第二話 プレゼント

  ぶ厚い雲の隙間から微かに差す陽光が、湿った地面から水分を蒸発させてくる。


 三階ともなるとその蒸し暑さは一層ひどいものになる。


 虹ヶ丘小学校四年一組の教室があるのは、その三階にある。



 放課後の、残る者も少なくなった教室内で、藤村ふじむらさきはいまだ机に突っ伏したままだった。




(明日だなんて、明日だなんてっ! なんでもっと早く聞いておかなかったの私のばかばかばか!)




 密かに想いを寄せる級友クラスメイト浅葱アサギ青磁セイジの誕生日が明日だと知り、胸の内で己を罵倒する咲。




 その理由には、一つの噂があった――。





 この学校に伝わる七不思議のひとつ。





 好きな子の誕生日に、その子が登校するより先に引き出しにプレゼントを入れておくと両想いになれる――。





 明日、アサギが登校する前に、プレゼントをその引き出しに入れておく。


 朝早く来て入れておくことに意味があるのか、前日のうちに入れておくのは意味がないのか、詳しいことは分からない。


 先に入れておいていいのであれば、鉛筆でも消しゴムでも定規でも下敷きでもクリアファイルでも、彼の帰った今なら入れ放題だ。


 が、使い古したものか、未開封としたらこっそり眺めて楽しむように持っている、お気に入りのの女子向けキャラクターものしかない今の所持品から、アサギへのプレゼントを決めることなど困難だった。

 それに、そんないい加減な気持ちで、自分の想いが実を結ぶなんて思えなかった。



「何か、用意しなきゃ……」



 あまりに長く机に臥せっている咲を心配したクラスメイト数人が声を掛けようと近寄り、短髪ショートカットの髪に赤いピン止め一つ付けた、活発そうな女子が肩を叩こうとしたそのとき、ゆらり、と生気なさげに咲がいきなり立ち上がった。



「ひっ!」



 女子が短く悲鳴を上げ後ずさるも咲の耳には届いておらず、虚ろな瞳をしたままランドセルを背負い、ゆらゆらと左右に揺れる覚束ない足取りで教室から出ていく。




 教室に残っていた少年少女たちは口を半開きにしたまま、咲の後姿が見えなくなっても廊下の壁に貼られた個性豊かな筆跡で無数に『税金』と毛筆で書かれた半紙たちを眺めるしかなかった。



 ◇




 手すりを伝いながら階段を下りきり、下駄箱で外履きに履き替えるころには、咲の足取りはずいぶんしっかりしてきた。



 頭も働くようになってきたものの、プレゼントそのもの以外の障害に頭を抱える。



 ――日直問題である。



 通常の登校であれば八時十分に到着していればいいのだが、日直は七時四十五分。


 それが、四年一組の決まりだった――。




 起きる前の微睡まどろみは三分だって惜しい低血圧の咲にとっては、絶望的に早い。


 もちろん自身が日直の日には二十時には就寝し、かつ早くに家を出てしまう両親や近所に住む祖父母に頼み込んで、一家総出の時間差モーニングコールによって無理矢理起きているわけだが、それは先週やったばかりだ。


 二週連続で日直だなんて不審がられる。


 まして、今からプレゼントの用意となると、宿題の兼ね合いもあり、寝るのが遅くなるのも必至だった。

 とても起きられるとは思えない……。



 溜息をつきながら歩くいつも通りの帰路。

 四年間通い続けている道は、目を瞑っていても帰れそうなくらい体で覚えきっていた。



 咲は俯きがちに、プレゼントにできそうなものを考えながら歩く。


 眉間に皺をよせ口をへの字に曲げてアスファルトのみを眺めて足を進めるが、道端に都合よくプレゼントなんて落ちていない。



 拾ったところで人に贈れるはずがないのだが、今の咲では拾い物さえ差し出しかねなかった。




(全くアイデアが、浮かばない……!)




 この二か月余りでそこそこ話せる仲にはなっていたが、何に対しても興味薄げに一歩引いているアサギの趣味趣向は未知の領域だった。



 流行りの話はしない。

 所持品は質素シンプルでキャラクターものなど一切持たない。

 お互いに交友関係は狭いため、情報を持っていそうな友人もいない。





 お手上げだった。





 十五分ほどの道程みちのりを無意識に歩いてきたが、いつの間にか玄関の前に立っていた。

 知らぬうちに、建物入り口のオートロックもエレベーターも通り過ぎていた。


 鍵っ子の咲は家の鍵を取り出すため、背負っていたランドセルを地面に置き内ポケットを探る。



 (今日はお父さんもお母さんも帰りが遅くなるって言ってたっけ……)



 そういうときはだいたい祖父母の家だ。

 ここから歩いて五分とかからない。



 そのため共働きの子の多くが放課後、学童保育に通うが、咲は直帰組だった。

 (少しゆっくりしてから行こうかな)


 鍵を見つけ、持ち上げたとき、咲の目にあるものが飛び込んだ。



「こ、これっ!」



 ◇



「おおおおばあちゃんっ!!おねがいがあるのっ!!」



 祖母の家に押しかけた咲は、呼び鈴を鳴らすとそれが鳴り終わらないうちに玄関から左に回り、縁側で今まさに呼び鈴の音に顔を上げた祖母に鼻先が当たる直前まで詰め寄った。




 その間、僅か一秒半。


 ほとんど瞬間移動だった。



「おやおや咲。今日も元気いっぱいだね」



 祖母は顔を上げた拍子にずれた老眼鏡を持ち上げる。

 自分で言うのもなんだが、かわいい孫娘のいつもより三十分早い到着と、必死の形相で緊急さを演出したつもりだったが、元気一つで片付けられてしまった咲はそれで怯むことなく話を続ける。



「あ、あのねっ!! じ、実は――」


「おー、咲。来たんか。靴くらい脱ぎんさい」



 背後から名前を呼ばれ振り返ると、そこにいたのは股引に長袖肌着の上下駱駝ラクダ色を纏った細身の壮年の男――祖父だった。



「あ……はい……」



 咲は顔を真っ赤にして、膝をついて四つん這いで縁側に上がっていたのを映像の巻き戻すように後ろ向きに下がってゆく。




 今度は玄関から靴を脱いで家に上がり、茶の間の座布団の上に正座し、出された番茶を一口すすって一息ついたところで咲は説明する。



 の誕生日が明日だということ。


 知ったのがついさっきだが、何かしらプレゼントを用意したいこと。


 そして――考え抜いた末に思い付いたのが、祖母の得意とするフェルトマスコットだった。



 咲の持つ自宅の鍵にも付いている。




「なるほどねぇ。それなら咲にもすぐ作れそうだねぇ~」


「なぁ、わしにも作ってくれるのか?」



 穏やかな声で祖母が頷く一方ですっとぼけた駱駝色じじいが己を指さすと祖母は笑顔のまま隣の駱駝の脇腹に肘をめり込ませた。



 “く”の字に折れ曲がり悶絶する老人など一瞥もせず、祖母は一抱えもある裁縫キットをちゃぶ台の下から引っ張り出し、そのプラスチック製ケースから、一つまみの繊維を取り出す。




 羊毛ウールを用いて小物からバッグまで好みの形に形成できるのが、羊毛フェルト。


 その中でも、「返し」のついた専用の針を用いて刺し固めることで、小ぶりながらも細やかなデザインが可能なニードルフェルト。


 任意の形になるまで、ひたすら針で突いて形成する、一見単純そうでいて繊細な技で見事な作品を作るのが咲の祖母だった。



 趣味で作った作品を昔からフリーマーケットに出店するなどしていたのは咲もよく知っているが、最近ではインターネットを介した創作のフリマにも出品しているそうで、なかなかの猛者らしい。


 そんな祖母は、今まで作っているところを横で眺めているだけだった孫娘が作りたいと言ってきたことで、元々垂れ気味の目尻が一層下がって嬉しそうだ。



 細めた目の奥が、鋭く光る。



「形は、決めてあるのかい」


「う、うん……それはね――」



 ◇




 一年で一番陽が長い季節とはいえ、もうほとんど陽が落ちてしまった午後六時――。



「できたっ!」



 最後の一刺し、飾りの黒ビーズが固定される。



「うんうん、いい出来だねぇ」



 祖母の指導と咲自身の手先の器用さによって、羊毛でできたマスコットは完成した。


「貸してごらん」との声に咲ができたての作品を差し出すと、仕上げに祖母は手際よく数字の“9”型ピンや環の金具をマスコットのてっぺんに取り付ける。



「ほら、これで持ち歩けるだろう?」



 真新しい真鍮しんちゅうのメッキが眩しい、立派なキーホルダーになった。



「おばあちゃんありがとう!」



 孫娘の輝かしい笑顔に祖母は眩しそうに、慈しむように目を細め頷く。


 ようやく、ここまで漕ぎつけた。



 しかし、どうやって机に入れるのか。

 朝早く起き、アサギより先に学校へ到着して入れるのは絶望的。


 ならば、今からしかない。




 だが、外は真っ暗だ。




 でも、行かなくては……。



「咲、難しい顔しとるのぉ」



 駱駝色の祖父の声は、咲の耳に入らない。



 腹を括り、子ども用の簡易スマホを取り出し、通信アプリ「PINE」を開く。


 パイナップルを模した、鮮やかな黄色いロゴのアイコンが目立つ国民的通信アプリで、登録料、使用料、通話、メッセージなど、一通り無料で使える魔法のようなアプリだ。


 子ども用スマホでも一般用と同じように使える。

 それ故に未成年犯罪の温床になっているという話もあるのだが、それでも利便性に負けて多くの子どもも使っているのが現状だ。


 過去のやり取りの履歴から、一人を選んでメッセージを送る。





「こんばんは」

「じゅく、終わった?」

「忘れ物しちゃったから、学校に取りに戻りたいんだけど……」

「暗いから、こわくて……いっしょに来てもらえないかな?」




 そんなお願いができる相手など、一人しかいなかった。



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