第4話 悲哀の闇

 タ、スケ……テ――


 闇の奥から、声が、聞こえる。


 たす……けて……


 女性のものと思しきそれは、少しずつ近く、強く。


「助けて!!!!!!」


 どこか聞き覚えのあるその声がはっきりと鮮明クリアに脳内へと届いた、その時。


 ?!


 勢いよく目覚めすぎて危うくベッドから転がり落ちそうになった香澄は、慌てて時計を見やる。


«a.m. 5:00»


「まだ5時か……。」


 流石に出勤準備には早すぎる。本来なら二度寝するために再度ベッドに潜り込みたいところなのだが。


 ――嫌な予感がする……。


 確かに夢で助けを呼ぶ声を聞いた。ただの夢なのか、いわゆる予知夢なのか、判然としないけれど。


 香澄の中に焦点ピントを結んだその声には、とてもとても強い念がこもっていたように感じたのだ。


「会えるかもしれない、近いうちに。」


 本当にあの声の主が救いを求めているならば、きっと。


 ◇◇◇◇


 その日の昼休み。


「上原さん、ちょっといいかな?」


 そう声をかけてきたのは他部署の男性社員だ。


「加賀谷さん、どうかしたんですか?」


 加賀谷と呼ばれた男は少し気まずそうにあたりを見回すと、続けた。


「ちょっとここじゃ話しにくいから、場所変えたいんだけど。いいかな?」


 よっぽど他人に聞かれたくない話なのだろう、半ば挙動不審な加賀谷に、香澄は答える。


「はぁ……。まあ構いませんけれど。」


「良かった!! ありがとう!! じゃあお昼がてら僕の行きつけのカフェに案内するから、話はそこで。」


 加賀谷はあからさまに嬉しそうだ。まるで告白に成功したような浮かれように、


「分かりました。」


 と答えつつも少しドキドキしてしまう香澄であった。


 ◇◇◇◇


 落ち着いた内装に、少し贅沢なソファ。暗めの照明がそれらを強調するようにムーディな雰囲気を作り上げていた。


 加賀谷の行きつけであるらしいが、なかなか雰囲気がいい。


「単刀直入に話すよ。君、魔女って本当?」


 !!


 加賀谷の問いに、飲んでいたコーヒーを危うく吹きそうになるのをこらえながら、聞き返す。


「それをどこで??」


「ちょっと、ね。それより魔女である君に相談があるんだ。報酬はもちろん払う。正式な依頼をさせてもらいたい」


「……分かりました。ですが今は会社員としての職務中ですので、依頼の件に関しましては退勤後、お店に来ていただきたく思います。」


 唐突な話だが、困っている人を放置することもできない。店の住所が書かれた魔女としての名刺を渡す。


「……分かった。」


 加賀谷は今すぐ話したそうな顔をしていたが、渋々名刺を受け取った。


「それから、このことはお互い他言無用でお願いします」


 香澄の念押しに、


「勿論!! 会社には話さないから安心して」


 希望が見えたと言わんばかりの加賀谷はウキウキで午後の仕事に向かっていった。


 香澄も自らの職務をこなすべく、自分のデスクに戻ると、いつも通り午後の仕事を片付けにかかる。


 今日は本職も魔女副業も忙しくなりそうだ。


 ◇◇◇◇


 チリンチリンチリン!


 開店直後を狙ったかのように加賀谷がけたたましくドアベルを鳴らした。


「いらっしゃいませ。ご要件を伺いますのでこちらにおかけください」


 カスミの言葉に、加賀谷はぽつりぽつりと話し出す。


 加賀谷かがやとおる32歳、会社員。


 別れた女性が未練がましくつきまとって来て、ある日突然ぱったり音沙汰がなくなり安堵していたら、その日から悪夢を見るようになった、らしい。


 悪夢の内容は覚えていないが、なにかに追いかけられるような感じがして目覚めると嫌に現実感があるという。


 そのせいで良く眠れず業績にも響いているのでなんとかしたいらしい。


「……ふむ」


 おかしい。魂食みソウルイーターが絡んでいそうなのに彼のオーラは正常だ。かと言ってそのまま帰すには不安要素が多すぎる。


「ちょっと占ってみましょうか」


 カスミはタロットカードを取り出すと、丁寧にシャッフルしてカードをめくっていく。


 それは、最後の一枚、未来を表すカードを開いた時に起こった。


 出たのは死神の正位置。


 そこまでは普通だったのだ。ところが。


 ??!!


 その死神のカードが出た瞬間、のだ。


「全部、死神になった?!」


 怯える加賀谷。


「大丈夫です、落ち着いてください。お茶を淹れますので」


 半分は加賀谷に、残りは自分自身に言い聞かせるようにそう言うと、リラックス効果のある薬草茶を淹れる。


 ゆっくりとお茶を飲みながら落ち着きを取り戻した加賀谷と、考えを巡らせるカスミ。


「俺、どうしたらいいですか……?」


 オドオドと聞く加賀谷はいつの間にやら敬語になっている。


「その別れた方を調べてみたいのでお名前等教えていただけますか?」


「分かりました。絶対他言無用でお願いします」


 その日は別れた女性のことを聞き取ったあと、加賀谷を帰した。


 何かあったらすぐ連絡するように伝えてある。


 魂食みの形跡はない不可解さに、とてつもなく悪い予感がした――


 ◇◇◇◇


 翌日、終業のチャイムと共に例の彼女の様子を探るべく、自社の受付へと向かった。


 受付嬢の名札を確認し、訊ねる。


「受付の白鳥さんは、今日はお休みですか?」


 白鳥しらとり明日香あすか25歳、会社受付。


 加賀谷は自社の受付嬢に手を出していたのだ。


「白鳥は本日出社しておりません。」


 葉山という名の受付嬢がおしえてくれた。


 ふむ。


「なにか最近彼女の様子、おかしくありませんでした?」


 カスミが聞くと、


「いいえ。特には。」


 ほんの少し眉をひそめた葉山はなにか知っているのに隠しているのかもしれなかった。けれど、突然訪れた無関係な人間に語ることでもないのかもしれない。カスミは素直に引き下がることにした。


「ありがとうございます」


 それだけ言うと、会社を後にする。


「出社していない、か。」


 彼女の家に直接話を聞きに行くしかなさそうだ。


 住所は加賀谷から聞いている。早速向かうことにした。


 会社から電車に揺られること20分。


 現地の最寄りについたのだが、どうも胸騒ぎがする。


 白鳥の自宅に近づけば近づくほど早鐘を打つ鼓動。


 少し古めのマンションの5階にその部屋はあった。玄関チャイムを鳴らそうとしたその時。


 ガシャーン!!


 皿かなにかだろうか、物の割れる音が響いたかと思うと、加賀谷が玄関から転がり出てきた。


 ?!


「カスミさん、助けて下さい!!」


「どうしたんですか?! なぜここに?!」


「話は後で!! とにかく彼女を止めてください!!」


 見れば白鳥と思しき女性が、禍々しいオーラを放ちつつこちらへと向かってくるところだった。


 ――私を見て……!! 私を愛して!! 私だけを!!


 頭に直接響く心の声に反して、顔に生気はなく。ただ負の感情に動かされているだけの抜け殻に見えたが……!!


 今ならまだ間に合うかもしれない!!


 そう思ってカスミが駆け出そうとした、その時。


「お、お前のせいで!! 俺は!! 悪夢を見て、業績も下がって!! お前のせいだああ!!」


 恐怖に我を忘れているのか、加賀谷がそんなことを叫んだ。


「やめて下さいッッッ!!」


 カスミの必死の叫びも、パニックになった彼には届かない。


 ――くっ! これはまずい!!


 カスミの脳裏に真っ赤な危険信号が灯る。


 ――あああああ!! つらい! かなしい!! くるしい!! ――たすけて!!!


 !!!!


 カスミが夢で聞いたあの声とともに、白鳥は手に持った果物ナイフで自らを刺し貫いた!!


 と同時に彼女が纏う負のオーラが爆発し。


 ユラリ、と爆発の影から一体の魂食みが立ち上がる。


「ひいいいいいい!!」


 加賀谷はあまりの恐ろしさに気絶してしまったようだ。この魂食みの狙いは間違いなく彼だが、下手に動き回られるよりは守りやすくていい。


 ひとまず加賀谷や周りに被害が出ないように結界を張ると、改めて魂食みと対峙する。


原初の魂食みソウルイーター・オリジン、か……。」


 手強い相手にカスミは身構える。


 原初の魂食み。それは、魂食みに食われる事なく最初の魂食みとして闇に食われた人の末路である。


 自らの負の感情をコントロールしきれずに暴走し、己の闇に飲み込まれるとこうなるのだ。


 原初のオリジン、とつくだけあって、強さも普通の魂食みに比べて強い。


 どうしたものか、と考える余裕もなく、が襲いかかってきた。


 先程己に突き立てた果物ナイフは、いつの間にか異形の刀へと変形しており、こちらへと斬撃を繰り出してくる。


 魔法の杖を呼び出して受け流してはいるが、いかんせん一撃が重い。そして早い!!


 しかも衝撃波のおまけ付きときている。


 致命傷は避けながらも少しずつかすり傷が増えていく。


 杖を捌きながら、浄化の炎を呼び出すために詠唱を開始する……のだが、なかなかどうして最後まで詠唱させてくれない。


 右に左に、衝撃波が飛んでくる。さらに刀の攻撃も避けなくてはならない。


 これでは防戦一方である。


 なんとか隙を作りたい!!


 その一心で投げた秘薬は、いっときの幻を生み出す。


 相手が望んだ夢を。ただし効果は一瞬だ。

 しかし、その一瞬で十分だった。


滅せよスクリオス……!!」


 完成した詠唱は原初の魂食みを滅してゆく。


 ワタシヲミテ、ワタシヲアイシテ――!!


 蒼き浄化の炎は、一瞬の夢と共に優しく魂食みを包み込むように見えた――


 ◇◇◇◇


 消えていく蒼き炎を見送ると、加賀谷が目を覚ますところだった。


 事情を聞けばやはり、というかなんというか。加賀谷が自分都合でいいように捨てたのが白鳥だった。


 加賀谷を責めることはしなかった。今となっては無意味だから。


 依頼主を守ることは完遂した。だというのにこの虚無感はなんだろう。


「助けてあげられなくて、ごめんなさい」


 誰の耳にも届かないような、震える声でそう口にすると、カスミはその場を去った。



 ◇◇◇◇


「どうした上原、今日は一段と元気がないじゃないか」


「……」


 いつも優しい原田主任に答えるのも今は億劫だった。黙りこくっていると。


 ぽんぽん。


 主任は子供にするように香澄の頭を撫でた。


 たったそれだけなのに。


 香澄の双眸から溢れ出した雫が、会社のデスクを濡らしていく。


 原田主任は何も言わずそっと香澄を抱き締め、去っていった。


 そのさり気ない気遣いが、姉のようで、母のようで暖かい。


 そんな上司に応えるべく、残りの仕事も張り切る香澄であった。

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