20 蒸留

 ローザゲラニウムの採集を終え、カミーユたちは急いでコテージへ戻った。

 アルバンとジャックはまだ森に用事があるといい、安全な場所まで来るとそこで別れた。


 麻袋を二つ、フィンと一緒に工房に運び込む。


「ふう。よし。すぐに蒸留ですね」

「魔力の具合は? 体調は?」


 魔力を使い、それが大分揺れたから心配をかけている。


「大丈夫です。すぐに逆流を止めていただいたし」

「魔力の不調は思ってもみないところに出る。無理をすれば、よりひどくなる。少しでもおかしいと思ったら休んだほうがいい。蒸留は私にもできるし」


 フィンが薬術師として釘を刺した。

 流行病が魔力に与える影響を研究しているのだから、特に詳しいのだろう。


「本当に大丈夫です。それに蒸留だから、魔力はいりませんし」

「……わかった。それなら早速始めよう」


 蒸留された精油は、カミーユとフィンで分けることになっている。

 カミーユは虫除けの香料として。フィンは傷薬に加えるらしい。


 さっと羽織った白衣を、フィンが興味深げに眺めた。


「……それはいいな。便利そうだ」


 カミーユは腕を広げてくるりと回った。


「いいでしょう? 衣服が守れて、染みになってもすぐに気づくし、洗いやすいし。……サイズが違うのでお貸しできませんけど、作るなら、型紙が商業ギルドに登録してあります。売れてないですけど」


 他の登録商品と違って、これは全く売れていない。


「薬術ギルドに登録したら、大人気になると思うが。もともと薬術師のマントは白だが、あれは洗いにくい」

「白のマントを見る度に、緑で良かったーって思ってました。実は」


 フィンはうなずくと、麻袋を水場に持っていった。

 原料はさっと洗って、今回は少し刻んでから使うのがいいだろう。

 カミーユは必要な道具を揃えに行った。



 水蒸気蒸留は、原料となる植物を蒸留釜にいれて加熱して、芳香成分を水蒸気とともに気化させた後、冷却して液体に戻すやり方だ。

 熱と水にさらされるのでデリケートな原料には使えないが、前世では精油を取るのに主流だった方法だろう。


「火の精よ、しばし留まれ。小さき炎」

 

 フィンが工房の隅、水場の隣に据えたストーブに火を入れた。カミーユと違って、道具があっても自分の魔力を使うタイプらしい。

 高等学院にもあったが、最新の魔法陣と大きな火の魔石が必要なストーブだ。

 薪に頼らず、魔法陣の上で炎が維持される。火力の調節も簡単で、飛ぶように売れているらしい。―――お金持ちの間では。

 ストーブの上部は平らで、ここに蒸留釜が載せられる。


「ストーブも預かっていただいて良かったです。高いですよね? これ。きっと持っていかれたと思うから」


 フィンが頷いた。


「最初は薪ストーブだったらしい」


 ほら、と、裏口の上にある煙突の穴の名残りを指した。


「蒸留は時間がかかるし、なかなか面倒なものだ。高価だが必要設備だからって、このストーブも蒸留器も、購入にはギルドの援助金もあったそうだよ。それを聞いていたし、この街で勤める調香術師の財産のようなものだから、持っていかれるわけにはいかなくてね」


 カミーユが水を入れた蒸留器の釜を持ち上げようとするが、重い。

 ヨロヨロと持ち上げると、フィンが慌てて取り上げた。


「二回、いや全量蒸留をするなら三回だな。昼過ぎには終わると思うが」


 刻んだローザゲラニウムを、釜の上にセットする。

 カミーユが見ている前で、フィンはさっさと蒸留器をセットしていく。蒸留器の上から出ている、蒸気が通る細長い管を確認し、最後にその管を冷やす冷却器を、水の交換がしやすいように水場に置いた。

 

「カミーユ、小麦粉はあるだろうか。あと、氷も」

「氷はあったと思います。小麦粉?」

「パンを焼くようなのがいい。水で練って、この辺りに貼り付けたい。蒸気漏れを防げる。なければ、粘土だな」


 カミーユはうなずいて、キッチンへ向かった。



 しばらくすると、工房に甘い香りが広がり始めた。

 冷却器を通った蒸気が、フローラルウォーター芳香蒸留水となって流れ出て、ビーカーに溜まっていく。

 その表面に水と分離してうっすらと見える黄色の膜が、ローザゲラニウムの精油だ


「蒸留器だと収油率はどのぐらいだろう……」


 収油率とは、植物原料が精油になる割合のことだ。


「驚くと思うぞ。調香術だと、どのぐらい?」


 カミーユは考え込んだ。


「原料の状態にもよるし、人にもよるのでなんとも言えないんですけど、私は成分をきっちりと調整したいので少ない方です。原料の五パーセントはいかないかな、三パーセント程度だと思います」


 調香術師によっては、その倍は抽出する者もいる。

 雑多な成分が交じりすぎると質が落ちるので、カミーユはしたことがない。


「その十分の一程度だろうな」

「えっ!」

「アルタシルヴァの素材だから、それでも多いほうかもしれない」


 カミーユはふうと、息を吐いた。

 そうだった。

 前世では他の抽出方法よりコストが安く、量も取れ、主流だった水蒸気蒸留法だけれど、収油率は調香術と比べ物にならない。


「そんなに違いがあるなら、調香術が盛んになる、というか、この国に香料や香水を求めて人が来るわけですね。それに調香術師がこの地に来たがらないわけです。時間がこんなにかかるのに、量も取れないし」


 量が取れないということは、原料も大量に必要で、より高価になるということだ。


「ああ。ただ、成分は素晴らしい。カミーユ、きっと君もその香気に魅せられるだろう」


 カミーユは肩をすくめた。

 そうなったらいいけれど。



 ◇



「ふふふふふ、へへへへへ……」


 使った水の量、素材の量、時間、その香気などをノートに書き留めながら、カミーユは楽し気にしていたのだが。


「カミーユ? どうした?」


 フィンが振り返ると、カミーユの身体が左右に揺れている。


「ふふふふふん。『おお、汝の香は甘く麗しく、私をいざない悩ませる。柔らかき肌は白く、煙るような長い睫の間から覗く瞳は菫。唇は開き始めたローザのごとく……』」


 突然、有名な恋詩の一説を諳んじ始めた。

 白き肌、菫色の瞳、ローザのように赤い色づく唇。カミーユと全く同じ色合いだ。

 フィンは眉をひそめて近づくと、両手でカミーユの頬を押さえた。

 瞼の裏の色を確認し、じっとカミーユの目を見るが、焦点が合わない。


「おお、汝の瞳は翠玉のよう。ふふふふ、髪はお日様色ですねえ」


 そう言って、フィンの髪を触る。


「そうか」

「ふふふふふ。なんだかとっても素敵」


 言動が完全に酔っ払いだ。

 フィンはため息をつくとカミーユを抱き上げ、裏庭のベンチに運んだ。


 魔力酔いだろうか。

 アルタシルヴァの素材だからか、それともローザゲラニウムの魔力と合わないのか、原因はわからないが、カミーユはかなり酔うたちらしい。

 香気に酔ったのかもしれないが、香気に弱い調香術師というのも聞いたことがない。

 これはしばらく、アルタシルヴァの素材を使う時は注意しないとダメだろう。


「しばらく裏庭待機。頭がすっきりするまで、工房に来てはダメだ」

「はーい。ふふふん」


 楽しそうなカミーユの声が裏庭に響いた。

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