21 お昼ごはん
前話に数行付け加えました。
水蒸気蒸留について、少し説明を加えたほうがいいかなというぐらいなので、読み返さなくても大丈夫です。
ー*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
「本当にごめんなさい」
カミーユはフィンに深々と頭を下げた。
うふふふ、あははは、楽しいな、と裏庭で揺れているうちは良かったが、冷静になるにつれ大慌てだ。蒸留をフィンに押しつけてしまっているし、なんだか失礼なことをしたような気がしなくもない。
手伝いに戻りたくても裏庭待機令が出されているため、工房の入り口から頭を下げることしかできない。
「いや、精油は私も必要だし、蒸留もジョルジオと一緒にすることがあったから慣れている。ただ、君があのように酔ったのは気になる。原因がわかるといいのだが」
「はあ……」
そう言われても、初めてのことで見当がつかない。
「まあ、とりあえず今、三回目の蒸留を始めた。先に昼を食べてくればいい」
「私、お昼は食べないので」
口にした途端、フィンの片眉が上がった。
「食べない? いつも?」
「そうです。朝と夜だけ。あ、でも最近は、おやつもちゃんと食べられます!」
食べられる、という言い方がフィンには気になった。
「それは、ローザハウスではそうだということか?」
カミーユは首をひねった。
「ええと、たぶん? どこでもそうかは知りませんけど。子供の頃はともかく、先生が来てからはちゃんとご飯が出てくるようになりましたし、今の料理担当は腕が良くて、おやつも作ってくれます」
カミーユが得意げに胸を張っているのがおかしいが、育ってきた様子がわかってフィンの眉が寄った。
バレないように、視線をカミーユの首元や手首に走らせる。細いが、病的な細さではないようで、ほっとした。
「……間に軽食を挟めるようなら、まあ、いいのかもしれないが。だが、高等学院では昼食の時間があっただろう?」
今度はカミーユが眉をひそめた。
「あの食堂では食べられません。すべてが高いんです。おまけに香水を振りまいてくる人も多くって、臭くて、臭くて」
学院裏のローザガーデンで、りんごでも齧っているほうがよっぽどおいしい。
授業でつくった香水を自分で使って検証することもあるが、それだけではなかった。調香術師自身があんなに香りをぷんぷんとさせたら調香できないんじゃないかと思うが、香りがステータスを表すのだから、付けないという選択はないらしい。
「なるほどな。だが、魔力を使った時は食べたほうがいいことを知っているだろう? 特に今日は魔力酔いのような症状も出たんだ。食べたほうがいい。キッチンに何かあるか?」
「パンと、えーと、昨夜のスープは食べちゃったし。あ、チーズを買いました。卵がない時はチーズでもいいんです」
「……もしかして、それも君の脳内ママンが?」
「です!」
フィンがピンと来て尋ねると、カミーユは案の定、大きく頷いた。
なんとなくカミーユの思考パターンがわかってきた気がするフィンは、ため息を吐いた。
「うちに昨夜のミートパイがある。持ってこよう。キッチンのストーブに火を入れておいてくれ」
フィンはそういうと、ささっと裏庭に降りて出て行った。
◇
キッチンのストーブは重たい鋳鉄製で、もともと暖炉のあった場所にすっぽりと収まっている。
工房の最新式のものとは違って、よく使い込まれた旧式の薪ストーブだ。
ストーブの上部は平らで、鍋やフライパンはそこで調理する。
左、右、中央、と三つにパーツがわかれているのだが、中央部分で火を焚くと、その熱が左右のオーブンに伝わる仕組みだ。
中央は裸火が見えるので、鶏を火の前に吊るしてローストするのもいいだろう。
オーブンに入れたミートパイの香りが鼻まで届き、カミーユのお腹がぐうとなった。
そういえば、今朝は森へ行くためにカフェーしか飲んでいない。
大丈夫。昼を食べれば同じことだよね、とカミーユはクローヴァーに言い訳をした。
「すべて蒸留済みだ。工房の扉も窓も開けたままだから、食事が終わるころには君も中に入れるはずだ」
「本当にすみません。さ、どうぞ座ってください。パイもあと少しでしょうか」
テーブルにはすでに、パンとチーズ、それからクローヴァーが煮たマルマレーダのジャムがある。
フィンは喉が渇いていたのだろう。テーブルにつくと、まず水のグラスに手を伸ばした。
「これが昨日買ったチーズです。トムさんが作ったって言っていました。有名です?」
フィンが水を噴き出しそうになる。
「いや、ケホッ。それはトムという名前のチーズで、ここから西、もっとアルタシルヴァの山脈に近い、山のチーズだ」
「へ? 『トムのチーズですよ』っていうから、てっきりトムさんだと……。なあんだ。あ、で、これがマルマレーダのジャム。チーズに載せると美味しいです」
「マルマレーダ? 食べられるのか?」
マルマレーダは人気のない果実だ。
りんごのような大きさの黄色い果実で、見た目と香りはおいしそうだが、熟しても硬く、酸味が強く、少し渋みを感じる。つまり、ひと手間かけないとそのまま食べられない。
「もちろん。ジャムにすれば柔らかいし、甘酸っぱくてイケますよ。さ、どうぞ」
世にはそのまま齧れて美味しい果実がいっぱいあるから、マルマレーダは人気がでない。
でも、そういう果実だからこそ、ローザハウスの皆の口にも入る。
ジャムに使っているマルマレーダも蜂蜜も、野で採ってくれば無料なのだから。
フィンは言われるままに、パンの上にチーズとジャムを載せて齧った。
「ああ、本当だ。イケる」
「私も好きなんです。しょっぱいのと、この甘酸っぱいのがちょうど良くて」
パンとチーズの塩気に酸味の強いマルマレーダを足すと、風味に厚みがでてちょうどよく馴染む。
「あ、たぶん、ミートパイにも合うと思います」
「試してみよう」
フィンが持ってきたパイは、ボリュームたっぷりの牛肉パイだった。昨夜の残りだと言ったとおり、大きな丸いパイの四分の一が食べられている。
噛み応えのあるゴロゴロとした牛肉に、玉ねぎ、にんじんに、マッシュルーム。たぶんニンニクやハーブも使われている。
温めたら、今日になっても黄金色の肉汁がこぼれ出てきた。
「いい香りっ! これは絶対美味しいヤツ!」
カミーユはもう遠慮せずに、お皿を持ち上げてクンクンと香りを嗅いでいる。
完全に叱られるテーブルマナーだ。
「いただきますっ!」
それでもしっかりお礼をするマナーは覚えていたらしい。
フィンにペコリと頭を下げ、カミーユはニコニコと自分のパイにナイフを入れた。
「おいしい。何だろうこのソース。ハーブもですけど、お野菜が煮込まれて、風味も良くて」
「赤ワインだ」
昼は食べないと言っていたことを忘れ、カミーユは気持ちいいぐらいの早さでミートパイを平らげる。
「はあ。昼からこんな贅沢をしていいんでしょうか……。満足です」
「そうか。それなら良かった」
「あ、このパイはどこで買われました? 今度行ってみようと思います」
フィンはきれいな所作でフォークを口に運んでいたが、カミーユと同じぐらいに食べ終わったようだ。
「これは私が焼いた」
何ということなく言って、フィンは口を拭いた。
「ふぇっ? うそっ!」
「嘘ではない。一人暮らしも長いし、母は身体が弱かったから、昔から食事の支度はしていた。ご満足いただけたようで何よりだ」
フィンはおどけて言うと、軽く頭を傾げた。
「……満足です! ええ、とっても。大満足でしたっ! すごいですっ」
まさか自家製だったとは。
思ってもみなかった返答に、カミーユは興奮して賛辞を捧げた。
ー*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
えー、お昼ご飯にこんなに力を入れるつもりはなかったんですが、
この後を続けると長くなりそうなので、ここで切ります。
カミーユのキッチンにあるストーブは「ヴィクトリア朝のキッチンストーブ」
などで検索すると、似たような画像が出てくると思います。
マルマレーダは西洋かりん(Quince/英語、Coing/仏語)のイメージです。
知らずにそのまま齧ったことがあります。おいしくなかったです。
このお話のシルヴァ・ラビーナはかわいい動物ではなく、蹴とばし、体当たりする魔獣で、狩りの対象です。耳の長い愛玩動物に愛情を抱いている方も多いと思うので、魔獣になりました。ですが、次話は気にされるかもしれませんので、ご注意ください。
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