37 新たな依頼
「ええっ。そんなあ。やっと終わったと思ったのに……!」
家の応接室で、カミーユはがっくりと項垂れた。
ここのところずっと忙しかった。
まず、王都に戻る先生たちに、フレーバードカフェーを作った。
すでにレシピはできているし難しくはないのだが、頼まれた量はだいぶ多かったと思う。カミーユが王都にいないので、追加を頼みにくい。持てるだけ持って帰ったという感じだ。
これはまあ、しょうがない。
それから、ベルガモータ紅茶の開発も進めている。
これは取り組んでいる真っ最中だ。
試飲を続けて、もう自分の肌からベルガモータ紅茶が香る気がしている。
候補を四種類に絞ったので、最後にもう一度微調整をしてからサウゼンドに渡す予定だ。
最高級茶葉のものが二種、それより少しだけランクの落ちる茶葉が二種。あとはサウゼンドで選んでもらうつもりだ。
カミーユとしてはもう少し安価なものも欲しいが、国のトップから流すとなれば、必要なのは最高級品だった。
クリストフは「送らなくてもいい。ドラゴン便で連絡をくれたら、すっ飛んでくるよ」と言って帰った。ドラゴン便は見たいが、呼び出すなどできるはずもない。トーステン辺境伯が極秘で手配してくれることになっている。
それと同時進行で、チェルナム商会から蒸留酒フレーバーを付けたカフェー豆が届き始めた。
さすがこの国にカフェーを始めて持ち込んだ商会なだけあって、その種類も多い。
パン爺の納得がいくものができると、意見をくれ、と届く。さすがパン爺。なかなか美味しいものができている。
この分だとすぐにも売り出せそうだが、チェルナム商会としては、まずカフェーロワイヤルを流行らせてからフレーバードカフェーの販売を始めたいらしい。
そんな感じで、紅茶とカフェーでお腹をガボガボとさせながら、オリジナルレシピの奉納香を考えたり、注文の虫除け香を増産していた日々だった。
そして今日はその納品日。
虫除け香を受け取りに来たアルバンは、探索者ギルドからの新たな注文を持っていた。
そう。探索者ギルド。つまり、普通の香水な訳がない。
「やっと虫除けが終わったと思ったのに!」
アルバンがボリボリと頭を掻いた。
「……悪いがな。虫除けはしばらくずっと注文が続くぞ? 花、葉の時期は必須だからなあ」
「それは覚悟してましたよ? でも、今度は魔獣除けなんてっ! 普通の調香仕事が欲しいぃっ!」
「普通の調香仕事?」
背後から声が聞こえた。フィンだ。
腕にはアルバンに渡す薬の箱を抱えている。
カミーユはくるりと振り向いて、両手を広げた。
「見てください、この応接室。綺麗な調度品で整えられています。いかにも調香術師の工房というか、貴族の方がいつお見えになってもいいようになんですよ。それなのにっ! 私のところに来るのは探索者ばかりっ!」
アルバンがヒョイと肩をすくめた。
「……あ、アルバンさんが、探索者が悪いんじゃないんですよ? でも、もっとこう虫除けや魔獣除けじゃなくて、普通のっ! ごく一般的なっ! ……いえ、新米調香術師に仕事の依頼はありがたいんですよ? ありがたいんですけど、こうなんというか、貴族の方の注文とかもやってみたいんですよ。オリジナルの奉納香も作りたいし。虫除けが終わったから、アルタシルヴァに木を探しに行こうと思ってたのにっ!」
調香術師が目指すところは奉納香だけれど、一人前の、独立して工房を持つような術師はたいてい、自分の代名詞代わりとなるような香水レシピを持っている。
まあ、どれもローザなのだけれど。
このままでは虫除けだの、魔獣除けだのが、自分の代名詞だ。
「あー、だがなあ……」
アルバンは言い淀み、なんとかしろ、とフィンに目配せをする。
「カミーユ。貴族の注文はそのうち入ると思うが。それこそ辺境伯夫人が最初だろう。まあ、今までは皆、王都の調香術師に頼んでいただろうから、様子を見ているんだろう。奉納香が話題となれば注文もくるのでは?」
「そう! その奉納香。そのためにも森に行きたかったのにっ!」
「森の素材を使うのか」
カミーユは大きく頷いた。
「ウッディな、この森を感じさせる香料が欲しいんですよ。マリンな素材はもう集めたから……」
恐ろしい茶色のカサカサした虫が湧き出てくる前に森へ行きたい。
「それなら、近く森へ入る予定にしている。連れていけないこともないが」
今度はフィンがチラリとアルバンに視線を投げ、頷かれた。
「ぜひっ!」
「なら、その前に魔獣寄せを納品してくれ」
アルバンの依頼に、カミーユが大きなため息を吐いた。
「やっぱり、まずそれですか。アレ? 魔獣寄せって言いました? 魔獣除けじゃなく?」
アルバンとフィンが同時に頷いた。
「この時期の魔獣寄せなら、マルモッタだろう?」
「ああ。今年は数が多そうでな。早めに対処したほうがいいってことになってな」
フィンにもすぐわかる、有名な魔獣のようだ。
「マルモッタ?」
「ああ。ランク1の魔獣でさほど危険ではないが、厄介な性質を持っている」
「シルヴァ・ラビーナみたいに突進してくるとか?」
「いや。襲われることはねえが、作物を荒らす害獣といったとこだな」
フィンの説明に、アルバンが続いた。
「マルモッタは小さな魔獣でな。大きさは大人の手のひらぐらい。アルタ・シルヴァの魔獣の中では小さく弱いから、身体を覆うチクチクとした棘で身を守り、穴を掘って土の下を進む」
「へえー」
カミーユの脳裏にハリネズミとモグラを足して二で割ったような姿が浮かんだ。
「こちらを襲うこともねえし、毛皮は棘で使えねえ。肉も小さくてまずい。素材ランクは0。そんなの狩りたくもねえだろ? 本当だったらほっておきたい奴なんだが、問題があってな。とにかくよく食べる。それも根を齧る。美味いヤツばかり狙ってな」
「へえ?」
「芋が特に好物でな。カミーユも食べたろ? あれだ」
「んー、あの皮が緑の? 美味しかったです。甘味があって」
「そうだ。あの芋は火を入れると甘くなる。で、マルモッタは火属性でな。火魔法で焼き、甘くしてから食いつく」
カミーユの口がポカンと開いた。
「……なんてグルメな魔獣!」
フィンが口を挟んだ。
「芋だけじゃなく、根が甘い植物は結構あって、薬草も多いんだ。数が増えると、森から出て畑の作物を荒らす」
「植えたばかりの種芋が全滅することもあってな。被害がでかいんだよ。そうなる前におびき寄せて、退治したい。甘い物が好きだからって、砂糖や蜂蜜を撒くわけにもいかねえからよ」
二人が口々に訴える。
「そうですよね。香りだけでいいわけですし。効果的なのもわかります。……ああ、魔物寄せのレシピもジョルジオさんのノートに載ってるかなあ」
「あ、いや、マルモッタは、甘い香りであればなんでもいいんだ。遠くからでもわかるぐらい、とにっかく激甘なヤツを頼む」
「はあ。なるほど。わかりました。良かった。甘いだけならすぐできそうです」
カミーユが引き受けてほっとしたアルバンが、ニヤリとした。
「なんです?」
「ここのところ虫除けの注文が入る度に、おまえさん、ちょっとうんざりって顔してただろ? それをギルド長に言ったんだよ。そしたら『カミーユは引き受けてくれるさ。新しいスプーンのためだと言っとくれ』ってさ」
「えっ? どういう……。えっ?」
「ああ。なるほど」
チェルナム商会でのことは話してあるから、フィンにはすぐわかったらしい。
「マルモッタからは火属性の小さな魔石が採れる。そうか。あれを使うのか」
アルバンも頷いた。
「商業ギルドでも火魔石を集めているんだが、それでも足りねえらしいんだわ。俺らにはありがてえよ? マルモッタの魔石は小さすぎて値がつかねえ。退治なんて面倒でしかないが、今回は買い取ってくれるっていうんでな」
「えええ、どんだけスプーンを売るつもりよ……」
チェルナム商会がカフェーロワイヤルと一緒に新しいスプーンを売る計画なのは知っている。そしてそれが世に出ないと、フレーバードカフェーは披露されないのだ。
ザカエルはウキウキと、カフェーと蒸留酒の追加手配をしていた。パン爺はフレーバードカフェーにのめりこんでいる。
二人のいい笑顔が脳裏を過った。
あのカフェーを伝えたのはカミーユだ。
なんだか特殊なスプーンまで作られることになったが、楽しみにしているのはカミーユも一緒だ。
受けない理由はなかった。
「わかりました。マルモッタ寄せ。喜んで依頼を受けさせていただきますよ。ふふふ。はあ」
虫除けの次は、魔獣寄せ。
思い描いていた調香術師からかけ離れていく気がして、カミーユは遠くを見つめ、決意した。
絶対に虫除け、魔獣寄せ以外の代名詞を作ると。
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