Sakon The Ghost

 シルヴィはよく警戒を保った。

 噂に聞くとおりの姿――白い装束を着る霊のような男が、自分たちを茫然とみつめていた。


「……どうしてわかった」


 幽霊左近が、ぽつりと聞いた。


「ごく単純な話だ。むしろ気づくのがだいぶ遅れた。はじめに持っていた情報だけで、俺たちは犯人にたどりつけるはずだったんだ」


 疑問に答えたのは、シンのほうだった。彼はたすきがけにしていた武器、槍に変形する長銃をシルヴィに渡すと、続けた。


「幽霊左近の残した遺体には、燈火流の刀痕があった。それはたしかだ。ただし連盟側で検死した死体で燈火の剣がうかがえたのは、殉死した粛清官と、幽霊左近に立ち向かって殺された職員たちだけだった。遊女の遺体にまで二の戻しの痕があったのは、赤町奉行側で検死した死体だけだったんだ」

「でも、これはおかしいわ」


 と、シルヴィが引き継いだ。


「どうして遊女を斬るのに、わざわざ剣術の奥義なんて使う必要があるの? 粛清官や武装職員に対してなら理解できるわ。でも、素人が相手ならそんな必要はない。それだけじゃないわ、敷善切定の悪癖である刀身の叩きつけの打撲痕、それも赤町奉行側だけが報告していた」


 遺体の六割近くが赤町奉行側に流れていたことを考慮しても、それはおかしな確率だった。


「この疑問を解消できる説明に、ひとつ仮説が立ったの。それは、遊女の死体にあとから手を加えた者がいるという仮説よ。動機は、おそらく容疑者を絞らせたかったのでしょう。自分の身代わりとなる、素行の悪い人物に」


 そこでシルヴィはわざと言葉を区切ったが、幽霊左近はなにも返さなかった。


「この仮説に従うなら、犯人はおのずとひとりしかいなくなる。赤町奉行側の死体を管理する検死医。それも、もしもあとから死体に細工したいと思えば、いくらでも自然に装える能力者だったら――そうなったらもう、決め打ちで釣り上げに行くしかないわよね」


 幽霊左近は、徹頭徹尾、おどろかなかった。

 その証拠に、彼はごく静かに、こう口にした。


「……どちらかといえば、支部や奉行の愚かさ加減に釣られたことになるのかな。彼らときたら、どんなにヒントを出しても一向に解決しないものだから、決定的なものを突きつけるしかなかったんだよ。もっともきみたちが来るまでは、それも功を奏さなかったけどね」

「それなら、あなたが仙道師範代に刀痕のことを報せたのも……」

「当然、業を煮やしてのことだ。でも、それでも捜査が進展しないとは思わなかったよ。まさか先輩が、あれほどまでに道場の面子を気にしていたとは。ぼくが言うことじゃないが、正気じゃない……」


 それよりも、と幽霊左近は顔を上げた。


「ぼくが気になるのは、きみだ。今の完璧な外八文字の歩き方……ひょっとして、きみは遊郭の出身だったのかい」

「まさか。ちょっと習っただけよ。正確には、ひとが習うところを横でみていた、だけれど」


 その話のほうが、彼にはおもしろかったようだ。

 幽霊左近の笑い声が冷気を伝い、静かに広がった。

 強い夜風が吹き抜けて、ついでに周辺の草木までもが笑いだし、それらがおさまったころになって、ようやく彼は、剣を構えた。


「……これで、最後にしようと。いつもいつも、そう思うんだ」


 それは、自嘲ぎみの声色だった。


「もうにどと、罪のないひとに剣を振ることはしまいと。こんなことは、金輪際やめてやろうと……でも、ひとの意思とは、ひとが決めるものじゃない。意識とは、からだが衝き動かされた結果に、あとから文句を言うだけだ。まるで木偶でくのように」


 長い指を首筋に沿わせて、かちり、とインジェクターを起動した。

 穢れの混じる白い砂塵粒子が周囲を舞い、それは果たして錯覚か、底冷えするような寒気を殺人鬼に帯びさせた。

 シルヴィはおどろいた――あの能力は戦闘に転用できるものなのか?――が、すぐに応じて自分もインジェクターを起動した。


「あ、っ……」


 途端に、シルヴィは後頭部に激烈な痛みを覚えた。

 敷善切定のときにインジェクターを使用して、まだ二晩も経っていない。

 シルヴィの黒晶器官は依然として治療ちゅうであり、様子見の段階だ。今回の作戦で許可をもらっていたインジェクターの使用回数はたったの一回だけで、それ以上は止められていた。


「痛むならやめておけ。解除するんだ、シルヴィ」

「でも……!」

「いいと言っている。今後、お前の力が使えなくなるほうが問題だ。それにやつの能力なら、かりに戦闘に持ち出せるものだとしても、たかが知れている」


 後ろ髪を引かれる思いだったが、シルヴィはパートナーに従っておいた。

 シンは、いつでも対応できるように剣を構えた。その構えは、まったく型に嵌らない戦法を採る剣士にしては、意外にもシンプルだ。

 対して、幽霊左近の構えは、常軌を逸していた。

 異様なほどの低姿勢。そうしながら、わざわざ刀を鞘におさめなおした。

 相手がなにをするつもりか、シルヴィにはわからなかった。


「……シルヴィ、下がっていろ。あれは、剣士でなければ無理だ」


 シンがそう忠告した。幽霊左近の姿態に、なにかを感じ取ったようだった。


「なにを言っているのよ、いっしょに戦わないと。それに、あんなのべつに……」


 正直を言えば、シルヴィには相手が無防備であるようにしかみえなかった。

 すなわち、チャンスだ。こちらから仕掛けない手はない――シルヴィは銃の安全装置を下ろすと、自慢の早撃ちをみせることにした。

 幽霊左近がとうとう動いたのは、そのタイミングだった。


 彼がみせたのは、より奇怪な動き。刀をおさめたまま、すり足で近寄ってくる。その速度はまるで早送りをしているかのようで、疾駆とさえ見まがう速度だった。

 シルヴィがおどろくよりも先に、幽霊左近は抜刀した。

 音を置き去りにするかのような、神速の斬撃。

 ――それは、居合い斬りであった。

 燈火流の最奥なる義。指導を許された師範代でさえもついぞ習得できず、在りし日の師範、敷善燈火猿由のみが扱えたという、燈火の剣の真髄。

 いついかなるときもかわらぬ精度の居合いを放つ、達人のなかの達人だけが踏みこめる域。


 シルヴィの銃口は、相手に照準することができなかった。いや正確には、照準がはずれていたのかどうかさえも判断できなかった。

 発砲の前に、銃身が真二つに斬り離されたからだ。

 閃光のような攻撃。されどその実態は連撃であり、抜いた刀を即座に翻すと、幽霊左近は不可避の速攻、その第二打を放とうとした。

 シルヴィの動体視力は、相手の動きの知覚だけは許した。

 間に合わなかったのは、肉体の反応だ。

 果たして、自分はあれを避けることができたかどうか――

 結果が明かされなかったのは、幽霊左近の刀が止まったからだ。

 止めたのは、またしてもシンだった。

 逆手に伸ばした黒いカタナを衝撃の核点に差しこんで、幽霊左近の凶器を受け止めると同時、彼にしてはめずらしく、声を上げて振り抜いた。

 弾き飛ばされた幽霊左近が、地を擦ってふたたび構える。

 おそらく、そのときふたりの剣士は、互いの実力を肌で知ったのだろう。

 ほんの一秒、互いに見合ったあとで、本格的な斬り合いがはじまった。



 ――うそ。


 シルヴィは、絶句していた。

 目の前の光景が、信じられなかった。

 白霊の犯罪者と、黒犬の粛清官が、互いの持つ剣技のすべてを引き出し、交戦している。そこに、少なくとも目にみえるような砂塵的な戦闘の要素は存在していない。

 にもかかわらず、いっさいの隙がないのだ。自分が援護して、銃撃を入れるに足るような隙が、どこにもない。

 どれだけ目を凝らそうとも、介入の機会がみつからない。

 まったく、これっぽっちも。

 ならばこの愛銃の刃を出して、自分も斬りこんでみるか。

 それは、冗談にしても笑えない思いつきだった。参戦すれば一瞬のうちにこの身が斬り刻まれることは、熟考するまでもなくわかっていた。

 それならば。

 自分がここに立っている意味は、いったい?

 こどものように立ちすくみ、ただ茫然と戦闘をみていることしかできない。

 それを、ひとは無能と呼ぶのではないか――




 剣士は双方とも、極めて無口だった。

 ただそれでいて、無言の会話がそこにはあった。

 剣の応酬はなによりも濃密なコミュニケーションとなり、互いの情報を伝えあっていた。

 だからこそ、両者ともが、ひとつの事実に気づいていた。

 ――この場の有利が、明確にシンのほうにあるという事実に。

 遊郭の寒天に轟く剣戟の、いっそう甲高い音が周囲に響いたとき、その事由が明かされた。

 パキチ、と聞き慣れぬ音がした。薄らぼんやりとした街燈に照らされた、幽霊左近の刀が、たしかにその身を欠かしていた。


「まともに剣を受けすぎたな。お前自身は耐えても、お前の得物は耐えられないだろう」


 自分は傷のついていないカタナを構えて、シンが言った。

 そう――実力の近しい剣士同士において、決定的な違いが出るのは、武器の差だ。

 もっとも、この領域にまで足を踏み入れた剣士が、どちらも生存したまま何合もぶつかるというのは、刀の運用において、本来は想定されないことだ。

 それこそシンの愛用するような、いくら酷使しても切れ味が落ちず、けして壊れぬことを目的とした塵工刀でもなければ。

 ゆえに、幽霊左近は、おのれの刀鍛冶を責めることはなかった。


「……参ったね」


 彼がみせたのは、ほんのわずかな嘆息のみだった。

 直後、まともな予備動作もみせずに、幽霊左近は跳躍した。塀をゆうゆうと跳び越えると、そのまま足をかけ、家屋の屋根上まで昇り、どこかへと走り去っていった。

 逃げたか。はたまた、かわりの武器の調達に向かったか。

 すかさず、シンは追いかけることにした。


「ま――待って!」


 反射的に、シルヴィは呼び止めてしまった。

 彼は言うことを聞いてくれた。この土壇場で呼び止めた以上、いったいどんな有益な提案が出てくるかと、無言でこちらを急かしてくる。

 すぐに、シルヴィは自分の失着を悟った。


「なんでもないわ。行って」


 こんどこそ、シンは敵の影を追いかけた。

 その場にひとり残されたシルヴィは、情けなさのあまり、思わず膝を折りそうになった。

 それでも失意にまみれることなく、彼女は面をあげると、跡を追うことにした。

 食らいつかねば。なんとしてでも。

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