユは慌てて大岩をよじ登ると、ヒョイと足を隠すようにして座った。


「気を抜くなよ! すぐ来るぞっ!」

「仕留めろよお!」

「逃すなよっ!」


 気合いが入った。

 探索者たちは手に槍や棒を構え、地面の先をじっと睨んでいる。


「来たぞーっ!!」


 声が上がった。

 指差す者もいる。


「こっちもだ!」

「多いぞっ!」


 首を伸ばしてそちらを見れば、遠くから地面が線を描くように盛り上がり、一直線に川へと近づいてくる。

 いや、目標は川ではなく、甘い香りを漂わせている棒だろう。

 瞬く間に、何本もの線が大地に走る。


「うわあ、すごい。あの線の先にマルモッタがいるってことですよね⁉」

「ああ。反応がいいな。つまり魔物寄せは成功だ」


 大岩の側に立っていたフィンがカミーユを見て、ニヤリと笑った。

 

「やった! やっぱりグルメでしたねえ」

「さて、私も参加してくる。そこから降りるなよ」


 フィンはそう言い残して、アルバンの側に歩いていく。


 マルモッタ退治はシンプルだ。

 おびき出されたマルモッタは真っ直ぐにやってきて、棒の側でピタリと止まる。

 そこを上からグサリとやるのだ。

 数は多いが、どこにいるかが見えているのだから逃がしはしない。


 モコモコモコ、ピタリ、グサリ、ヒョイッ。 

 モコモコモコ、ピタリ、グサリ、ヒョイッ。


「かわいい……。いやいやいや、どんなにかわいくても、あれは魔獣。どんなにグルメでも、あれは害獣」


 槍に刺され、地面から引っ張りだされるマルモッタは、手のひらサイズだ。

 くるんと丸まったマルモッタは、ハリネズミに似ている。

 

「ううう。かわいそう。ダメダメ。あれは動物じゃなくて、魔獣。あれは魔獣」


 手に載せたい。

 家に連れ帰りたい。


「うわっ。気を付けろよ! コイツ、まだ生きてるぞっ」


 引っ張りだされたマルモッタは、ほうきとちりとりを持った者が回収して手押し車まで運ぶのだが、必死の抵抗をしているようだ。

 

「アチッ! くそっ。手袋の上から刺しやがった!」


 手を逃れたマルモッタは探索者の足をめがけ、すごい勢いで地面を転がりまわっている。

 背中の針は燃えているかの様に真っ赤だ。

 よく見れば目はつり上がり、ハリネズミのような愛らしいまん丸な目をしていない。

 そしてキィキィと鳴き声を上げる口には、鋭い牙が見える。

 

「うん。ダメ。あれは魔獣。家では飼えないね」


 カミーユはペットのマルモッタをあきらめた。




 向かってくるマルモッタの数が減り始めた頃だった。


「待てっ! 静まれ!」


 突然、探索者の一人が叫んだ。


「どうしたっ!」

「いいから静かにしろっ!」


 その声の必死さに皆がピタリと黙れば、川の音だけが辺りに響く。


 カチカチチキチキ。

 カチカチチキチキ。


 木か石か、何か硬い物を打ち合わせる音がする。


「くそっ!」


 アルバンが叫んだ。


「どうしてこんなところまで!」

「うわあっ」

「アントジアントだっ!」

「偵察に出てたんだろう。仕留めるぞ! 巣に帰らせてはならん!」


 木々の向こうから現れたモノを見て、カミーユは目を大きく見開いた。


「……なにあれ」


 数匹の黒い蟻だ。

 それも、遠くから見ても蟻だとわかる、カミーユと同じぐらいの大きさをした。

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