病室
ドアをノックして、部屋に入った。
山下のおばさんが、山下の眠るベッドの横で本を読んでいた。
「おばさん、こんばんは。りえさんのお見舞いと用事があって来ました」
「あら、悟くん、ひらきちゃんも一緒なのね。いらっしゃい、りえも喜ぶと思うわ」
ベッドの上の山下を見つめた。
夏の時季を眠って過ごしたためか、顔も肌もとても白かった。
管で繋がれて、ほとんど動かない山下を見ると、もしかしたら死んでいるんじゃないかと不安になる。
微かに上下する掛け布団を確認し、呼吸していること、生きていることを確認する。
おばさんの方を見て気がついたが、少し老けたように見える。
山下と顔がよく似ているし、声も似ているから、姉妹と間違えられると、嬉しそうに話していたのが嘘のようだ。
「あの、おばさん、こんなことをお願いするのは気が引けるんですが、山下の普段使っていたスマホを貸してもらえませんか?」
おばさんは目をパチクリと瞬きした。
「本当にりえの言った通りのことをするのね……」
「えっ?」
「スマホを悟くんには渡せないの。りえからのお願いで、『悟くん以外の人には渡していい』って言われてる」
山下はスマートフォンのパスワードを教えてくれたにも関わらず、スマートフォンを俺には渡さないという理解のできない行動をしている。
ただ、逆に言えば俺以外になら誰でも受け取れるということだ。
「ひらきがスマホを貸して欲しいと言ったら渡すんですか?」
「勿論、渡すわ」
おばさんが即答したのを見て、ひらきがすかさずお願いする。
「おばさん、りえさんのスマホを貸してもらえますか?」
ひらきのお願いに、申し訳無さそうな顔をしながら答えてくれた。
「ごめんなさい、さっき芳川って子が、生徒会の議事録データがスマホに入ってないか確認したいって言って取りに来たの」
どちらにしても、おばさんはスマホを持っていなかったようだ。
そして、芳川の目的は山下のスマホだったことに驚いた。やはりタイミングが良すぎると思う。不自然さが際立ってきた。
おばさんは山下の顔を見ながら、疑問を俺に投げかけた。
「これはりえが事故にあった日の朝にお願いされたことなの。もしかして、事故と関係があるの?」
「……ごめんなさい、分からないんです。でも、関係があるかもしれません」
正直に答えた。
おばさんが黙って財布を取り出し、そこから小さなメモ用紙を渡してくれた。
「スマホの代わりに、これを渡してって」
メモ用紙には山下の字で、メールアドレスとパスワードが書かれていた。
「これって……りえさんのスマホのアカウント……?」
「そう。だから、今、ここでそのアカウントを悟くんのスマホに入れてくれる?許可するから」
スマホにアカウントを追加する。承認申請待ちになったので、おばさんに承認してもらった。
「りえが何を考えていたのかわからないけど、お願いされていたのはここまで。」
「おばさん、ありがとうございます。」
ペコリと頭を下げた。
「ところであの芳川って子はいつもあんな感じなの?」
ひらきと顔を見合わせる。
「あんなって、どんなですか?」
「凄く礼儀正しいけど、演技っぽいっていうか……りえから生徒会の人の話ってあまり出なかったから、正直よくわからないのよね。」
ひらきが答える。
「うん、そういう意味で言えば、彼はあんな感じだよ。」
何も知らない人からすると、芳川の普段の言動は違和感があるのかもしれない。
ベッドの脇には芳川がお見舞いに持ってきたというオレンジ色のマリーゴールドが花瓶に生けられていた。
少しおばさんと雑談をして、病院を後にした。
…
時間は18時45分を回っていた。正樹部長には19時頃到着すると連絡は入れた。
病院を出ると急いで自転車に跨がり、ひらきも後に乗った。
「ひらき、今村に芳川の件を確認取ってもらうことはできるか?」
「今?」
「ああ、今だ。」
それだけお願いすると、俺は自転車を漕ぎ始めた。今日の芳川の豹変ぶりが気にかかる。
俺に対する態度は元々酷いが、それはあくまで周りに人がいないこと前提だ。
暴力沙汰もさすがに今回が初めてだし、どうにも嫌な予感がする。今村さんに何かあったら……という心配もあった。
荷台のひらきは早速電話をかけてくれた。
周りを警戒しながら、自転車を漕ぐ。
二人乗りの上に、後ろでながらスマホをしている状態なので、警官がいたら止められてしまう。
時折、聞こえてくるひらきと今村の会話が気になるが、とりあえず船着き場が優先だ。
「……うん、わかった。また後でね」
ひらきの通話が終わったらしい。
「藤井くん!今村、船着き場に来るって!」
「えっ、そうなのか?」
どういう経緯でそうなったのか気になったが、とりあえず後回しにした。
「ひらき、如月にも連絡とれるか? 今日、あんな事があったから嫌かもしれないけど…」
「いいよ、私も気になってたし。」
そう言うとすぐに電話を始めた。ひらきはこういうことに躊躇いがないのが凄いと思う。
「駄目だ、電話に出ない。一応、SNSにも送ってみるよ。」
「ひらき、ありがとう。」
船着き場が見えてきた。定休日なので、灯りが落とされて少し薄暗かった。
その時、ふらふらと歩いている人がいることに気がついた。
まずい、ぶつかる!
力一杯、ブレーキをかける。自転車の重心が前に傾き、ひらきが俺の背中にドンッとぶつかって転がり落ちた。
「悪い、ひらき。大丈夫か!?」
咄嗟に左手をついたらしく、顔から落ちるのは防げたようだ。
「なんとか、大丈夫……いてて」
前方にいた人影をよく見ると、中上だった。生気のない顔をしている。
「中上先生、どうしたんですか? 死にそうな顔して……」
「藤井か……いや、ちょっとな」
歯切れの悪い返しを聞いて、思い出した。
「もしかして、裏サイトの管理者の疑いをかけられている件で何かありましたか?」
「なんで、藤井がその件を知っているんだ……」
そう言うと、ふらふらとどこかへ行こうとするので声をかけた。
「先生、一緒に船着き場に行きませんか?」
「いや、俺は……」
ひらきが問答無用で中上の腕を掴んで引っ張る。
「中上先生、行きましょう。それ、冤罪なんでしょ? 今日はそれを何とかするための集まりなんです」
「本当かぁ……?」
大の大人がこんな情けない顔をしているのを見たことがない。この数時間の間に余程のことがあったのだろう。
船着き場のドアには"CLOSED"の看板がかかっていた。
中から灯りが漏れているので、中に正樹部長がいるのだろう。
構わず、ドアを開けた。
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