鼻栓風俗史
そうざ
The History of Nose Plugs
『鼻栓風俗史―その文化的意義と趨勢に関する一考察』
●第一期〔前差異化の時代〕
鼻栓が市場にお目見えしたのは今から五年前、下町の中小企業【
市場に流通する多くの製品の初期型がそうであるように、当該品も当初は最低限の機能のみを有した二つ一組の小さな円筒形の器具でしかなく、機能美を超えるデザインが入り込む余地はまだなかったのである。
◇
思い出す。
鼻栓の存在を知った日、何気なくカノジョに訊いてみた事を――。
「鼻栓って知ってる?」
「何それ、直ぐに影響されるんだから。そういうとこ直した方が良いわよ」
◆
●第二期〔機能的差異化の時代〕
やがて腐臭除去フィルターが進化し、通気性の向上、顔面バリア機能の実装等、参入各社に依って開発競争の火蓋が切って落とされた。宇宙船にも使われている新素材であるとか、軍事転用された技術であるとか、
留意したいのは、この段階に於ける主要ユーザーは四十代を下限とした中高年世代だった事である。若年世代にとってはまだ鼻栓は格好悪い、ダサい存在だったのだ。
◇
思い出す。
カノジョが鼻声になった日の事を――。
「何してんの?」
「流行っていうのはね、乗るか乗せられるか二つに一つなのよ!」
頭ごなしに大上段に構えられ、失恋とは別れるか別れられるかだと思ったが、僕はカノジョと別れる気などなかった。
◆
●第三期〔デザイン的差異化の時代〕
恐らく鼻に花という駄洒落が発端だったと想像されるが、鼻栓下部に小さな模造花弁を付けるアレンジが主に女子学生の間で自然発生的に流行り始めたのが凡そ三年前の事である。
直ぐ様、複数の企業が追随し、似たような製品を発表したが、この段階のデザインはユーザー自らに依るアレンジの方が一歩も二歩も先を行っていた印象である。
次第に左右の鼻栓を金属環で繋ぐ『
やがてプロのデザイナーが続々と参入し、デザインの多様性に拍車が掛った。宝石を鏤めた高価格帯商品も登場し、セレブリティーの定番アイテムとなった事は記憶に新しい。
◇
思い出す。
カノジョが金属環にぶら下げていたものを――。
「それって、まさか
「非常食仕様! 次に来るトレンドはこれよ、カッコイイ絶対!」
流行らなかった。
◆
●第四期〔世代的差異化の時代〕
程なく有名著名人が鼻栓の装着をアピールするようになると、いよいよ格好良いとの価値観が定着し始めた。
街を歩けば鼻栓使用者と擦れ違う事が珍しくなくなり、カップルで揃いの鼻栓をチェーンで繋ぐ光景も見られるようになった。若年層が異性の目を気にせず使用出来るようになった事は、重要なエポックである。
この時期、マスコミが大々的に鼻栓を俎上に上げ始めた。が、その論調は多分に批判的であった。
大きく三つのタイプに大別する事が出来る。
先ず『説教系』。現代の若者は羞恥心、品格を失ったと憤るもので、常日頃から若者に対して抱いている憤懣をぶちまける、主に年長世代で構成されたグループ。
次に『高等系』。世間の流行なんかに興味はない、自分は誰とも違う半端ない個性があるから、という主に自意識肥大タイプで構成されたグループ。
最後は『偏屈系』。自分には関係のない現象、そもそもこの国はもう終わっていると諧謔の
しかし、叩かれれば叩かれる程、結果的に鼻栓は市民権を得たと言える。この頃にはもうアクセサリー宜しくお洒落アイテムとして定番化していたのである。
◇
思い出す。
あれは、カノジョが『鼻の穴から発射しようとするロケット』のデザインの鼻栓に嵌っていた頃だ。
「飯ん時くらい栓を取ったらどうなの」
「取るじゃなくて抜くよ」
「抜きなよ」
「なんでよ」
「さっきから、カレーうどんの汁が付いて垂れてんだよ」
カノジョは何の躊躇も見せず、舌先でロケットの先端をペロリと舐めた。
◆
●第五期〔原点回帰的差異化の時代〕
流行が完全に市民権を得るまでには、社会との軋轢を経た上での共生が必要条件となる。
オフィシャルな時空間に於いては鼻栓を装着すべきではないという、既成概念、固定概念的な常識からの反発が生じた。社会人ならば仕事中は駄目、学生ならば授業中は駄目という具合である。
そもそもが腐臭対策との建て前があったが為に、TPOに関する確固たる基準は中々定まらず、例えば葬儀の場では華美にならない質素なタイプであれば常識的範疇での黙認が見受けられるという、場当たり的な許容が散見された。
やがて『フォーマル』『カジュアル』の使い分けが周知されるに至り、前者に関してはシンプルな第一世代型への先祖返り現象も起きた。
◇
思い出す。
この頃、カノジョは鏡を覗く度にぼやいていた。
「HANASEN、めんどっち~」
「だったら付けなきゃ良いのに」
「それじゃ、訊くけど。面倒臭いからってずっと寝てる訳? 何も食べない訳? ゴムを使わない訳? 最後のはあんたに当て嵌まるけどね!」
◆
●第六期〔機能的且つデザイン的差異化の時代〕
今や鼻栓が何かしらの付加機能を備えている事は自明だが、この時はコペルニクス的転回と言うか、コロンブスの卵と言うか、そう感じた人も少なくなかった。
喫煙機能、照明機能、冷暖房機能、防犯アラーム機能。盗聴機能を搭載したものは国会でも話題になり、業者は販売を自粛する事になった。
一方で、デザイン的にも更に大きく進化した。鼻栓から伸びたチェーンが耳栓と繋がったものがその代表である。耳に栓をする事に機能的な意味はないが、これはデザインを優先した結果である。
企業や自治体が挙ってアイディアを募集し、斬新なタイプが雨後の筍の如く巷に溢れた。
◇
思い出す。
カノジョの鼻から数本の鼻毛が顔を出し、それがゆらゆらと春の薫風に
「今日はハナセンしてない? もしかして止めたっ?!」
「止める訳ないじゃん」
「だって、鼻毛が」
「イミテーションハナゲよ。本当の鼻毛なんか出す訳ないじゃん、恥ずかしい。イミゲ&送風機能付きハナセンを奥まで突っ込んでんのよ!」
◆
●第七期〔通俗的汎用化の時代〕
一方で留意したいのが、表記の変遷である。
過去五年に亘る新聞、雑誌、テレビ、ネット等の記事を参照するに、その表記は大きな流れとして『鼻せん』『HANASEN』『ノーズ・プラグ』『ハナセン』と移り変わっている。
これは『医療用品』『お洒落用品』『必需品』『日用品』とその公的イメージが変移して行った事を意味していている。『一部の人が必用に迫られて使用していた物』から『他人と差を付ける為に積極的に使用する物』、そして遂に『万人が日常的に使用する物』へと位置付けが変わった事の証左と言える。
◇
思い出す。
カノジョと出掛けるのが恥ずかしく、一人で行動する事が多くなっていた。
町を歩けば、右を向いても、左を向いても、鼻栓、鼻栓、鼻栓。鼻栓。
何だか鼻栓をしていない自分が恥ずかしくなって来た。
◆
●第八期〔政治的象徴化の時代〕
「近年、『
よくよく考えてみれば、鼻栓の日常品化の大前提に存在したのは慢性的な腐臭問題である。
いつになっても抜本的対策を遂行出来ない政権に責任を追求すべきであると、ここへ来て国民は漸く気付いたのだ。
この流行の火付け役である【
この期に及んで未だに鼻栓をしている人間に私的暴力を加える『鼻栓狩り』が多発するのと同時に、どうしても鼻栓を取れない『鼻栓依存』や、それに端を発する『鼻栓差別』『鼻栓離婚』『鼻栓自殺』も新たな社会問題として浮上した。
◇
思い出す。
「アタシ、今から不買運動するわ!」
「そもそも買う必要ないよね……?」
「アタシは意識が高い人間よ!」
「既に一生分くらい買い溜めがあるよね……?」
◆
●第九期〔拡散且つ浸透的陳腐化の時代〕
一巡した流行が行き着く先には、二つの選択肢しか残っていない。日常に埋没して殊更には注目されないもののそこにあり続けるか、前時代の遺物として揶揄や嘲笑の的となって完全に廃れてしまうかである。残念ながら鼻栓は後者の運命を辿った。無論、前述の政治問題並びに社会問題が大きく影を落とし、ネガティブイメージを負った事は言うまでもない。
◇
思い出す。
或る日、カノジョが猛烈な鼻声で言った。
「ハナセンなんかする訳ないでしょ。相変わらず遅れてるわねぇ!」
カノジョは鼻栓の慢性的装着の影響で鼻声が直らなくなった。
鼻栓に依る後遺症が国民病として大きく問題視されるのは、もう少し先の話だ。
鼻栓風俗史 そうざ @so-za
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