VS粛清対象

 向こう岸にみえる十番街の工場地帯を背に、もう間もなく、遊郭発の大型船が到着しようとしていた。


「どう? チューミー」


 パートナーに問われ、シンは暗い空の下で、夜目を利かせた。

 ひさびさに、マスクのバイザーについている暗視機能が仕事をした。船体の尻の部分に、梯子が取り付けてあるようだ。


「ああ。いける」

「なら、好きなタイミングでお願い」


 シルヴィが車体を寄せて速度を落としたとき、シンは思いきり膝を折ると、垂直飛びをおこなった。踏んだ衝撃でジェットスキーが大きく揺れたが、どうにか転倒しなかったようだ。

 梯子の底を掴むと、シンはぎゅっとグローブに力をこめてひっぱり、あたかも空中で前転するかのように、段を蹴り進んだ。

 最後にくるりと回転して、甲板に昇る。梯子のセーフティを解除すると、ブーツの底で蹴っ飛ばして、その先端を伸ばした。あとは船さえ停めれば、シルヴィもここまで上がってこられるだろう。


「な、なんだ⁉ だれだ!」


 シンは懐中電灯で照らされた。

 ふたりの船員が、マスク越しにこちらを警戒していた。不慣れな警備人なのか、腰にある銃のグリップに手を添えてはいるものの、まだ抜いていなかった。

 シンはすばやく手を上げた。


「落ち着いてくれ。俺は、連盟本部の粛清官だ」

「え……⁉」

「事情を説明する。が、その前にまず船を停めてほしい」


 どうやら彼らは夜半遊郭の住民ではないらしい。こちらが中央連盟の所属だとわかると、雷に打たれたかのような速度で命令を聞いてくれた。

 男たちが船長を連れてきてくれて、シンは船員たちに目的を話した。


「なんと! この船に、殺人犯がまぎれこんでいる可能性があると?」

「あまり動揺するな。まだなにも確定はしていない。が、それでも船内の探索はしたいんだ。出航する前に、内部の確認はしたか?」


 見回り担当の下っ端が、まあ、いちおうしました、と力のない返事をして、船長にぼかりとマスクを叩かれていた。

 やはり、あまり入念というわけではなさそうだった。

 船長の説明によると、この船の甲板の床は開閉式となっており、そのなかにはルナティック・コープ製の塵工液化ガスがおさめられているという。

 階段を使うタイプの階下は二フロアしかなく、ひとを探そうと思えば、そこまで時間はかからないはずとのことだった。


「わかった。お前たちはまとめて操縦室にでもいて、鍵をかけて待っていてくれ」


 捜査協力を仰がれなくて、船員たちはほっとしたようだった。

 そうして、シンが階下に行くための鍵を受け取ろうとしたときのこと。

 さらりと舞う砂塵の流れを目端に捉えることができたのは、運がよかったと言うほかない。

 船員の持つ懐中電灯が、赤銅色の砂の連なりを、偶然にも照らしていたのだ。


「……っ、伏せろ!」


 シンが声をあげたときには、砂塵は、集まる男たちのふところにまで及んでいた。

 次の瞬間、塵が弾けた。いや正確には、弾けるような音を発した。

 その途端に、血が飛び散った。シンは、砂塵の中心に一文字を刻むかのような衝撃の線が走ったのをみた。


「うわあぁぁっ」


 いっきにふたりが斬られ、胴をおさえて倒れこんだ。ほかの無事だった船員たちは逃げようとしたが、突然のことに腰が抜けてしまったようだった。

 シンが敵の姿を探すよりも先に、声がした。


「――おもしれぇ。まさかと思って来てみたら、そのまさかだ。ここまで追いつくとはな」


 甲板に立つのは、ひとりの剣士だった。

 ぎらぎらした兜の面に、着流しの和服。

 その周辺では、砂塵粒子が海風に耐えて、厚いかたまりを成している。

 そして――長く武骨な抜き身の刀。


「敷善切定、だな」


 こちらも抜刀しながらの問いには、返事はなかった。

 ゆえにこそ肯定であるといえた。


「ほう。お前も剣士か、粛清官。なお、おもしろい」

「この言葉には慣れないが、説いておく。大市法に基づいて、お前の処理はこの俺に一任されている。降伏すれば、命だけは助かるぞ」

「法律。この世でもっとも嫌いな単語のひとつだな。……文字ごときが、ひとを縛りやがって」


 粛清官の常套句に、相手はマスクのなかで笑ったようだった。


「なあ、それならば聞かせてみろよ、この俺の罪状を。お前ら、なにゆえ俺を追った?」


 シンは返答に迷った。

 敷善切定にたどり着いたのはいい。だが事の本質は、それにはなかった。自分たちが夜半遊郭にまで来た目的は、たったひとつだ。


「――お前が、幽霊左近なのか」


 数秒ほど、たっぷりと切定は黙った。「くっ」とこらえきれずに口を噴くと、びゅおびゅおと吹く海上の風よりも大きな声で、甲板じゅうを哄笑で満たした。


「なるほど。くく……そういうつもりで追っていたのか。そうか、そうか。ああ、くだらねぇ。女郎ごときが数人だか数十人だか斬られた程度のことで、この俺が。くくくくく」


 それは、否定とも肯定とも取れぬひとり語りだった。

 いずれにせよ、この男は犯罪人だ。真相は、捕まえたあとでたしかめればいい。

 シンが柄を握る手を強めると、戦いの兆候に鋭敏に気づき、切定は砂塵粒子を操った。その粒子はこちらではなく、まず切定の前に集結した。

 その塵の影を、切定は横一文字に斬りつけた。

 なにかの準備であると判断したシンは、先に斬りこむことにした。

 切定の反応は、遅くなかった。

 腰を入れた燈火流の基本形の構え――それは道場で仙道師範代がみせたものと同じ構えだった――から、一閃、こちらの塵工刀を受け止める。

 二合、三合と続いた剣戟は、どちらが押しているかといえば、シンのほうだった。

こちらの振りの速さに危機を覚えたのだろう、ならば膂力で応えんとばかりに、切定はいささか長い鍔迫り合いを演じた。

 シンのほうは、付き合うつもりはなかった。

 じりじりとした力の押し合いをする最中、突如として跳躍したシンが、みずからの剣の峰を足で踏みこむと、相手が体勢を崩した。


「――ッなぁ!」


 曲芸技に驚愕した切定に向けて、宙を返りながら二本、ダガーを抜いて投擲する。

 ナイフ投げは、まともな銃器を扱えないシンにとっては貴重な飛び道具であり、その自信は、カタナ捌きそのものに迫るほどだ。

 切定が構え直すよりも先に、ダガーが着弾するはずだった。

 飛ぶ刃が防がれたのは、砂塵粒子のせいだった。ガキィンと金属音が鳴り、ダガーが二本とも、空中で弾き返された。


(――なるほど)


 そこでようやく、シンは相手の能力を悟った。


「おまえは、斬撃を粒子に保存するのか」


 なかなかめずらしい能力といえる。おそらく、斬撃のみならず、その身に受けた衝撃を、切定の砂塵粒子は覚えておくのだろう。

 この読みのとおりであれば、この能力の戦闘上の応用性はかなり高い。

 今のようなとっさの防御はおろか、砂塵粒子そのものの展開次第では、極めて威力の高い遠距離攻撃にもなる。

 ついさきほど船員たちを遠隔で斬ったのも、そうした使い方をしたのだろう。


「――やる」


 ぼそりと、敷善切定はそうつぶやいた。


「俺が昔みた粛清官とは、お前は切れ味が違うようだ。どういう剣術なんだ、そいつは。我流か? それとも繰郷くるさとか……」

「知ってなんの意味がある。お前が剣を握れるのは、今夜が最後だろう」

「言いやがる」


 ばさりと和服を大きくはたいで、切定は姿勢を低くした。ぼわりと広げた砂塵粒子のかたまりを、今度は三つ分、ひと息に斬り刻む。


「本気で潰す。あいにく俺は、だれにも縛られる気はねぇんでな、粛清官……‼」


 そのとき、シンは振動を受け取った。ポーチのなかのベルズが、いちどだけ震えたのだ。その意味を悟って、シンは前方に駆けた。


「貴様、なにを――!」


 今、切定のまわりには砂塵粒子が敷き詰められている。保存された斬撃が、切定の望むタイミングで前触れなく解放されることは、だれの目にもあきらかだった。

 にもかかわらず真正面から攻めてきたシンに、切定が疑問を抱くのは当然といえた。

 だからその時点で、勝敗は決していたのだった。

 シンが相手の粒子に触れようかというタイミングで、切定の砂塵粒子が、はたと失せた。


「――‼」


 相手のマスク越しの衝撃が伝わったときには、切定の刀を薙ぎ飛ばし、そればかりか間髪入れず、シンは切っ先を翻した峰を、その腹に叩きこんでいた。

 ――燈火流奥義、二の戻し。

 お前のは真似にすぎぬと言った仙道に対する、シンなりの意趣返しともいえた。

 たかが真似ごとだろうと、実戦で適用できればなんの問題もないというのが、シンのスタンスだった。


「ご、フゥッ」


 腹側部に強烈な一撃が入り、切定が吐血した。マスクの首元の隙間から、血がこぼれ落ちる。

 シンは相手のインジェクターを解除すると、倒れた切定をよそに、暗闇に目をやった。


「ん、いいアドリブだったわね」


 あらわれたのは、物陰に身を隠していたシルヴィだった。悪目立ちしないよう、彼女はマスクから伸びる長い銀髪を、律儀にもまとめて服のなかにおさめていた。

 シルヴィの砂塵能力。周辺の粒子をすべて消すという特異な力をもってして、奇襲を成功させるかたちとなった。

 もっとも、その力は以前の事件のときのオーバーヒートで傷んでおり、長くは使えないという制限があるのだが。


「シルヴィ。悪いが、もう少しだけそのままでたのむ」

「心配しすぎよ。大丈夫、ひさしぶりだから余裕があるわ。それよりも、どうだったの」


 シンはしゃがむと、切定の首筋にカタナを添えた。暴れ出さないように気をつけながら、核心を質問する。


「答えろ。お前は、幽霊左近なのか。お前が、遊女たちを殺していた犯人なのか」

「ぐ、ぅ」

「イエスかノーでいい。どちらでもかまわない、教えさえすれば。いずれにせよ、お前は工獄に入るだけなのだから」


 うごめく切定が、ふいにマスクに手をかけて、剥ぎ取った

 その下には、焦燥しきった男の素顔があった。尖った眉の下で、憎悪そのものと言える色を瞳に宿して、力強くシンを睨んでいた。


「……工獄、だと」

「なんのつもりだ。言っておくが、砂塵粒子を経口摂取しようとも能力は使えないぞ。無駄な抵抗はするな」

「ふざけるな……俺はだれにも、縛られねえぞ。俺は、絶対に……」


 大きく、切定が空をみあげた。

 雲は厚く、そこに星はなかった。それでも切定は、広大な世界の証、その大空を、まるで初めてそこに存在していると気づいたかのように、たった一秒だけ眺めた。


「待って!」


 先に気づいたのは、シルヴィだった。

 彼女が撃つよりも先に、さすがの剣豪か、切定は腕を振るっていた。

 傍らに落ちていたダガーを掴むと同時、彼自身の喉を穿つ。

 頸動脈が裂けて、大きく血を噴き出した。シルヴィがあわてて携行品の医療パッチを取り出しそうとしたが、もう遅かった。


 すでに目の色をなくした切定が、血の海を広げていった。

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