第五話 廊下を往く者

 闇に包まれた校舎内を、藤村咲は目を凝らして見つめていた。

 その視界の右斜め下から突如、隙間を這うように生魚の表面みたいなぬめりのある動きで現れた人物。


 人……? いや、人ではない。


 それは人の形をしているが、様子がおかしい。


 虹ヶ丘小学校の一階下駄箱前は、非常誘導灯の緑色だけがぼんやりと照らす暗がりだが、そんな中でもおかしいところははっきり見えていた。


 まず、服を着ていない。

 一糸まとわぬ姿である。

 視線を下に移さなくとも、両足の間にぶら下がっているものがあるのまで気配で分かる。


 その上、頭のてっぺんから股を通って足先まで、人体を唐竹を割るが如く縦に左右対称真っ二つにするように線が入っており、その右側は人間と同じ風貌なのだが、その左側は……皮膚が無く、赤々とした筋繊維や臓器が、むき出しにされていた。



「ひっっっ……!」



 叫びそうになる口を、自らの両手で塞ぐ。



(ダメよ、怖がってはダメ!)



 昼間に見ても気味が悪いものを暗がりで見ては余計に不気味であろうに、咲は目尻に涙を浮かべながら必死で耐えた。


 耐えられたのは、祖母から伝えられた言葉のおかげだった。


『理科室を抜け出し廊下を走り回る人体模型』



 理科室は咲たちの教室と同じ三階にある。ここは一階。この人体模型が走っているかは定かでないが……玄関ここにいるということは、抜け出してきたのに間違いは無いのだろう。



 その七不思議には、こんな一文が添えられていた。



『人体模型は一緒に遊んでくれる友達を探している。決して彼の容姿を恐れてはいけない――』





 その言葉が、お守りなのか、忠告なのか分からない言いっぷりだったが、とにかく守らなくてはいけないと咲は感じていた。


 持ち前の生真面目さが働いた。



「オ嬢サン……、ワタシ、怖イ?」



 咲のことを試しているのか、人体模型はほんの少し、角度にして十五度ほど顔を傾け、ぎこちない口の動きでいきなり正面切って訊ねてきた。


 暗がりでもはっきり顔が分かるようにだろうか、怖いと言わせる嫌がらせか、俯きがちな咲の横から、人体模型は咲より頭一つ大きい体躯を曲げて覗き込んでくる。

 造形としての表情筋は存在しても機能するわけではなく、のっぺりとした作りの顔を無表情のまま見つめる。

 作り物の眼球にも意志ある瞳は見られない。

 顔以外の部分が視界に入らないのはある意味で有難かったが、不気味な顔を見続けなければならないのも苦痛であった。


 聞かないで! 近寄らないで! と咲は真剣に思ったが、口に出し機嫌を損ねさせるわけにはいかなかった。


 そんなに近寄らなくても。

 怖いに決まっている。


 皮膚が無く内臓むき出しだし、服着て無いし、無表情だし距離感おかしいし!

 いろんな意味で恐怖だった。

 口元まで出かかった叫びを懸命に飲み込む。



「こ、ここここ、ここここここ、こわくないですっ!!」



 目尻に涙をためて、口を覆っていた両手を離して握りこぶしにし、鶏鳴きまね選手権で上位に食い込めそうな言い回しを披露しつつ、咲ははっきり言い切った。



「ヨカッター! アリガトウ! 嬉シイヨー」



 抑揚のない棒読みで言葉を発しつつ、両の拳を頭上にあげたガッツポーズでその場を一回転する人体模型。

 背中側もしっかり真っ二つであり、皮膚の無い側から背中一帯の筋肉が丁寧に作り込まれているのが見えた。


 しかし……飛び跳ね方もまた、木彫りの人形を無理矢理動かしているかのようにぎこちなく、着地の度に軋む音が聞こえる。

 模型なのだから当然、負荷のかかる可動には適していないのだ。

 顔面麻痺を無理矢理動かしたような不器用な笑顔が、気味の悪さを引き立てる。


 咲はその光景から目を逸らすこともつむるができず、喉から心臓が飛び出そうなのを必死で抑える。

 激しく脈打つ血液のポンプは一生の間に伸縮する回数が決まっているという。

 だとすれば、今現在、短距離走を終えた直後よりドキドキしている咲の寿命は確実に縮んでいた。


 見た目と裏腹にはしゃぐ人体模型のむき出しの心臓がうつ鼓動は、激しい動きにも関わらず、体自体は硬直して身じろぎさえできない咲の感じている自身のものの、半分以下の早さで脈打っている……。




「ア、ソウダ」



 ピタリ、と人体模型が飛び跳ね回転運動を止める。

 何を言われるのか、摂って喰われるのか。

 咲はビクリ、と跳ねる。



「ワタシハ、奇怪すけあーど傀儡ぱぺっとノ、血沸肉男チワキニクオ人形どーるト申シマス。血沸肉男ト、オ呼ビクダサイ」


「パペット……⁇ ……ドール⁇ え、えと……、に……、肉男……さん?」



 英語の授業などお遊びみたいなものしかやっていない咲は、辛うじて聞き取った横文字を鸚鵡おうむ返しする。



「ハァイ、ソウデス! ニクオチャンデゴザイマス! トキニ、オ嬢サン、オ名前ハ?」


「さ、咲……です……」


「ハァイ! 咲サンデスネ! ヨロシクオ願イシマァス!」


「こ、声が大きいよぉ……」


「ナンデスカァ?」



 わざとではないのだろうが、非常にわざとらしく、手を耳に当て先に向け突き出す。



「大きな声を出すと、先生に見つかっちゃうよぉ……」



咲の特徴である天使のささやき声ウィスパードボイスは透き通った高音であり、声量ボリュームを抑えてもよく聞こえるものである。


「先生? アァ、先ニ入ッテキタ大人デスネ。大丈夫デェス。今頃教師モノノすけべ動画ヲイホウだうんろーどシテ、職員室デオタノシミ中デェス」


「すけべ⁇ 違法⁇」


「オォーット、咲サンニハマダ早カッタデェス。ナンデモアリマセェン。忘レテクダサァイ。チ(ン)チンプイプイノプィ~!」



 なにか怪しげな言葉を唱え、血沸肉男は皮膚の無いほうの手の人差し指と中指を伸ばして、咲のおでこに向け突き出した。


 おまじないのつもりだろうか。

 咲は全く忘れられなかったし、なんなら下品な言葉が混ざっているのまで気付いていたが、効いたふりをしてあげたほうがいいのだろうと察した。


 ごっこ遊びは乗ってあげたほうが楽しいのだ。



「あれ~? ここはどこ~? 私はだれ~?」



 ちょっと恥ずかしかったが、咲はアニメで観たようなセリフを言う。



「ソレデ、咲サンハコンナ真ッ暗ナ夜ノ校舎ニナンノ御用デスカ?」



 ずる、と滑る咲。


 恥を忍んで演技したが、血沸肉男はまるで無視。


 文句のひとつでも言いたかったが、機嫌を損ねられては困るため喉まで登ってきたものを飲み込み、咲は七不思議を交えつつ学校に忍び込んだ目的とこれまでの経緯いきさつをぽつぽつと語り出した。


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