12 教会への奉納香

 依頼された奉納香を作る前に、カミーユはまず、工房の窓と扉を開け放った。

 室内にまだ少しワックスの香りが残っている。


 商業ギルドは、ここを使っていた調香術師のノートを保管していた。

 何冊もあったその一つをパラリとめくってみただけだが、最初の方は恐らく、彼が学生の頃に書いたものではないだろうか。

 日々の気づき、試作時のメモ、完成した香水のフォーミュラ ー レシピ ー が記されているようだ。

 先達の記録であり、調香術師の命とも言えるそれを、カミーユは大切に譲り受けた。


 窓の側に椅子を置いて座ると、カミーユは同じくギルドから渡された別の紙を手に取った。

 先代術師が使っていた奉納香のレシピで、ギルドに登録されていたものだ。

 

「さて。おおっ! サンティフォリアを使ってくれてる! まだ南では栽培されてないし、去年出たばかりなのに!」


 紙の右上に記されたレシピ改変の日付は、去年の実の季節。

 たぶん亡くなる数か月前だろう。

 サンティフォリアは、去年の花摘みが終わってすぐ、新作の香料があると情報が回った。

 栽培量がやっと増え、去年がサンティフォリアの初お披露目だといってもいい。

 すぐに香料を手に入れて、レシピを組み替えたのだと思う。

 歳を重ねても研究熱心だったようだ。


「うわあ。本当に話して見たかった……。指導術師になって欲しかったよ」


 人のレシピを見るのも、とても楽しい。


 香水を付けてすぐに華やかに匂い立ち、十五分から三十分程度で消える香りを、トップノートという。

 第一印象を決めるその香調に、彼は、リモーナ、ベルガモータといったシトラスに、ローザマリーのようなアロマティックを選んでいる。

 とにかくローザ推し、次点で他の花と、何かとフローラルな香調が選ばれることが多いこの国では珍しい。


 ミドルノートはその後から香り、二時間から四時間ほど中心となって香る。

 香水のハートとも言えるこちらは、もちろんフローラル。

 ローザが選ばれている。

 それも三種類を重ねてあった。

 サンティフォリアに、王妃の名前が付けられたローザ・ロージア、第一王女の名前であるローザ・ロザリアの三種だ。

 

 最後まで香りが持続するラストノートに相応しいものは、残念ながら選ばれていないようだ。

 香水のベースとなるものだが、二十四時間程度、香りの余韻を楽しめるだろう。

 長いものだと、七十二時間も残り香を感じるものもあるのだ。

 

「奉納香だと、まあひたすらローザ推しでいいのかな……? とりあえず調香してみよ」


 カミーユはガタリと立ち上がった。


 持ってきた白衣を引っ張り出して羽織ると、工房の水場で、カミーユは水の魔石がついたハンドルを押し込んだ。

 この魔術道具は中に魔法陣が刻んであって、水の魔石が陣に触れると水が出るらしい。

 ローザハウスの子供たちで分解したことがあるが、ひどく怒られただけで何もわからなかった。

 魔石が魔力切れとなったら取り換えだ。

 このタイプは四人家族が毎日使って、おおよそひと月ぐらいは使えるようになっている。

 風呂などはもっと早く交換期限がくるけれど。


 魔力持ちのカミーユは、水の魔石に直接魔力を流しても使える。

 水属性持ちなので、なんなら魔石を使わなくっても手洗いの水ぐらい出せるのだが、魔力量が多いわけでもなし、道具がある場所なら喜んで使う。


 調香の前はできる限り手を洗い、口をゆすぐ。

 それが作法というわけではないが、なんだか身が引き締まる気がするのだ。



「よし」


 今からやることは、もらったレシピにある通りの香水を作るだけだ。

 自分で開発もしてみたいが、急いでいる今、すぐに納品できるのはこちらだ。なんといっても混ぜ合わせるだけ。

 オリジナルを作るにしても、今までのものを知っていたほうがいい。


 中央の作業机に向かい、香料を納めた鞄を開け、必要な香料の瓶と調香用のアルコールを取り出した。

 香料の大半は、カミーユが自分で原料から抽出したものだ。

 調香術を習い始めたばかりのころ、調香術便利!と、大喜びであちらこちらに出歩いた成果である。

 今日の調香は、レシピ指定の分量で混ぜあわせるだけだが、彼の使った香料と、カミーユが抽出したものは当然違う。

 香料による違いは、残念ながら諦めるしかない。

 オリジナルがどういう香りだったかも、もうわからないのだ。



 机にはすでにビーカー、ピペット、ムエット試香紙、秤などの必要器具はすべて準備済みだ。

 

「賦香率は、と。えっ! たった十パーセントでいいんだ⁉ 三十パーぐらいかと思ってたよ……」


 教会では設置された魔術道具を使い、これを『ミスト』で広げるのだ。

 カミーユがローザハウスに置いてきた『ミスト』を魔法付与エンチャントした香水は、この魔術道具の効果を真似している。

 

「あ、違う。『国指定の祝祭日は三十パーセント。聖なるローザミラクルーズを限定使用のこと』なるほど」


 カミーユは、まず指の先ぐらいの小瓶に必要な香料を入れ、香料の濃度が十パーセントになるように、慎重にアルコールを注いだ。

 このアルコールは調香術師ギルド専売のもので、調香用に濃度を合わせてつくられている。

 秤もギルド専売で、割と正確だと思うが、一滴一滴をピペットで慎重にいれた。

 すべての用意が終わると、カミーユは、特注の細長いムエットを一枚一枚瓶にいれて、紙の先に香料を付けた。

 

 顔の前で軽く動かして嗅ぐと、ムエットの先端を三分の一ほど折り曲げて、香料が手にも机にも付かないように並べて置いた。

 

 全部を付け終わると、ムエットを重ね、顔の前でパタパタとあおぐ。


「ふむ」


 すべての香りが重なり、漂う。

 正確ではないが、これで何となく感じはわかった。

 

 もう一度レシピを手に取った。


「サンティフォリア、やっぱりいいわあ。私、えらい。よくこの名前を付けた」


 前世の香水用の品種の名だ。

 確か有名な肖像画で、マリーアントワネットが手にしている薔薇もこの品種だと聞いたことがある。

 

 調香する際に失敗しないコツは、前世も今世も同じだ。

 まず、香料をアルコールで、自分が望む濃度に希釈してから試作すること。最初は小さな分量で確かめ、レシピが完成してから原液で調香すれば失敗が少ない。


 今回の場合、レシピはすでにできている。

 カミーユはレシピ通りにビーカーに香料を混ぜ合わせ、希釈した。


「さて……」


 目をつぶった。

 

 前世の調香師で、自分を作曲家に例える人がいた。それぞれの香りを響き合わせて、美しい曲を生み出す。

 絵描きに例える人もいた。一つ一つの色を重ねて、自分だけの景色を描き出す。

 どちらもイメージを膨らませ、素材を合わせ、自分の望む作品を作る。


 カミーユは、調香師を作家のように感じている。

 匂いという言葉で、物語を紡ぐ。

 その場の音が聞こえ、色までみえる。花や木や、世界の手触りも。イメージを形にし、世界を作りたい。

 いつもそう思っている。


 彼はいったいどんな作品を仕上げたのだろうか。

 香料も違い、全く同じものではないのはわかっている。


「……ローザの三姉妹がいるのね。サンティフォリアは二番目。纏うドレスもそれぞれ違う。きっと性格も。おしゃべりをしながら野原を歩いて、どこに行くんだろう」


 カミーユは、先代の調香術師への敬意を込めて、全身でわかろうとした。

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