第九話 駆け上れ!

理科男りかおじゃねーかッ!」


 そう叫ぶ声のした暗闇の彼方、廊下のはるか奥に咲はスマホのライトを向ける。


 向こうからも、同じように一筋の光が放たれている。


 それはまるで、深淵を覗いたとき、深淵もまたこちらを覗いている、といった具合に。

 心許こころもとない光源で、お互いを懸命に照らし合おうとしていた。



「ソノ声ハーッ! 花子サぶべらッ⁉」



 肉男が走りながら叫んだかと思えば、自らが咲に忠告した通り、盛大に舌を噛んだ。



 正確には勢い余って噛み千切り、牛タンならぬ模型タンの切れ端が床に転がった。



 これが昼間であれば、埃や髪の毛を巻き込んだ、ひとつまみの赤黒い肉塊を多数の児童が目撃する惨劇になったであろう。

 よかったことと言えば、肉男が物理的に血の通わない模型であるために、舌を噛んだ際、血飛沫が飛ばずに済んだことである。



「てめェ理科男コノ野郎ッ! あたいの名前はマナイだって、何遍言やァ覚えんだよ!」



 ようやく暗がりでもお互いの姿が確認できる位置まで近づいた。

 いつの間にか、灰土とは距離が取れており、マナイと肉男は立ち止まって話を続ける。

 当然、血の通わない模型である血沸肉男は息一つ切らさず、舌が千切れていても関係なく喋る。


 不気味この上ないが、幸か不幸か薄暗い中では姿がはっきりしないために、視覚効果は幾らか軽減されているようだ。



「ヒヤァ! 怒ラナイデクダサァイ! ……ソレヲ言ッタラ花子サンダッテ……」


「あんだよ」


「私ノ名前ハ理科男デハナク、『血沸肉男チ・ワ・キ・ニ・ク・オナンデスヨ?』


「っるっせェ、てめェなんざ理科室の理科男で十分だ」


「しくしく……」


 涙など一粒も出るはずなく、身振りだけベソをかく、人間じみた肉男。

 突如始まった丁々発止の応酬に、再会と互いの無事を喜び合うはずであった咲とアサギは放心状態で言葉も発せない。


「静かにしなさぁーーーーーい! まーーた貴女ですかっ! マナイ=田ノ上!」



 肉男の遥か後方、赤縁メガネの女教師がヒステリックに叫ぶと、特攻服姿のまな板少女の青白い顔から更に血の気が引く。



「げ……! ハイドン……!」


「ハンドンじゃありませんっ!! 灰土先生と呼びなさぁーーーーーい!!」



 怒りの雄叫びと同時に、灰土の抱えたしゃれこうべの、瞳の無い眼球の窪みが怪しく光る……!

 窓ひとつ分のガラスが粉々に割れ廊下に飛び散る。



「に、逃げるぞっ! 乗れっ!」



 マナイが自身の小さな口に細い指を咥えて指笛を鳴らすと、足の無いヤンキー幽霊の前に何処からともなく車輪の無い黄色のスクーターが現れる。

 マナイは座席シートに跨ると、その後ろ、荷台部分を親指で指さしてアサギを見る。


 もう何に驚いていいか分からないアサギは条件反射的に頷いて飛び乗る。

 お尻に感じるひんやりとした金属のような肌触りが、梅雨の蒸し暑さにいたぶられる体に心地よい。


 手放しでは危ないであろう、どこに掴まろうかとアサギが考えた結果、マナイのサラシの下、青白い肌丸出しの腰に両腕を回し、しがみつく。

 マナイは幽霊らしいが、どういうわけか、触れることができた。



「ひゃっ⁉」



 マナイの体が跳ね、普段の威勢のよさからかけ離れた、可愛らしい高音の悲鳴が短く響く。



「そ、そうだ! しっかり掴まってろぉ! 振り落とされないようになぁ!」



 マナイは唐突に後ろから抱きつかれた驚きで涙を目尻に浮かべ、青白い顔を赤らめている。

 ヤケクソ気味にエンジンを吹かすと、「行くぜェ!」と走り出す。


 そのやりとりを目撃した咲は頬を膨らませジト目でアサギを睨みつけていた。



(スケベ……)


「オ嬢サンモ、コチラヘ!」



 掛けられた声に咲が振り向けば、血沸肉男は片膝を廊下についてしゃがみ、両手を後ろに伸ばしている。

 咲をおぶるようだ。



「う、うん……」



 表皮の無い筋繊維や臓器がむき出しの半身はどんな感触なのだろうか、血液や浸出液が服に付かないだろうかという心配が無いわけではなかったが、また引っ張っられて運ばれるのは避けたかった。


 咲は意を決し、肉男の背中におぶさる。

 当たり前なのだが、体温など持たない模型の背中は冷たく、つるりとした表面はワックスがけの行き届いた教室の床みたいだった。

 肉男はすぐさま立ち上がり、廊下を駆け、階段を廊下と同じ速さで駆け上る。


 先に走り出したマナイに追いつくと、咲が口を開く。



「あの……ハイドンって何者ですか⁇」


「ああァ⁉ フランツ・ヨーゼフ・ハイドン! 1732-1809、オーストリア生まれの古典派で、100曲以上作った交響曲の父だッ! 死んだ後、アタマのおかしい頭蓋収集家コレクターによって墓から頭蓋骨が掘り出されて以降、各地を転々としている間よほど恨めしかったのか、持ち主に怪現象が絶えなかったってよ!」



 すらすらと答えたのは、意外にもマナイだった。



「すごい……! お詳しいですね……!」


「伊達に五十年地縛霊やってねェんだよ!」


「でも……私がおばあちゃんから聞いた七不思議に入ってないんです!」


「だろうな! アレは最近流れ着いたんだ!」


「なんで……?」


「ヤツの頭蓋骨は胴体の元に戻されめでたしめでたし……のハズだったんだが、その胴体もまた別人のにすり替えられていて、頭蓋骨は再び墓から出て彷徨うことになったらしい……胴体を求めてなァ!」


「そ、そんな……」



 階段の踊り場に差し掛かり、マナイは鮮やかなドリフトターンを決める。

 血沸肉男も負けじと踵を滑らせてドリフト決めると、むき出しの足裏から焦げ臭いにおいが立つ。

 立ち昇った異臭に、サキは顔をしかめる。



「何か止める手立ては無いのかっ⁉」



 スクーターに振り落とされないように必死で黙っていたアサギが、ようやく慣れたのか喋り出す。



「先輩方ニ、頼ンデミマショウ……!」



 焦げ・くさ男……もとい血沸肉男も口を挟む。



「階段ヲ上リ切ッタラ、音楽室デス……!」

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