激情

如月と芳川のいる現場を離れて学校に向かった。何故、そこに芳川がいたのかは分からない。


 ひらきによると、芳川は本町通りを登下校しているのを見かけるので、それ自体は不自然ではないと言う。


「芳川とは登下校の時間が違うから、偶にしか見かけないけどね。どちらかと言うと如月ちゃんの方が違和感があるよ」


その後も学校に向う間にひらきは何かを話していたと思う。


でも、頭に何も入ってこなかった。


俺だけじゃなく、俺の周りにいるひらきや山下にまでその矛先を向けてくる芳川という人間が許せなかった。


こんな人間を放置していていいのか?


もしかすると、あの場にいた如月にも何かするかもしれない。


普段の俺に対する不遜な態度、バケツ落下事件の元凶を作り、往来の公道にゴミ屋敷のゴミをぶちまけ、あわや殺人未遂だ。


ふつふつと小さな怒りを溜めていく。


ドロッとした重くて熱い感情が身体をめぐり、得体のしれない何かが毛穴という毛穴から漏れ出しているような錯覚を覚えた。


掌を固く結んで拳に力を込める。


 山下やひらきに何かあれば、あいつを殴りに行ってしまう。


いや、今すぐにでも戻って殴ってもいい。


そう、俺は芳川を一連の事故の犯人と断定し始めていた。



その時だった。



ふわっと良い香りが漂い、その次の瞬間、ひらきが俺の肩をそっと抱いていた。



「ちょっ、おま、お前何を……? 」



 ひらきの髪が頬を撫でる。顔が近い、何を考えているんだ。


ひらきは肩を抱いたまま、目を合わせず優しい声で俺に話しかけた。



「落ち着いて、まだ芳川が犯人と決まったわけじゃない。偶然と考えたほうがいい」



ひらきの声に耳を澄ませている自分がいた。何かを話そうとしたけど、声が出ない……それどころか、出したくもなかった。



「藤井くんのその怒りは……その色は破滅の色だ。真っ暗だ、人が亡くなった時に躯を包む、負の色だ」



「だから、お願い……落ち着いて」



マグマのような黒い感情がすうっと身体から消えていくような……感覚があった。


あまりに心地よくて、数分だったのか、数秒だったのかも分からなくなるくらいひらきに身を委ねてしまった。


「ヒューヒュー朝からお熱いっすね!」


通りかかった陽芽中の男子生徒数名に冷やかされて、我に返った。


「ひ、ひらき、もう大丈夫だから」


ひらきの顔を見てドキッとした。


……泣いている。なんで?


ハンカチを取り出し、ひらきにそっと渡した。


ひらきはハンカチで涙を拭う。



涙に濡れた顔を見て、『綺麗だな……』と思ってしまった。



なんだろう……なんでこんなこと思ったんだろう。



ひらきは涙を拭ったハンカチを広げた。



そして、ブビーと鼻をかんだ……。



ハンカチを四つ折りに畳み直すと、俺の前に突き出した。


「んっ!返す」


「ごめん、ちょっとそれはいらないかな……あげる……」



気がつくと怒りは完全に消えていた。


すると、笑いが込み上げてきた。



「ぷっはははっ、ひらき、お前ちょっと変だぞ」


「……よく言われるよ。残念な美人だって。残念が余計なんだよね」


「残念は兎も角、自分で美人と言うのはどうかなと思うぞ」



冷静になった。連日の事件が俺を後ろ向きにしていたらしい。


ひらきがハンドルを握る俺の手にそっと触れる。


「ひ、ひらき、そろそろ、そういうのは……」


駄目だ……ドキドキする。


「ん、新緑の葉のような綺麗な緑だ」


そうか、ひらきは自転車のハンドルに移った俺の感情を読み取ったのか。


ドキドキした自分が急に恥ずかしくなった。


ひらきには他意はなかったのだ。


一瞬、勘違いしそうになってしまった。



「悪かった。そうだな、俺がどうかしてた」


「バケツ落下事件も窓ガラス割れた事件も、ゴミ屋敷崩壊事件も後回し!とりあえず、遺失物事件の調査でしょ? 」


黙って、首を縦に振った。そうだな、元々そういう話だった。


恥をかいたついでにひらきに涙の理由を訪ねてみた。


「ところでひらき、何で泣いてたんだ? 」


少し俯くと小さな声でひらきは言った。


「亡くなったお母さんを思い出しちゃって。藤井くんがあの時のお母さんと同じ色をしてたんだ」


躯を包む負の色……か。


あまりお母さんのことは話したくないんだろう。あえて、事情は聞かなかった。


ふとっ、死んだ親父を思い出した。


ひらきも……俺と同じだったんだ。


「藤井くん、学校に行こう。ゴミ屋敷の件を先生に説明をしてあげないと如月ちゃんが、ただの遅刻魔になっちゃうよ」


その通りだ。


まずは前に進まないと。


先を行く、ひらきがくるりと振り返る。


「ハグしたのは、りえピンに内緒だぜ」


人差し指を口元にあてて、はにかんだ笑顔が印象的だった。


そうだ、これは内緒にしないとな……。

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