死体オタクとなんでもオタク

 死体安置所モルグがあるのは、なんとも物寂しい路地の一角だった。

 対面の空き地は荒廃しており、ぺんぺん草が好き放題に生えている。

 本日の悪い天気も相まって、まるで趣味の悪い映画の撮影に使われそうなスポットだとシンは思った。


「このモルグは、もともとは普通の病院だったみたいね。病院を閉鎖したあとに改修して、死体の保管所に変えたみたい」

「なぜそんなことまで知っているんだ?」

「さっきの電話で、ここに向かうつもりだって言ったら、ユンファさんが教えてくれたのよ。驚いていたわ。この死体安置所が、まさしく支部があまり手出しできなかった場所のようだから」


 シルヴィはさらにこう教えてくれたが、その事情は少し複雑なものだった。

 支部とはべつの治安部隊である赤町奉行も、検死医のような死体のプロフェッショナルとは、可能なかぎり懇意にしていたいらしい。死体の持つ情報は膨大であり、そこからはじめて犯人の足取りが追えるということは日常茶飯事だからだ。

 連盟本部であれば、そうした分野の玄人はたくさんいるし、あるいは支部であっても内部に検死医を抱えているが、いわゆる「町のお巡りさん」である赤町奉行は、連盟に頼らぬ以上、どうにかして自分たちで環境を用意するしかなかった。

 そこで目をつけたのが、「町のお医者さん」だったというわけだ。


 偉大都市の医者は、明確に二種類に分かれている。ひとつは、ルイス大学校などの教育機関で医療を学んだ、免許を持つ真っ当な医者。

 もうひとつは、独学で開業した闇医者だ。そして両方ともに、医療や検査に特化した砂塵能力者がいたり、いなかったりする。

 当然、詳しい医学知識などなくとも病気を治せる能力者というのは存在しているし、その逆、知識があっても治せない者もいるため、ピンからキリだ。

 その例でいうと、この死体安置所の検死医は、正当な医師免許を持っており、そればかりか、検査に特化した能力者でもあるという。


「ユンファさんがいうには、支部どころか連盟本部も、ここの検死医を欲しがったそうよ。それでも、彼は赤町奉行の側についたみたい」

「殊勝な話だな。義理でもあるのか? 報酬が何倍も違うだろうに」

「何倍どころか、何十倍よ。砂塵能力を活かせる医師なんて、中央街だったらいくらでも好きなギャラを提示できるわ。わかる? チューミー」

「なにがだ?」

「にもかかわらず、ここで検死をやると決めたひとよ。いくら師範代の紹介があったとしても、果たしてこころよく連盟わたしたちを受け入れてくれるのかしら」


 しかし、そのシルヴィの懸念は、結果からいうと杞憂に近いものだった。


「ごめんください。中央連盟の者ですが」


 しばらくしてシルヴィの声かけに応じたのは、「はい!」というインターホン越しの快活な声だった。どたばたとなかを駆ける音がしたあとに、引き戸が開く。

 出てきたのは、白衣の男性だった。


「こ、こんにちは! どうも、検死医の古戸廉也といいます。本土風になおすと、レンヤ・コドですね。仙道先輩から話は聞いております。さあさ、どうぞなかに……」


 彼は、海草のようなくるくるとした髪の下にある、黒ぶちの丸眼鏡越しに、ふしぎそうな目つきを浮かべた。


「あ、あの、どうかされましたか」

「い、いえ」


 シルヴィが首を振り、丁寧に自己紹介を返した。

 件の医者は、まったく邪険ではないどころか、聞けばなんでも答えてくれそうな、ひとのよさそうな好青年だった。




「とくに助手や事務員のたぐいは雇っていないんです。ここが町医者をやっていたころとは違って、もう生きた患者さんは来ないですからね。死体を相手にするなら、ぼくひとりでじゅうぶんなんですよ」


 なかに案内しながら、検死医の古戸がそう言った。

 ふたりが通されたのは、和風の一般的な家屋だった。どうやら、古戸はここに住んでいるらしい。おそらく独身なのだろう、質素で物の少ない室内だった。


「で、肝心の安置所はどこにあるんだ」


 そうシンが聞いた。その機械音声に古戸はおどろいたようだったが、質問はされなかった。


「さきほどの廊下を曲がった先です。ここ、外からみても奇妙な見た目をしていたでしょう。和風住宅に、打ちっぱなしのコンクリートが生えているみたいな。ここを安置所に変えるにあたって、居住空間と明確に分けるかたちの改修をしたのです」


 ほら、さすがに死体と同じ屋根の下で眠りたくはないですから、と言って古戸は笑ったが、シンにはたいして違いがわからなかった。


「おふたりは、こちらで少々お待ちいただけますか。じつは今、仕事の最中だったのです。もうそろそろ死亡診断書の作成が終わるので、あまりお時間はいただきません」

「あの、ドクター。もしよろしければ、お仕事を見学しても?」


 シルヴィの要望に、古戸は意外そうな顔をした。


「かまいませんが、けっこうきついですよ?」

「大丈夫です。仕事柄、慣れておりますから。それともご迷惑でしょうか」

「いえいえ、そんなことは。では、こちらに」


 古戸に先導されて、ふたりはモルグの領域に足を踏み入れた。


「おふたりとも、すでに手袋をされているのですね。でしたらけっこうですが、念のため、あまり物には触らないように注意をお願いします」


 廊下の先の扉を開けると、きゅうにコンクリート製の壁にかわって、冷えた空間に迎えられた。おそらくは死臭を消すためであろう強い芳香が、ふたりの鼻を刺した。

 広めの検死室の中央に、銀の台に乗ったひとりの男の死体があった。胸に二発、穴が空いている。どうやら死因は銃撃のようで、つまり幽霊左近とは関係がなさそうだった。


「この男性は、ある暴力団の関係者だそうで、けさがた運ばれてきました。どうやら昨晩、繁華街のほうでひと悶着があったそうです。ほんとう、物騒な街ですよね、はは」

「先生が確認しているということは、検死の必要があるとみられているのですか?」

「ええ。どうやら容疑者は、同じ組の三名に絞れているそうです。ぼくも詳しくは聞いていませんが、それぞれ時刻のアリバイが違うそうですから、死亡推定時刻さえ割れれば、きっと捜査は進展するのでしょう」


 古戸は死体の背中に浮かぶ斑点模様を確認すると、なにかの機材を肌に押し当てた。モニターに表示された数字を確認すると、クリップボードに続きを書きこんでいった。

 見学者がいるためか、彼は記録しながらこう話した。


「これは死斑です。彼は発見されたときも仰臥位ぎょうがい、つまり仰向けだったそうですから、あまり誤差なく血液の沈下をみることができます。彼くらいの肌の黒さだと、暗赤褐色で、比較的よく確認できますね」

「死亡推定時刻は、基本的には死斑でみるものなのでしょうか」


 検死の現場に興味津々なのか、シルヴィは熱心に仕事を観察していた。


「ええ、でも、それだけではありませんよ。肌の色によっては、そもそも死斑はみえませんから。ほかにも体温の低下具合や、死後硬直の強度も確認しますよ。そうですね、彼くらいの固まり具合だと、死後十二時間程度であると推測できます」

「それは、どの程度確実なデータなのでしょうか」

「死亡時の状況が確定できているなら、かなりの精度ですよ。それと、死後硬直でいうのなら、じつは人体には一か所、ものすごく顕著にあらわれる箇所があるのですよ。それは……」

「黒晶器官の周辺ですね」


 と、シルヴィが先に言った。


「とくにインジェクターの起動ちゅうに死亡していると、顕著だと聞きます。たしか、リン酸の減少が関係するのでしたか」

「なんと、お詳しい。そのとおりです。正確には、アデノシン三リン酸ですね。より厳密にはグリコーゲンなどもかかわりますが、それら成分はインジェクターの使用によって、まずは付近から多く消費されるのです。ここの頭半棘筋から後斜角筋にかけて、まるで鋼のように硬くなるケースもあるんですよ! ほかにはですね……」


 検死医が早口に語るのを、シルヴィは笑顔で聞いていた。

 死体を前に、いったいなにを盛り上がっているんだか……。シンはなぜだか気に入らなくて、ひとり安置所のなかを観察した。

 さまざまな器具がおさめてある戸棚に、写真立てをみつける。家族写真のようだった。医者とおぼしき初老の男性と、その妻らしき女性。ふたりとも、ひとりの少年の肩に手を置いている。

 その少年こそが、幼き日の古戸廉也のようだった。

 老齢の夫婦のあいだで、彼はごく無表情にカメラのほうを向いている。


「もとは病院だったと言っていたが、経営者はあんたの父親なのか」


 ちょうどいいと思って、シンはふたりの会話に水を差した。


「ええ、はい。そうです。父がやっていましたが、十年前、ぼくが中央街の学校に通っているあいだに、他界しました。母も、そのすぐあとに砂塵障害で……」

「それは、ご愁傷様でした」


 なにも言わないシンのかわりに、シルヴィがそう言った。


「ありがとうございます。でも、もう昔のことですからお気になさらず。それにぼくが継ぐことになったから、こうして検死の専門医になれたというのもあります。父は普通の医者をやってほしがっていたのですが、ぼくはこっちの道のほうが自分に向いていると思っていたので」

「そういえば、お前は死体を診るのに使える能力者だそうだな」


 古戸にはみえない角度で、シルヴィが微妙な表情になった。初対面の相手にいきなり能力をたずねるのは、一般には不躾とされているからだ。

 だが、当の古戸はまったく気にしていないようだった。


「そうです。まさしく、こういう仕事用なのですよ。といっても、粛清官や赤町奉行のような方々からすれば、ものすごく地味な砂塵能力なんですけどね。それでも、なかなか便利ですよ。よければ、今からおみせしましょうか」

「えっ。よろしいのですか」


 とシルヴィがおどろいた。


「はい。どっちにしろ、最後の確認に使おうと思っていたので」


 古戸が、机のうえにあったドレスマスクをかぶった。

 側面に十字の赤い模様がペイントされているのは、医療に心得がある者をあらわし、おうおうにして医者の身分を示すものだ。

 ふたりがマスクを着用していることを確認すると、古戸がインジェクターを起動した。石灰のような色の砂塵が、少量だけ指先から漏れていく。

 それを、古戸は死体の胸の一部に振りかけた。

 すると、ふしぎな現象が起きた。血色のうしなわれていた肌が、徐々に艶を取り戻していくのだ。そればかりか、胸に空いた銃創から、ツーと血が漏れ出てきた。


「ぼくの能力は、人体の復活です」


 と、能力を行使しながら古戸は言った。


「部分的な蘇り、とでもいったら伝わりやすいでしょうか。このように血をふたたび巡らせることが可能なので、一部を生者のように診断することができるんですよ。組織的に機能しない部分を割り出して、死因の特定に使えたりします。もっとも、死亡時の生活反応の判断に障るので、使うタイミングは最後に限られるのですが」

「すごい……まるで噂に聞く〝人形遣い〟だわ」

「いえいえ、そんな大それたものではありません。人形遣いは、死体を自由自在に操ることができるのでしょう? ぼくにはそんなことはできません。ただ、一部の機能を復活させるだけですし、たとえ脳に使ったとしても、しゃべり出したりなんかはしません。もっとも、ぼくにはこれでじゅうぶんなんですが」


 古戸は、死体に当てるライトの光量を強めると、メスや鑷子のたぐいを手に取った。台座に取りつけられたボタンを押すと、録画用のカメラらしきものがまわりはじめる。


「と、すみません。ここからは少しだけ集中がいる作業なので、お静かにお願いします」


 そこからは、細々とした検死の作業が続いた。

 好奇心旺盛に見学するパートナーとは違い、シンは退屈にあくびしながら、医者の仕事が終わるのを待った。

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