ついでに剣オタク?

「仙道先輩……いえ、師範代とは、もう古い仲です。ぼくが十代のころ、燈火流を学ばせてもらっていたんです。といっても、ぼくは剣のほうはからっきしだったんですが」


 たはは、と古戸は力なく笑うと、自分で淹れたコーヒーをすすった。

 部屋の壁沿いには、二本の刀が、大切そうに飾られていた。その刀掛けの上には、額に賞状が飾られている。

 その文面を、シルヴィが読んだ。


「第一二八回闘燈技会、第五位……」

「ああ。闘燈技会というのは、年にいちど開かれる、流派内の格付け大会のことです。ぼくはそこで、いちばん調子がよかったときに、どうにか入賞できたんです。それで満足して、その年を卒業の時期としたんですよ。今でも、その賞状はぼくの誇りです」


 三人は、古戸宅の応接室に戻っていた。

 幽霊左近の被害者について話を聞きたい――そうこちらの要望を伝えていたから、古戸は昔の死亡診断書を持ってきてくれていた。


「それで、先生は医療の道に行かれたのですか」

「そうです。ひょっとすれば、いつまで経っても下手の横好きで道場にいるぼくを追い出そうと、みんなが勝たせてくれたのかもしれないとも思ったのですが、すぐに、それも失礼な考えだと思い直しました。みな剣を愛していましたから、なんであれ不正なんかしません」

「この大会、日付がちょうど十年前だな。例の敷善切定とやらが来たときか」


 切定の名を出したとき、古戸はたしかに表情を堅くした。


「……どうして、彼の名を?」


 シンは、パートナーに目配せした。

 シルヴィは一、二秒考えたようだったが、すぐに許可するように首を縦に振った。


「敷善切定は、本件の重要参考人だ。言ってしまえば、そいつが幽霊左近なのではないかという疑いがある」


 古戸は、絶句した。それは、ただおどろいただけではないようだった。

 彼は思案顔を浮かべると、「やはり、その可能性が……」と続けた。


「粛清官さん。ぼくは……いえ、ともすれば仙道先輩たちのぶんまで含めて、あなたがたに謝らなければならないかもしれません」

「どういうことですか?」

「説明の前に、ひとつたしかめさせてください。おふたりが先に燈火流の道場に行ったということは、幽霊左近が燈火流の関係者かもしれないとにらんだ……つまり、彼の残した刀痕に、燈火の剣をみた、ということであっていますか」


 シルヴィが首肯した。

 古戸は、より神妙そうな顔になって続けた。


「あなたがたがその可能性に至ったということは、きっと支部のほうに渡った遺体に、相応の手がかりがあったのでしょう。ですが、燈火の刀痕がうかがえる遺体は、じつはぼくのもとに送られてきたほうにもあったのです」


 これをみてください、と古戸は一冊のファイルを開いた。刀痕の遺体を写した、鮮明な写真だ。そこには、古戸の字と思われるメモ書きが添えてあった。


「ぼくも、剣士の端くれです。斬殺死体には、とくに注意するようにしていました。その結果、何人かの被害者のからだに、燈火流の独特な剣技の影があるように思えたのです。ですが、それは微妙な考察でした。同じ場所をにど斬っているのはたしかなのですが、燈火の太刀筋だと確証が持てるものではなく、じつは仙道先輩に意見を聞いてみたことがあるのです」

「それで、彼はなんと言ったのですか」

「……それが、なまくら刀が邪推するなと、怒られてしまいました」


 古戸は、苦々しい顔でそう答えた。


「たしかに、ぼくは仙道先輩と違って、真剣でひとを斬った経験はほとんどありませんし、奥義のひとつ『二の戻し』も、まったく習得できずじまいでした。だから先輩がそう言うのなら、たしかにぼくの気にしすぎなのかもしれないと思いました」


 ふむ、と、シンは考えて聞いた。


「ですが、連盟のほうでも彼を追っているのであれば、話はべつです。それと今思えば、これも、ひょっとすれば」


 古戸がページをめくると、べつの写真があらわれた。その遊女の亡骸には、刀痕のほかに、なにか痣のような黒い影が一本、傷口のすぐ傍に走っていた。


「これは、打撲傷です。なぜ刀を用いた殺人で打撲痕が残るのか、ぼくにもわかりませんでした。現場にあったものにからだを打ちつけたということもなかったようですから。ですが、もしも切定くん……いえ、敷善切定が容疑者なのだとしたら、合点がいきます」

「どういうことだ。詳しく説明してほしい」

「敷善切定は、けして武道を重んじる人間ではありませんでした。彼は模擬試合でも、あるいは真剣でも、負かした相手のからだに、刀剣の側面を強く押しつける癖があったのです。それこそ、叩きつけるかのように」


 なるほど、とシンは思った。同時に、疑問が生まれた。


「お前は、やつが真剣を振るうところをみたことがあるのか」

「はい、いちどだけ。たまに赤町奉行の応援要請で、ぼくたちも犯罪人の取り締まり現場に向かうことがあったんです。もっとも、ぼくは賑やかしのようなもので、ほとんどなにもできませんでしたが、仙道さんや切定くんのような実力者は、恐れず敵に斬りかかっていましたから」


 そこで、古戸は敷善切定の悪癖を知ったのだという。

 斬った相手の胴に剣を押しあて血をぬぐうといった、悪辣な癖を。古戸はそのときの自然な仕草をみて、切定が裏では頻繁に真剣を振っていることを悟ったそうだ。


「そうだ。幽霊左近は、塵紋は取れていないのでしょうか。もし取れていれば、同定は可能だと思いますが」


 その質問には、シルヴィは首を横に振った。


「いえ、そのあたりはうまくいっていないようです」

「そうですか……しかし、容疑者が絞れているなら、進展はしているのですね」


 古戸は残念がると、こんどはどこか遠い目で、飾ってある刀をみた。


「それにしても、あの師範と同じ血を流しながら、なぜ彼はああも暴虐だったのでしょうか。剣や人命を重んじるひとならば、今ごろはさぞ高名な剣士になっていたでしょうに……」


 当時のことを思い出してか、古戸はいささかつらそうに、目をつむった。くしくも、それは仙道と同じ感慨のようだった。


「とにかく、ぼくがお詫びしたいのはそういうわけです。われわれがもっとはやく動いていれば、もしかすれば助けられた被害者もいたかもしれないのに」

「頭を上げてください、先生。支部と奉行のあいだでは、満足に連携が取れなかったのも原因のひとつでしょうし、なによりまだ、なにかが確定したわけではありませんから」

「……ありがとうございます。それもそうですね。もしも懸念しているとおりでしたら、そのときにまた」


 古戸はほかに保管してあった死体診断書も含めて、こちらに渡してくれた。第三者が読んでもわかりやすいように、彼の見解を述べたノートも添えてくれる。

 最後に、彼はこう聞いてきた。


「敷善切定の足取りは、掴めているのですか。彼はあれから、どうしているのでしょう」

「申し訳ありません、そうした情報は部外秘でして。事件解決には尽力するとだけ、お答えします」

「そ、そうですよね、失礼しました。でも、わざわざ本部のほうから粛清官が来てくださっているんです、きっとぼくなどが心配せずとも解決するのでしょう」


 ふたりのマスクを交互に見比べた古戸が、そのままシンのことをみつめた。


「なんだ。なにをみている」


 シンは不機嫌になった。シンはよく知らないだれか――とくに男に――にじっと視線をもらうことが嫌いだった。


「あ、いえ、すみません」

「なにか気になることでもあったか」

「……その、非常に特徴的な刀を持っていらっしゃるものですから、気になりまして。それほどに刃渡りのある刀を、普段から使っていらっしゃるのですか」


 それは医者としてではなく、剣士としての疑問のようだった。

 シンは返答に困った。べつにこの愛刀を使わずとも、お前のところの師範代くらいならば倒せる、と教えてやってもよかったが、めんどうで、ひょいと投げ渡してみた。


「わっ! た、た……」


 どうにか受け取った古戸は、うわぁと感嘆の声を上げた。刀身を鞘からわずか抜くと、しげしげと黒い刃を眺める。


「お、重いですね。それに、この刃……普通の焼き入れじゃない。塵工刀ですね」

「お前、死体だけじゃなく、刃物まで好きなのか」


 シンが呆れて言うと、古戸は恥ずかしそうになった。


「そ、そう言われると、なんだか物騒な人間のようですね。でも、否定はできないかもしれません」


 古戸は、魅入られるかのように、ぼーっと刀身を眺めた。


「死に瀕したもの、その傍にあるもの……そういったものには、得も言われぬ引力がありますから……」


 それから、すぐにこちらの視線に気づくと、あわてて返してきた。


「あ、ありがとうございました」

「こいつ、かなり変なやつだな」

「こら、チューミー!」

「いえ、よく言われますから、お気になさらず。だからこんなところで、死体に囲まれながらひとりで働いているんですよ」


 人懐っこい笑みで笑う古戸に背を向けて、ふたりは二重扉の外に出て行った。




「思わぬ収穫だったわね。まさか、燈火流の訪問からこんなに進展するなんて」


 外の通りを歩きながら、シルヴィが言った。曇り空は少しばかり薄らいでいて、あいだを縫って届けられるひと筋の陽光が、周辺の住居を照らしていた。


「まずは、彼のデータの真実性を、支部の検死医に可能なかぎりたしかめてもらいましょう。もしも古戸先生の見解が誤りでないのなら、敷善切定がかなり怪しくなるわ。これからの数日は、彼の居場所を突き止めるのに費やしてもいいかもしれないわね」


 シルヴィに半歩遅れてついていきながら、シンは考えごとをしていた。

 なにかひっかかるものがあった。それがなんなのかわからなくて、シンは自分のみてきたものを思い出そうとしていた。

 だが、腹が鳴って、すぐにどうでもよくなった。


「なぁ、そろそろ昼飯にしたい」

「そうね、もうそういう時間ね」


 シルヴィは時計を一瞥すると、迷うように小首をかしげた。


「んー。せっかくだから、宿以外にしたいわよね。それと、個室があるお店じゃないと……そうだ、天ぷらにしましょう。わたし、よさそうなお店を知っているわ」

「なんだその変な名前の食べ物は。というかお前、旅館といい飯屋といい、やけにリサーチしていないか? まるで旅行気分だ」

「そんなわけないでしょ! そうじゃなくて、もともと調べてあったのよ。遊郭には、いつかちゃんと来たいと思っていたから。それに、こういう機会でもないと、あなたとは……」


 シルヴィはマスクのなかで、もごもごと言葉を小さくしていった。


「? どうした」

「な、なんでもないわ。それより、天ぷら。食べるの、食べないの?」


 シンはあまりかわったものを食べたくはなかったが、かといってほかになにか見当がつくということもなかったので、おとなしくついていくことにした。

 そして、天ぷらはシンの好物のひとつとなった。

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