第八話 廊下を走るな

「ソレデデスネ、ソノゴ主人様トイウノガ……」



 じめじめとした蒸し暑い六月の夜、スマホで照らす灯り以外は真っ暗闇の、虹ヶ丘小学校の校舎の中央階段を、咲は血沸肉男と並んで上っていた。


 二人、もとい一人と一体が出会った下駄箱のある玄関から真っ直ぐ伸びる階段だ。

 校内には他に、アサギとマナイが上る西階段、職員室に近い東階段がある。



(あれ……さっきから階段ばっかり上ってる……)



 咲は違和感を覚えていた。いつもならとっくに上り終わるはずの階段がずっと続いている。

 肉男の話がずっと続いているためにはっきりと数えてはいないが、かれこれ十階以上分は歩いたのではないか。

 歩みはゆっくりなので疲れにくくあるものの、それでも足はかなり重くなっている。



「ね……、に、肉男さん……? さっきから同じところぐるぐるしてる気がするんだけど……」


「……! ソウデスネ! 察シガイイデスネオ嬢サン! キット踊リ場ノ鏡ノセイデスネ! アッチニ行キマショウ!」



 全く迷う気配なく、自信満々に階段を上り切った先を左――西に進む。

 その切り替えの早さに、気付いていてわざと言わなかったのか、と過ぎる不信感。いや、そもそも会ったばかりの人――正しくは人ですらない模型――の振る舞いに一抹の不安を抱えつつも、ここでは彼に頼るしかない咲は後をついていく。


 スマホが放つ光くらいしか灯りの無い夜の廊下。

 静まり返った不気味な空間を紛らわしたく、暗い沈黙はとにかく避けたかった。

 咲はとにかく思い付いたことを、鼻歌を歌い出した人体模型に問いかける。



「それで、肉男さんは……どうして玄関に……?」


「ヨクゾ訊イテクダサイマシタオ嬢サン! 実ハ……アル方ト、待チ合ワセヲシテイタノデス!」


「えっ……!? それって……こっち来ちゃっていいの……?」


「アー…………アーアーアーアー……アー⁉ 全ク良クアリマセン! ドウシテ私ハココヘ来テシマッタノデショウ⁉」



 両手で頭を抱え天を仰いだりうずくまったりと、取り乱す人体模型。

 見た目には脳みそがしっかりあるようだが、所詮は模型つくりものなのかもしれない



「アーーーーーーー! 怒ラレルーーー! アノ人、怒ルト怖インダーーーー!!」



 頭を抱えたまま大声で叫ぶ人体模型。


「ちょ、ちょっと! 肉男さん! 声が、声が大きいですっ! 大丈夫ですって!」


 なだめる咲も、思わず大きな声を出してしまう。



「い、一緒にっ! 私も一緒に謝ってあげますからっ!」



 咲の声など耳に入らず、わめき続ける血沸肉男。

 こんなに騒いでいたら誰かに、教師に見つかってしまう。

 もう早く目的を遂げて帰りたかった。



「そこにいるのは誰ですか!」



 騒ぎ立てる肉男の声を上回る声量で、鋭い声が廊下に響く。



「……っ!」



 見つかってしまった。ここまでか……と、咲は目をつむる。



「廊下で騒いではいけません!」



 カツ、カツ、カツ、と、ヒールの踵を高らかにならし、すらりと背筋の伸びた姿勢と、肩まで伸びるサラサラストレートヘアに赤縁メガネが特徴的な女性が早足はやあしで咲たちに寄ってくる。


 ライトで照らす以外は真っ暗なはずなのに、その姿は浮かび上がって見えていた。


 それもそのはず、右手に携えた燭台しょくだいに灯された蝋燭ろうそくがぼんやりと女性教師を照らしていた。

 照らし出されるの肌の白さに驚く咲だが、何より異様なのは、胸元に左手で抱えている、頭蓋骨……。



「は、灰土先生……?」



 咲には見覚えがある、音楽担当の教師だった。

 普段は声も小さく、どこか怯えた様子の、気弱な性格だが、音楽の授業になると人が変わったように熱のこもった指導のする、一風変わった教師だった。



「こんな時間に児童が校内にいるなんて……いけませんねぇ……」



 咲が動けずにいると、灰土という女性教師の抱える髑髏どくろの、眼球の無い窪んだ目が怪しく光る。



「! ……オ嬢サン、アブナイ!」



 肉男が叫ぶ。立ち尽くしていた咲の手を引き、走り出す。

 直前まで咲が立っていた位置の、真横の窓ガラスが突如割れ、破片が廊下に散る……!



「廊下を走るなんて、いけませんねぇ……。はい、ドーン!」



 肉男の走りについていけず、足をもつれさせては吹き流しのように半ば浮いている咲の、すぐ後ろのガラスが割れる。

 間一髪、肉男の速度が勝り破片には当たらずに済んでいる。


 信じがたいことに、女性教師・灰土は走らず、速足で歩いているだけなのに、咲たちとの距離を着実に詰めていた。

 脚力が自慢だという血沸肉男が、全速力で走っているにも関わらず。



「な、なんで先生が私たちを襲うのっ⁉」


「校内ノまなーヲ守ラナイカラデス! 舌ヲ噛ムノデ喋ラナイデクダサイ!」



 マイペースなはずの血沸肉男さえ焦りの色を見せる。


 体感的には祖父の漕ぐ自転車より速い肉男の走りと、着実に距離を詰めながら謎の光を放ちガラスを割り散らかす音楽教師の両方に戦慄する咲。



 もう生きた心地がしなかった。


 。血沸肉男はかなり急いで走っているが、灰土と呼ばれた教師の足元は動く歩道になっているのか、と疑いたくなるくらい、ゆったりした歩みで廊下ごとじわじわと近づいてくる教師。

 次にまたガラスを割られたら危ない……!

 そのとき、進行方向、光の届かない暗闇の中から別の声が上がった。



「あーーーーーー!! テんメーーーーー理科男ーーーーーーー!!」


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