エンカウント

自転車の頼りない灯りがあたりを照らす。


既にあたりは真っ暗になっていた。冷たい空気が鼻や口から入ってくる。



「ひらき、寒くないか?」


「大丈夫!このマフラー暖かいよ」


「なら、少し飛ばすぞ」



面会時間は午後7時迄なので時間はある。


ただ、この後の船着き場の事を考えると少し急ぐ必要があった。



「あのさ〜!藤井くん」



自転車の風切音を配慮してか、大きめの声で話しかけてきた。


少しだけ、ひらきの方に顔を向ける。



「聞こえているよ。どうした?」


「多分……だけど、如月ちゃん芳川と付き合ってると思うんだ」



如月と芳川が付き合っている?



「何でそう思うんだ?」


「思ったんじゃない、見たんだ」



ああ、シナスタジアで見えたのか。



「如月ちゃんの持ってたmyPhoneとか、ブレザーとか、あと、……スカートとかに赤い色が付着してて……さ」



スカートの下りでひらきの声が小さくなった。まあ、何をか言わんや……だな。



「……そうか。でも前に今村さんの時計にも芳川の赤い思念が見えるっていってたよな? 」


「あの時点だと……付き合ってはいなかったと思う。でも、最近は少し怪しいんだよね」



ひらきのシナスタジアなら、誰と誰が付き合っているのか手に取るように分かるんだろう……な。



「……野暮かもしれないけど、一応探りを入れてくれないか?」


「うん、聞いてみるよ」



病院は本町通りに面しているので学校から10分くらい。


ひらきの家からだと、徒歩5分くらいの場所だ。


陽芽中央総合病院は陽芽市と芽原市の共同事業で建てらてた病院でこの辺りだと一番の大きな病院だ。


病院のシルエットがほんのり見えてきた。薄暗い外観だけ見ると、要塞のように見えなくもない。


病室の窓はカーテンがかかっており、隙間から僅かにもれる灯りが不安な気持ちにさせる。


不気味に感じる外観とは裏腹に正面入口は不自然なくらい明るく照らされていた。


自転車置場に自転車を止めると、受付を済ませ、山下のいる病室へと進んだ。


3階の302号室だ。


病室へ向かう途中、階段の踊り場から上を見上げると、そこには予想外の人物がいた。



「おや、お二人さん。いつも一緒だね。山下さんのお見舞いかな? 」



薄く目を開けて、口元も薄く笑っているように見えた。



「芳川……病院に何の用だ? 」



芳川はゆっくりと階段を降り始める。階段は薄暗く、芳川の顔がよく見えないこともあって殊更不気味だった。



「ご挨拶だな……山下さんは同じ生徒会のメンバーだよ。たまには御見舞にもくるさ」



大袈裟に手を広げながら近づいてくる。思わず、芳川と距離をとる。



「生徒会のメンバーで来るなら分かるが一人でくる理由がないだろ」



芳川が踊り場に降り立った。俺とひらきを値踏みするような目で見つめてきた。



「藤井くん、俺は山下さんの事が好きなんだ。また、彼女と会話できたらどんなにいいだろう……と思っている」



そう言った芳川は本当に悲しそうな顔をした。


なんなんだ……こいつは。


背筋が凍りつくような不自然さなのに、声の感触は本当に悲しんでいる人間のそれだ。


気がつくと俺の右隣に芳川はいた。


そして、ひらきには聞こえないように俺にだけ囁く。



「山下さんは君みたいな凡庸で愚図な人間には勿体無い。君は実にアンバランスだ」



芳川は俺の横から身を乗り出すように、ひらきを見つめる。



「分からないな……桧川さんほど美しい女性が何でこんな冴えない男と一緒にいるのかな? 」



そう言うと芳川は俺の背後を通って、ひらきに近づき肩に手を伸ばす。ひらきは右手の甲で芳川の手を払い除ける。



「前にも言ったけど……私に触らないで」



「つれないな……以前はもっと仲良くしてくれたじゃないか。そんな言い方をされたら僕だって傷つくよ」



芳川の所作全てに全身の毛が逆立つような不快さを覚えた。


咄嗟にひらきと芳川の間に入ろうと前に一歩前に出た瞬間だった。



芳川のボディブローが俺のみぞおちを捉えた。急所を打たれて、体をくの字に曲げる。



「うっ……」



重い打撃は身体の芯に浸透するように響いてきた。脚腰にうまく力が入らない。


近距離に加えて拳が速すぎて、シナスタジアが反応するとほぼ同時に殴られていた。


芳川が俺の頭の高さに合わせて、耳元まで頭を下げる。


「前にも言っただろう? うざいんだよ。消えてくれ」


ひらきが俺に駆け寄る。



「藤井くん! 大丈夫? 」



芳川が吐き捨てるように言った。



「大丈夫に決まっているだろ。手加減しているからな」



鉛のように重くなった身体を持ち上げて、芳川の顔を見ながら声を絞るように出した。



「こんな事をして、ただで済むと思っているのか? 停学じゃ済まないぞ……」


「済むさ。君たちの戯言なんて誰も聞きやしないよ。そのために手加減したんだしね」



学校での優等生ぶりが嘘のようだ。


普段は猫をかぶっていたのだろう。芳川は活き活きとしていた。


ひらきが立ち上がり右手を芳川に向かって振り上げた。



「この……!」


「ひらき、よせっ!!」



芳川が半歩下がって躱す。


芳川はひらきとの間合いを詰めると、右ストレートをひらきの顔面にめがけて放つ。



拳はひらきの鼻先で止まった。



「はしたないな、美しい女性のすることではないよ」



ひらきは膝から崩れ落ちた。芳川が腰を落として、ひらきを見ながら忠告する。



「……次やったら、あてるからね」



さらりと恐ろしい事を言った。しかも、こいつ、本気で言っている……。



そして、芳川はひらきの耳元で何かを囁いた。声が小さくて聞き取れない。


だが、微かに害意の感触がした。


芳川は話し終わると立ち上がり、ひらきの横を通り過ぎて階段を降り始める。



ひらきが芳川を睨んだ。察したのか芳川がこちらを振り返った。



「今日はこれでお暇するよ。まだ、ちょっと早いしね」



帰ろうとする芳川にひらきが叫ぶように聞いた。



「芳川……如月ちゃんと付き合ってるの?イマムーは?二人に酷いことをしたら……」


「……したら、どうだっていうんだ?しかし、どうやって調べたんだ、二人と付き合っていることを……」



こちらを振り返る芳川の顔は笑っていた。



「まあいい。……もっとも、如月くんとは『付き合っていた』という表現が正しいけどね」



そういうと芳川は軽い足取りで階段を降りると、廊下へと消えていった。



「ひらき……大丈夫か? 」



右手を差し出す。


ひらきは俺の手を掴むことはなく、自分で立ち上がろうとする。


ひらきは俺に視線を合わせず踊り場の方を見ていた。



「う、うん、大丈夫。自分で立てるよ」



だから、勝手にひらきの手を掴んで優しく引いた。



「大丈夫じゃないんだろ? 」


「藤井くん、私は……」



ひらきは何かを言おうとして顔を上げたが、口をぎゅっと結んで、また俯いてしまった。


きっと、芳川に言われた何かが原因なんだろう。



「無理に話さなくていい。さっ、立てるか? 」



ひらきは手を強く握り返してきたので、今度は力を込めて引き上げた。


引き上げる力が強すぎたのか立ち上がったひらきがよろめき、俺に抱きつく格好になってしまった。


そっと、背中を抱く。



「藤井くん……」


「大丈夫、ひらきは一人じゃない」



ひらきから離れると手を繋ぐ。



「病室の前まで……だからな」


「りえ……ピンには内緒だね」



ひらきは涙をうっすら浮かべたまま笑った。



目撃者がいなかったから、芳川を追いかけなかったが、本音は芳川を追いかけてぶん殴りたい気分だった。


いずれにしても、この状態のひらきを置いてはいけなかったと思う。


ぐっと堪えて、本来の目的を先に遂行を優先することにした。



病室に向かいながら芳川が山下を訪ねた理由を考えていた。


目を覚ましていない山下に何の目的で近づいたのか?


……まさか、先回りされている?


如月といい、芳川といい、不自然なくらい絶妙のタイミングで出食わしている。


病室の前に着いたので、ひらきの手を離す。


ドアをノックして、部屋に入った。

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