第三話 校庭の桜の木の下には死体が埋まっている

「ご馳走様でしたっ!」


 両の掌をぱんっと鳴るほど勢いよく合わせ、咲は食後の挨拶をする。

 晩御飯の山菜炊き込みご飯となめこの味噌汁、甘辛タレのよく絡んだ豚の生姜焼きに胡麻ドレッシングのかかった海藻サラダを完食。

 急いで食べたために体内から込み上げてくる感じがあるが、こらえて、自分の食器を流しへ持って行ってそのまま洗い、伏せる。


 手拭きで濡れた手から水分を取り除き、急ぎ帰る支度をする。

 一刻も早くプレゼントこれを置きに学校へ行きたかったが、晩御飯を食べないで飛び出すわけにはいかなかった。


 食べないで帰る理由が付けられない。誰にも知られないために、いつも通りに振舞っていたつもりだった。



「お風呂入らないのかい?」

「しゅ、宿題忘れちゃって! 帰ってやらなくっちゃ!」



 洗い物をしている祖母が尋ねると、用意していた言い訳を、少々どもりながら口にする。

 反応が怖くて祖母のほうを見ないままバッグを背負い、玄関を開ける。



「乗っていくか?」



 駱駝らくだ色の股引と肌着姿に同系色の腹巻と白地に水玉の鉢巻、それに下駄の装備を追加した祖父が、幼児用の荷台を括りつけた自転車に跨り玄関先で待機している。



「私もう十歳だよっ!」



 真っ赤な顔をして咲が抗議する。

 やる気満々だった駱駝色のじじいは拒絶されてうなだれる。



「咲」



 祖母が真顔でおいでおいでと手招きする。

 もしかして気付かれ、このままお説教なのか。

 何事だろうとおっかなびっくり咲が近づくと、祖母は右手を口元に沿えてそっと耳打ちする。



「学校、行くんだろ?」


「……!!」



 顔の半分が目になるくらい思い切り見開く咲。


 叫ばないように両手で口を押える。



(いいこと、教えとくよ。きっと、役に立つからね)


 祖母は口角を上げ、器用にウィンクした。



 ◇



 灯りが落とされた暗闇の中、影だけの巨塊に見える虹ヶ丘小学校。

 容赦なく閉ざされた正門の前に咲は辿り着いていた。



(き、来ちゃった……)



 自ら決めたはずなのに、いざとなると怖気づいて足がすくむ。


 時刻は午後七時三十分。路上には等間隔に街灯があり暗闇をあまり感じることなく歩いてくることができたが、学校の敷地内までその光は届かず、門の向こうは真っ暗闇だ。


 この闇の中を進まなければいけない。


 重く硬い石ころを無理矢理喉に通すみたいに唾を飲む。

 恐る恐る、咲は門の格子こうしに手を伸ばし掴む。

 湿気の多い空気の中、それだけがひんやりとしていた。

 そのまま地面に接している滑車をレールに沿って横へスライドさせようと力を込めた。



 金属同士がぶつかる冷たい音が大きく響く。

 手から腕を通して内臓に伝わる振動。


 重苦しい横開きの門は、ほんの数センチだけ動いて止まった。

 施錠されていたのだ。


 乗り越えようにも、足場も、足掛かりになるようなくぼみやでっぱりも無い。

 それ以上に、咲はスカートを履いていた。

 丈は膝下だが、よじ登ろうものなら通りがかりの人に下着が見えてしまう。

 何としても、それは避けたかった。


(どこか、ほかに……っ!)


 道路を照らす白く冷たい、無機質な光を頼りに、咲は別の出入り口を求めて、学校の塀に沿って走る。


 これから台風でも来るというのだろうか。

 不思議なことに、平日ど真ん中の遅い時間でないにも関わらず、人通りはおろか、車さえ通らない。

 しかし、入り口を探す咲はその不自然さに気付かない。



「こ、ここはっ?」



 学校は南向きにそびえており、先程断念した正門があった東側から校舎の背に回るように進んだ、北側。


 裏門――通用門と呼ぶべきだろうか。


 給食や教材その他の搬送、来客など車の出入りも可能なところだが、ここからの出入りは車や搬入作業時の接触や教材等の破損紛失等事故を防ぐため児童に禁止されている。



 だいぶ悪いことをしている……中に入れない焦りとは別に罪悪感も咲の心を襲う。

 街灯が遠くさっきの門より光が届かないぶん、不安も煽られる。

 ぴたりと閉ざされた門に咲は手をかけるが……ここもしっかりと施錠されていた。




「ここもだめなの……」



 鉄の格子は牢屋に思えてきた。

 おりに入れられた動物の気分が少しわかる気がした。


 少し走っただけで汗ばんでしまう、蒸し暑い夜なのに手が触れている門はその態度と同じく冷たい。



「無理、なのかな……」



 視界が滲む。

 ここまで頑張ったのに、自分の想いは報われないどころか、成し遂げることも叶わないのか。


 アサギのことが脳裏をよぎる。もしかして、連絡来てるかもしれない。

 手のひら大の電子機器をバッグから取り出し画面をつけるが、通知は無い。


 もしかして、向かってくるかもしれない、と期待があっただけに肩を落とす。

 このままではたちの悪いいたずらになってしまう。


 謝ろう。嫌われたくない。


 音声通話を試みる。が、繋がらない。

 呆れられたのかな……。



(ごめんね、おばあちゃん……せっかくアドバイスくれたのに……)



 祖母が教えてくれたのは、学校にまつわる七不思議だった。

 通う者なら誰もが知る七不思議の、知られていない部分……きっと役に立つから、と祖母がそらで読みあげるのを、咲はスマホにメモしていた。


 もう今となっては意味が無いのに、祖母にすがる気持ちで、お守りを握りしめて祈るようにメモを開いて眺める。

 涙が邪魔して視界がぼやける中、ふと、一節が目に留まる。



「校庭の桜の木の下には死体が埋まっている」

 その下――。

「想いを遂げられなかった少女の霊は、同じ心を持つ者を歓迎する」




 桜の木……。―――っ!




 る。

 校庭の西側。

 正門から、校庭を挟んだ対角線上に、古い、立派な桜の木が。

 入学式の時、おばあちゃんと一緒に写真撮ったっけ……。


 行こう!


 咲は走る。

 希望は途絶えていない。


 額に前髪を貼りつかせ、息を切らしながら右手で塀をなぞるように足を動かす。

 踏み出すごとに上下に揺れるリュックが煩わしく、置いていきたい気持ちになる。


 走るのが得意でない咲にとって、苦しい時間だった。

 それでも、自分の想いと、寄り添ってくれた祖母の想いを無駄にしたくないと、走る――。



 ◇



 やがて、街灯に照らされ、そこだけ切り取られたかのようにはっきり見える大木と、青々と繁った葉が見えてきた



「――……っ! あ……っ……たぁ……っ!」



 息も絶え絶え、蚊の羽音より小さなかすれ声だったが、心の中では躍動していた。

 これで開かなければ本当に終わりなのだが、そんな気は全くしなかった。



(きっと、開いてる……!)



 根拠は何か、と問われたら何もないが、確信だけがあった。


 門の前で、膝に手を付き息を整える。

 もう汗びっしょり。


 お気に入りのライムグリーンをしたTシャツが、下着が、スニーカーの中の靴下が、体に張り付く。

 早く帰ってお風呂に入りたかった。


 けれど、成し遂げるまで、帰れない。行けるとこまで、行く。



 藤村咲の決意は固かった。



 呼吸を落ち着けたところで、桜の木の前、闇の中に立ちはだかる重い金属の格子に手をかける。


 全身に力を入れ、両脚を開いて踏ん張り、左側に門を滑らせる。

 金属同士が擦れ合い、耳障りな音が響く。



(動いた……っ!)



 近所に聞こえてしまうかもしれない、誰か出てきたらどうしよう。

 黒板を爪でひっかいたときに似た音に咲自身も耳を塞ぎたかったが、もたもたしていると見つかる可能性が増す。

 自分が通れるだけの空間を開け、咲は隙間に滑り込む。

 同じだけの力を振り絞って、奏でる不協和音に顔をしかめながら錆び付いた門を閉める。



(は、入っちゃった……)



 それは、果たして歓迎なのか、招き入れたのは闇夜に潜む者たちの罠なのか――。


 その時、咲から幾らか離れた校舎一階の窓に人影が浮かんでいただが、咲がそれを感知する術は無かった……。




 ◇



「はぁ~~。やっと終わった……」


 咲が門を開けて校内に入ったころ、アサギは駅前の学習塾を終えて屋外に出たところだった。

 スマホを取り出し見ると、幾つかのメッセージが届いていた。

 さらに着信まで。


 発信者は、藤村 咲。



「学校?」


 通知画面に表示される文字に疑問が沸く。

 全体を確認するため通信アプリ「PINE」を開く。


 ほんの数秒の起動時間が煩わしい。


 遅くなってしまったので今の状況が分からない。

 咲はもう行ってしまったのか、まだ待っているのか。


 なんにせよ連絡しないと、とアサギは通話ボタンを指先で触れる。



『通信キャンセル』



 自動メッセージが入る。

 電波の届かないところに居たり、電源が切れている場合に出る表示だ。



 何故。




 もう一度かけるが、同じ。


 仕方ないので電話番号でかける。

 そっちなら繋がる可能性もある、と親に聞いたことがあった。



『おかけになった電話は電波の届かないところに居るか電源が入っていな』




 全部聞く必要が無いので切った。




 別に放っておいてもいいのかもしれない。


 が、なんだか嫌な予感がする……。




 もし、放っておいて、何か事件に巻き込まれていたとしたら……?





 突然、軽快な電子音が鳴る。






 不意をつかれてアサギはスマホを取り落としそうになる。



「あぶ……っ! 藤村っ⁉」



 持ち直す際に見えた発信元の名前に、慌てて受話を指す黄色いパイナップルマークをタップしようとしたが、ふざけた電子音は指が画面に触れるより一瞬早く途切れ『不在着信』の文字になる。



 かけ直す。

 一切繋がらない。



 何があった……?




 何らかのメッセージであることは間違いない。


 手掛かりと言えるのは……、とりあえず、学校だ。

 行くしかない。



(間に合えよっ……!)



 アサギは街灯が等間隔に照らすバス通りを、学校に向けて走り始めた。

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