諍い

ふらふらと本町通りを歩いていると、船着き場から出てくる中上に出くわした。


「中上先生、こんばんは」


「お、おう、こんばんは」


……二人の間に沈黙が訪れた。


中上はしばらくして、険しい顔に変わった。


暗くてよく分からなかったが、脂汗を浮かべているようにも思えた。


「藤井……寒いだろ? 奢ってやるから船着き場に寄らないか? 」


どうして誘われたのか理由がわからない。


「いや、遠慮しておきますよ。もう遅い時間ですし」


「遠慮するな。親御さんには俺から連絡しといてやるから、一緒に飯でも食わないか? 」


……少し、しつこいな。でも、食い下がられると断りづらい。


渋々、提案に乗る。


「分かりました。少しであれば……」


ひらきとのやり取りで、疲弊していた俺は投げやりに返事をする。


早く帰りたい。適当にあしらってさっさと帰ろう。


船着き場のドアがカランカランと軽快な音を鳴らす。


「いらっしゃい……あれ?中上先生と悟? 」


奇妙な組み合わせに面食らったマスターの表情が面白かった。



いや、面白いか?



その後の記憶は朧げだった。


中上が気を利かせて、色んなメニューをオーダーしてくれた。


特に食べたかったわけではないが、出された物を残すのは気が引けた。


だから、少しずつ食べてみるものの、何も味がしないのだ。


食感だけはあるから、味のない食材を口に詰め込む作業をしているような感じだった。


美味しくはない。


だが、口に詰め込み、咀嚼し、飲み込むという一連の作業は苦ではなかった。


美味しくもない料理に舌鼓を打ったふりをし、笑顔で談笑し……。


こんなに完璧に演じているのに目の前にいる中上は……固い表情のままだ。


「なあ、藤井……こんな時間まで何をしていたんだ? 」


「ちょっとひらきの家に寄ってたんですよ。……あっ、何も怪しいことはないですよ」


言わなくても良いことを言ってしまった……。


中上の顔がどんどん険しさを増していく。


何か、選択を間違えたかな?


「むしろ、怪しいことをしていた方が健全だろう。藤井……」


生活指導の先生とは思えない不謹慎な発言だ。


中上に両肩を掴まれた。


「藤井、大丈夫か?」


大丈夫ですよ……。


あれ、返事をしようと思ったのに声が出ない。


それに息が苦しい……吸っても吸っても酸素が吸入されている気がしない。


「はあ、はあ、はあ、はあ……」


う、苦しい、何となく、呼吸が上手くできない。


気がつくと中上、マスター、正樹部長までやってきた。


マスターが持ってきたビニール袋を口から鼻まで包むようにかぶせられた。


暫く呼吸を繰り返すと呼吸が楽になった。


中上が声をかけてきた。


「藤井大丈夫か?何か悩みがあるなら話してみろ」


「大丈夫ですよ。3人とも何でそんな顔してるんですか? 」


「何で、じゃないぞ。悟、お前……」


正樹部長は言葉に詰まる。


みんな、様子が変だ。


まあ、いいか。


そうだ、これだけ人が集まっているならあれを聞いてみるか。


カバンの底をガサガサと漁る。


あった、これだ。


カバンから取り出すと、金属とプラスティックがぶつかるチャカチャカとした軽い音がした。


正方形のプラスティックの透明な箱に小さなCDが入っている不思議なアイテムをテーブルに置く。


「あの、これ何だか分かりますか? 」


正樹部長は顔をしかめた。


「いや、見たことないな、何かのメディアか? 」


マスターはちょっと驚いたような顔をした。


「MDだな……。随分、懐かしいものをもっているな悟」


中上も反応する。


「俺が中学生のころに流行ってたな。それは音楽を記録するためのメディアだ」


「こんな物をどこで手に入れたんだ? 」


「山下からもらったんですよ」


山下……という単語に皆一様に少し暗い顔をした。


マスターは少し目を細めて、腕を組んでいる。何か、考え事をしているようだった。


暫くすると、こちらを向いた。


「ちょっと待ってろ」


そういうと、マスター小走りでバックヤードへ消えていった。


「なあ、悟。それはいつもらったんだ?」


「山下が事故にあった日おぼえていますか? 」


正樹部長が小さく頷く。


「あの日の朝、一緒に登校した時に手紙と一緒に手渡されました」


「聞いていいのか分からないが、手紙にはなんて書いてあったんだ? 」


正樹部長は少し躊躇いがちに聞いてきた。


「『悟くん、後で中身を見て』みたいなことが書いてありましたね。手紙見ますか? 」


俺はMDと一緒に同封されていた手紙を手渡した。


手紙に視線を落としながら、正樹部長が質問をしてきた。


「なあ、悟……まだ遺失物事件を調べる気はあるか? 」


「どうですかね」


ぼんやりと中空を見つめた。


「ひらきはまだ諦めてないみたいですけど……」


俺は遺失物事件に辟易していたのかもしれない。危険な目にあってまで続けるような事ではないと思う。


テーブルに視線を落とすと木目が見えた。


「悟、俺は……あれは事故だと、思っていない。中上先生、俺は納得が行かない」


強く握った拳は小刻みに震え、血管が浮き出ていた。


急に水を向けられて、中上は目を見開く。だが、すぐに目を細めて静かに語り始めた。


「陽芽高の校内に監視カメラはない。そして、山下が階段から転落したところを見たものもいない」


「そんな状況だったからな。まず、第一発見者の如月が容疑者候補にあがったが、すぐに候補から外れた」


「山下が転落したのは西棟2階の階段前だ」


「山下が発見される時刻近辺で如月が東棟から歩いてくるところを何人か目撃している」


「争った形跡もないことから足を滑らせて転落した、というのが学校の見解だ」


黙って話を聞いていた正樹部長は苛立たしげに中上を睨む。


中上がため息をつきながら補足する。


「俺も納得はしてない。藤井や桧川、山下の周りで不可解な事故が起き過ぎだ。偶然ではないだろうな……」


正樹部長が俺の方に向き直る。


「俺は山下に何かした奴がいるなら許すことはできない。そのMDには今回の事件に関わる何かがあると思っている」


「なんで……そう思うんですか? 音楽が入っているだけかもしれないですよ」


適当に返答する。


正樹部長がMDを手に取ると、チャカチャカとMDが音を立てた。


「俺もお前もこれが何なのか分からなかったんだぞ」


「すぐ確認できる方法ではなく、確認に手間のかかるものをお前に託したんだ」


言われてみれば、ひらきの白紙の手紙も確認に手間がかかる方法。


……


………もう、いいや。


考えるのも面倒くさい。


「……もう、帰っていいですか?遺失物事件に興味なんてないんですよ」


「何……だと?」


正樹部長が凄んだ。


「興味が無いって言ったんです。いい加減にして下さいよ。犯人を見つけたところで山下は元には戻らないじゃないですか」


「悟、貴様ぁぁ!!」


俺のシナスタジアが襟首を掴みに来る正樹部長の右手を無意識にとらえる。


左手で捌きつつ、正樹部長の右腕の袖を掴む、そのまま流れるように右手で襟首も取る。


左手で相手の右腕を引き、右肘を正樹部長の右腕の下を通し身体を捻る。


完璧なタイミングの後の先。


背負投げが決まる。


…………?


重い。タイミングは完璧な筈なのに、投げられない。


むしろ、逆に後ろに引っ張られる。


ストンと後ろに尻もちを着く格好になった。


な、何が……。



「船場! 藤井!!いい加減にしろ!! 」



中上が怒鳴る。


後ろを振り返ると、中上に腰を掴まれて呆然と立ち尽くす正樹部長が見えた。


まさか中上のやつ、正樹部長を力任せに引っ張って、俺ごと倒したのか?


あり得ない……あのタイミングで割って入るなんて、素人にはまず不可能だ。


偶然だ……。


「うるせぇ!!中上、いい加減うぜぇんだよ」


中上に掴みかかる。


もういい、どうでもいい。


ブン投げてやる。


なんだ? 左足に違和感が……


………


……


天井のシーリングファンが一定の速度で回っているのが見えた。


なんで、天井が見えるんだ。



中上が俺の顔を覗き込んできた。



「舐めるなよ、藤井。気まぐれに柔道やってるなんちゃって格闘家風情に俺は投げられない」


まさか、投げられたのか。


シナスタジアは確かに反応していた。


でも、投げられるまで何をされたか分からなかった。


しかも、手加減された。


受け身を取る必要がないくらいしっかり引手がされていた。


中上が手を離すと、俺はペタンと尻をついた。


「お前だけが山下のことで傷ついているとでも思ったのか? 」


中上が俺の目線の高さにあわせて、腰を落とす。


「船場も、桧川も、山下のご両親も、俺もみんな傷ついているんだ」


分かってるよ。そんなこと……。


俺はゆっくりと立ち上がった。


そこにバックヤードから戻ってきたマスターがこちらに走ってきた。


「何だ、これは!? 中上先生。何があったんですか? 」


場の異様な雰囲気に気がついたのだろう。マスターの顔は困惑していた。


俺はマスターの横を走って通り抜け、ドアを開けた。


後ろを振り返り少し頭をさげた。


「すみません、帰ります」


そう告げて、船着き場を飛び出した。


「まて、悟……」


正樹部長の声が聞こえた。


でも、振り返らず暗い夜道を走った。


コートも荷物も自転車も何もかも置いてきてしまった。


放っておいて欲しかった。


俺のシナスタジアは役立たずだ。


誰一人、救うことのできない意味のない能力だ。


中上に投げられ、山下を救うこともできなかった。


暗い住宅街を駆け抜けていると、家や電柱、電線の暗いシルエットの合間に空が見えた。


空がいつもより暗く感じた。


黒い雲が星空を覆い隠して今にも泣き出しそうだった。


いや、泣き出したのかもしれない。


頬を伝う水の感触が雨なのか、涙なのか自分でも分からなくなっていた。



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